今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

鏡の日

2005-11-30 | 記念日
今日(11月30日)は「鏡の日」
「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せ。
鏡を大切にすることで、健康で美しい生活を目指す日。
「鏡」・・・と言うと、皆さんは、先ず、何を思い浮かべるだろう・・・?私の場合は、グリム童話の「白雪姫」を先ず思い浮かべる。
グリム童話の「白雪姫」では、白雪姫を産むときに本当の母親である妃が死んでしまい、白雪姫の父親である王は、ある女性を後妻としてむかえる。新しい妃(継母)は、魔法の鏡を持っていて、ことあるごとに魔法の鏡にたずねる。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」・・・と、たずねると、鏡は、「女王さま、この国でいちばん美しいのはあなたです」と答えた。
お妃は大変満足しました。何故なら。この鏡は本当のことしかいわないことを知っていたのだから・・。最初の頃は、何度たずねてもずっとお妃その人であったが、白雪姫が成長し、7歳になったとき、鏡は「女王さま、ここでいちばん美しいのは、あなたです。けれども、白雪姫は、あなたより千倍も美しい」と答える。その言葉を聞いたお妃は、驚き、怒りと、妬みのために真っ青になる。そのときから、白雪姫の姿を見ると、はらわたが煮え返るくらい白雪姫を憎むようになった。ねたみ心と、高慢さは、日増しに大きくなり、狩人に「あの子を森へ連れ出し殺しておくれ。その証拠に肺と肝を持って帰って来るように」と命じる。こうして、白雪姫の森の中の生活が始まる・・・。(グリム童話って本当は怖い本なんだよね)
白雪姫に出てくるお妃は、美しい人だが、美しさへの自惚れが非常に強く、自分より美しい人がいることに、我慢できなかった。
最近では、電車の中でも全く、一目を気にもせず、一心不乱にコンパクト鏡を覗き込み、化粧直しをしている女性の姿を見るのも目面しいことではなくなった。その真剣な顔つきは、その場に自分以外の人はいないと思っているのかとさえ感じられる。これは、行き過ぎと、眉をひそめる女性も多いだろうが、多かれ、少なかれ、女性は、美しさにこだわる人が多いだろう。聞かれたら困るが、決して美人と言えない我が女房殿も、鏡の前にいるときの顔は真剣そのもの・・・。では、なぜ人・・・特に女性は、美しさにそれほどこだわるのだろうか?
もし、世の中の女性にこの世で大切なものは何か?と質問すると、「美しさ」などと答える人は少ないだろう。そして、「命」だとか「心」「愛」「思いやり」「性格」「財産」「友達」とか答えるのではないか・・・。
しかし、恋人選び、お見合いにしても、第一印象としては、「見た目」(外見)の要素が非常に大きいのは事実ではないか。その為、人と向き合った時、相手に良く思われたい、好感を持ってもらいたいという気持ちが働き、これが、人(特に女性)は美しくありたいと望むのだろうね。そして、なぜか、外見の良い人は、その外見の魅力だけではなく、内面も良いと思われてしまう。美しい人は内面で自分でも美しいと思っているし、人は、美しい人が好きだと思っている。自分がそう思っている以上、周りの人も同じ様に思っていると思っている。だから、自分より美しいと思う人が現れると、相手は私より美しいと思っているだろうな~と想像する。そして、相手は、私を見て自分の方が上だと得意になっているだろうと思う。(自分ならそう、思うから)。だから、そこに妬みだとか嫉妬が生まれるのだろう。この気持ちは、普通の人より、美しいと思っている人のほうがより強いだろうね。本当は、外見よりも、内面的なものの方が大切なのだが、人は、美しい人は、この内面的なものまでよいと思ってしまうため、そうでないとがっかりする。これは、普通の人よりも、余計に、がっかりすることになる。だから、人から、失望されないためにも美しいと思っている人ほど、そのイメージを保つのが大変なことになるだろうね~。ただ、不思議なことは、電車の中で、周囲の目も気にせず、必至に顔を繕っている女性を見ると、「そんなに、夢中になって、繕っても繕わなくても大して変らないのにな・・・」と思う人が多いのはなぜだろう・・・???
表面的の「美しさ」は、必ずしも素晴らしいものではない。それよりもその人が「魅力的」であることの方が必要なのではないか?美しさも魅力の一つではあるが、必ずしも「美しさ=魅力=」では無い。上辺だけの「美しさ」ではなく、心を映す鏡を持ちたいものだね・・・。
因みに、鏡の起源は人類と同じほど古いといえ、それは水鏡に遡る。その鏡に映る姿を自己であると知ることから、自己認識の第一歩が始ったとされている。鏡に「映る」という現象は、古来より極めて神秘的なものとしてとらえられたのだろう。単なる化粧用具としてよりも先に祭祀の道具としての性格を帯びるようになる。 そして、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られるそうだ。古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡を贈られているが、これは彼女がシャーマン的な支配者であったことと結びつける研究も多いという。鏡は神道や天皇制においても重要な役割を果たしており、なによりも重要なのは、三種の神器のひとつが鏡(咫鏡=ヤタノカガミ・・・)である事実であろう。記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、石凝姥命(下※1参照)が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けたといわれる。また、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされた。地獄の支配者閻魔大王の隣には「浄玻璃の鏡」(下※2参照)という鏡があり、彼の前に引き出された人間の罪業を暴き出すという。
鏡は鑑とも書くことがある。「かがみ(鏡)」と同源。映し見る意から、規範とすべきもの。模範。手本の意。
今、世相を映しだづ鏡は、新聞やテレビであろう。それでは、それらの鏡には、いったい日本はどのように映しだされるのであろうか・・・?
「鏡よ鏡、世界で最も平和で住みやすい国はどこ・・・?」・・・「世界で最も平和で、住みやすい国は・・・・」「鏡よ、鏡よ、どうして答えてくれないのですか・・・?」「それは、私は、嘘を付けない鏡だからなの・・・m(。-_-。)mス・スイマセーン」
(画像はディズニーキャラクター人形「白雪姫」)
参考:
鏡-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1
グリム童話について
http://densyo.hp.infoseek.co.jp/douwa.htm
※1:守護神 石凝姥命
http://www.h6.dion.ne.jp/~tukiyomi/page004.html
※2:真宗大谷派 藤井山 安正寺/裁判の図。 閻魔大王は家来を従えて、亡者が生前に犯した罪を浄玻璃の鏡に映し出し・・・。、
http://www.anshoji.com/cgi-bin/anshoji/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=2
グリム童話について
http://densyo.hp.infoseek.co.jp/douwa.htm