今日(11月16日)は「幼稚園記念日」
1876(明治9)年11月16日、日本初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が東京・神田に開園した。
幼稚園とは、3歳から小学校就学までの幼児を保育し、年齢に相応しい適切な環境を整え、心身の発達を助長するための教育施設のことである。
幼稚園の生みの親は、19世紀前半に活躍したドイツの教育者、フリードリヒ・フレーベルと言われており、彼が作った小学校に上がる前の幼児のための学校が最初の幼稚園であり、幼稚園という語は、彼の作った学校の名前であるKindergartenを翻訳して出来たそうだ。
日本の最初の幼稚園はおそらく寺子屋のなかにあったのではないかと思うが、それが明治に入って、東京女子師範学校の付属施設として本格化し、これは、その後、名称も東京模範幼稚園と改称され各地の幼稚園の模範とされた。
ただ、国の手で建てられ、モデル園となったこの東京女子師範学校附属幼稚園はフレーベルを源流としているものの、フレーベルが創設した幼稚園とは些か異なった性格を帯びて誕生した。西洋先進諸国の保育施設の場合は,機械制工場生産の発展に伴って,働かなければならない母親の子どもを対象にして,託児所的な保育施設が生まれ,フレーベルの創設した幼稚園へと発達した。しかし,東京女子師範学校附属幼稚園は、建物も、当時としてはモダンな建物であり、建坪225坪あり,平屋の西洋造りで、洋館の少い其の頃、人々の注目を浴びた。そして,施設内には遊戯室,開遊室,員外開遊室,縦覧室,応接室,職員室,事務室,小使室兼附添人控室もあったといい、エリートのための幼稚園として誕生した。そのため幼稚園の普及もチチとして進まなかったというが当然であろう。やがて明治20年代に入ると、民間の篤志家が幼稚園や保育所をつくるようになる。それは、庶民でも入り易い幼稚園であった。ただ、施設を作っても肝心の保姆が居らず、保姆の養成が必要であった。幼児教育の必要性を感じた神戸基督教会(現日キ教団神戸教会)の婦人会は、その専門家の派遣を米国に訴え、これに応えてアンニー・ハウが来日、1889(明治22)年10月「頌栄保母伝習所」(現在の保育者養成機関としては日本で最も古い一つ)を、2週間遅れて頌栄幼稚園を開設・開園した。これが模範となってキリスト教関係者による養成機関が各地に作られるようになったという。明治の私学創立運動の多くがそうであったように、クリスチャンが多いことも日本の幼稚園づくりの初期の特色のひとつだったそうだ。
現在、日本の場合、幼稚園は文部科学省所管の学校であり、保育所は厚生労働省所管の児童福祉施設ということになっている。
日本の幼稚園における保育内容は、幼稚園教育要領の第1章 総則1 幼稚園教育の基本で、
(1)幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して、幼児の主体的な活動を促し、幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること。
(2)幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること。
として、第2章のその内訳は「健康」「人間関係」「環境」「言語」「表現」となっている。
現在の幼稚園の実態は、ほとんどがフレーベルの構想の中にあったもので、ボール遊び、積み木、お遊戯、鳥や小動物と触れ合い、母親の家事の手伝い、言葉遊び、花壇での花や野菜の栽培など、すべて体系的にフレーベルの著作の中にあるものだという。
このように日本の幼稚園は自由遊びが中心であり、教師はやさしく,子どもたちの逸脱行動について厳しくしかることもなく、子どもたちは楽しくのびのびとした幼児期を過ごしているが、その、教科学習的な内容がカリキュラムに組み込まれることは少ないという。
しかし、今、幼稚園には、1、経済階層、2、宗教、3、経営母体(公・私立)、という3つの要因があり、1の要因では、経済的に比較的余裕のある階層の子どもたちが多く通う幼稚園は,ゆったりとした敷地に十分な教材が準備され、教師も他の仕事に忙殺されることなく子どもたちと関わる時間的余裕がある。一方勤労者階級の子どもたちが通う幼稚園は、財政上の制約から十分な資源を確保することが難しく、また、教師も雑事に追われて子どもたちと関わる時間を充分にとることが難しい。こうした物質的な条件の影響を受けることで、子どもたちの幼稚園での生活はずいぶん異なる。2の要因では、キリスト教系幼稚園、神道系幼稚園さらに仏教系幼稚園では、当然ながら、各宗教の持つ志向性の違いが、幼稚園を特徴づけることになる。3の要因では、公立幼稚園は文部省(現文部科学省)の意向が直接カリキュラムに反映されやすいものの,自分たちのプログラムの魅力をうまく伝えることも含め,市場の要請に対して迅速に対応できないでいる。一方私立幼稚園は文部省のコントロールから相対的に自由であり,また生き残りをかけて親にアピールし続ける。少子化によって縮小した市場で子どもを奪い合う結果、魅力のあるプログラムを提供している。・・・・等々、それぞれの幼稚園に特色があり、そこで、受ける教育内容に差がある。
今、子供の教育問題ではが、幼児教育が重視されてきているが、小学校への入学前の幼稚園での教育内容は、小学校へ入学後のスタートラインで、既にある種の差をつけてているのではないだろうか?私の孫も、郊外に住んでいるため、幼稚園が少なく、仕方なく、キリスト教系の幼稚園に入園させている。運動会などに行ってみていても、開始前と最後には、神への感謝の祈りをしているというよりさせている。息子の嫁に聞くと、教育方針も、殆ど、遊びばかりで、自由気ままに野放しにして育てる方針だという。それは、それでよいのだろう。しかし、家人の話などでは、幼稚園によっては、既に、英語の教育をしているところもあるのだという。このような、教育内容の差が、小学校に入ってから、どのような形で現れてくるのかは、じいじいとしては、気になるところである。
(画像は幼稚園の運動会「玉入れ」)
参考:
幼稚園-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
幼稚園教育要領
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301a.htm
ヨウチエン
http://www.psy.osaka-kyoiku.ac.jp/Holloway/aboutbook.htm
幼稚園制度の普及について
http://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/960030k.htm
Die Bueches Listen ueber Spielgaben in Japan(フレーベル教育遊具関係書籍リスト)
http://froebel.child.edu.yamaguchi-u.ac.jp/hon/hon.html
頌栄保育学院
http://www.k-doumei.or.jp/member/shouei-hoiku.htm
1876(明治9)年11月16日、日本初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が東京・神田に開園した。
幼稚園とは、3歳から小学校就学までの幼児を保育し、年齢に相応しい適切な環境を整え、心身の発達を助長するための教育施設のことである。
幼稚園の生みの親は、19世紀前半に活躍したドイツの教育者、フリードリヒ・フレーベルと言われており、彼が作った小学校に上がる前の幼児のための学校が最初の幼稚園であり、幼稚園という語は、彼の作った学校の名前であるKindergartenを翻訳して出来たそうだ。
日本の最初の幼稚園はおそらく寺子屋のなかにあったのではないかと思うが、それが明治に入って、東京女子師範学校の付属施設として本格化し、これは、その後、名称も東京模範幼稚園と改称され各地の幼稚園の模範とされた。
ただ、国の手で建てられ、モデル園となったこの東京女子師範学校附属幼稚園はフレーベルを源流としているものの、フレーベルが創設した幼稚園とは些か異なった性格を帯びて誕生した。西洋先進諸国の保育施設の場合は,機械制工場生産の発展に伴って,働かなければならない母親の子どもを対象にして,託児所的な保育施設が生まれ,フレーベルの創設した幼稚園へと発達した。しかし,東京女子師範学校附属幼稚園は、建物も、当時としてはモダンな建物であり、建坪225坪あり,平屋の西洋造りで、洋館の少い其の頃、人々の注目を浴びた。そして,施設内には遊戯室,開遊室,員外開遊室,縦覧室,応接室,職員室,事務室,小使室兼附添人控室もあったといい、エリートのための幼稚園として誕生した。そのため幼稚園の普及もチチとして進まなかったというが当然であろう。やがて明治20年代に入ると、民間の篤志家が幼稚園や保育所をつくるようになる。それは、庶民でも入り易い幼稚園であった。ただ、施設を作っても肝心の保姆が居らず、保姆の養成が必要であった。幼児教育の必要性を感じた神戸基督教会(現日キ教団神戸教会)の婦人会は、その専門家の派遣を米国に訴え、これに応えてアンニー・ハウが来日、1889(明治22)年10月「頌栄保母伝習所」(現在の保育者養成機関としては日本で最も古い一つ)を、2週間遅れて頌栄幼稚園を開設・開園した。これが模範となってキリスト教関係者による養成機関が各地に作られるようになったという。明治の私学創立運動の多くがそうであったように、クリスチャンが多いことも日本の幼稚園づくりの初期の特色のひとつだったそうだ。
現在、日本の場合、幼稚園は文部科学省所管の学校であり、保育所は厚生労働省所管の児童福祉施設ということになっている。
日本の幼稚園における保育内容は、幼稚園教育要領の第1章 総則1 幼稚園教育の基本で、
(1)幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して、幼児の主体的な活動を促し、幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること。
(2)幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること。
として、第2章のその内訳は「健康」「人間関係」「環境」「言語」「表現」となっている。
現在の幼稚園の実態は、ほとんどがフレーベルの構想の中にあったもので、ボール遊び、積み木、お遊戯、鳥や小動物と触れ合い、母親の家事の手伝い、言葉遊び、花壇での花や野菜の栽培など、すべて体系的にフレーベルの著作の中にあるものだという。
このように日本の幼稚園は自由遊びが中心であり、教師はやさしく,子どもたちの逸脱行動について厳しくしかることもなく、子どもたちは楽しくのびのびとした幼児期を過ごしているが、その、教科学習的な内容がカリキュラムに組み込まれることは少ないという。
しかし、今、幼稚園には、1、経済階層、2、宗教、3、経営母体(公・私立)、という3つの要因があり、1の要因では、経済的に比較的余裕のある階層の子どもたちが多く通う幼稚園は,ゆったりとした敷地に十分な教材が準備され、教師も他の仕事に忙殺されることなく子どもたちと関わる時間的余裕がある。一方勤労者階級の子どもたちが通う幼稚園は、財政上の制約から十分な資源を確保することが難しく、また、教師も雑事に追われて子どもたちと関わる時間を充分にとることが難しい。こうした物質的な条件の影響を受けることで、子どもたちの幼稚園での生活はずいぶん異なる。2の要因では、キリスト教系幼稚園、神道系幼稚園さらに仏教系幼稚園では、当然ながら、各宗教の持つ志向性の違いが、幼稚園を特徴づけることになる。3の要因では、公立幼稚園は文部省(現文部科学省)の意向が直接カリキュラムに反映されやすいものの,自分たちのプログラムの魅力をうまく伝えることも含め,市場の要請に対して迅速に対応できないでいる。一方私立幼稚園は文部省のコントロールから相対的に自由であり,また生き残りをかけて親にアピールし続ける。少子化によって縮小した市場で子どもを奪い合う結果、魅力のあるプログラムを提供している。・・・・等々、それぞれの幼稚園に特色があり、そこで、受ける教育内容に差がある。
今、子供の教育問題ではが、幼児教育が重視されてきているが、小学校への入学前の幼稚園での教育内容は、小学校へ入学後のスタートラインで、既にある種の差をつけてているのではないだろうか?私の孫も、郊外に住んでいるため、幼稚園が少なく、仕方なく、キリスト教系の幼稚園に入園させている。運動会などに行ってみていても、開始前と最後には、神への感謝の祈りをしているというよりさせている。息子の嫁に聞くと、教育方針も、殆ど、遊びばかりで、自由気ままに野放しにして育てる方針だという。それは、それでよいのだろう。しかし、家人の話などでは、幼稚園によっては、既に、英語の教育をしているところもあるのだという。このような、教育内容の差が、小学校に入ってから、どのような形で現れてくるのかは、じいじいとしては、気になるところである。
(画像は幼稚園の運動会「玉入れ」)
参考:
幼稚園-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
幼稚園教育要領
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301a.htm
ヨウチエン
http://www.psy.osaka-kyoiku.ac.jp/Holloway/aboutbook.htm
幼稚園制度の普及について
http://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/960030k.htm
Die Bueches Listen ueber Spielgaben in Japan(フレーベル教育遊具関係書籍リスト)
http://froebel.child.edu.yamaguchi-u.ac.jp/hon/hon.html
頌栄保育学院
http://www.k-doumei.or.jp/member/shouei-hoiku.htm