今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

New Year's Eve

2004-12-31 | 記念日
今日(12月31日)は、「New Year's Eve」
1年の終わりの日は、新しい年が明ける前日でもある。
今年は、色々災難の多い年、嫌な事件も多かった年だ。
なんだかんだといっても、今日を限りで今年は終わり。
除夜の鐘は108回打ち鳴らされます。108は煩悩の数です。(数は宗派によって違うそうだが・・・)
煩悩とは欲望、怒り、愚痴など迷いや苦しみの原因となる心のあり方をいいます。
除夜の鐘の音を聞いてこの1年のうちに作った罪を懺悔し、罪を作る心を懺悔し、
煩悩を除き清らかな心になって新しい年を迎えることにしましょうね。
それでは皆さんも良いお年を・・・(^_-)-☆
来年もよろしくお願いします。<m(__)m>
(画像は梵鐘)
参考:
百八煩悩:108の煩悩の数え方がわかります。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/97_6_18.html

取引所大納会

2004-12-30 | 行事
今日(12月30日)は、「取引所大納会」
証券取引所での一年最後の立会い。この日は午前中(前場)で取引を終了する。
かつては12月28日だったが、証券業界の業績不振から少しでも営業日数を増やすために大納会が12月28日から30日へ、大発会が1月6日から4日へ変更された。12月30日が土・日曜日の場合は、その直前の営業日となる。
しかし、官公庁の御用納めは、相変わらず、12月28日。1873(明治6)年から、官公庁は12月29日から1月3日までを休暇とすることが法律で定められており、28日が仕事納めとなるんだとか。通常は12月28日であるが、土・日曜日の場合は直前の金曜日となるんだって・・・。
景気が悪かろうが、世間がどうであろうが、税金で飯を食べている人達には関係のないこと。私たちは、明治に出来た古い古い法律に従ってちゃんと休ませていただきますと早々休んでおられます。なんと、忠実な人達でありましょうか。民間の皆様は、ご苦労様でした。・・・といっても、サービス業などの人達は、今日どころか、明日の夜まで、働かなければならないんですよね~。・・・それでも、働くところがある人はまだ幸せ・・・といっている人さえあるんですよね~。泣けますね~(ーー;)
(図はディフュージョン・インデックス(DI)グラフ・経済社会総合研究所景気統計部)

シャンソンの日

2004-12-29 | 記念日
今日(12月29日)「シャンソンの日」
1990(平成2)年12月29日、美和明宏、岸洋子、金子由香利などが出演し、シャンソン歌手の登竜門として知られ、文化の発祥地でもあった銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」が閉店した。
昭和38年頃、私が大阪の会社から東京の会社へ移って、まだ、東京の街を知らない頃、妹から東京に住む友達を紹介してもらい出合った。彼女に、銀座の裏通りにシャンソンが生で聞ける店があると案内されたのが「銀巴里」であった。その当時フランスのシャンソンが流行っていたので、私も、当時大阪の梅田にあったシャンソン喫茶などにちょくちょく行ってはいたが、シャンソンファンの彼女と違って、特別にシャンソンのファンでもないので、日本のシャンソン歌手は余り知らなかったが、「メケメケ」の歌で衝撃的なデビューをした丸山明弘(今は美輪明弘)だけは知っており、私が行った日に、その歌を目の前で生で聞けたのには凄く感動したのを思い出す。その後も、彼女と会った時にはよく「銀巴里」へ行ったが、たしかその翌年に、「ヨイトマケの唄」を聞いたように思う。彼が自ら作ったこの歌は、この後、テレビで歌い、大反響となり、全国的に大ヒットするようになった。この頃、越路吹雪の「サントワ・マミ 」も発売され、大ヒット していたな~。当時私は、越路吹雪の歌が大好きだった。
東京にいたのは、5年ほどであり、東京にいるときは酒を飲んで夜の街をさ迷っていたので「銀巴里」のことについても、美輪明弘が銀巴里の専属歌手であったことも何も知らないまま地元神戸へ帰ってきた。だから、「銀巴里」が日本のシャンソンのメッカであることを知ったのはずっと後のことである。1959(昭和34)年に銀巴里でシャンソン歌手の第1回オーデションが始まり、その後、このオーディションをパスして多くの歌手が育っていったんですね~。
話は、それるが、当時、夜の銀座で飲み歩いていた時など七丁目辺りで時々美輪明弘が女性に囲まれて歩いているのを見たことがあるが、当時の彼は、今のような女装はしていなかったな~。
(画像は1997年サンケイホールでの美輪明弘リサイタルのチラシ)
参考:
亀さんのシャンソン丸かじりページ
http://www.chansonkame.com/index.htm
美輪明宏
http://www.o-miwa.co.jp/index.html

「八百屋お七」が放火した日

2004-12-28 | 歴史
1682年の今日(12月28日)は 「八百屋お七」が放火した日。
「喧嘩と火事は江戸の華」といわれるが、恋に狂った八百屋お七の放火といわれる天保2年12月の大火は歌舞伎、浄瑠璃にまでなり有名になった。
実際、江戸では、江戸時代の二世紀半の間に、数町以上が罹災した規模の火災だけでも80数回にのぼり、3年に1度は大火に見舞われていたことになる。中でも、明和3年の大火(振袖火事)、明和9年の大火(目黒行人坂火事)、文化3年の大火(丙寅火事・牛町火事)は三大火事と呼ばれる。また、八百屋お七の放火とされる天和2年12月の大火その他を加えて10大火事と呼ばれるものも被害が大きかった。
火事は、家屋や家財などを焼失させ、罹災者には甚大な損害となったが、一方で、復興作業を通じて、木材その他の需要が喚起されるために、よく時代劇にも見られるように悪い奴の放火によるものも多かったようである。
天保2年12月28日、駒込大円寺から発した大火について、井原西鶴は、「好色五人女」の中八百屋八兵衛の娘お七が、この大火を機縁に駒込吉祥寺の寺小姓吉三郎と恋仲になり、火事があれば再会できると思い放火し、捕らえられて鈴ケ森で火刑にされたと書いた。これは、事実としては正しくないようであるが、その後、歌舞伎・浄瑠璃などの題材となり、お七の放火のように脚色されて「お七火事」の俗称が生まれたという。
当時、江戸で、様々な都市問題が表面化してきた中でも第一は防火問題で、これに本格的に取り組んだのがドラマでお馴染みの大岡忠相である。
大岡が先ず取り組んだのは、江戸の不燃化である。飛火を防ぐため費用の問題で抵抗も大きかったようだが根気よく説得し板葺きを瓦葺にした。また、従来の消防隊は旗本で編成した定火消、大名火消で、余り効果がなかったので、「いろは四十七組」の町火消を編成させた。本当にこの人は偉かったんだね~。
余談であるが、天保2年の大火に関連して、八百屋お七の悲恋物語が、江戸で評判になったころ、京都では、大経師(だいきょうじ)の人妻おさんと茂兵衛の不倫心中があり、これが、上方でも大評判となる。これに刺激されてか、貞享(1684~)から、元禄、宝永、正徳、享保にかけて、三都で心中が大流行したという。これらは、読売、絵草紙、流行節、歌祭文(うたざいもん)などのミニコミや「曽根崎心中」など人形浄瑠璃となって全国的に伝えられたんだそうだ。
師走も押し迫ってきて、空気も乾燥している、火元には十分に注意して、「火の用心、火の用心」
(画像は、芳年 八百屋お七「松竹梅湯島掛額」部分、東京消防庁蔵。NHKデーター情報部編ビジュアル百科「江戸事情」第3巻より)
参考:
八百屋お七の地蔵
http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_24.html
八百屋お七
http://tsukuyomi-club.com/yobanashi/oshichi.html
百屋お七『好色五人女』から
http://www.tokyo-kurenaidan.com/yaoya.htm


ピーターパンの日

2004-12-27 | 記念日
今日(12月27日)は、「ピーターパンの日」
1904(明治37)年、イギリスの劇作家ジェームス・マシュー・バリーの童話劇「ピーターパン」がロンドンで初演された。この原作は「小さな白い鳥」というタイトルで、その後、何回か筆が加えられ、1904年には「ピーターパン」で上映されたようである。
その後、ニューヨークでも上演され大ヒット。1953年には、ウォルト・ディズニーの映画にも登場。「ピーターパン」は、大人にならない永遠の子どもたちがおとぎの国ネバーランドで楽しい冒険を繰り広げる物語だが、もう、100年に渡り世界中でロングランをしているわけだから凄いよ。
作家のバリーより、版権を譲り受けたのはイギリス・ロンドンにあるグレート・オーマンド通りにある孤児院らしいが、もう、100年を経過しており、著作権は消滅しているのじゃ~ないかな?。
日本で、舞台化されたのは、1981年、新宿コマ劇場で、ピーターパンは榊原郁恵さんが演じていたね。「ピーター・パン」の見せ場はなんといっても空を飛ぶ場面に代表されるフライング・シーンだから、大変だったろうね~。その後日本では、ホリプロ主催のブロードウェイミュージカルとして20年以上ロングランされている。
そういえば、スティーヴン・スピルバーグ の映画「フック」があったね。この映画は、大人になって昔の記憶を失ったピーターパンが再生しての冒険を描くファンタジー。仕事中毒の40歳の企業付弁護士、ピーター・バニング(ロビン・ウィリアムズ)が、フック船長(ダスティン・ホフマン)に子供をさらわれ、ウェンディから自分が本当はネヴァーランドからやって来た永遠の子ども〈ピーターパン〉であることを告げられ、少年たちの助けを借りて、ピーターパンとなる特訓を受け、ピーターパンとしての記憶を取り戻したピーターは空を飛び、フック船長を倒し、無事に子供たちを救出した。そしてロンドンで目を覚ましたピーターと子供たちは、ネヴァーランドでの出来事を思い返す・・・といった作品で、スピルバーグの作品としては小作であるが、子供にならないピーーターパンが仕事の虫の大人になってるといったストーリ自体は面白い。
"永遠に大人にならない子供のピーターパン”がおとぎの国で活躍する物語は、子供たちに夢と勇気を与える楽しいドラマとして、歓迎するが、最近は大人になりたくないという“ピーターパン現象”の若者が増えてきているように思える。これは、まさに“大人”という存在に対する拒絶反応かもしれない。 
ある大学教授が、このような”ピーターパン現象”の見られる若者が最近増えてきたと嘆いているのを聞いたのはもう、30年くらい前だったから、当然といえば当然かもしれないが・・・。そのときのピーターパン現象の若者は、今、年齢的にはもう、50代になっていることになる。大人になれない子供が現実の世の中に蔓延したらどんな社会になってしまうのだろう?。「ピーターパン」の物語のように、純粋な子供の心をもって育ってくれるのなら良いのだが、精神年齢が子供では・・・。(ーー;)
(画像は 1991年製作、映画「フック」のチラシ)
参考:
ピーターパン/ホーム
http://www.horipro.co.jp/peterpan/home.html
ピーター・パンファンクラブ - .J.ホーガン監督、ジェレミー・サンプター出演「ピーターパン」のファンクラブ。ピーターパンに関するトリビア、性格診断等。一部会員制。
http://www.ufc.jp/peterpan/
keio-n.com by 慶應ジャーナル編集部
http://www.keio-n.com/