今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日本初の自主開発油田(「カフジ油田」)を発掘した日

2016-01-29 | 歴史
1960(昭和35)年の今日・01月29日、日本のアラビア石油クウェート沖カフジ油田(*1のカフジ油田も参照)を堀り当てた。
カフジ油田は、サウジアラビアとクウェートの旧中立地帯(現在の分割地帯。ここ参照)であるカフジ(英語:Khafji。 アラビア語:ラスアル・カフジ=カフジ岬の意)の沖合約40kmにある、アラビア湾(別名ペルシャ湾陸棚(水深 30m )にある海底油田であり、これは、石油メジャーに拠らない日本初の自主開発油田であり、「日の丸油田」として知られている。

上掲画像赤塗りの所がKhafji(カフジ)。

戦後の1957(昭和32)年、日本輸出石油(株)(アラビア石油株式会社の前身)の社長山下太郎)が、サウジアラビア政府と石油採掘利権獲得のため交渉を重ね、サウジアラビアおよびクウェートの中立地帯沖合地域の石油開発利権協定を締結し、サウジアラビアと採掘権を獲得。
翌1958((昭和33)年2月、山下は、石坂泰三ら財界の協力のもと、電力、鉄鋼、商社など日本の代表的企業40社の参加を得て、アラビア石油(株)を設立、日本輸出石油からサウジアラビアの利権を継承。翌年クウェートでの採掘協定も締結。
サウジアラビア政府、クウェート石油公団もそれぞれ10%ずつ株式を所有し、東京電力関西電力等を上回る最大の株主となる。1960(昭和35)年1月に 大規模海底油田を発見し、これをカフジ油田と命名し、1961((昭和36)年2月より生産が開始された。
カフジ油田の産油量は、1979(昭和54) 年の 40 万バレル/日台をピークとして減退に転じ、2002(平成14) 年の産油量は 25.4 万バレル/日、同年末における累計生産量は 39 億 9,700 万バレルと公表されているそうだ。
アラビア石油は、サウジアラビア・クウェート両国から得た利権に基づき操業を行っていたが、サウジとの採掘利権協定は 2000 (平成12)年 2 月、クウェートとの協定は 2003(平成15) 年 1 月にそれぞれ失効し、現在は、サウジ側がアラムコの子会社 AGOC (Aramco Gulf Operations Company=アラムコ・ガルフ・オペレーションズ社)、クウェート側は KOC(クウェイト石油会社) の子会社 KGOC (Kuwait Gulf Oil Company)が権益を継承している。
ただし、クウェートとは、2023(平成35)年までの原油売買契約が結ばれており、以降はクウェートを中心にオペレーターを務める企業などに技術者を派遣する形で事業の継続を行ってきたが、2008(平成20)年にクウェートとの技術サービス契約が終了し、事業規模が縮小。
2012(平成24)年12月に持株会社のAOCホールディングスは、石油・天然ガスの開発・生産事業(石油上流事業=原油の開発・生産部門)からの事実上の撤退を発表。2013年(平成25年)4月1日に会社分割によりJX日鉱日石開発テクニカルサービス株式会社を設立し、石油上流事業関連の人員を承継した上で、その全株式をJX日鉱日石開発株式会社に譲渡した。
JX石油開発株式会社は、2010(平成22)年4月に日本の石油元売最大手(第1位)の新日本石油(現・JXエネルギー)と同6位新日鉱ホールディングス(現・JX金属)が経営統合により設立したJXホールディングスを中心とする「JXグループ」の内、石油や天然ガス等の開発に関連する事業を再編し同年7月1日に発足したものである。JXの名称は、ジャパンの「J」と未知を示す「X」から・・・とか。

国内石油卸1位の新日本石油と同6位の新日鉱ホールディングスとの経営統合は、業界内では1999(平成11)年に日本石油三菱石油とが合併して以来約10年ぶりの大型再編であった。
このような大型の経営統合の背景には、石油危機(オイルショック)後の金融危機による景気後退や環境問題に端を発する石油製品の需要減といった当時の状況(*2:の第2編 第4章第2節 石油製品需要の動向を参照)があり、規模拡大による生産力・販売力の強化が不可欠と判断されたためといわれているが・・・。。
太平洋戦争への突入が、石油資源の獲得を大きな要因としていたように、エネルギー資源の乏しい日本は、戦前からその確保に苦慮してきた。
戦後、燃料や製品の原料として、石炭から石油へシフトする中で、日本は独自の石油資源獲得に動き始めた。日本が独自にこだわったのは、かつてアメリカに石油輸出を禁止(ABCD包囲網参照)されて苦境に陥り、戦争へ発展した苦い経験があった。
そんな中で、日本輸出石油株式会社がサウジアラビアで採掘権を獲得し、クウェート沖の海底で大規模な油田を掘り当てた。これがカフジ油田であり、石油メジャーと呼ばれた欧米の巨大石油企業に頼らない日本初の自主開発油田、いわゆる「日の丸油田」と称されるものの第1号であり、この海外油田獲得の意味するところは非常に大きく、その採掘に努力した、山下太郎は、後年アラビア太郎と呼ばれるようになった。
確かにカフジ油田の存在感は大きく、それに関わった人々の情熱や先見性は素晴らしいが、日本の石油開発の歴史(*2の「石油産業年表」を参照)を遡ってみると、カフジ油田の34年前、1926(大正15)年に北樺太石油会社が、旧ソ連サハリン(日本ではこれを「樺太」と呼ぶ)州北部のオハにおいて、日本初の石油の海外自主開発に成功していた(オハ油田参照)。
当油田は、北樺太のオホーツク海側で最初に開発された油田であり、日本が占領中の1926(昭和元)年に、北樺太石油会社設立以降1944(昭和19)年、北樺太における日本側の採掘権が消滅するまで生産されていたが、ソ連側が人員や物資の出入りを制限するなどの操業妨害(*3参照)をしばしば行ったことから、1941(昭和16)年に松岡洋右外相が日ソ中立条約締結の引き換えにその利権を放棄したという歴史がある。

日露戦争(1904年2月8日 - 1905年9月5日)後のポーツマス条約(日露講和条約ともいう)において,サハリン島(日本では樺太〔からふと〕、樺太島などと称する)は北緯50 度線を境界として南は日本領に,北はロシア領に分割されていた。
ここでいう北樺太とは,そのロシア領であったサハリン島の北半分を指しているが、なぜ、この期間に日本が北樺太で軍政のもと石油開発を行っていたのか・・・。

それは、1917(大正 6) 年に勃発したロシア革命の翌1918(大正 7)年、同革命によるロシア内戦の武力干渉目的で、フランス,イギリス,アメリカと共同して日本も、シベリアへ出兵して干渉戦争を続けていたことに始まる。
我が国の石油政策は、戦前戦時を通して軍事的目的と密接に関連しながら展開されてきたようで、特に、海軍の要請を反映しながら実行され、必ず政策の裏には軍事的目的が読み取れるという。
北樺太油田が最初に発見されたのは、1880(明治13)年であり、ロシアの毛皮商人によってオハ川上流に石油の大露頭が発見され、その後、ロシア人による試掘・調査が行われ有望な油田であることが判明。1903(明治36)年には、イギリス調査隊も北樺太に入り調査を行い、イギリスは、1910(明治43)年にはロンドンでセカンド・サガレン・シンジケートという新会社をも設立していたようだ。
わが国において北樺太の油田が注目され始めたのは、日露戦争中に日本軍が北樺太を占領し、1906(明治39)年から1907(明治40)年にかけて日露間の南北樺太境界画定の交渉が行われて以降のこと。
天津にあった支那石油会社の代理店である松昌洋行が、1911(明治44)年に北樺太に技師を派遣し現地の調査を行い、油田開発の有望なることを海軍省および日本石油に報告したことから、イギリスの北樺太油田利権獲得の活動も日本人の知るところとなり、大隈重信をはじめとする識者の問でも海外石油資源の獲得の必要性が説かれ始めたようだ。
大隈はこれを好機として捉え、1918(大正 7)年、ロシア有数の炭坑経営を行っているスタヘーエフ商会と久原鉱業(久原財閥)との間に合弁事業に関する覚え書が交換され、調査隊が北樺太に派遣され数カ月の調査をした後帰国。
従来より油田事業の監督督励をしていた海軍省は、この活動経緯に着目し、久原鉱業一社だけではなく広く民間有力企業を集め、組合を組織して事業を促進する方針を打ちだした。
こうした海軍省の呼びかけにより1919(大正8)年、久原鉱業、三菱商事(当時の三菱財閥の一つ)、大倉商事(日本石油と宝田石油に次ぐ石油会社、大倉財閥、当時)、日本石油(現:新日本石油)、宝田石油(当時日本石油とともに二大石油会社であった。1921年両社合併。)の五社が提携して北辰会という組合を組織。北辰会は、「久原・スタヘーエフ契約」の権利・義務一切を継承し、従業員二百仁余りを現地に派遣し採掘活動に着手したが、現地における治安は、極めて悪く、そのうえ1920(大正9)年には、尼港事件が発生。日本から救援部隊が出動し、事件は鎮圧され、同年4月混乱は一応治まった。
日本政府は、その責任と賠償を求め,革命中のロシアにその責任をとりうる政権が樹立されるまでの保障として,この事件以降5年間尼港対岸のロシア領北樺太を保障占領すると同時に、油田地域に守備隊を派遣した。
この間の北樺太は,日本帝国に新たに加わった「新領土」と見なされ,日本軍政下の同地には多数の日本人が来住し経済活動を行っていた。その頃の同地での日本人の活動の様子は、参考*4の「保障占領下北樺太における日本人の活動」を見ればよくわかる。
北辰会では、この事件発生のため活動を一時中止していたが、治安が回復すると採掘作業を再開。1923(大正12)年、オハで油田が発見され、同年中に最初の油井が生産を開始した。この間、1922(大正11)年には、北辰会は新たに三井鉱山(現:日本コークス工業株式会社)および鈴木商店(かつて存在した日本の財閥)を加えて株式会社北辰会に改組し、橋本圭三郎が会長に就任している。
そして、1924(大正13)年日ソ間の国交が修復され、北樺太の石油利権に関する問題が国家間レベルで交渉されることとなり、1925(大正14)年1月20日、北京で日ソ国交修復条約(日ソ基本条約)が成立し、さらに同年12月14日モスクワにおいてソ連下北樺太油田の開発に関する利権契約の調印が実現。
利権契約が国家間において正式に成立したので、北辰会は、その利権一切を新たに設立される北サガレン石油企業組合に譲渡することとした。 
北サガレン石油企業組合とは,ソビエト政府との問に締結された利権契約中の規定による北樺太油田を開発するための「日本政府の推薦する日本国企業」として設立された組合であり、北辰会の利権を受け継ぎ利権契約成立後は勅令によって「北樺太石油株式会社」に改組された。そして、海軍中将中里重次が、利権契約交渉の日本代表者および北樺太石油利権会社社長となった。 
1926(大正15)年3月5日、勅令第9号により同社は商法適用外の優遇措置をとることとなり、北樺太石油株式会社として改組されている(*5参照)。

石油は、このように海軍省主導のもと、民間企業連合体で開発に参加して、1944(昭和19)年に北樺太における日本側の採掘権が消滅するまで生産されていたが、最後は松岡外相が日ソ中立条約締結の引き換えに放棄した背景には何があったのか・・・。

1920年代に入り、大戦中の好景気から一転して、深刻な戦後不況に見舞われているところを関東大震災に見舞われ、経済に大きな打撃を受けていた。加えてアメリカが日本の中国進出を警戒して、1924(大正13)年には排日移民法を成立させ、日本人移民の制限などをした。
そこで日本政府は、ソ連との国交を樹立し、経済関係を結ぶことに方向を転じ「日ソ基本条約」を締結して、オハ油田などの北樺太石油地帯の経済的利権を手にした日本は事業化に一応の成功したようにも見えたのだが、1936(昭和11)年の日独防共協定(ここ参照)が成立すると、日ソ間の国際関係は悪化し始め、試掘期限の延長申請は認められなくなり、ソ連側の要求は厳しくなる一方で、人員や物資の出入りを制限するなどの操業妨害(*3参照)もしばしば行われ、日本政府は、1937(昭和12)年以降5年間に12,847,000円にのぼる莫大な石油試掘交付金を支給して援助を行ったが、日中戦争の拡大、事実上の日ソ問の戦闘状態を示したノモンハン事件(1938年)、その後に続く太平洋戦争(1941年)勃発の大きな流れには抗し得ず、1941(昭和16)年に松岡外相が日ソ中立条約締結の引き換えにその利権を放棄し1942(昭和17)以降、採油活動は中止されたのであるが、多くの人はこんな油田が存在したことすら知らないのではないだろうか・・。

アラビア石油はカフジ油田の生産を開始し、長い間、日の丸原油として日本の石油産業に貢献して来たが、2000年および2002年にサウジおよびクウェィトとの利権協定がそれぞれ失効、ついに2013年、事実上消滅してしまった。利権協定の更新交渉が実を結ばなかったことについては、色々言われている(*6も参照)が、その裏には、米系石油メジャーの動きもあったりして、企業単独による自主開発が、難しいことを示しているように思われるのだが・・・。。
カフジ油田の主油層(*1のここ参照)は白亜紀のブルガン層の砂岩とラタウィ層の石灰岩で、深さは前者が約 1,800m 、後者が約 2,300m で、隣接するサファニヤ油田(1951年に、アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー〔通称:ARAMCO=アラムコ〕によって発見された。*1 でサファニア油田参照)の開発が進むにつれて、本油田とサファニヤ油田とは一連のものであることが判明したため、両者を合わせて「サファニヤ・カフジ油田」と呼ぶことがあるそうだ。
アラビア石油のカフジ油田の利権喪失後、現在は、サウジ側がアラムコの子会社 AGOC (Aramco Gulf Operations Company)、クウェート側は KOC の子会社 KGOC (Kuwait Gulf Oil Company)が権益を継承し、共同オペレーターとなっている。
日本の原油輸入先は、2012年度実績で、83.2%を中東地域に依存(経済産業省「資源エネルギー統計年報」*7)しており、地域的にきわめて偏った状況となっている。
原油の中東地域への依存度は、第一次石油危機(オイルショック)が発生した1973年においても78%であったが、石油危機以降、輸入先の多様化を図り、中国、インドネシア、メキシコなどからの輸入を拡大した結果、1985年には68%まで低下したが、1990年代を迎えると、中東以外の産油国は、自国内の経済成長による需要増から輸出余力が徐々に低下したことから、再び中東依存度が高まり、近年は80%以上のレベルで推移しているようだ。
自然エネルギーの中でも石油のウエイトがいまだに高い以上、中東依存比率の大幅な低減は難しいものの、極力輸入先の分散化を図るとともに、新たな鉱区権益獲得と新規油田の自主開発促進や石油備蓄の拡充等を推進することが必要だろう。
アメリカでの「シェールオイル」の開発などが注目を浴びていたが、今、石油価格の急落で、アメリカのシェールガス関連業界がダメージを受けているようだが、同業界を積極的に後押ししたウォールストリートが、大ダメージを受けており(*8参照)、それが今世界の株価下落に大きく影響しているとも聞く。
こん後の日本の行方は・・・・。気になるところである。




参考:
*1:JOGMEC:石油・天然ガス資源情報
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/index.html
*2:JXエネルギー:石油便覧トップ
http://www.noe.jx-group.co.jp/binran/index.html
*3:神戸大学 電子図書館 - 新聞記事文庫 外交(147-006) 2015年6月10日閲覧
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10169437&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
*4:保障占領下北樺太における日本人の活動 (1920-1925)(
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/52284/1/ES_62(3)_031.pdf#search='%E5%8C%97%E6%A8%BA%E5%A4%AA+%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E5%8D%A0%E9%A0%98'
*5:北樺太石油株式会社と帝国石油株式会社
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006263413
*6:アラビア石油破綻事件の深層
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai0104.htm
*7:総合エネルギー統計 - 資源エネルギー庁 - 経済産業省
http://www.enecho.meti.go.jp/statistics/total_energy/
*8:第37話 石油価格急落、危ないのはロシアよりウォールストリート
http://jmcasemi.jp/column/article.php?article=1585
2008-01-1 - 化学業界の話題(データベース)
http://www.knak.jp/blog/2008-01-1.htm
5分でわかるエネルギー問題 - 地球村
http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/energy_crisis.html
それゆけ!石油探検隊
http://www.sekiyuexpedition.com/
日露関係史 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%8F%B2

六次産業の日

2016-01-23 | 記念日
日本記念日協会(*1)の今日・1月23日の記念日に、「六次産業の日」があった。
由緒書には以下のようにある。
酒屋「芋んちゅ」などの飲食店経営、食を通じた郷土活性化事業、フランチャイズのコンサルタント業務などを行う、愛知県名古屋市に本社を置く株式会社グロース・フード(*2)が制定したもので、日本の六次産業を盛り上げるのが目的。
六次産業とは農業や水産業などの一次産業、それらを加工する二次産業、そして販売、流通を手掛ける三次産業を統括して実施する産業のこと。日付は1と2と3で、一次産業×二次産業×三次産業で六次産業を意味している。・・・とあった。

人々が生活するうえで必要とされるものを生み出したり、提供したりする経済活動産業と呼ぶが、現代の日本で、経済の中核をなしているのは、古典的産業分類でいうところの第三次産業と呼ばれるものであろうが、この「第三次産業」という用語は、イギリスの経済学者コーリン・クラークがその著『経済的進歩の諸条件』(1941年)において使い始めたといわれている。
これより先、英国の経済学者ウィリアム・ペティは,17世紀に一国の産業が農業(英:agriculture)から製造業(英:manufacturing industry),商業(英: commerce)へと発展するにつれて富裕になることを『政治算術』(1690年.)で指摘(ここ参照)。
コーリン・クラークは、これにヒントを得て一国の産業構造を、農業などの第一次産業、製造業などの第二次産業,商業・運輸などの第三次産業の三分類に大別し、経済(英: economy)の発展に伴い、国民経済に占める第一次産業の比重は次第に低下し、第二次産業、次いで第三次産業の比重が高まるということを示した。これは、両者にちなんで「ペティ=クラークの法則」と呼ばれている(ペティの法則)。
産業を第一次、第二次、第三次産業の三つに大別したコーリン・クラークの分類では、
第一次産業は、自然に直接、働きかける産業を指し、農業・林業・漁業(水産業の一種)、狩猟鉱業などを言い、水産業の一種である水産加工のように天然資源(自然資源)を元に加工して食品を製造する業種は製造業に分類され、第一次産業には含まれない。
第二次産業は、第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業が分類され、製造業、建設業、電気、ガス業がこれに該当。
第三次産業は、第一次産業にも第二次産業にも分類されない産業が分類され、小売業やサービス業などの無形財がこれに該当。これらの産業は商品やサービスを分配することで富を創造することに特色がある。
ただ、クラークの産業分類に関しては、第三次産業に単純労働が含まれ、後進的な産業が先進的な産業と同じ扱いになっているという批判があるようだ。さらに、“マネジメントの父”と称されるピーター・ドラッカーもその著『イノベーションと企業家精神』の中で 構造変化がイノベーションの機会だと言っている(*3参照)が、経済発展につれて産業内部で生じている構造変化をとらえきれないという弱点がある。
ちなみに、産業構造に変化を及ぼす要因としては、次のことが挙げられている(*4:「経済指標のかんどころ」の第3章産業構造参照)。
(1)産業間の所得格差 … 技術革新によって生産性が高まると産業間に所得格差が生まれ、より高い所得を求めて産業間の労働力移動が起きる。第1次産業は第2次産業と比べて、技術革新によって生産が飛躍的に拡大する要素が少ない。
(2)需要構造の変化 … 所得水準が上昇すると消費構造が変化し、モノよりもサービスへの需要が増大する(*5の厚生労働省の『労働経済白書』の平成22年版 労働経済の分析-産業社会の変化と雇用・賃金の動向-の第2章 産業社会の変化と勤労者生活他それ以降の白書参照。)。
(3)国際関係 … 自国で生産するよりも外国で生産するものが安い商品は、輸入品が選択されることになり、その産業の国内でのウエイトは低下する。
(4)国の政策:日本の農業政策のように、政府による特定産業の保護育成政策が行われる場合がある。

また、第三次産業は、公益事業のような資本集約的な産業も、飲食業のような労働集約的な産業も、教育のような知識集約的な産業も含むという雑多な産業の集合体であり、中でも最近のサービス化はIT分野(*6参照)の比重が増しており、それが産業全体の生産性を高めるもの、と期待されているが、このような雑多な産業を単一のくくりで単純化することについても批判があるようだ。なお、近年この点に関しては、情報通信業などの情報や知識を取り扱う産業を第四次産業あるいは第五次産業として捉えなおす考え方も提唱されている。
逆に言えば、過去の古い「産業」や「分業」のイメージでは適用領域が狭い範囲に限られていたことを意味し、あるいはさらなる作業(特に知識や情報の生産流通のあり方)の細分化を知らずして社会学や経済学などが進められていたこと意味していたともいえるのかもしれない。
現在、日本で、産業を分類する基準として代表的なものに、「日本標準産業分類」(*7)がある。
日本標準産業分類は、統計調査の結果を産業別に表示する場合の統計基準として、事業所において社会的な分業として行われる財貨及びサービスの生産又は提供に係るすべての経済活動を分類するものである。つまり、日本標準産業分類の目的は、統計調査の結果を産業別に表示する際の基準を設定することにある。
この日本標準産業分類における産業の定義は、事業所において社会的な分業として行われる財貨及びサービスの生産又は提供に係るすべての経済活動をいう(総務省)。これには,営利的・非営利的活動を問わず,農業,建設業,製造業,卸売業,小売業,金融業,医療,福祉,教育,宗教,公務などが含まれる。なお,家庭内においてその構成員が家族を対象として行う生産・サービス活動は,ここでいう産業には含めない。
この分類の基準は、第一に、 生産される財貨又は提供されるサービスの種類(用途,機能など)。第二に、財貨生産又はサービス提供の方法(設備,技術など)。第三に、原材料の種類及び性質,サービスの対象及び取り扱われるもの(商品など)の種類である。
日本標準産業分類では、大分類、中分類、小分類、細分類の四段階構成となっている。直近では、平成25年(2013年)10月に改定(昭和24年=1949年10月の設定以後13回)がなされ平成26年4月1日より施行されている。その中で情報通信業は大分類Gに属している(その分類等は*7のここ参照)。
日本における分類では、慣例として、クラークが一次産業に分類している鉱業を二次産業に分類しており、第二次産業に分類している電気・ガス業が第三次産業に分類される点で異なっている。
第三次産業は現代の日本では経済の中核をなしているが、その複雑さ多様さゆえに経済統計の整備が最も遅れている産業である。工業統計調査(*8)のような全事業所を対象とするような調査は行われておらず、業界団体が出す資料しかない産業もある。そのため、複数の統計を加工して推測するしかないようだ。
第三次産業の活動を把握できる統計としては
国民経済計算(内閣府、*9参照)
第3次産業活動指数(経済産業省。*10参照)- なお、上記のような国際的な定義との違いに配慮し、電気・ガス・熱供給・水道業を除く指数を参考系列として公表している。
特定サービス産業実態調査(経済産業省。*11参照)
法人企業統計調査(財務省。*12参照) - ただし、金融を除く ・・・などがある。

さて、今日の記念日に登録されている六次産業のことであるが、六次産業とは、農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す、農業経済学者の今村奈良臣が提唱した造語である。
流通とは商品やサービスが生産者からそれを使用する消費者へ流れていく過程であり、流通の役割には以下の3点がある。
1) 生産者と消費者を結び付ける(商取引)
2) 生産地と消費地の場所の違いを補う(輸送)
3)生産時と消費時の時間の違いを補う(保管)
流通部門は,消費者が生産者からを直接購入しない限り,必ずそのサービスが必要な部門であり,その対価は流通マージンとして生産者価格とともに消費者によって支払われる。これは,消費者が消費財を購入する場合に限らず,産業が中間投入財や資本財を購入する場合も同様であり,流通部門は国内のあらゆる取引に介在する。
農業、水産業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。だが、六次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通、販売(第三次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというものである。また、このような経営の多角化を六次産業化と呼んでいる。
六次産業という名称は、もともとは、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語であったらしいが、現在は、第一次産業である農業が衰退しては成り立たないこと、各産業の単なる寄せ集め(足し算)ではなく、有機的・総合的結合を図るとして掛け算であると今村氏が再提唱しているようだ(Wikipedia)。

農山漁村には、有形無形の豊富な様々な資源地域資源」(農林水産物、バイオマス、自然エネルギー、風景・伝統文化など)が溢れている。
近年、ご当地ブーム、町おこし地域ブランドに代表される地域活性化の試みにおいて特徴・素材となるものを地域資源として定義し、活用する考え方が広まっており、安倍内閣の新成長戦略(*14参照)に伴う経済成長戦略大綱関連3法案(ここ参照)のひとつ「地域産業資源を活用した事業活動の促進に関する法律」(略称:中小企業地域資源活用促進法、 *15参照)が2007(平成19)年6月施行され、地域資源を活用した中小企業の事業計画を認定し、支援によって地域ブランド等の育成を計っている。
そのような中、農林水産業の六次産業化の推進が叫ばれた背景には、加工食品(*13)や外食の浸透に伴って消費者が食料品に支払う金額は増えてきたものの、それは原材料の加工や調理などによって原料価格に上乗せされた付加価値分が増えただけで、農林水産物の市場規模はほとんど変わらなかったことがあるようだ。付加価値を生み出す食品製造業や流通業外食産業の多くが都市に立地し農山漁村が衰退していく中、農家などが加工や販売・サービスまで行って農林水産物の付加価値を高めることで、所得向上や雇用創出につなげることが目指された。
このような考えは、各地で実践を伴いながら広まりつつあり、農業経営などが多角化するだけでなく、商工業の事業者と連携する動きもある。こうした「農商工連携」に取り組もうとする動きを後押ししようと、2008(平成20)年に「中小企業者と農林漁業者との連携による事業活動の促進に関する法律(農商工等連携促進法)」(*16。*17参照)が制定されたのに加え、日本再生戦略の一環として六次産業化を推進するため2010(平成22 )年には六次産業化・地産地消法 (正式名称:「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律」(*18のここ参照)を成立させ、農林水産省が六次産業化する事業を認定し、補助金や情報提供などで支援ている。
なお、先に紹介の農商工等連携促進法と六次産業化法の主な相違点としては、
◎支援要件として、前者が中小企業者(*17のここ参照)と農林漁業者等が共同して事業計画を作成することを要する一方、後者は農林漁業者等だけで作成することが可能な点。
◎その他、支援措置について、前者の支援が主に金融支援であるのに対し、後者は、金融支援とともに、農地法、野菜生産出荷安定法(*18参照)や種苗法の特例等、幅広い支援を規定しているようだ。
そして、2012(平成24)年8月には、加工分野や販売分野への進出を金融面で支援する六次化ファンド法(株式会社農林漁業成長産業化支援機構法。平成24年法律第83号)が成立(*19の農林漁業成長産業化ファンド参照)。国と民間企業が共同出資でファンドをつくり、農林漁業者と食品会社などが共同でつくる企業に出融資する制度も創設された。
そのような努力もあって、六次産業化では、「自家生産米からどぶろく製造・販売」(北海道)「農産物の生産・加工と観光農園等による地域活性化と豊かな郷土づくり」(東北)「牧場でのジェラート製造・販売(関東)など、今年・2016(平成28)年1月14日現在での総合化事業計画の認定件数合計(累計)は、2,130件に上っている。内訳は、うち農畜産物関係が1,871件、林産物関係96件、水産物関係163件である。なお、総合化事業計画の認定件数の多い都道府県の上位5県は、1位は北海道120件、兵庫県100件、長野県91、件宮崎県82件、熊本県76件となっており、わが地元兵庫県が2位と健闘していた。以下参照。
農林水産省/フォトレポート:6次産業化取組事例100選

六次産業化の形態別の現状を見ると、農産物の輸出といったものもあるが、農産物の加工、農産物直売所、観光農園、農家民宿、農家レストラン、・・といったものがほとんどの様だ。
一次産業に携わる農業者が、二次産業の加工や三次産業の流通にも関わる「六次産業」化が今大きな流れになっている。目的は、農家の経営を多角化し収益率を高めることにある。
昨・2015(平成27)年に農林水産省や経済産業省などがTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の大筋合意内容結果の概要を公開してる(*20、*21参照)。
六次産業化は、TPPに屈しない日本の強い農業をつくるためにも必須だと言われている。
日本政策金融公庫が公表した「平成23年度 農業の6次産業化に関する調査」によると、六次産業化を行ったことで農業経営の7割強が所得向上を実感しているという。そのため、今後の経営展開についても、回答者の76.2%が規模を「拡大」すると回答しており、六次産業化への取り組みが定着したことを伺わせる。・・・という。以下参照。
6次産業化で農業経営の7割強が所得向上を実感 ... - 日本政策金融公庫
これを見ると良いことずくめのように見える六次産業化のようだが、六次産業化への課題はないのか。また、成功させる秘訣とは何か・・・等々は以下を参照。
平成24年度6次産業化等に関する調査 (詳細版) - 日本政策金融公庫
6次産業化の展開方向と課題 - 農林水産省

都会に住み、六次産業化の現実とはあまり接することのない私であるが、全国の主要な市場から新鮮な水産物を調達し、その調達力を活かした鮮魚専門店経営、寿司・魚惣菜の販売や、回転ずし・レストランの経営をしている会社の株を昨年買い最低単位で持っている。同社からは年に一度、株主優待として同社扱いの数の子が年末に貰えるが今年の正月食べたら質の良い美味しい品だったので満足いる。同社からは歳暮用の良品を株主割引価格で販売してもらえるのもメリットである。今年、新年早々より世界同時株安となっているが、幸いここの株は安い時に買ったし、業績も良いのだろう株価も結構高くなっており儲けさせてもらっている。今このような上場会社が多くみられるが、中には、経営が上手くいっていないのか、今までの株主優待を廃止してい閉まっているところがある。そんなところは去年売却しているので助かった。
世界同時株安に関するニュース-Yahoo!ニュース
地方色豊かな日本。その地方資源を活用して、良いものを安く(是非このことを忘れないように)私たち消費者に届けて欲しいものですね。

冒頭の画像は、農林水産省の「六次産業化支援策活用ガイド」平成27年9月版(PDF:7,586KB)です。
*1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
*2:Growth Food co,ltd
http://growthfood.c-saiyo.com/
*3: [ドラッカー]イノベーションのための7つの機会 | 石山経営戦略室
http://ishiyama-room.com/theory/druckers_7chances_for_innovation/
*4:経済指標のかんどころ
http://www.cap.or.jp/~toukei/kandokoro/top/top1.html
*5:統計情報・白書―厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/index.html
*6:IT業界がわかる、仕事入門 - 立命館大学
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ise/jobplayer/it/
*7:総務省|統計基準・統計分類|日本標準産業分類
http://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/sangyo/
*8:工業統計調査|経済産業省
http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/
*9:国民経済計算(GDP統計) - 内閣府
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html
*10:第3次産業活動指数(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/sanzi/index.html
*11:特定サービス産業実態調査|経済産業省
http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/tokusabizi/
*12:法人企業統計 : 財務省
https://www.mof.go.jp/pri/reference/ssc/
*13:加工食品 | e-ヘルスネット〔情報提供〕
http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/food/e-03-017.html
*14:政府 新成長戦略の要旨 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO09482380Y0A610C1M10400/
*15 :中小企業による地域産業資源を活用した事業活動の促進に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO039.html
*16 :中小企業者と農林漁業者との連携による事業活動の促進に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H20/H20HO038.html
*17:J-Net21農商工連携パーク
http://j-net21.smrj.go.jp/expand/noshoko/
*18:農林水産省/野菜生産出荷安定法
http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/yasai/y_law/
*19:第6チャネル(6次産業化ポータルサイト)
http://6-ch.jp/index.html
*20:TPP大筋合意について-農林水産省
http://www.maff.go.jp/j/kokusai/tpp/
*21:TPP(環太平洋パートナーシップ)(METI/経済産業省)
http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade/tpp.html
第六次産業 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%AC%A1%E7%94%A3%E6%A5%AD

フードドライブの日

2016-01-15 | 記念日
新しい年に変わっての初めてのブログとなります。
みなさん良いお正月過ごされましたでしょうか。
昨年12月中旬以降暫くこのブログ休止していましたが、今日からまた始めます。昨年同様よろしくお願いします。
今年・2016年の干支(かんし、えと)は十二支の9番目の「申(さる)」。
干支で年を表すのは日本独特の風習ではなく、もともとは古代中国(起源は商=代と言われる)で作られたものが伝わっったもの。ちなみに正確にいえば、十干十二支(じっかんじゅうにし)とも言われ、全部で組み合わせが60種類あるので、60年で一周。今年はその60年に一度の丙申(ひのえさる)という年となる。
12年前「赤い下着ブーム」があった。年配の人はよくご存知だろうが、俗説に申年の「サル」にかけて「病が去る(サル)」など語呂が良いことや、また還暦祝いに赤を使ったりするように「赤」(風水では火)は病気を防ぐ厄除けの言い伝えがあるので、赤い肌着が良いとされているからである。「丙申」の「申」が赤を意味し、「」が火を意味するのだとしたら、「丙申」は60年のうちでも「一番燃える赤」の年とも言えるだろう。
しかし、「申」は猿と同義ではない。「申」は「呻」(しん:「うめく」の意味)で、もともとは、稲妻を表す象形文字であり、の初形ともされているようだ。そして、光が斜めに走る事から申は伸に通じ、まっすぐに伸びきる意を含み、果実が成熟して固まって行く状態を表してもいるようだ。後に、覚え易くするために動物のが割り当てられた。
その中でも60年に一度の「丙申」は、易などでは、一般に「物事が大きく進歩発展し、成熟する年」・・・と言われているのだが・・・。今年は一体どんな年になるのだろうか?
前回の丙申は1956(昭和31)年。同年7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して『もはや「戦後」ではない』と記述され流行語にもなった(参考の*1参照)。
ここで比較されている「戦前」とは、1934年~36年平均を言っており、故に、日本経済は、戦争のために20年間も足踏みしていたが、焼跡の廃墟に住み飢餓に苦しんだ人々が、敗戦後10年で立ち直ったのは早かったが、この時の「もはや」という言葉は「物事の形がやっと明らかになり、固まっていく」……、そんな年だったのかもしれない・・・。
それでは、2016年の今年はいったい何が起こるのか、「未年」に完結できなかった何かがかたまっていくのだろうか・・・。

今年、新年早々の株式市場は、「世界同時株安」で始まった。以下参照。
株式 :マーケット :日本経済新聞
中国の人民元安が止まらず、上海株式相場が急落したことや、中東での地政学リスク(*2、*3参照)の高まり、北朝鮮水爆実験などに敏感に反応したものなのだが・・・。安倍政権の舵取りはどうなることやら・・(*4など参照)

新年早々、グダグダと書いてしまったが、こんな経済の見通しの話など専門家でもない私が書くことでもないので本題に移ろう。
ところで、「フードドライブ」って、知っていますか?
日本記念日協会(*5)の今日・1月15日の記念日に 「フードドライブの日 」があった。
由緒書を見ると、“缶詰や調味料、レトルト食品など、消費期限までの日数があり保存可能で未開封の食品を、経済的理由などで食べ物に困っている家庭などに届ける奉仕活動の「フードドライブ」。この活動を広めようと女性だけの30分フィットネスを全国展開する株式会社カーブスジャパン(*2)が制定。当初は自社が初めて日本縦断でフードドライブを開始した日にちなみ11月1日だったが、より多くの個人、企業に参加して欲しいとの願いから1と15で「いいごはん」の語呂合わせとなるこの日を記念日とした。”…とあった。
「フードドライブ」…、最近何かの番組(テレビ)でこのような話を聞いたことがあるのだが、私は余りよく知らないのでネットで調べてみると、これは、アメリカ生まれのボランティアのひとつらしい。
フードドライブは、企業・教会・学校などが主催、地域社会に缶詰やレトルト食品などの保存食品の寄付を募るシステムで、集められた食料は、地元のNPO食料援助団体・フードバンク(*7も参照)の配送センターに運ばれ、そこから低所得家庭に配られるようだ
日本ではまだ余り知られていないようだが、その活動の輪は少しずつ広がっているようで、女性だけの30分フィットネスチェーン「カーブス」を展開する株式会社カーブスジャパンでは、2007(平成19)年から全国でフードドライブを実施し、年に一度、全国に約800店舗(2009年12月現在)あるカーブス店舗にて会員および一般の人たちから食品を募り、児童養護施設や女性シェルター介護施設等の施設・団体に寄付しているようだ(*8 )..。
フードバンク発祥の地米国では1960年代、アリゾナ州フェニックスのスープキッチン(soup kitchen。炊き出し参照)でボランティア活動をしていたジョン・ヴァンヘンゲル ( John van Hengel ) は、ボランティア先のシングルマザーから、まだ食べられる食品がスーパーで大量に廃棄されていることを聞いた。
ヴァンヘンゲルはスーパーにこうした食品を寄附してもらうよう交渉するとともに、地元の教会に食品を備蓄する倉庫を貸してくれるよう頼んだ。こうして1967年、倉庫を提供した教会の名を採り、「セントメアリーズフードバンク」が誕生した。その後、農家から収穫し残した農作物の寄附を受け、1976年に「セカンドハーベスト」を設立。セカンドハーベストは後にフィーディングアメリカ ( Feeding America ) に名を変え、全米の約200のフードバンク団体を統轄する組織となっているそうだ。

●上掲の画像は、アル・カポネが行った失業者向けのスープキッチンに列をなす人々。1931年、アメリカシカゴ市内。店頭の看板には「失業者のための、無料のスープ、コーヒー、および、ドーナツ」と書いてある(画像.Wikipediaより)
このように米国では、1960年代から盛んに行われており、すでに55年もの歴史があるそうだが、日本では、2000(平成12)年1月に炊き出しのために食材を集める連帯活動から始まり、以降フードバンクが設立されはじめたところであり,まだ歴史は浅い。
元アメリカ海軍の軍人で、上智大学の留学生のチャールズ・E・マクジルトンが2002(平成14)年3月に日本初のフードバンク団体を設立、同年7月に東京都から特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受けた。そして2004(平成16)年からは、団体名をセカンドハーベスト・ジャパン(2HJ.。同HPは*9参照)と改めた。
これとは別に、2003(平成15 )年4月にはアメリカ人のブライアン・ローレンスにより関西地方を地盤とするフードバンク関西(*10参照)が発足。翌年1月には兵庫県より特定非営利活動法人の認証を、2007(平成19)年には国税庁より認定NPO法人の認証を受けているそうだ。
いずれも当初はハインツ日本コストコなど外資系企業からの寄附が中心だったが、ニチレイなど日本の企業からの寄附も始まり、「もったいない」の観点からも注目されつつあるようだ。2007年以降は沖縄県や広島県、愛知県、北海道でも動きが始まっている。という(法人格を持つフードバンク活動実施団体参照)。
日本は食料自給率が低く、カロリーベースで39%(*11参照)と言われている(2014年度)。その多くを輸入に頼る一方、1788万トンの食料を廃棄している。うち可食部分と考えられる量(いわゆる「食品ロス」)500~800万トン(うち、家庭から出る食品ロスが200〜400万トン、事業者=企業などから出る食品ロスが300〜400万トン)もあるという(*12参照)。
日本はかって1億総中流社会と言われていたが 、それはひと昔もふた昔も前に終わっていたようだ。
統計上、貧困層の割合を把握するために使用される指標に貧困線(ひんこんせん、英: poverty line、poverty threshold)というものがある(ここも参照)。それ以下の収入では、一家の生活が支えられないことを意味している。
この貧困線(ライン)には必要最低限の生活水準を維持するために必要な収入を示す絶対的貧困ライン、所得または消費の分布で下位一定割合の水準を示す相対的貧困ライン、世界銀行が設定する国際貧困ラインなどがある。
絶対的貧困率の基準は国や機関、時代によって異なるが、2008(平成20)年、世界銀行は、貧困線を「2005年の購買力平価(PPP)が1.25$以下の層」と設定しているようだ。
また、相対的貧困率は、OECD(経済協力開発機構)では、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される(国の所得格差順リストも参照)。
日本が他国より率が高いのは相対的な貧困率の方であり、「平成25年国民生活基礎調査結果」(*13)による平成24(2012)年の日本の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1%にもなっている。1985(昭和60)年の相対的貧困率は12.0%であったので、この間に34,2%も貧困率が悪化しているのである。

また、今、いじめ児童虐待不登校、中途退学非行学級崩壊など、教育が困難な問題に直面しているようだが、特に最近は、子どもの貧困問題が深刻であり。同統計による子どもの貧困率」(17 歳以下)は1985(昭和60)年が10.9%であったものが、49,5%増の16.3%と過去最悪となっている。
そして、「子どもがいる現役世帯」(世帯主が18 歳以上65 歳未満で子どもがいる世帯)の世帯員についてみると、1985(昭和60)年が10.3であったものが46,6%増の 15.1%となっており、中でも深刻なのはそのうちの母子家庭や父子家庭などの「ひとり親世帯」の貧困率は、1985(昭和60)年(54.5%)より、若干の増のとはいえ、今でも貧困率は54.6%にも達しており、2人に1人を超えているのである。
「大人が二人以上」の世帯員も9.6%から12.4%へと29,2%増となっているが、これに対してひとり親世帯の貧困率は、4,4倍の子が相対的貧困状態にあるのである。(*13の「平成25年国民生活基礎調査」のⅡ 各種世帯の所得等の状況7 貧困率の状況参照)。
このように、ひとり親家庭等大人1人で子どもを養育している家庭において、特に、経済的に困窮しているという実態がうかがえることから、ひとり親家庭の経済的な自立を可能とする就業支援策などの充実・強化や、経済的支援の拡充が課題となっているようだ。(*14:「平成24年版厚生労働白書 -社会保障を考える」の第5章 国際比較からみた日本社会の特徴を参照)。
また、男女別・年齢別の相対的貧困率をみると、男女とも高齢期に上昇する傾向があるが、総じて男性よりも女性の貧困率は高く、その差は高齢期になるとさらに拡大している(*15:「平成24年版 高齢社会白書」の(8)相対的貧困率は高齢期に上昇する傾向参照)。
このような所得再分配前の相対的貧困率について、1990年代中頃以降の大まかな推移を見ると、2000年代中頃まではアメリカが最も高く、それ以降はイタリアが最も高い。
日本は、一貫して上昇傾向を示し、2000年代中頃からOECD平均を大きく上回っている。一方、社会保障による所得再分配後の相対的貧困率について、1990年代中頃以降の大まかな推移を見ると、一貫してアメリカが最も高く、デンマークが最も低く、日本は、継続的にアメリカに次いで高い値を示しているという。
OECD では、2000 年代半ばまでのOECD 加盟国の相対的貧困率を公表しており、これによると、相対的貧困率の小さい順に並べた場合、日本は、OECD加盟国30か国中27位となっているという。
先進国にも関わらず日本では、約2000万人の人が、貧困線)以下で暮らしているといわれ、これは、日本全体でみると、6人に1人の割合にもなるのだが、どうしてこう高くなっているのか、この事実をどう受け止めていけば良いのかはよく考えないといけないだろう。
いま、先進国で所得格差が広がっていることが、大きな話題になっている。
一国の所得分配の行方に係る最大の関心事は、分配の公平性に対する評価とともに、その結果が経済成長にもたらす影響である。わが国を含む多くの先進諸国では、累進的な所得税や社会保障による所得の再分配(富の再分配)政策がとられており、その結果、市場を通じた所得分配の格差が是正されてきた。
近年は、所得格差の大きさと経済成長率との関係が取りざたされ、分配の公平性と効率性が、一方を重視すればもう一方が犠牲になるといういわゆるトレードオフの関係にある。これをどのようにしてゆくかについて活発に議論されているようであるが、どうも表面上にみられる所得格差についても、いろいろ、みかけ上の格差拡大や減少をもたらしているところも多いようである。その為に真実の所得格差の拡大要因が何かを正しく把握した上で、日本も、どのような政策目標を国民との合意形成の上で実施してゆく必要があるようだ(*16、*17参照)。
所得格差・貧困・再分配政策 について政府は以下のような見解を示している。
所得格差・貧困・再分配政策 (PDF形式:1026KB) - 内閣府
このような難しい問題は横においておいて、貧富の格差問題同様、食べ物の世界でも、様々な理由によって、膨大な食べ物が捨てられる一方で、食べるものに困っている人が大勢いる。まだ食べられる物であっても、多くの食べ物が捨てられてしまう理由は多くある(*9のここ参照。)
冒頭で述べたフードバンクでは、一方に余っている食べ物があり、他方で食べ物に困っている人がいて、それをつなぐ活動(食べ物の仲人役)を果たしている。できるだけ協力をしてあげたいものですね~。
米国では、フードバンクに対する寄付のみならず、公益非営利法人への寄付を助長するため、寄付金の損金算入(寄附金控除)を行うことができる税制優遇制度があり、また、予算・行政機関等による支援策として、米国では・年間5,100 万ドル(フードバンク予算、2014 年度)・助成金制度・農務省が生産者より買い上げた余剰農産物の提供等もあるようだ(*18参照)が日本にはない。日本でもこれらの支援が必要ではないだろうか。
ただ、フードバンク先駆者米国でも、近年では、以前まで寄附の対象となっていた食品が「わけあり商品」として寄附にまわらずに通販などで流通したり、食料価格の変動で政府からの寄附が減るなどの問題に直面しているという。
日本では、大幅な財政赤字(ここ参照)が続いており、政府債務残高のGDP(国内総生産)比は財政破綻に追い込まれたギリシャをも上回る水準にある(*19参照)。財政赤字削減のため、福祉関連の助成も制約を受けて、これら福祉団体の経営においても苦しい状況となっているようであるともきくが、これからどうなることやら心配だ・・・。


参考:
*1:1956年 「もはや戦後ではない」/「国連加盟」 - 法学館憲法研究所
http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1956.html
*2:地政学リスクとは|金融経済用語集 – iFinance
http://www.ifinance.ne.jp/glossary/investment/inv016.html
*3:サウジとイランの対立激化がシリア紛争に与える影響
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takaokayutaka/20160107-00053182/
*4:年明け早々株価急落。やっぱり「申(さる)年騒ぐ」の格言は本当だった!(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/15/hasan104/msg/230.html
*5:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
*6:株式会社カーブスジャパンHP
http://www.curves.co.jp/
*7:農林水産省/フードバンク
http://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/foodbank/
*8 気軽なボランティア、「フードドライブ」とは? - Excite Bit コネタ(1/2)
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1260452948260.html?_p=2
*9:セカンドハーベスト・ジャパンHP
https://2hj.org/about/history.html
*10:フードバンク関西
http://foodbankkansai.org/
*11:農林水産省/日本の食料自給率
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
*12:食品ロス削減の取組(農林水産省)
http://www.jora.jp/news_release/pdf/1003siryo_003.pdf#search="1788%E4%B8%87%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%A3%9F%E6%96%99%E3%82%92%E5%BB%83%E6%A3%84"
*13:国民生活基礎調査|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/20-21.html
*14:平成24年版厚生労働白書 -社会保障を考える- (本文)|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/
*15:平成24年版 高齢社会白書(全体版) - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/
*16:所得格差が先進国で拡大している理由(東洋経済)
http://toyokeizai.net/articles/-/39531
*17:日本の所得格差をどうみるか - 労働政策研究・研修機構
http://www.jil.go.jp/institute/rodo/documents/report3.pdf#search='%E6%89%80%E5%BE%97%E6%A0%BC%E5%B7%AE'
*18: 213 1.8 諸外国のフードバンク活動の推進のための施策 ... - 農林水産省
http://www.maff.go.jp/j/budget/yosan_kansi/sikkou/tokutei_keihi/seika_h25/shokusan_ippan/pdf/h25_ippan_213_03.pdf#search='%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF+%E7%8F%BE%E7%89%A9%E5%AF%84%E9%99%84+%E7%A8%8E%E5%88%B6'
世界の財政収支(対GDP比)ランキング - 世界経済のネタ帳
http://ecodb.net/ranking/imf_ggxcnl_ngdp.html
*19:日本の財政、残された時間的余裕は少ない | 読んでナットク経済学
http://toyokeizai.net/articles/-/24043
視点・論点 「財政赤字はなぜ膨らんだのか」 | NHK 解説委員
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/183891.html
3 税・社会保障による所得再分配 - 内閣府
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je09/pdf/09p03023.pdf#search='%E6%89%80%E5%BE%97%E5%86%8D%E5%88%86%E9%85%8D%E5%89%8D%E3%81%AE%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E7%9A%84%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E7%8E%87'
所得格差・貧困・再分配政策 (PDF形式:1026KB) - 内閣府
http://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/07/16/27zen14kai5.pdf#search='%E6%89%80%E5%BE%97%E5%86%8D%E5%88%86%E9%85%8D%E5%89%8D%E3%81%AE%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E7%9A%84%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E7%8E%87'
NPO法人セカンドハーベスト ジャパン様|インタビュー|RibbonMagnet ...
http://www.ribbonmagnet.jp/interview/file015/
フードバンク - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF