1876(明治9)年の今日(11月25日)、 福澤諭吉が『学問ノスゝメ』の最終刊・第17篇を刊行。
福沢諭吉(1834年~1901年)は、日本を代表する啓蒙思想家・教育者で、慶應義塾大学の前身である蘭学塾創始者でもある。「学問ノスゝメ」「西洋事情」「文明論之概略」などの著書があるが、『学問ノスゝメ』はその初編の序の有名な句「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」で知られている。1872~76年(明治5~9)に、17編の小冊子として刊行された。その初編は,1872(明治5)年,福沢が郷里大分県の中津に中津市学校を開設させたとき、同郷の人々に本当の学問の趣旨を示すために書いたものだそうである。その最終巻第17編を刊行後、1880(明治13)年これらを1巻にまとめた「合本学問之勧」を刊行しているが、その序に、「本編は余が読書の余暇随時に記すところにして、明治五年二月第一編を初として、同九年十一月第十七編をもって終わり、発兌の全数、今日に至るまで凡そ七十万冊にして、そのうち初編は二十万冊に下らず。これに加うるに、前年は版権の法厳ならずして偽版の流行盛んなりしことなれば、その数もまた十数万なるべし。仮に初編の真偽版本を合して二十二万冊とすれば、これを日本の人口三千五百万に比例して、国民百六十名のうち一名は必ずこの書を読みたる者なり。古来稀有の発兌にして、またもって文学急進の大勢を見るに足るべし。書中書記の論説は、随時、急須の為にするところもあり、また遠く見るところもありて、怱々を筆を下したるものなれば、毎編意味の甚だ近浅なるあらん、また迂闊なるが如きもあらん。今これを合して一本となし、一時合本を通読するときは、或いは前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚うべしと雖ども、少しく心を潜めてその文を外にしその意を玩味せば、論の主義においては決して違うなきを発明すべきのみ。発兌後すでに九年を経たり。先進の学者、苟も前の散本を見たるものは固よりこの合本を読むべきに非ず。合本はただ今後進歩の輩の為にするものなれば、いささか本編の履歴及びその体裁の事を記すこと斯の如し。(明治十三年七月三十日)」と有るように、その売れ行きはものすごく、全国各地で偽版も出たようである。
明治開国以来その近代化の中にあって、啓蒙思想は社会の近代化に果たした役割は大きかった。福沢は「学問ノスゝメ」のなかで、封建的な儒教思想を痛烈に批判し、個人の独立・平等およびそれを前提とした国家の独立を、特に強調するという特徴をもっていた。
福沢諭吉は、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし」と身分差別を批判したことは、維新の社会変革を推進する大きな力となった。しかし、他方で、「学問を勤めて物事を良く知るものは貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となるなり」とあるように、日用の役にたつ学問(「実学」)の強調が、かえって、ある偏見を生む結果となっていることが後に指摘されている。要するに左官や車夫のような手足を用いての力役は「やすき」仕事だから「卑しい」という。身体を使っての肉体労働蔑視が見られ、これは、ひいては、教育、学問の力によって精神労働者に成り上がることが立身出世であるとする概念の起源となっている。つまり、この初編からは、おおまかに言えば学問=独立のための手段、という図式が見えてくるのである。「職業に貴賎なし」であるが、やはり「難しき仕事をする人を身分重き人と名づけ」が彼の本心なのであろう。「文明論」でも政府の役人、医者、学者、豪商などを重視している。人に生まれながらの貴賎・富貴はないけれども、努力の結果として得た地位に貴賎はあるのだというのが、諭吉の社会感覚だったのだと思う。
今の日本においては、世間には「おちこぼれ」といわれる人たちが、行き場をなくして悩んでいる。小さいときから、学問を見につけ、一流企業へ入社できる人だけが一人前で、それ以外の汗して働く仕事がなんとなく蔑視されているような、こんな時代に至る要因が、こんな「学問ノスゝメ」にあったとしたら、・・・随分とこの本の読み方も変ってくるね。もう、この本は著作権の問題もなくなり、WEB上で読めるようにもなっている。以下参考にも記しておいたので、今一度読み直してみてはどうかな・・・。
【画像は福沢諭吉。1万円札の肖像抜粋)
参考:
『学問のすすめ』全文テキスト
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/gakumon.html
【文明論之概略】福沢諭吉
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/bunmeiron.html
福翁自伝(1)
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou.htm
福翁自伝(2)
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou.htm
最後のサムライたちの塾 /第34講 福沢諭吉(1)~第40講 福沢諭吉(7)
http://www.geocities.jp/sidoukansonjyuku/jyuku/jyukupage.html
福沢諭吉(1834年~1901年)は、日本を代表する啓蒙思想家・教育者で、慶應義塾大学の前身である蘭学塾創始者でもある。「学問ノスゝメ」「西洋事情」「文明論之概略」などの著書があるが、『学問ノスゝメ』はその初編の序の有名な句「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」で知られている。1872~76年(明治5~9)に、17編の小冊子として刊行された。その初編は,1872(明治5)年,福沢が郷里大分県の中津に中津市学校を開設させたとき、同郷の人々に本当の学問の趣旨を示すために書いたものだそうである。その最終巻第17編を刊行後、1880(明治13)年これらを1巻にまとめた「合本学問之勧」を刊行しているが、その序に、「本編は余が読書の余暇随時に記すところにして、明治五年二月第一編を初として、同九年十一月第十七編をもって終わり、発兌の全数、今日に至るまで凡そ七十万冊にして、そのうち初編は二十万冊に下らず。これに加うるに、前年は版権の法厳ならずして偽版の流行盛んなりしことなれば、その数もまた十数万なるべし。仮に初編の真偽版本を合して二十二万冊とすれば、これを日本の人口三千五百万に比例して、国民百六十名のうち一名は必ずこの書を読みたる者なり。古来稀有の発兌にして、またもって文学急進の大勢を見るに足るべし。書中書記の論説は、随時、急須の為にするところもあり、また遠く見るところもありて、怱々を筆を下したるものなれば、毎編意味の甚だ近浅なるあらん、また迂闊なるが如きもあらん。今これを合して一本となし、一時合本を通読するときは、或いは前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚うべしと雖ども、少しく心を潜めてその文を外にしその意を玩味せば、論の主義においては決して違うなきを発明すべきのみ。発兌後すでに九年を経たり。先進の学者、苟も前の散本を見たるものは固よりこの合本を読むべきに非ず。合本はただ今後進歩の輩の為にするものなれば、いささか本編の履歴及びその体裁の事を記すこと斯の如し。(明治十三年七月三十日)」と有るように、その売れ行きはものすごく、全国各地で偽版も出たようである。
明治開国以来その近代化の中にあって、啓蒙思想は社会の近代化に果たした役割は大きかった。福沢は「学問ノスゝメ」のなかで、封建的な儒教思想を痛烈に批判し、個人の独立・平等およびそれを前提とした国家の独立を、特に強調するという特徴をもっていた。
福沢諭吉は、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし」と身分差別を批判したことは、維新の社会変革を推進する大きな力となった。しかし、他方で、「学問を勤めて物事を良く知るものは貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となるなり」とあるように、日用の役にたつ学問(「実学」)の強調が、かえって、ある偏見を生む結果となっていることが後に指摘されている。要するに左官や車夫のような手足を用いての力役は「やすき」仕事だから「卑しい」という。身体を使っての肉体労働蔑視が見られ、これは、ひいては、教育、学問の力によって精神労働者に成り上がることが立身出世であるとする概念の起源となっている。つまり、この初編からは、おおまかに言えば学問=独立のための手段、という図式が見えてくるのである。「職業に貴賎なし」であるが、やはり「難しき仕事をする人を身分重き人と名づけ」が彼の本心なのであろう。「文明論」でも政府の役人、医者、学者、豪商などを重視している。人に生まれながらの貴賎・富貴はないけれども、努力の結果として得た地位に貴賎はあるのだというのが、諭吉の社会感覚だったのだと思う。
今の日本においては、世間には「おちこぼれ」といわれる人たちが、行き場をなくして悩んでいる。小さいときから、学問を見につけ、一流企業へ入社できる人だけが一人前で、それ以外の汗して働く仕事がなんとなく蔑視されているような、こんな時代に至る要因が、こんな「学問ノスゝメ」にあったとしたら、・・・随分とこの本の読み方も変ってくるね。もう、この本は著作権の問題もなくなり、WEB上で読めるようにもなっている。以下参考にも記しておいたので、今一度読み直してみてはどうかな・・・。
【画像は福沢諭吉。1万円札の肖像抜粋)
参考:
『学問のすすめ』全文テキスト
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/gakumon.html
【文明論之概略】福沢諭吉
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/bunmeiron.html
福翁自伝(1)
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou.htm
福翁自伝(2)
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou.htm
最後のサムライたちの塾 /第34講 福沢諭吉(1)~第40講 福沢諭吉(7)
http://www.geocities.jp/sidoukansonjyuku/jyuku/jyukupage.html