今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

くいしん坊!

2010-10-30 | ひとりごと
ここのところのTVなど見ていると、“バラエティー”か“クイズ” 番組、それに“料理“や“食べ歩き”の番組が主流であり、最近特に多く目に付くのが“食べ歩き”番組の方である。
このような日本各地の名物料理などの食べ歩きで思い出されるのが「くいしん坊!万才!」というTV番組である。
キッコーマンの提供で1974(昭和49年)年10月、田村魚菜をリポーターに放送が開始された。毎回、全国各地を訪ねて、その町の歴史や人々の 暮らしにふれあい、郷土料理や特産物、 名産品などの食べ物を 味わいながら、「食べる事の喜び、楽しさ」を伝えてきた。この放送は5分間というミニ番組ながら、長寿番組となっているが、当初は日曜から金曜までに放送されていたが、放送される曜日が年々減り、現在では月曜のみの放送となっている。
くいしん坊万歳の歴代リポーターも、初代の田村魚菜 2代目渡辺文雄(1975年~1977年)以降、現在は12代目松岡修造(2000年~)となっているが、フジテレビ公式サイトでは、田村降板後の1975年6月を初回としており、従って、リポーターも渡辺が初代で松岡は11代目としている。
リポーターは当初はインテリや食通がしており、なかなか味のある番組で楽しく、私もよく見ていたが、9代目(フジテレビ公式サイトでは8代目)の辰巳琢郎(1991年~1993年)以降は殆ど見なくなった。
同じフジテレビ系列でのバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の中での 「子丑虎卯辰巳琢郎(ねうしとらうたつみたくろう)のくいしん坊!万々歳」は 辰巳琢郎が出演していた『くいしん坊!万才』のパロディ。他番組でパロディが作られるほど人気があったということ。
オープニングのテーマ曲(作曲者不明)も軽快で楽しいが、、辰巳琢郎時代のオープニングは、テーマ曲が変更となりリポーターのアニメーションも辰巳の顔部分だけ実写だった。
ちょっと見てみる。ここ ⇒ YouTube - くいしん坊!万才 OP集
ちなみに、放送開始以来スポンサーを務めるキッコーマンの子会社「キッコーマンデリカ」は、この番組に因んで総菜・弁当店「できたて惣菜 くいしん坊 万才!」をつくっている。
今日このブログで、「くいしん坊」のことを書こうと思ったのは、このキッコーマンデリカの設立日が1997年(平成9年)の今日・10月30日であったから。
この放送が始まった1974-5年と言えば、1965年11月~1970年7月にかけて4年9か月続いた好景気「いざなぎ景気」が衰退した頃である。せめて、景気よく全国各地を旅行して美味しいものを食べてもらおうと言うことか・・・。
しかし、最近は、特にこのような“食べ歩き”の番組がやたらと増えたね~。タレントなどが各地を訪ねてはいろいろな料理を味わい?ほんのひと口食べては目を丸くして「美味しい!」とか「まいうー!」とか言っている。特に食べることの好きなインテリとか食通とかと言った人たちではなく、何の芸があるのか判らない“芸能人”(以前朝日の天声人語に、「芸人に「能」がついて芸がなし」との揶揄があった)が、特に気の効いた解説をするわけでもなくただ「美味しい!」とだけ言って遮二無二喰べるようになったのはいつ頃からのことだろうかね~。
くいしん‐ぼう【食いしん坊】をgoo-国語辞書で調べると、「食い意地が張って、むやみと食べたがること。また、そういう人や、そのさま。」・・とある。最近の“食べ歩き”は、まさに、この国語辞典の意味するところの「くいしん‐ぼう」を推奨しているのだろうか・・・。
先日(2010年10月19日)、フランスのタイヤメーカー「ミシュラン」がレストランや宿泊施設を格付けする「ミシュランガイド京都・大阪・神戸2011」の掲載店を発表した。今年から新たに我地元・神戸が加わり、神戸と芦屋、西宮3市のレストラン49店と旅館1店に一~三つ星が与えられた。兵庫県内で三つ星を得たのは、神戸市中央区の現代風スペイン料理「カ・セント(Ca sento)」と、西宮市の日本料理店「子孫(こまご)」。また、神戸では3店のステーキハウスがランクインし、うち、中央区中山手通2の麤皮(鹿が3つと皮と書いてあらがわと読む。)は、ステーキハウスとしては世界で初めての二つ星獲得だという。同ガイドの総責任者、ジャン・リュック・ナレ氏は「神戸ビーフの質は素晴らしい。(選ばれたのは)神戸ならではだ」「生きてきた中で一番美味しい牛肉だった。もっと世界に知られて良い店だ」といっているという(10月20日朝日新聞朝刊)。なお、三田牛を使った神戸ステーキのあらがわの公式ホームページ はここ
1868年1月1日(慶応3年12月7日)の神戸開港以来、神戸は西洋文化に触れ西洋料理の良い店が多くあったが、1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した阪神淡路大震災以来、他の地へ移転や廃業をした店も多い。又、再建を断念したものの細々とやっている隠れた名店もあるわけだがそのような店は当然対象とならず、フランス料理店では、選ばれたのは3点にとどまった。
料理を作っているシェフにとって、ミシュランガイドに掲載されることは名誉なことであり、励みにもなるだろう。しかし、京都の老舗などでは、このような本に掲載されることによって、一元さんの客が押し寄せ日頃より贔屓にしていただいている上得意様に迷惑をかけたくないといって掲載を断っているお店も多いようだ。私など、そのようなお店の心意気に心を打たれる。
このようなミシュランガイドに載るような店の料理を食べて「美味しい!と言っても、人それぞれに」味の好みもあるし、感じ方もにも個人差があり、これは主観的なものである。だから、自分が美味しいと思うものが一番良いのだ。それに、価格のこともある。
ミシュランガイドの総責任者ナレ氏が「神戸ビーフの質は素晴らしい。」と言っていただくのは良いが、神戸ビーフのステーキなど安い店で食べても15000円位はするだろう。最近は神戸牛だけでなく、何処でも土地の名をつけてブランド化し○○牛などといっているが、そのような良い品の高い食べ物が美味しくないわけはないのであるから、ただ「美味しい!」だけでは判らない。普通に庶民が家庭で食べているものとは格段に差があるのだから、TVで“食べ歩き”を仕事にしているのなら、何がどのように違って、どう美味しいのか、又店の雰囲気や店の気配りなど、安くてそれなりに美味しいものを提供しているところとどう違うのか上手に説明してもらわないとただ「美味しい!」と言われても信じられないよ。
しかし、ミシュランの店は高いところばかりで庶民には手が届かないという声も気にしてか、今回のガイドには5000円以下のランチやディナーのある店にコインマークをつけたという。しかし、このような安いものが味わえるところは暫くは予約が一杯でなかなか食べられないだろうね。
このようなガイドは、事情のわからない外国など知らない土地を旅するときにはそれなりに役に立つものだろうが、インターネットの発達した今の時代、安くて美味しいところは幾らでも調べれば情報は得られるし、私などは、味覚の優れた知人達の情報を最も優先している。
それに、グルメの発達した今の世の中、日本の場合は、何もミシュランガイドなど参考にしなくても、その土地でそれなりの噂になっている店ならお金さえ出せば、大抵の店は美味しいものを食べさせてくれる。
豪華なディナーや高価な食事が「最高のごちそう」だとは思わないし、私など、それぞれの地方の郷土料理や家庭での「おふくろの味」を最も大切にしたいと思っている。
ここのところデフレ不況だといいながらも、相変わらずのグルメブームでテレビの“食べ歩き”番組が盛んである。
不況になると、世間にはタクシーが氾濫するが、テレビでは“食べ歩き”番組が氾濫するようだ。そして、何処何処の何々が美味しいと店の名前と商品の紹介ばかり。以前より酷くなったのは、番組内で、堂々と店名や商品名と共に価格や地図まで丁寧に表示し、もう、これは、番組と言うより番組内コマーシャルと言うべきものだろう。
何処も不況で物が売れないから、TVでの宣伝はして欲しいだろうし、TV局側にしても、広告収入が欲しい。食べるものなどは取材に名をかこつけて、店の経費で負担してもらい、暇そうなタレントを使えば、出演者も最小限ですむし、制作費をかけずに、しかもCM料を稼ぎながら、国語辞典の意味するところの「くいしん‐ぼう」の視聴者に番組を見てもらえるということなのだろう。
不況が深刻化するであろうこれから、ますます、“食べ歩き“番組での料理店や割烹旅館又、商品など紹介がふえるんだろうね~。
(画像のステーキはWikipediaより借用)
参考:
Kikkoman食を知る楽しみ
http://www.kikkoman.co.jp/enjoys/index.html
くいしん坊!万才 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%93%E5%9D%8A!%E4%B8%87%E6%89%8D

フォックスフェイス

2010-10-29 | ひとりごと
気まぐれに10月29日に関連のある面白い記事を・・・とネットで検索していたら、今日の誕生花は「フォックスフェイス」だというのがあった。そして、花言葉は「偽りの言葉」だというのである。(以下参考に記載の※1:「366日・誕生花の辞典」参照)。ただ、本当にこの日の誕生花に「フォックスフェイス」があるか、他も色々検索して確認してみたが、ここ以外に見当たらなかった。だから、フォックスフェイスが今日の誕生花かどうかは私には判らないが、たまたま散歩のときに、この面白い形をした果実を見て写真を撮ったものがあったたので、ちょっと肩の凝らないひとりごとを書いてみようと言う気になった。
黄色いレモンのような形をした果実が面白いこの植物は、熱帯アメリカ原産のナス科ナス属の植物で、高緯度の日本では園芸上は一年生植物として扱われているが、原産地では非耐寒性小低木で実際には冬を越すそうだ。
ユーモラスな形の実が、キツネの顔に似ていることから「フォックスフェイス」(Fox face)の名があるが、和名は「ツノナス」(角茄子、Solanum mammosum)。それは写真に見られるような果実に小さな黄色の卵形に角状の突起のあるナス科ナス属の植物だから。フォックスフェイスはどうも和製英語らしい。他にも「キツネナス(狐茄子)」やカナリアがとまっているように見えることからカナリアナス(金糸雀茄子)などとも呼ばれるようだ。
ナス科ナス属の植物だけに、8月ごろ咲かせる紫色の可愛い花はナス(茄子。なすび)の花とよく似ている。10月~11月にかけて実がなり、緑色~黄色~オレンジ色へと変化してゆくらしい。ただ、実だけではなく、全草が有毒(ソラニンなどのアルカロイド)なので、食べる事はできないそうだが、見た目はおいしそうに見える。又、薬用(ホメオパシー)として利用されるようで、使い方では薬にもなるという(以下参考の※2:「花とパンとお散歩と: ナス科」)。
兎に角、形が面白いので、最近は生け花などの花材として使われたりしているようで、私が撮った写真を家人に見せるとよく知っていた。花屋さんで売られているときには、冒頭の写真のように、葉や余分な枝は取り除いてあるので、そのまま飾っていても、水も必要なしに2ヶ月ぐらいもつのだという。また、最近は、ヨーロッパを起源とする民族行事ハロウィンパーティーなどが日本の家庭でも盛んに行われているようだ。ハロウィンは、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われるが、最近は、花屋などにハロウィンの飾り物コーナーがあり、フォックスフェイスが置かれていると家人から教えられた。そう言われれば、冒頭掲載写真の家の玄関ドアには、カボチャをくりぬいた形の既成のプラスチック製のカボチャちょうちん(ジャック・オー・ランタン )とその前に(ペポカボチャ C. pepo、 別名:オモチャカボチャ)などの飾り付けが見られる。
ハロウィンのジャック・オー・ランタンはオレンジ色の西洋カボチャで作られるらしいが、主に飼料用などの種類にあたり「人が食べる前提」の品種改良をしていないもので、食べられなくはないが、通常我々日本人がカボチャに対して思い描くような「ほっくりとして甘い果肉」ではなく、水っぽく甘みもない余りおいしくないものだそうだ。
話は元に戻るが、和名ツノナス(角茄子)英名:フォックスフェイスは英語ではnipple fluit(ニップル・フルーツ)、また、apple of Sodom(ソドムの林檎)などと呼ばれるという(Wikipedia)。
ところで、1966(昭和41)年のアメリカとイタリアの合作映画『天地創造』(The Bible: in the Beginning。)を観られたことがありますか(映画に事は以下参考に記載の※3:「天地創造 - goo 映画」を参照)。
映画は、『旧約聖書』の創世記、1章の天地創造から22章のイサクの生け贄までを描いたスペクタクル巨編。創世記において神が最初に作った人類の始祖であるアダムとイブは決して口にしてはならないと禁じられていた知恵の樹の実(禁断の果実)を口にして知恵を得た代わりに神の戒めを破ったとして2人はエデンの園を追放される。そして地に悪徳がはびこった時、神は世界を水で洗い流すことを告げる……。聖書にそって、ノアの箱船バベルの塔ソドムとゴモラの滅亡などのエピソードが展開されていく。
西洋におけるリンゴ(林檎)は、果物の代表で果物と同意語に使われているそうだ。そして『創世記』には何の果実であるかという記述はないが、一般的にこの” 知恵の樹の実”は果物であり、リンゴであるとされているいようだ。
ヘビ(ルシファーの化身)にそそのかされ禁断の果実を食べたアダムとイブは自分たちが裸であることに気づいて、イチジクの葉で下半身を隠すようになる。イチジクの漢字「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来するそうだ。通常の植物は果実が完成してから花が咲くが、いちじくは果実が未熟なうちに花が咲く。

上の画はフーゴー・ファン・デル・グース の『人間の堕落』
「禁断の果実」という語は、不法・不道徳・有害な快楽や耽溺を表すメタファー(metaphor、隠喩〔いんゆ〕、暗喩〔あんゆ〕)として使われており、特に、人間の性に関連する快楽に関連付けられているようだ。
英語の「nipple fluit(ニップル・フルーツ)」は乳頭に似た果実の意であり、なにか、私には、毒気があり食べられない和名「ツノナス」を艶めかしくニップル・フルーツとなど呼ぶのは、食べてはいけない「禁断の実」を表しているように感じられるだが・・・。
もう1つの英語名「apple of Sodom(ソドムの林檎)」のソドムも旧約聖書の『創世記』に登場するソドムとゴモラの町である。ソドム(Sodom)は、死海南端付近にあったと伝えられ、その住民の罪悪のために、ゴモラの町とともに神の火に焼かれて滅びたという。ソドムの罪については、古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容((以下参考に記載の※4 :「旧約聖書」のここ参照))などから推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的なようである。goo辞書を見ると、英語のソドミー【sodomy】は、「男色や獣姦(じゅうかん)など、自然に反した性愛を言い、旧約聖書に記された、悪徳の都市ソドムにちなむ称」とある。
天使よりヤハウェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことを事前に伝えられたロトは夜が明ける前にロトの妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となる。これは、変態や腐敗の暴走に振り返ってはならないというメタファーで、自己本位なエロスに負けてはならないということなのだろう。
しかし、その後、ロトらは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ、父によって男子を1人ずつ生んだ。長女の息子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモの人々の祖となった・・・というのだから、これはもう近親相姦もよいところであり、聖書の世界も結構エロスの世界だよね~。

上の画像は『洞窟の中のロトと娘たち』
『天地創造』の映画でも、ソドムの街の映像では性と倫理の腐敗がリアルに描かれている。不倫、獣姦、売春婦や同性愛者の群れが満ちあふれている。神はこれを失敗作だとして爆破するのだが、「ソドムの林檎」は、そのような失望と堕落の象徴としての林檎であり、「花も咲いて実もなるが、食べられない林檎」のメタファーのようである。花言葉の「偽りの言葉」もぴったりだね。
和名「ツノナス」(角茄子)を見て、旧約聖書を思い浮かべるなんてちょっと粋じゃない・・(^0^)
以下参考に記載の※4:「聖書を読んでみよう」では、クリスチャンではない人も聖書を読めるように、やさしく解説しているので、妙味のある人は覗いてみるとよい。
(挿入画像の『人間の堕落』と『洞窟の中のロトと娘たち』はWikipediaより)
参考:
※:1366日・誕生花の辞典
http://www.366flower.net/2006/10/post_393.html
※2:花とパンとお散歩と: ナス科
http://holidaze.blog.eonet.jp/memo/cat3739912/index.html
※3:天地創造 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/p6152/index.html
※4:「聖書を読んでみよう」
http://www.nunochu.com/bible/
植物園へようこそ!
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html
ソドムとゴモラ- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%89%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%B4%E3%83%A2%E3%83%A9
林檎?
http://www8.ocn.ne.jp/~obe/ringo_folder/ri_p3.html
※4 :旧約聖書
http://elbaal.hp.infoseek.co.jp/old-tes.htm
旧約聖書とは
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/kyuyaku.html
聖書の杜
http://bible.monochro.com/
悪はどう表現されてきたか。
http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/ob/culturescomparees/tajima/20100427.html


鳥羽僧正覚猷の忌日

2010-10-27 | 人物
10月27日(陰暦:9月15日)の今日は平安時代後期の天台僧・覚猷(かくゆう)・俗称鳥羽僧正(とばそうじょう)の1140年(保延6年)の忌日である。覚猷の亡くなった日(陰暦の9月15日=西暦10月27日)である「覚猷忌」「鳥羽僧正忌」は俳句などでは、晩秋の季語ともなっている。
覚猷は、醍醐源氏(源氏参照)、つまり、平安時代の969年(安和2年)に起きた藤原氏による他氏排斥事件・安和の変で失脚させられた源高明の曾孫にあたり、祖父は一条朝の四納言と呼ばれた高明の三男源俊賢である。
そして、父は、1053年(天喜元年)に宇治大納言と呼ばれた源隆国で、その第9子として出生した。本名は顕智。若年時に園城寺(おんじょうじ)の円覚(京都・壬生寺再興者であり、同寺ほかに融通念仏の中興者でもある円覚の大念仏狂言が伝えられている)に師事し出家。天台仏教・密教を修めながら、画技にも長じるようになった。
四天王寺別当法成寺別当、園城寺など大寺社の要職を歴任する間、1132年(天承2年、長承元年)には僧正へ、1134年(長承3年)には大僧正へ任じられた。1138年(保延4年)、47世天台座主となったが3日で退任し、厚い帰依を寄せていた鳥羽上皇が住む鳥羽離宮内の証金剛院へ移り、同離宮の護持僧となった。以後、ここに常住したために鳥羽僧正と俗称されるようになった。
天台宗の円珍が唐より請来した密教図像は天台別院として中興された園城寺内の唐院に安置されたが、後年ここに覚猷が入ったためその住房の法輪院をとって法輪院本と呼ばれるようになった。覚猷はこの法輪院に長らく住し、密教図像の集成と絵師の育成に大きな功績を残したほか、自らの画術研鑽にも努めたが、鳥羽の証金剛院をはじめとする書院の宝蔵にも、多くの図像が集められていたと思われ、覚猷を取り巻く環境には、良質の図像が豊富に存在していただろうからさらに多くの、密教図像について学んだことだろう。覚猷が画技に秀でていたことは文献より知られ、また鳥羽僧正筆と伝承される図像も存するが、確実な遺品は残されていない。
1140年10月27日(保延6年9月15日)、覚猷は90歳近い高齢で死去した。
国宝にも指定されている絵巻『鳥獣人物戯画』の作者は不明であるが、その解説には必ず鳥羽僧正覚猷の名前が登場する。
『鳥獣人物戯画』(以下略して『鳥獣戯画』とよぶ)は、甲・乙・丙・丁の4巻。縦31cm前後の長大な絵巻物であり、京都・高山寺に伝えられている。解説的な文章はなく、すべて墨の描線だけを使った「白描画」である。
甲巻は兎、蛙、猿などの動物を擬人化したもので、これら動物の人間さならの水遊び・賭弓・相撲といった遊戯をや法会(法要)・喧嘩などをしている場面が描かれており、4巻の中でもっともよく知られる。乙巻は写生風の動物絵、丙巻は前半が各種の競技やゲームに興じる人物の戯画で、後半は動物戯画、丁巻は荒々しいタッチの人物戯画だそうである。制作年代は甲・乙巻が平安末期、丙・丁巻は鎌倉時代と推定されているようだ。
鳥羽僧正覚猷は、天台座主の座を3日で辞めてしまうなど自由な行動をしていたことで知られているが、鳥獣戯画の法会(法要)の場面(冒頭1枚目の画)には安置されたカエルの仏像に読経をしている導師(僧形の猿)が経を唱えているようであり、この絵は一見、動物たちの無邪気な法会ごっこに見えるが、畜生道という苦界にいる動物たちであることを思えば、動物たちの往生祈願という、非常に重い意味を持つのではないか。気焔をあげて(口から出る息、ないし声の線が描かれている)経を唱えている僧は鳥羽僧正自身ではないかと言われている。院や関白といった尊貴者ならぬ動物を対象として往生を願う絵を覚猷が描いたとするなら、それは、仏教の権力者に委ねられ自分がそれに奉仕していることを本当は肯定していないことを意味し、仏教の偏在的救済を動物にまで及ばせることであったことにもなる。
また、法会を終えた後の布施をもらう場面(上図)、猿の導師の前には料理が運ばれ、かずけもの(録)が贈られる。地面に置かれた包みがそうだろうか。これらの布施を前にする横柄そうな猿の僧正と果物を捧げる兎の雑仕。僧をめぐる贈与互収の一局面がまさに戯画仕立てに描かれている。「かずけもの」は儀式に明け暮れる宮廷生活において、饗宴の後、参会者に配られる臨時の録であり、贈り物の衣服や衣料の絹、綿を形に「かつぐ」作法から派生した言葉。これは上から下への特異な贈与慣行であり、いわば当時の贈与互収関係であった。このような衣類の「かずけもの」には貴族社会にとって特殊な意味があるがそのことについてはここでは省略する、知りたい人は『週間朝日百貨日本の歴史63」の3-233Pを観られると良い。この絵はそのような「かずけもの」慣行が貴族世界の外縁に位置した僧侶や武士社会にも浸透していたことをあらわしている。『鳥獣戯画』は全体に戯画であるが動物が可愛く描かれており、諷刺画でないと見るべきである・・との意見もあるようだが、この場面についてはそのような当時の社会慣行に対する諷刺を見ることができる。僧である覚猷がこの作品の作者であるとしたならばこうした法会のありようを、僧である自らを含めて批判的に考えていたのではないだろうか。
以下参考に記載の※1:「CiNii - 東京工芸大学芸術学部紀要 13 - 目次」(の中にある鳥羽僧正覚猷と『鳥獣戯画』の『鳥獣戯画』覚猷説の背景には、“鳥羽僧正覚猷の名前に因んだ名がつけられた戯画「鳥羽絵」が登場するのは18世紀頃である。1710年(豊栄7年)の『寛闊平家物語』には「近き頃鳥羽絵というもの、扇、袱紗にはやり出したるを見れば、形、手足、人間にあらず、化け物づくしなり」とあり、京都を中心に扇や袱紗などに描かれた「鳥羽絵」と呼ばれる一種の漫画が人気を博していた。
絵巻『鳥獣戯画』の作者を鳥羽僧正覚猷とする説が何時頃から登場したのかは不明だが、1792年(寛政4年)、儒学者の柴野栗山らが山城(現在の京都府南部)・大和(現在の奈良県)を廻って調査した『寺社宝物閲目録』(以下参考に記載の※2参照)の高山寺の条には「鳥羽僧正筆絵巻四軸」と記されており、鳥羽絵が盛んに描かれた同時期に、覚猷を『鳥獣戯画』の作者とする説があったと知られている。こうした説が浮上する背景には鳥羽僧正が画僧で、それも面白い絵・戯画を描いたという認識があるからであり、それは恐らく『尊卑分脈』や『古今著聞集』あたりの情報によるものであろう。『尊卑分脈』の覚猷の注釈には「画図長」とあり、また、『古今著聞集』「画図」395「鳥羽僧正絵をもって供米の不法を諷刺する事」には、「さまざまおもしろう筆をふるひてかかれたりける」とあるなど、単に絵が上手いというのみならず、面白い絵、諷刺画、戯画を描いたことが知られている。こうした史料が元となって、後世、戯画が鳥羽絵と称され、又、鳥羽僧正覚猷を『鳥獣戯画』の作者とする説が登場したものと推察することが可能である。”・・・としている。
高山寺に残る{『鳥獣戯画』が彼の作であるという確証はないものの、その場面によってはいかにも覚猷の人となりを伝えるかのような筆致のものがあり、覚猷と絵巻の作者がきわめて近い人物像を結ぶということは言えるのであり、それは摂関政治が終りを告げ、12世紀院政期という時代を背景にした特徴的人間像であるのかもしれない。覚猷が密教図像の集成と絵師の育成、研究をし、自らも絵を学んでいたことは先に書いたが、以下参考に記載の※3:「密教図像と鳥獣戯画」や※4:「古筆と写経」には、『鳥獣戯画』に描かれている動物が「密教図像」の影響を大きく受けているとして、その比較画像も掲載されている。興味のある人は観られるとよい。
鳥羽僧正覚猷は、鳥羽院の尊崇も篤かった僧であるが、臨終にあたって弟子等に遺言をと再三にわたり勧められ、次のように書いたという。
「処分は腕力によるべし」(『古事談』)
これを伝え聞いた院は遺産を腕力で没収し、改めて弟子等に配分したという。
院政時代は天皇家をはじめとする「家」の成立時代であった。院政下天皇家の財産や摂関家の財産は形を整え、膨れ上がった。それらは「渡領(わたりりょう)」(家領参照) と言われて家長(天皇家では治天の君、摂関家では殿下・氏長者)に継承されていった。貴族の家・武士の家でもそれににた動きはあって家長の地位をめぐる争いは熾烈をきわめ、その結果起きたのが「保元の乱」であった。「鳥羽院失セサセ給テ後、日本国ノ乱逆ト云事ハ起リテ後、武者ノ世ニナリニケルナリ」。慈円が『愚管抄』にこう記した如く、保元の乱は鳥羽院の死後天皇家以下の家争いとして起った。
このような院政期に各地の兵たちの私闘に介在しては彼らを主従制的関係に取り込み組織したのが源氏・平氏の武士の長者の姿だった。こうした諸国での私闘の世界は次第に京をも覆い始め「往々所々殺害の事敢えて絶える事なし」といわれ、「今日重犯多し、然れども御沙汰なく候」(『長秋記』)といわれた如く、殺害事件が頻発しそれに院も有力尊崇も巻き込まれていった時代であった。まさに腕力がものをいった時代のことである。『源氏・平氏の習』が広く諸階層をとらえて広まっていったことがよくわかる。(朝日百貨「日本の歴史」)。
覚猷は鳥羽上皇の信任が厚く、仏教界の重職を務めた高僧であるが、絵画にも精通し、密教図像の集成と絵師の育成に大きな功績を残した。冒頭でも書いたように醍醐源氏の流れを汲む武人の出であり、彼は僧侶と言うより画技に秀でた豪放磊落な骨太の芸術家であったようだ。
(画像は、鳥獣戯画 京都・高山寺蔵。1枚目は、独経につとめる僧形の猿。画像は、2009年3月13日朝日新聞掲載記事より。2枚目は、法要の終わった場面。僧への饗応の図。週間朝日百科「日本の歴史」63より)
参考:
※1:CiNii - 東京工芸大学芸術学部紀要 13 - 目次(この中に鳥羽僧正覚猷と『鳥獣戯画』 あり)
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10507753/ISS0000413013_ja.html
※2:古典籍総合データベース:[寺社宝物展閲目録]
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%8E%9B%8E%D0%95%F3%95%A8%93W%89{%96%DA%98^
※3:密教図像と鳥獣戯画/中野玄三(PDF)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/gaku/pdf_data/2/002_ronbun_a.pdf
※4:古筆と写経(PDF)
http://books.google.co.jp/books?id=vslzVF-jDMgC&pg=PA205&lpg=PA205&dq=%E8%A6%9A%E7%8C%B7+%E5%AF%86%E6%95%99%E5%9B%B3%E5%83%8F&source=bl&ots=5i0ZPLVfHc&sig=hM11Gl52msS1wEmqBxVLwqRbCW4&hl=ja&ei=Xwm4TI-UAc7Qce2h1bYM&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CBkQ6AEwAQ#v=onepage&q=%E8%A6%9A%E7%8C%B7%20%E5%AF%86%E6%95%99%E5%9B%B3%E5%83%8F&f=false
俳句季語一覧/50音別
http://cgi.geocities.jp/saijiki_09/aiu.html#top
覚猷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E7%8C%B7
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
http://www.shiga-miidera.or.jp/
密教図像とは - 国指定文化財等データベース Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E5%AF%86%E6%95%99%E5%9B%B3%E5%83%8F
南殿・秋の山(鳥羽離宮公園)・証金剛院
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike42.html
長秋記 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%95%B7%E7%A7%8B%E8%A8%98/


サザエさんのマンガにWCの文字

2010-10-22 | 歴史
私が、購読している朝日新聞の中で、週末の新聞土曜版「be」に連載されている「サザエさんをさがして」は楽しみに読んでいる記事の1つだが、その中に、1961(昭和36)年10月22日朝日新聞朝刊のサザエさんの4コマ漫画とトイレについての記事があった。何かのときのネタに使おうと思って切抜きを置いてあったのだが、既に、トイレのことは、このブログの11月10日「トイレの日」で書いてあったので、放って置いたのだが、今日又気まぐれで少し角度を変えて書いてみる気になった。
冒頭に掲載の漫画が1961(昭和36)年10月22日朝日新聞朝刊に掲載されたサザエさんの4コマ漫画のコマ目の漫画である。サザエさんの旦那である波平が路上に車を駐車しているところを警察官に咎められるが理由は「こどもがもう出そうだというものだから」・・・とその理由を言って詫びていると、親切なお巡りさんが同情して、カツオとワカメを抱っこして一緒に近くの公衆トイレに連れて行ってやっている微笑ましい場面である。そして、漫画に描かれている公衆トイレには「WC」の文字が書かれている。
日本には古くから「厠(かわや)」「はばかり」「手水(ちょうず)」「雪隠(せっちん)」など便所を意味する呼称や異称が多くあったが、昭和になると「ご不浄」から「お手洗い」「洗面所」「化粧室」と次第に表現がより穏やかなものが使われるようになり、戦後は「トイレ(トイレット【toilet】から」や「W.C.(water closet の頭文字)」など外国語に由来する表現や男女を示すピクトグラム(絵文字のサイン)でその場所を表したりすることも増えた。しかし、最近は、駅やホテル・百貨店など、青い男性と赤い女性のピクトグラムか、文字としては「化粧室」「restroom」や「toilet」が多く、「 W・C 」の表記はあまり見なくなったが、この「W・C 」と言う言葉が使われだしたのは何時頃からのことだろう。
又、トイレの便器には、小用専用の小便器と、大小用兼用の大便器があるが、小便器は別として、日本のトイレには和式(床にしゃがみこむタイプ、トルコ式ともいう)と洋式(椅子に腰掛けるタイプ)があるが、今では和式トイレは、古い建物や公園など限られた場所でしか見ることがなくなった。
以下参考に記載の※1:「TOTOトイレ博物館」には、現在使われているようなサイホン式水洗便器(リンク先の便器のところを参照)の出始めのもの(TOTO製C21。昭和30年~昭和56年)が展示されている。水洗式便所が普及し始めたのは戦後の高度経済成長期に、都市への人口流入が急速に進み、都市部の住宅が極端に不足していたなか勤労者に住宅を供給するために日本住宅公団が設立された1955(昭和30)年頃からのこと。公団住宅には、シリンダー錠、ステンレス流し台、洋式トイレ、ガス風呂など近代的な設備を備えていたため、公団住宅への入居は当時のサラリーマンの憧れであった。
日本水道協会によれば、1961(昭和36)年には下水道普及率はまだ6%にしか過ぎなかったので、まだ、東京の都市部でも水洗トイレは導入されていなかっただろうから、サザエさんの漫画にある「W・C」と表示されている公衆便所は、和式の汲み取り式便所であったろうと「サザエさんをさがして」の記事にも記されてた。
「W・C 」は「water closet」の頭文字であり、直訳では、「水の流れる小部屋」といった意味のイギリス英語だそうで、近代初となる水洗式トイレの発明は、ヴィクトリア朝時代のイギリスでトーマス・クラッパーと言う人によるもので、水槽の水で便器をきちんと洗浄できるか、りんごやグリースなどを汚物に見立てて何度も実験を繰り返し、苦労をして改良をしたということが彼を描いた『トイレになった男』(論創社。以下参考に記載の※2参照)に書かれてているという。
サザエさんの漫画の「W・C」は汲み取り式であったろうから「水洗」と言う本来の意味とは違うが、日本では、戦後、確かに便所一般を「W・C」と呼んでいたのを思い出す。
英語では、「トイレ」という表記の元の語(toilet」)自体が「化粧室」を意味する場合もあるが、「便器」を意味する直截的な単語でもあるため、外国では、日常会話では、住居において同室に設置されることが多い風呂と合わせて「bathroom」と呼んだり、本来は「休憩室」を意味する「rest room」、あるいは「men's/lady's room」と婉曲的な表現を用いることが一般的であった。もともと日本では「便所」と言う言葉を嫌うこともあり、又、便所の場所の表示として使うためには、トイレの英語表記では文字数が多く判り難いが、「W・C」の2文字なら大きく書け、遠目からでも識別し易いことから、表記上の合理性もあったからではないかと思う。
しかし、では何時から「W・C」が消えたのだろうか?
それは、1964(昭和39)年の東京でのオリンピック開催が大きな理由であったらしい。
トイレの呼び名も国、地域により様々であるが、世界の国を訪れると、Toilet(トイレット)と言えば、どこの国でもその場所を教えてくれる。そして、色々な表示の中でも北欧・フィンランドのホテルでみたトイレの扉にあった男性の絵と女性の絵のそれぞれに、男にはGENT'S、女にはLADIESの文字が添えられていたものが最もユニークであったという。(以下参考に記載の※3の第54回:私の見たユニークなトイレマーク参照)。
そのようなことから、日本でも世界各国から来る選手や関係者、観光客など文字の通じない外国の人にもはっきり判るように、女性をスカートで表現して男性と区別したピクトグラム(絵文字のサイン)を東京の街中に採用したところ好評だったことより、一般的な「トイレ」の用語とともに、図柄での表示も定着したようだ。図柄は2002(平成14)年日本工業規格(JIS)として、案内用図記号が統一された(以下参考に記載の※4、※5参照)。そして、1960年頃から、便所のことを「W・C」という言い方から「トイレ」に変わってきたようだ。
現在の衛生陶器・住宅設備機器メーカーであるTOTOは1917(大正6)年に創業し、その頃から日本初の腰掛式水洗便器を販売していたが、食器類なども扱っていた。戦後、住宅の近代化などにより家庭でのトイレの様式化が始まった1960年代は、米国からの輸入によって温水洗浄便座(ウォッシュエアシート)の販売を行っていた。その後、“本業”の衛生陶器・水栓等で十分に稼げるようになったことで食器生産を終了し、国産の開発を進め、現在のTOTOロゴを使用して、本格的に“本業”に事業集約をしたのは、1969(昭和44)年のことだそうである。
同年には 「ウォッシュエアシート」を国産化 し、1980年代にはTOTO「ウォシュレット」を発売し大ヒット商品となる。コピーライター仲畑貴志によるCMでのキャッチコピー「お尻だって洗ってほしい」は流行語になった。以下でそのCMが見られる。
YouTube-TOTOウォシュレット
http://www.youtube.com/watch?v=L8ndLz4SGmU
タレントの戸川純は、このCMのキャラクターに起用され、話題を呼び注目を集めるようになったが、この当時の彼女は可愛いね~。
我が家も相当前に「ウォシュレット」を設置しているが、出始めは、どうも抵抗があって厭だった。だからちょっといいホテルなどでは早くから、「ウォシュレット」を設置していたがそれを使わず別の場所で普通のトイレットを利用したりしていた。
しかし、あるとき会社のもちの仲間から、恃には大変効果的だと聞いた。正直私もその頃軽いイボ痔にかかり、排便後がすっきりしないので、ちょうど家の改装を行なう時期だったことから同時に便器も「ウォシュレット」に変更してもらったが、最初はちょっと厭とも思ったが、慣れると非常に気持ちが良いので早く交換して良かったと思っている。
TOTOが、1980年に発売した温水洗浄便座「ウォシュレッ」トは、1000万台を突破するのに1998年までかかったが、その7年後の2005(平成17)年07月01日、累計出荷台数が2000万台を突破したと発表している。そして温水洗浄便座の普及率は2004年には59.7%にまで伸びているという(以下参考に記載の※6参照)。
TOTOは、ウォシュレットが2000万台を突破したことを記念して、ウォシュレットの使い心地、初めて使用したときの思い出、痔の闘病記など、トイレにまつわるあれこれを「5・7・5」の川柳で表現した作品を募集し、今年・2010(平成22)年 8月末には、第6回「トイレ川柳」の募集を終了している。第6回応募作品の内容は判らないが、第5回 トイレ川柳のついては、以下参考に記載の※7:「TOTO:第5回 トイレ川柳大賞 入賞作品発表」を見られると判る。なかなか面白い作品がある。
キッズ賞に入っている「トイレまで 走って走って 行ったんだ」・・・など、差し詰め、冒頭のサザエさんの漫画のようだ。
特に賞はとっていないようだが、「トイレまで 綺麗な家は 他も綺麗」など、言えていることで、私が商社へ入社したとき上司から最初に言われたことは、先ず、「靴だけは毎日綺麗に磨いて置けよ」・・だった。昭和30年代の初めのことであり、給料も安いし、服装にもそうお金をかけられない時代、見栄を張って、服装には金もかけ手入れはしていても靴など汚れていても余り手入れをしていない人がいた。大阪などの商人は、人を見るとき一番手の入っていないだろう靴などを先ず見てその人を判断する・・ということだ。
家のことでも同じで、普段は勿論のこと、人が来るとき、部屋などの清掃はちゃんとしていても、目立たないトイレなど行き届いていない家が多かったが、私の家内の叔母(私の母の友人であり、私と家内の仲人をしてくれた人でもある)など、予告もなく突然に家へ来ることも多かったが、家へ来ると必ず「御不浄を貸してください」・・と言ってトイレへ行った。その後何も言わないが、きっちりとこちらの普段の家の管理状態をチェックしていたのだろう。表面上の見えるところは装っていても人の目に付かないところはいい加減なことをしている人は結構多いもので、見る人はきっちりとそういうところを見ているものだ。
「トイレだって 洗ってほしい ウォシュレット」・・・・この川柳なんかそんなことを言っているのだろう。自分のお尻は洗浄してもその人はどんなトイレで用を達しているのだろうね~(^0^)。
しかし、かって、公衆のトイレは、不衛生なところが多かったが、最近はJRや百貨店・スーパーその他の施設にあるトイレもよく清掃され、手入れも行き届いてきれいになっているところが増えた。私の知っている小型スーパー(今は大きな店を展開)のチェーン店の社長は、まだまだ、何処のトイレも汚い時代に、「トイレに落とした10円玉を拾えるようにしろ」「トイレでラーメンが食べれるようにしろ」と言って、一日に何度も当番制で従業員にトイレの掃除をさせていた。当然店内はチリ1つ落ちていないぐらい清掃に気をつけていたが、創業、5年後に株式の店頭公開を果たしている。先見の明のある偉い人だった。
洋式トイレが主流となった現在でも、外出先では和式を好む人が多いものだ。駅・百貨店やホテルなど大きな施設では不特定多数が利用するので、そのようなお客様のサービスとして和式と洋式の両方を設置される場合が多い。ただ、このような複数のトイレがある場合、昔は1つだけが洋式だったのが、現在では和式が1つだけと逆になっている。他人が座った便器に座るのが生理的に厭だという人(特に女性)がまだまだ多いということだろう。
先日テレビのバラエティー番組で女優さんたちの間でトイレが話題になっていたが、最近はホテルなどでウォシュレットを設置しているところも多いが、彼女たちの多くは自分の家などプライベートなところ以外では、ウォシュレットは使わないと言っていた。理由は誰が使ったのかも知れないウォシュレットからの水を浴びた器具から出てくる水など使用できないということ。他人が座った便器に座るのも厭な人にとっては当然なのだろう。使い捨ての便座シートや消毒液の設置がないトイレも多いので、家人なども、トイレ用のクイックル(お掃除シート)などをいつも携帯している。これは、幾らトイレを設置している施設側がトイレの清掃に気をつけていても変わらない女性の感情なのだろうね。
(冒頭に掲載の漫画は1961年10月22日朝日新聞朝刊に掲載されたサザエさんの4コマ漫画の4コマ目の漫画。朝日新聞より)
※1:TOTOトイレ博物館
http://www.woodssite.net/remodel/HAKUBUTUKAN.html
※2:《トイレになった男》_衛生技師トーマス・クラッパー物語
http://www.mediawars.ne.jp/~tairyudo/tukan02/tukan3135.htm
※ 3:特定非営利活動法人日本下水文化研究会
http://www.jca.apc.org/jade/sinyouindex.htm
※4:標準案内用図記号:交通エコロジー・モビリティ財団
http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/picto_top.html
※5:標準関係略語説明:各種コード一覧
http://www2u.biglobe.ne.jp/~standard/mark/z8210/z8210.htm
※6:Livedoorニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/1254029/
※7:TOTO:第5回 トイレ川柳大賞 入賞作品発表
http://www.toto.co.jp/senryu/2009/index.htm
(社)日本下水道協会
http://www.jswa.jp/index.htm
(社)日本下水道協会
http://www.jswa.jp/index.htm
社団法人 日本下水道協会>下水道の普及率と実施状況
http://www.jswa.jp/05_arekore/07_fukyu/index.html
便所 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80
TOTOホームページ
http://www.toto.co.jp/index.htm
朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:サザエさんをさがして
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=7096

人と色の日・自分色記念日

2010-10-16 | 記念日
日本記念日協会で今日・10月16日の記念日を見ると、「人と色の日・自分色記念日」というのがあった。
記念日の由来を見ると、“人が生まれながらに持つ髪や目、肌の色などと調和して、その人にいちばん似合う色が自分色(パーソナルカラー)。個性を引き立て、魅力を引き出すパーソナルカラーの効果的な活用法などを提案する有限責任中間法人の日本パーソナルカラリスト協会が制定。日付は10と16で「ヒトイロ=人色」と読む語呂合わせから。 ”・・とあった。
先ず色々な記念日があるのだな~と、感心しているのだが、この記念日を設置した日本パーソナルカラリスト協会が、有限責任中間法人であると言うことに興味を持った。
普通の人には余り耳慣れない中間法人とは、私法上の法人(私法人)を目的によって分類する場合、営利法人(会社)でも公益法人でもない中間的目的をもつ法人であり、講学上の概念としては、営利(構成員への利益分配)を目的する法人(会社)ではなく、公益法人認定法(およびかつての民法の法人規定)が定める公益を目的とする法人でもない、非営利・非公益の法人のことを、「中間法人」といい、旧中間法人法(2002(平成14)年4月1日に施行)に基づいて設立された法人(有限責任中間法人と無限責任中間法人の2つがあった)をいうが、同法に基づいて実際に登記された中間法人の内訳を見た場合、立法者が本来想定していたであろう「同窓会」や「管理組合」(講学上の概念としての中間法人)はあまり多くなく、業界団体や、証券化における資産保有SPCの親法人としての利用が多かったことから、6年後の2008(平成20)年12月1日に施行された公益法人制度改革関連三法のうちの関連法律整備法の規定により、一般社団法人に吸収され、中間法人制度は廃止され、これまでに設立された中間法人は、一般社団法人に移行することとなった。日本パーソナルカラリスト協会も同法の適用を受け、以後、一般社団法人日本パーソナルカラリスト協会となっている。
記念日協会に書いてある由緒だけでは同法人が実際になにをしているのかよく判らないが、同法人のHP(以下参考に記載の※1参照)をると、「美容・ファッション業界の仕事に従事している専門家を始め、ブライダルの演出や着付けへの応用、また一般の人が基本的な色彩知識や配色調和の知識を身に付ける事により、日常の生活豊かさを与える事を目的として実施される検定を行なっている」そうだ。つまり、「パーソナルカラーリスト」という資格の検定をしているようだ。要するに、話題になっていた漢字検定と同じようなものだろう。
前述した中間法人説明では何故一般社団法人になったかよく判らない人は以下参考に記載の※2:「一般社団法人とはどのような法人か」を見られると私が色々推測したことを書かなくても変更の趣旨も見当つくだろう。
少し話がそれるかもしれないが、今日の記念日にかこつけて、今回は人の肌の色のことを少し書いてみよう。
現地球上で、体表面に毛がなくほとんどの部分がむき出しで、しかもその裸の皮膚()の色にさまざまなバリエーションがあるのは、霊長類のなかでもヒト(人)だけである(以下参考の※3参照)。
ヒトの先祖は赤道直下のアフリカ大陸で誕生した。1964年 タンザニアの オルドヴァイ渓谷で現在分かっている限り最も初期のヒト属であるホモ・ハビリスの化石が発見されている。
これらヒト属は裸の姿で育ち、やがて、直立二足歩行と言語を獲得してヒトとなった。ヒトがどうして類人猿から分岐したのかはよくわからないが、アフリカの乾燥化に伴う、森林の縮小、サバンナの拡大が背景にあるのであろう。森林生活からサバンナでの生活へと、生活環境を変えざるを得なかったのかもしれない。その後ヒトは大陸を移住し ヨーロッパ・アジアへと広がり 、各地のさまざまな環境に適応した姿が人種である。
ヒトの肌(皮膚・毛髪など)の色は人種によって黒い色から黄色、白色まで様々でありその色合いが異なるが、これは肌に含まれているメラニンヘモグロビンカロチンなどの量の違いにより決まるが、その中でも最も大きな要素が、色素であるメラニンの量や構造の違いによるそうだ。このメラニンには、黒褐色のユーメラニン(真性メラニン)と橙赤色のフェオメラニン(亜メラニン)の2種類があり、皮膚の表皮最下層の基底層や毛髪の毛母などにあるメラノサイト(色素細胞)で生成されるという。
太陽光などに含まれる紫外線(UV)は、強いエネルギーを有する電磁波であるため、浴びるとDNA が破壊されるため、紫外線を防御する手段として、メラニンを多量に生成することで、基底層の中にある、真皮が紫外線でダメージを受けないようにした。人種によって肌色が異なるのはこのためである。ただこれは遺伝的要因もあれば、後天的な要因もある。
濃い肌の色は紫外線を遮断する。だから赤道直下のアフリカに誕生しその地域に根ざしている人種の肌は先天的に厳しい太陽に順応した黒い肌であり、肌の色は高緯度になるほど薄くなっていく。世界の人類集団の系統はアフリカン(ネグロイド)からヨーロッパ地方に居住地を求めたコーカソイド(白人と言われる人達)が分岐し、コーカソイドからユーラシア大陸に進出した人類のうちニューギニア・オーストラリア大陸を中心とした現在のオセアニア地域に進出したオセアニアン(オーストラロイド)・東アジア並びに東南アジアに居住したイーストアジアン(モンゴロイド)が分岐、そしてイーストアジアンからネイティブアメリカン(アメリカ合衆国の先住民族)が分岐したと云う説がありこれが一般的なようである。
モンゴロイドの日本人は黄色人種といわれ、メラニンの量が比較的多く、肌の色は色白の人でも黄味がかった白色になっている。肌や髪の色が1人1人違うように、当然に、人それぞれ似合う色がある。個人差はあるが、もとが黄味がかっている日本人の肌には、化粧に使うコンシーラー(主に狭い範囲に使うファンデーションの一種。にきび・目の下の隈(くま)などの上から塗って隠すのに用いる。)など「イエロー系」や「赤みの少ないベージュ系」のものが肌色に馴染みやすく、効果的な色といわれている。
そういえば、私が現役時代の1960年頃のこと、仕事の関係で、当時、シームレスストッキングの輸出で急成長していたアツギの工場長から聞いた話だが、同社の人気商品であるカラーストッキングの日本国内向けの製品には、ホワイト・ピンクその他すべてのカラーに微量の肌色を混入しているのがアツギの特色と言うより、黄色人の日本人がこれらのカラーストッキングをはいても色が浮かずを足にフィットして綺麗に見せることが出来る秘密だと教えてもらったのを思い出す。これは料理で言う隠し味的なものだろう。
最近は、黄色人種である日本人もヨーロッパ人のようなメラニン色素の少ない色白を望む人が多くなりそのようになりたい人の為の美白化粧品のTVCMをよく見かけるが、自らの美白を売り物にしている素肌美研究家の中島香里こと美白大臣が宣言するTVCM(国会編)が面白い。以下がそれだ。
YouTube―美白大臣!中島香里!
http://www.youtube.com/watch?v=9-QhMLOYKwU
「記憶にない!肌は覚えているわよ・・。紫外線・夜更かし、さ~寝ぼけたことを言わないで、世直しは素肌の見直しから・・・」CMに続いて 「美白大臣はお前だよな」・・の質問に、「私が証明します」・・・TVCMの内容だが、男性の私など「よく言うわ・・・」とただただその自惚れぶりに感心してるのだが・・・。
美白とは、色素沈着が少ない、より白い肌を目指す美容上の価値観、ないしそのような状態の肌のことであるが、主に顔の肌について用いられる。
日本では古くから「色白は七難隠す(色白の女性は、少しぐらい醜い点があっても、目立たない。)」という諺もあり、肌が白く、くすみ(以下参考に記載の※4:「素肌ネット」のここ参照)やシミが無い状態を好む価値観はあったが、最近特に白い肌の美しさが見直されたり、紫外線が肌に及ぼす影響(シミ・シワ・ソバカス・肌の炎症・肌の老化ひいては皮膚ガンの発生)が認知されるようになって、美白ということばも、すっかり浸透し、それに伴って、美白化粧品(メラニンの生成を抑える化粧品)もたくさん店頭に並ぶようになっているが、美白化粧品であることを公にうたうためには、厚生労働省に認められた美白有効成分が配合されている必要がある(以下参考に記載の※4:「素肌ネット」のここも参照)。
兎に角、大層な、「パーソナルカラーリスト」という資格を取るかどうかは別として、人それぞれに似合う色があるのだから、自分に似合う色の傾向を把握し、個性やライフスタイルに合わせたスタイリングを考えていくのはいいことだろう。
ただ、そのような美容やファッションに関する色(カラー)だけでなく、自分自身のカラー(固有の持ち味。特色)を身につけることや、年代と共に自分の心の成熟度を高めてゆくことの方がもっと大事なことなのではないかな~。
以下参考に記載の※5:「法 話:自分色」に、葉の色の移ろいを人間の心の成熟度ととらえてみると、紅葉はさしずめ人間性が豊かに熟したものと見ることができるとして、歌舞伎の十三代片岡仁左衛門さんの人間の心の成熟度の話を紹介している。仁左衛門さんは、十半ばまでの自分の心の変化を「芝居譚」の中に以下のように書き遺しているそうだ。
「よく見られたい一心の二十代、褒められたい一心の三十代は、外へ外へと心が向いていた時だったでしょう。六十代にもなると、お客に満足される芝居をと自らに引き寄せ、七十代ではとにかく役になりきらねばと苦心するようになった。八十も半ばになって、何も考えなくなり雑念も入らない、無心の境地がなりきるという意識さえなくし、役そのものになっていた」・・・と。
私は、常々年をとるのは大変なことだな~と思っています。青臭い20代は、したいことをして、失敗しても許されることが年とともに許されなくなる。若い時は知らないことが多くあっても、若いからと認めてくれても、年をとって、知らないことや出来ないことがあると恥ずかしくて仕方がない。又、精神的にも年相応の成長をしていないといけない。今、振り返ってみると色々反省することが多過ぎ、未だに青臭い自分が恥ずかしい限りであるが、皆さんは今はどんな色に成長していますか?
(画像は人の肌の色の分布。Wikipediaより)
参考:
※1:一般社団法人 日本パーソナルカラリスト協会
http://www.personal-colorist.org/
※2:一般社団法人とはどのような法人か
http://www.shadanhojin.jp/shadan/index.html
※3:肌の色が多様になったわけ:日経サイエンス
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0301/skin.html
※4:素肌ネット
http://www.collage.ne.jp/s_net/about/index.html
バックナンバー>メラニン
http://www.collage.ne.jp/s_net/index.html
※5:法 話:自分色
http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2008-11a.html
山賀 進のWeb site:われわれは何者か-宇宙・地球・人類-第3部 生命
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/jinrui-01.htm
地学教室:第4章 地球と生命の歴史:人類
http://georoom.hp.infoseek.co.jp/7old/4history/16homo.htm
花粧絵 黒髪の不思議
http://www.vivantjoie.co.jp/new/kashoe8.html
VIVANT JOIE
http://www.vivantjoie.co.jp/index.htm
人類進化学と順老順死について
http://www.nishihara-world.jp/workshop/pdf/7mtakano.pdf#search='メラニン ヒトの進化'
ホモ・サピエンスはどこから来たか
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/homosapience.htm
ヒトの肌の色- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%81%AE%E8%82%8C%E3%81%AE%E8%89%B2