今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

キティ台風が襲来した日

2006-08-31 | 記念日
今日(8月31日)は、「 キティ台風が襲来した日」
1949(昭和24)年 キティ台風が相模湾から真鶴岬に上陸し関東地方に来襲した。
キティ台風は、8月28日に南鳥島近海で発生し、31日10時頃八丈島を通過後、進路を北寄りに変え、19時過ぎ神奈川県小田原市の西に上陸。その後東京西部、埼玉県熊谷市付近を通って9月1日00時頃新潟県柏崎市付近から日本海に進んで、温帯低気圧となった。この台風により、八丈島(東京都八丈町)では最大風速33.2m/s(最大瞬間風速47.2m/s)、横浜で35.2m/s(同44.3m/s)を観測するなど、東海、関東、北日本の日本海側で暴風が吹いた。山岳部では降水量が多くなり、小河川の氾濫が多く、群馬県東村沢入では土砂災害で32名が生き埋めになった。また台風の通過が満潮時刻と重なったため関東地方では高潮となり、横浜港では推算潮位より1m以上高くなって、浸水や船舶の被害が多数発生した。
特に関東地方に大きな被害をもたらした。 死者135名、行方不明者25名、負傷者479名住家全壊3,733棟、半壊13,470棟、床上浸水51,899棟、床下浸水92,161棟など(気象庁データーより)
東京の都市臨海部や低平地は、満潮面以下のエリアが多く、124k㎡(23区の面積の約20%)もあり、常に高潮の被害の受けやすい地域となっており、そこに、この地域には多くの人口、産業、都市機能が集積しているため、過去にはたびたび高潮による浸水被害を受けてきたという。そして、このキティー台風では、この地域で、高潮被害による死者122名、浸水戸数14万個という甚大な被害を受けたという。その後、河川や海岸の防潮堤、水紋、排水機場の整備を進めてきたため、今では、キティー台風とほぼ同規模の平成13年台風15号の時には、高潮による被害は未然に防ぐ事ができるなど、確実に安全性は増してきているというが・・・。
キティ台風の「キティ(Kitty)」とは子猫という意味。可愛い名前なのに大きな被害を出している。今の日本では「台風○○号」のような呼び方が一般的であるが、戦後間もない頃までは「カスリーン台風」や「ジェーン台風」、「キティ台風」などのように欧米人の女性名を付けて呼んでいた。「キティ台風」以降の洋風の名前では、昭和25年(1950年) 「ジェーン台風 」(9月3日~9月4日、 大阪湾で顕著な高潮、大阪・兵庫・和歌山などで大きな被害)、昭和26年(1951年) 「ルース台風」(10月10日~10月15日 、 鹿児島県で強風・高潮害、山口県で土砂災害)、 昭和27年(1952年) 「ダイナ台風 」( 6月22日~6月24日、 紀伊半島から東海・関東を通過、静岡などで被害)などが,、見られるが、欧米風の名前では馴染みにくいといった声が聞かれるようになる、台風発生域のアジアを中心とする国々からなる台風委員会が、統一した名前を作る事になった。日本では号数の表記が一般的であるが、大きな台風には、ちゃんと、名前はつけられており、国際的にはこの台風のアジア名が使われている。
日本の夏は「梅雨」と呼ばれる雨期によって始まり、5月下旬から7月下旬にかけて、南から順に梅雨が開けていく。梅雨が明けると、蒸し暑い夏を迎える。しかも湿度が高く70%以上ある。その暑さは乾燥しているインドや中近東での摂氏30度とは比べ物にならないほど体力を消耗させる、しかし、この暑さのお陰で高緯度にもかかわらず稲作が行なえ、日本文化の根幹に大きな影響を与えている。日本の夏は台風の季節でもある。
台風とは、熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼ぶが、このうち北西太平洋(赤道より北で東経180度より西の領域)または南シナ海に存在し、なおかつ低気圧域内の最大風速(10分間平均)がおよそ17m/s(34ノット,風力8)以上のものを「台風」と呼んでいる。台風は上空の風に流されて動き、また地球の自転の影響で北へ向かう性質を持っている。そのため,通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し、上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は速い速度で北東へ進む。
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達する。日本列島はその台風の通り道に位置するため、毎年のように夏から秋にかけて次々とわが国に襲来し、そのもたらす災害はきわめて大きいものがある。1946年から2000年の平均では年間3個本土に上陸するが、多い年には4つから5つ上陸することもある。今年は、8月16日に11号が発生しているが、その幾つかは各地で豪雨をもたらし大きな被害を出している。近年は、地球温暖化による異常気象が続いており、天候についても台風についても今までの統計的なものからの予測が困難となってきている。まだまだこれからも台風が襲来し、どんな被害をもたらすかも知れない。用心、用心。
(画像は、宇宙から見た台風。以下参考の台風 - Wikipediaより)
参考:
台風 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E9%A2%A8
[PDF] 公共投資を考える視点/ 公共投資プロジェクトチーム
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0267pdf/ks0267006.pdf
災害をもたらした気象事例(気象庁)
http://www.data.kishou.go.jp/bosai/report/index2.html

ハッピーサンシャインデー

2006-08-30 | 記念日
今日(8月30日)は「ハッピーサンシャインデー」
「ハッピー(8)サンシャイン(30)」の語呂合せで、太陽のような明るい笑顔の人のための日だそうだ。
「太陽のような明るい笑顔の人」・・・・そんな人がいると良いな~。でも、最近は、そのような人になかなお目にかからなくなったな~。
You are my sunshine my only sunshine,
you make me happy when skies are gray.・・・
「You are my sunshine」(ユー・アー・マイ・サンシャイン)。
1940年のJimmie DavisとVharles Michellによるあまりにも有名な曲で、カントリー・ミュージックのスタンダード・ナンバーとして定着している。レイ・チャールズなど多くの人に歌われており、ほのぼのとした、いい雰囲気の曲なので、キリンビールの発泡酒「やわらか」という商品のCMでも使われ話題を呼んでいる。この歌、歌いやすいので、ある年代の人などは誰もが英語の歌を勉強する時などに一度は歌ったのではないかな?
「You are my sunshine」MIDIと歌詞詳しくはここで分かるよ。↓
http://www.bussongs.com/songs/your_are_my_sunshine_short.php
「あなたは私の太陽だ・・・・」
昔は、確かに、そう呼びたくなるような人がいた。兎に角、その人がいるだけで、まわりが明るくなり、何もしゃべらなくとも、その人の笑顔を見ているだけでなんとなくホットし、暖かい気持ちにさせてくれる人が・・・。
ところが、最近は、そのような屈託のない明るい若者を見かけなくなった。いや、生まれて間もない幼児は別として、幼稚園児や小学生などの子供達の中でさえ余り見られなくなったように思う。昔の人達と比べて、相対に、笑顔そのものが少なくなったように感じられるのだが・・・。一体それは、何故だろう??
私達が若い頃は、当時の世相の関係もあるだろうが、今の人達と比べれば、余り感情を表には表さず、どちらかと言えば無表情な人達が多かった。しかし、普段は、そんな余り表情の豊かではない人達がホット笑ったときの顔がなんともいえなく微笑ましかった。そして、そのような時代でも、中には太陽のように底抜けに明るい女性が結構いたものだ。
しかし、最近の若者を見ていると微笑んでいる人は殆ど見ないような気がする。「笑い」と「笑顔」は違うものだ。やたら、ゲタゲタと笑い転げている人は良く見かけるが、微笑んでいる人は見ない。
私も、現役時代サービス業の人達とのかかわりが深く、百貨店やスーパーなどでは従業員教育で、「笑顔でサービス」をやかましく言っているのを知っている。しかし、なかなか、お客さんに対してさえ「笑顔」を作れない人が殆どである。よしんば、出来たとしても、それは、作った笑顔であり、感動を与えるようなものではない。
これは、若者だけでもなく年齢の低い層の子供達でもそうである。学校などへの登下校時などでも子供達の無邪気に笑う声を聞く事が少なくなったように思う。裏山などに登って出会っても挨拶もしない子が多い。我々の年配のものでは、どんな知らない人であっても山で出会えば挨拶をするのが当たり前であるが、先ず、引率をしている若い先生や若いお母さんたちですら挨拶をしない人が約半数近くはいる。私達の方から子ども達に声をかけ笑顔を向けると、無理して笑いを返してくる。心から笑ってはいない。
この頃は、余り人を信用できないのだろう、非常に猜疑的に人を見ているように思われる。先ず、一番気になる若者の言葉に、何かを言うとすぐに「嘘!」という言葉が返ってくる。TVなどのキャスター達の使っている言葉にも頻繁に出てくる。家人などに言わせるとそれは流行り言葉で、一種の挨拶のようなものと言うが・・・それは違う。人間は、無意識に話をしたときほど本心が出るものである。我々の年代以上のものなら同じ様な事を言われたら「え?本当?」とはいっていた。自分の知らない事を聞いたので、「半信半疑でそれは本当ですか?」と聞いているのである。しかし、今は「え?それは嘘でしょう!」と言った否定的な言い方をする。ここに同じように見えるが本質的な感覚の違いを感じる。我々の年代のものは、先ず相手を信用している。でも、自分の知らない事なのでのそれは本当ですか?と聞くようになるのである。しかし、今の人は、先ずそれは嘘でしょう!と否定するところから入っているのである。
笑顔の話とこれがどんな関係があるかといわれるかもしれないが、先にも言ったように、「笑い」と「笑顔」は違う。笑っている顔が「笑顔」と言うわけではないのである。笑い顔は面白い話を聞いて笑う、人を馬鹿にして笑う、人を軽蔑した皮肉な笑いも顔に出れば「笑い顔」である。「笑顔」という笑いは微笑であり、屈託のない、純真な心から出てくる素直な笑い顔である。だから、「笑顔」は簡単に笑い方の表情作りを訓練しても出てくるものではない。その人の心からの素直な明るい気持ちが顔に出てくるまでは・・・。
今の人の「笑顔」を見ても、何か作られたような「笑顔」が感じられ、「心からの笑顔」が感じられないのである。それは、何でも頭で考えてから行動するパターンが見についてしまっているからではないだろうか。だから、先に述べたような、言葉にも、自分が知らないことを言われると先ず相手の言う事を信じようとすることから入るのではなく、人の言っている事を先ず否定するところから入るのだろう。
最近の人は、先ず、「有り難う」と言う感謝の言葉を使わなくなった。物事に対して感謝をする気持ちが薄れている。何があっても当然と見ているのである。このようなことが、人の顔にも表れているのだろう。最近の若者の顔には影がある。穏やかさが見られない。ストレスの多い世の中のせいか。余りにも恵まれた物質文明にどっぷりと浸かり感謝の気持ちがなくなったのか。なにか、ぴりぴりとした張り詰めた顔をしている。昔、冗談半分と言う雑誌があった。昔は、どんなおふざけも半分まで、度を過ぎたおふざけは笑いの種にもならなかった。しかし、冗談半分と言う雑誌が廃刊となった頃から、お笑いの質も変った。その頃から、それまでの年代のものにとっては笑うこともできない下品なものが笑いの種となってしまっている。その当時までの笑いは、擬音で表せば、「オホホ・・・」「クスクス」「フフフ・・・」、男なら豪快に「ワッハッハ」といった類の明るいものが笑いであった。しかし、いまや「ゲラゲラ」「ギャハハ」「ゲタゲタ」といった品の悪いものが笑いとなっている。現代では、女性の笑っている顔にしても、そこには、計算された知性や色気、媚などが表れている感がある。昔の人にも女性なら美しく見せたいという気持ちはあった。男性は逞しく、男らしく見せたいと思った。そこには、当時の男と女のあり方と言うものがあった。男は男らしく、元気はつらつと。女性は優しく微笑ましいのを美徳とした。そして、その顔には、その人のそうありたいと思う素直な気持ちが表れていただろう。だから、男性は女性の明るい微笑ましい笑顔に引かれた。女性は、逞しい男のしかし、女性に対しては恥ずかしがりやのおぼこい少し照れた笑に引かれた。それは、今の人達との純真さの違いとも言えるのだろう。
だから、その事は、同じ「笑顔」であっても、生まれたての赤ちゃんの純真な笑顔に勝るものはないし、大人よりも子供の笑顔が素敵である。それに、若者よりも、もう、どろどろとした現実的な時代も過去のものとなった年代を重ねた皺の多いお年寄りの笑顔がなんともいえなく良い。ストレスの多いギスギスとした社会である都会に住む人よりも自然を相手にゆったりと過ごしている田舎の人の笑顔が柔らかで微笑ましい。また、文明の発達した近代的な国の人よりも、すこし近代化は遅れていても素朴さを失っていない国の人達の素直な笑顔がとっても素敵である事を見れば分かるだろう。
だから、素敵な「笑顔」を取り戻すには、先ず健康な身体と精神面のゆとり、それに素直な気持ちを取り戻す必要があるだろう。
TVドラマに「笑顔の法則」と言うのがあって、好評だったというが、私はドラマを見ていないので内容はよく知らないが、この題名がいいね~。
「笑顔の法則」か・・・。私流に言えば、最も基本的な法則は、日々何事に対しても、「ありがとう」の感謝の気持ちを忘れない事が先ず基本だろうと思うし、素直に人を信じられるようになることが大切ではないかと思う。
そして「太陽のような明るい笑顔の人」が1人でも多く現れることを心から願っている。
(画像はモナリザの微笑み)
参考:
You are my sunshine
http://www.bussongs.com/songs/your_are_my_sunshine_short.php
矢井田瞳がギターを抱えて歌うビールのCM、オリジナルは誰の曲?
http://www.cdjournal.com/main/research/research.php?rno=1697
TBS笑顔の法則公式サイト
http://www.tbs.co.jp/e-housoku/

文化財保護法施行記念日

2006-08-29 | 記念日
今日(8月29日)は、「文化財保護法施行記念日」
1951(昭和26)年に制定。1950(昭和25)年、国宝・重要文化財等を保護するための基本となる法律「文化財保護法」が施行された。
前年1月26日に法隆寺金堂が全焼したのをきっかけに、文化財保護政策の抜本的改革が望まれ、従来の「国宝保存法」「重要美術品等保存法」「史蹟名勝天然記念物保存法」をまとめた「文化財保護法」が制定されたことによる。奈良の法隆寺金堂が火災により焼損したことをきっかけに、文化財を火災や震災から守るとともに、文化財愛護思想の普及高揚を図る目的で、1955(昭和30)年に文化庁と消防庁が1月26日 を「文化財防火デー」 にも制定。各地で文化財の防火訓練も行われている。
文化財を火災から守る事も大事だが、最近は、害獣被害や盗難事件からの国宝・重要文化財の保護もしなければならないし、又、清水の舞台はヒールで穴だらけ、奈良の法隆寺東大門には「みんな大好き」の落書が……。その後も、名古屋城や彦根城でも、悪質な落書き被害が相次いで発見されるなど、特に、最近は、このような寺や神社の国宝・重要文化財などへのいたずら書きや落書が社会問題化している。そのようなことで、各地で調査をすると、二条城や三十三間堂ほかいたるところであくどい落書きが見られるようだ。
ま、兎に角、最近は、夏の海でも、近隣の人の迷惑も考えず、真夜中に花火を打ち上げ、注意する人に何が悪いと毒づいている若者の姿が連日テレビなどで報道されているが、わが地元神戸の海でも酷い状況だ。戦後の誤った教育のお陰で、若者は特に酷いが、いい年をした大人も含めて、もう、現代の日本人には、道徳心の低下は酷く、モラルは地に落ちたと言った感がある。人が迷惑をこうむろうが、環境を害しようが、人が何と言おうが自分のしたいことは何でもする・・・そんな、世の中になってしまった。
日本人もこのようにモラルの低い民族になってしまった以上、重要文化財への落書きが悪いと言っても、「ただの落書きくらい何が悪いんだ」・・・と開き直られそうだ。
落書きと言えば、米国・ニューヨーク市の当時のジュリアーニ市長の落書き一掃の話を思い出す。当時、ニューヨーク市内の地下鉄などは落書きだらけ、ゴミだらけ。そして、犯罪率の高いことで有名であった。米ニュージャーシー州ルトガーズ大学刑事司法学部教授のジョージ・ケリング博士が提唱した、「割れ窓理論(Broken Windows)」というのがある。この理論は、「割れ窓とは、この言葉のとおり建物やビルの窓ガラスが割られ、そのまま放置しておくと外部からは建物やビルは管理されていないと認識され、割られる窓ガラスは増える。建物やビル全体が荒廃し、それは更に地域全体が荒れていくという理屈である」。言い換えれば、些細な事件にならない、小さなミスを潰すことこそ、大きな事故を防ぐ手立てになるということである。つまり、落書きが多い地域では、軽犯罪が起きやすい。→軽犯罪が多いと凶悪犯罪が増える。→小さな問題を放置する事で連鎖的に問題は拡大して行く。と云う訳で、ジュリアーニ氏は、この手法に着目。落書を徹底的に消し、小さな問題を捨て置かなかった。その結果、凶悪犯罪が激減したという話である。
一応日本でも、落書きは犯罪で、「刑法261条器物損壊罪」に該当する。重要文化財だけでなく、最近は、真新しい戸建やマンションの壁、洒落た店のシャッターや看板など街じゅうのあちこちに無神経な落書きが目立つ。これらの落書きをそのまま放置すると、次第に広がり、文化財への落書に広がり、そのようなモラルの低下が、他人への迷惑行為をなんとも思わないようになり、又、犯罪へとつながっているのである。そのような意味では、落書きを余り軽く見ない方が良いだろう。
しかし、日本人のこの落書き好きは、今に始まったものでもない。現在にも伝わっている落書の古いものとしては、建武の新政における混乱を風刺した『二条河原の落書』が知られている。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が行われるなか、1334年(建武元年)8月に、建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原に立てられた、だれが書いたとも知らぬ一通の落書きは「此頃都ニハヤルモノ」として、眼前にくりひろげられつつある世の珍奇な出来事を七五調の名調子に列挙し、あわせてその内実を巧みに諷刺した日本落書き史上の最高傑作であり、21世紀の今描かれている建武政権像も、この「落書」に大きく影響されているといってもいい過ぎでないと言われている。そして、その「落書」が、「天下ノ統一メヅラシヤ、御世に生テサマ々ノ、事ヲミキゾ不思議共、京童ノ口ズサミ、十分一ゾモラスナリ」としめくくっている。珍しく不思議な御世、これがこの3年に政権に対する当時の人々の統括的な印象だったのであった。この当時の落書は閉ざされた小世界ではなくて多数の人々の行き交う場所に掲げられたもので、二条河原の落書も二条河原で大衆の目に晒され、時の政情を批判したものである。また、このような批判としての落書ではなく戯れに描かれた絵では、鳥獣戯画に代表される滑稽な物が残されているが、また建物の壁や柱・床などに直接描かれる落書きもある。世界最古の現存の木造建築である法隆寺には、奈良時代に描かれた人の顔の落書が人目につかぬ天井裏の板にあり、同じく奈良時代に建てられた唐招提寺の梵天像の台座の裏にも人物像の落書がある。現代社会にあってモラルの低下から文化財などへの落書きによる汚損・破壊が懸念されるが、その一方で先にも述べたように歴史的に興味深い落書きがあるのも事実ではある。そして、このようなものは、日本だけのことではなく、世界各国でも同様に見られるようだ。
日本では古くから「へのへのもへじ」等の文字遊びとしての伝統的落書きも存在し、今でもこれをほとんど無意識に描く人も見られるように、人の場合、ある程度自発性が育ってきた幼児は、筆記具と紙さえ与えておけば、何時間でも落書き(もう少し丁寧に「お絵かき」と呼ぶ場合もある)をしている事が多いとされる。もし紙がなくなってしまうと、壁や床・家具に襖や障子にまで落書きを始めてしまう事もある。我が家でも、息子は今、結婚もしもう小学校1年生の子どもがいるが、その息子がまだごく小さいとき、私達に落書を咎められるので、こっそりと座卓の下にもぐりこんで書いたのだろう、座卓の裏にロウセキでかいた絵が今でも残っている。もう古い机なのでほかそうと思うのだが家人が懐かしいといって処分させてくれない。
だから、落書が許されて良いというものではない。特に、最近のものは、昔の落書のように、職人達がこっそりと、目に付かぬところへ戯れに書いたほほえましいものや洒落た内容のものといったものではなく、ただ単に、自己顕示欲を発散するための、程度の低い意味もないことをこれ見よがしに書いた落書は、ただ、見ていて、不快感を感じるだけのものである。自重してもらいたいものだ。
(画像は、「京童と二条河原落書」週刊朝日百科「日本の歴史」より。部分修正)
文化財保護法
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/9133/bunkazai.html
国指定文化財の火災による被害件数
http://www.bunka.go.jp/1hogo/bunkazai_boukaday_higaikensuu.html
割れ窓理論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96
重要文化財 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1
落書き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D
少女マンガ論
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/mw/02.html

気象予報士の日

2006-08-28 | 記念日
今日(8月28日)は、「気象予報士の日」
1994(平成6)年の今日(8月28日)、第1回の気象予報士国家試験が行われた。
気象予報士は、気象業務法により、指定された(財)気象業務支援センターが実施する気象予報士試験(気象業務【同法2条4項、24条の3参照】に関する知識及び技能についての試験)に合格し、気象庁長官の登録を受けることが必要である。
気象予報士制度は、気象業務法の改正によって1994(平成6)年度から導入された制度であり、防災情報と密接な関係を持つ気象情報が、不適切に流されることにより、社会に混乱を引き起こすことのないよう、気象庁から提供される数値予報資料等高度な予測データを、適切に利用できる技術者を確保することを目的として、創設された制度である。従って、気象庁以外の者が気象等の予報業務を行おうとする場合には、この資格が必要であるが、気象予報士は現象の予想については行えないない(同法19条の3)ことになっている。
この気象予報士試験は、年に2回、1月と8月に行われ、一般試験2科目と実技試験2科目全てに合格したものが気象予報士の資格を手に入れる事ができる。
この資格が新設された当初、テレビの気象解説者が試験を受けて話題になったが、基本的には天気解説(単に気象庁や気象予報楷書発表の予報を解説するだけ)には気象予報士の資格は必要ないが、最近は、気象予報士の資格を持つ局アナが登場している。また、資格が必要なのは業務として行う場合なので、個人的に予想するだけなら気象予報士の資格は必要ないし、業務としてやる場合は逆に、予報業務の許可を必要とするので、気象予報士の資格だけでは足りず、予報資料の収集設備や警報の受信設備などを整える必要がある。なお、予報業務の許可を受けた事業者であっても、台風の進路など災害に関する現象の予想は気象庁のみが発表でき、民間の予報事業者が独自の予想を発表することは法により禁止されている。
1994(平成6)年8月の第1回試験の、受験者は2700人。9月30日、500人に合格発表があった。合格率は18、5%だった。以来、今年(平成18)年1月までに25回の気象予報士試験が実施され、計5839人の合格者が誕生し、また、平成18年3月31日現在、このうち5629人が気象予報士として登録されているそうだ。
先にも述べたように、この資格が新設された当初、テレビの気象解説者で、非常に知識もあり、解説が面白いと人気のあった気象解説者の森田正光氏などが落選し話題になったことを覚えている。
何時の場合もそうであるが、このように突然に制度が変り、資格制度が導入されると、直接、業務とは関係のない、資格試験マニアのようなものも多く受験し、ちょっと物覚えの良い人が合格し、年配の年齢から試験には弱いが経験もあり知識も豊富な人が落選することが起こりうる。最も、森田氏はその後合格しいつまでも変らぬ人気を得ているが・・・。
私は、いつもテレビの天気予報を見ていて、疑問を感じることがある。昔、というか、それまでは、TVで気象解説をしていた人には、結構年配の人達が多かったし、その人達の解説には非常に個性が見られた。俳句に詳しい人、ことわざに詳しい人など夫々にその人の持ち味を活かし、聞いていて楽しい気象解説をしていた。しかし、最近、TVで天気予報している人達は、概ね若い可愛い女性が多い。ときに男性が出てきても話していることは女性と殆ど同じ。決まりきった、気圧配置がどうのこうの、明日は天気になるかならないか程度のことである。先にも述べたが、記気象予報士は「防災情報と密接な関係を持つ気象情報が、不適切に流されることにより、社会に混乱を引き起こすことのないよう」に気をつけなければならないので、気象庁から提出された資料を基に、それを正確に伝えているだけなのだろうか?。それなら、いらないことは話をする必要はない。「明日は天気です」ただそれだけ言ってもらえばよいのだから・・。大体天気を予報するのに、雨の確立が50%30%言われても、30%だといっているところでも雨が降れば、降ったところが30%の地域なのであるから、文句も言えない。TVなどで報じている予報は近畿地方などと言われても東西南北広範囲で、聞いている者にとっては、結局は、多分お天気らしい程度のものである。だから、微妙な時には、いずれにしても携帯用の雨傘を持ち歩いている。最近、「好きなお天気キャスターランキング」(オリコン調べ)があったようだ。調査は、6月1~5日、オリコン・モニターリサーチに登録する10~40歳代の男女1000人を対象に、インターネットを利用して好きなお天気キャスターをアンケートした。アンケートの結果はここ
第1位は、タレント石原良純さんのようだ。石原さんは気象予報士の資格を取得し、お茶の間では俳優としてよりも気象予報士としての顔の方がお馴染みになってしまった感がある。先の森田正光氏もさすが、ちゃんと3位 に収まっている。ただ、この中に、今出東二さんの名が見られる。他のトップ10は全て全国区のキャスターだから、堂々第7位獲得は立派である。今や関西では故・福井敏雄に続く『名物お天気キャスターおじさん』の存在として認知されている証といえるだろう。この人も、多趣味なことでも知られている。お天気予報の時には毛筆で一言、お天気にまつわる文を書いたものを見せてくれるのが嬉しい。どうしても、商売だの旅行だなどで、詳しい天気が知りたい人達は、今やネットを通じてかなり詳しい天気を調べることも出来る。テレビで案内しているような大雑把な予報は、私など単なる目安程度にしか見ていないので、もう少し、面白おかしくやってほしいと思うのだが・・。
たとえば、冬の時期など、以下のような調子で、イラスト入りの天気予報をしてもらうと楽しいだろうな~。
ここ 見てみて →http://park1.wakwak.com/~hirobo/syoka/AutoSyoka/yuki.html
(画像は、「天気予報はこんなに面白い!」著者:平井信行 出版社:角川書店 。)
参考:
気象予報士について/気象庁
http://www.kishou.go.jp/minkan/yohoushi.html
気象予報士-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B0%97%E8%B1%A1%E4%BA%88%E5%A0%B1%E5%A3%AB
親しみやすさが人気!好きなお天気キャスターランキング
http://www.oricon.co.jp/news/ranking/27014/#rk
日本の唱歌(メインページ)へ
http://park1.wakwak.com/~hirobo/syoka/syoka.html
天気予報・地球を見る・宇宙を見る
http://pcwave3.ice.uec.ac.jp/net/net.html#sec5
Weather Map・お天気キャスターとして有名な森田正光さんが代表の会社のHP.
http://www.weathermap.co.jp/

「益軒忌」、儒学者・貝原益軒の忌日。

2006-08-27 | 人物
今日(8月27日)は「益軒忌」、儒学者・貝原益軒の1714(正徳4)年の忌日。
貝原 益軒(かいばら えきけん)は江戸時代の本草学者、儒学者。1630(寛永7)年に、筑前国(現在の福岡県)黒田藩士、祐筆役の貝原寛斎の五男として生れる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。成長し黒田藩に仕えたが、二代藩主黒田忠之の怒りにふれ、一時浪人生活を余儀なくされ、この浪人生活の間に江戸や長崎で修行を重ねた。その後、三代目藩主光之の命で再出仕し、藩費による京都留学中に本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵山崎闇斎松永尺五ら多彩な学者・文人らと交わった。帰藩後、藩士としての正式の待遇を与えられ、儒学者として藩主や重臣に朱子学を講じたほか、 藩命により「黒田家譜」を編纂したり、藩内をくまなく歩き回り「筑前国続風土記」を編纂また、朝鮮通信使の対応なども行った。自然科学分野においては大和本草」を発刊した。又、自らの畑に数十種類もの野菜・薬草を植えて事細かに研究。その経験に基づいて「花譜、菜譜」を発刊した。益軒は自らの学問を「民生日用の学」(=実際つかえる実用学)と称し、これらの著作は庶民に向けての平易な和文で綴っている。
そして、江戸時代の三大農学者の1人である宮崎安貞には中国の農書『農政全書』の講義をした。宮崎安貞の著作である近世農書を代表する「農業全書」は本草学者・貝原楽軒(貝原益軒の兄)と益軒の協力を得てはじめて誕生したものである。更に、教訓書「養生訓」「和俗童子訓」を執筆し独自の精神修養法を示した。こうした彼の著作は膨大なもので、全部で60部270余巻に及ぶという。
私などには、貝原益軒と言えば、先ず、養生訓」が頭に浮かぶ。
近代の医学はあまりにも薬に頼っており、「食の大切さ」を忘れていたといえる。しかし、最近は、予防医学の面から「食の大切さ」が見直されている。
そして、最近の健康ブームの影響で、TVなどでも様々な養生方法が放送され新しいダイエット方法が出ては消えしている。
それでは日本人にとっての食事療法としては何が良いのであろうか。日本人の身体の特徴としては、外人などと比較して、野菜を沢山食べるように腸が長いと言われている。
だから、当然に日本人が古くから日本で食べてきた伝統食を普段から食することこそが、最大の養生といえるであろう。
食の養生を考えるとき、現代でも、貝原益軒の「養生訓」から得るものはとても大きいという。
貝原益軒自身、生来体が虚弱で、生涯病気に苦しみ、夫人も病弱であったため、健康に留意し、医薬、食、などの養生に心がけ実践した成果ともいえる著作がこの養生訓である。
「養生の術を学んで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり・・・
   慾を欲しいままにして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚かなる至り也・・・
   命短かければ、天下四海の富を得ても益なし・・・」 
貝原益軒は「養生訓」の巻頭で、先ず、上記のような言葉を書いている。要するに、いずれ訪れる死は避けられないにしても生きて在る間は、不健康より健康がずっと良い筈である。健康であることは、単に楽しみを享受する為ばかりでなく、人生の目的や、人生観にも関わるものである。・・・その通りである。
そして、養生の術は、まず自分のからだをそこなうものを遠ざけることである。からだをそこなう物は、内欲と外邪とである。内欲というのは、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、しゃべりまくりたい欲と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲のこと。外邪とは天の四気であり、風・寒・暑・湿のことである。内欲をこらえて少なくし、外邪を恐れて防ぐのである。こうすれば元気をそこなわず、病気にならず天寿を保つだろう。およそ養生の道は、内欲をがまんするのを根本とする。この根本をしっかりやれば、元気が強くなって外邪もおかしてこない。元気が弱いと外邪に負けやすくなり、大病となって天寿を保てない。内欲をがまんするのに大事なのは、飲食を適量にして飲み過ぎ食い過ぎをしないことだ。脾胃をきずつけ(むかしは脾臓が直接消化に関係があると誤って信じられていた)病気をおこすものは食べない。色欲を慎んで精力を惜しみ、寝るべきでない時に寝ない。長時間眠ることを戒め、楽だからといって長く坐っていないで時々からだを動かし、気の循環をよくしなければいけない。・・・と教えている。
上記のうち、飲食についての教を補則をしておこう。
1「腹八分目」。
食欲は大欲の一つで、用心しないと満腹になるまで食べ、肥満の原因となる。肥満が生活習慣病の主な原因の一つであることは周知のことである。益軒は﹁飢え﹂をしのぐ程度でよいと諭してある。ただ、食べた後、いくらか体を動かしておけばカロリーを消費するので多少体を動かす事を勧める。益軒は3300歩、歩くように、出来ればもう少し運動しても良という。
ご馳走や愉しく夕食を囲めば、話も弾み、ついつい食欲も増す。その後、ゆっくり休めば、余剰のカロリーが、脂肪として蓄えられる。そこで幾らか体を動かしておけば、体はカロリーを消費(燃焼)する方向へと働く、そのため多少体を動かす事を勧める。
2、「凡ての食、淡薄なる物を好むべし。肥濃油膩(ひのうゆに)の物多く食ふべからず。生冷堅硬なる物を禁ずべし。あつ物、只一によろし。」
食事は薄味であっさりしたものが良い。脂っこいものを食べるな。又、単に薄味であれば良いというのではなく生ものや冷たいもの、堅いものも禁物と書かれている。
3、「肉も一品なるべし。サイ(副食)は一、二品に止まるべし。肉を二つかさぬべからず。又、肉多くくらふべからず。生肉をつゞけて食ふべからず、滞りやすし。」 
肉は獣肉に限らない。魚肉も肉とする。二つ以上とらず一つにする。また、日本人は胃脾(いひ)︵胃腸︶薄弱なるゆえに、肉は多く食べなうよう注意している。
刺身は美食の代名詞であるが、生食は胃腸に滞り、消化に手間取り胃を疲労させる。しかし、美食も食の愉しみとして欠くべからざるものである。動物でしか摂取できない栄養素は美食の時を以って補う。楽しみなくば養生も空しい。美食とされる食物の性質を知れば、それと相反する、また制する食物を同時に摂れば良い。あるいは調理に工夫を凝らす。獣肉が胃腸にもたれるのを防ぐためにスパイスを使い、腸内での動きを早めるため、多めの野菜で繊維を摂取する。刺身はワサビを使い、魚毒の解毒に使う紫蘇を同時に食べる。焼魚に大根おろし、鰻に山椒、牡蠣にレモン、海老と椎茸、貝汁に春菊、このような生活の知恵は生かすべきである。
4、「肉は多けれども、飯の気にかたしめずといへり。肉を多く食ふべからず。食は飯を本とす。何の食も飯より多かるべからず。」
肉は蛋白質や脂質の代表である。魚や乳製品、卵、大豆製品も同じである。それに比べ「飯」は炭水化物の代表である。ヒトの食性はアミラーゼ活性が高く炭水化物を効率よく消化吸収し利用出来るようになっている。これを「本」とすべきである。肉などの蛋白質や脂質を多く食べても、その量がご飯を越えるようではいけない。越えればたちまち食性のバランスを崩し、長期に渡ると病を引き起こす。ご飯は生きるためのエネルギーの源で、穀物ナシで必要なカロリーは効率よく摂取できない。副食だけでそれをまかなおうとすれば、肝障害を引き起こす。
5、「味噌、性和(やわらか)にして、胃腸を補う」
昔から味噌、醤油、豆腐、納豆、きな粉に代表される大豆製品の中のイソフラボンは健康によい。最近の乳癌、前立腺癌の増加は、大豆製品の摂取の減少によるといわれている。
6、「怒りの後、早く食すべからず。食後、怒るべからず。憂ひて食すべからず。食して憂ふべからず。」
尤もな事である。食事は楽しく食べ、ゆっくり噛んで食べること。怒りや憂いなどの七情はそれぞれ五臓を傷める。家族や知人と会食の時はせめて、他に不快や憂いを与えないくらいは配慮したい。飲食しながらの深刻な議論は、頭に血を集め消化に良くない。
最後に、益軒は,又、「酒、タバコ」についての解説もしてある。
酒については、酒は食欲増進剤として用いる。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべしと飲みすぎを戒めている。そして、「人の病、酒によつて得るもの多し。酒を多くのんで、飯をすくなく食ふ人は、命短し。」と結んでいるが・・・これは、痛い!!私など、毎晩、ご飯代わりに、酒を飲んでおり、もう、何10年と夜にご飯を食べたことがない(寿司を覗く)。最近、医者に注意され、週一日だけ酒を飲まない日を作っているが・・・・本当にその日は寂しい・・・。またタバコは﹁性毒である・・・とすでに断定している。流石である。タバコに関しては、私も10年ほど前に禁煙した。・・・理由は、当時、仕事でアメリカへ行ったときもう、アメリカではタバコを吸っていると、非常に冷たい軽蔑の目で見られるので、悔しいから、止めた。健康上の理由で止めたのではないが結果的には良かった。
肉だけではなく、魚の食べすぎも良くないとある。山の奥底に住む人々が長生きしているはそういったものが中々手に入らず食べ過ぎる事がないからだそうで、植物性タンパク、大豆とご飯のような炭水化物と野菜を煮たものなどを食べていて益軒は、84歳まで長生き出来たと言っているのだが、贅沢に慣れた今日、私には、これを守るのは難しいね~。
野菜を沢山食べておかず(たんぱく質である、肉・魚)を少なく食べるのが腸の長い日本人の長生き方法だとしたら、これからの日本人の平均寿命は、完全に短かくなるだろうね~(-。-)。
(画像は貝原益軒。週刊朝日百科「日本の歴史」より)
参考:
貝原益軒 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E5%8E%9F%E7%9B%8A%E8%BB%92
貝原益軒アーカイブ
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/
宮崎安貞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%AE%89%E8%B2%9E
農政全書 
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O155L200.HTM
農業全書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E5%85%A8%E6%9B%B8
農文協図書館 江戸農書 案内
http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/10edonousyo1.html
【養生訓の話】
http://ww7.tiki.ne.jp/~onshin/yozyo.htm
[PDF] 貝原益軒の養生訓に学ぶ食養生
http://www2.eisai.co.jp/clinician2/cl2_05_536/sp_536_03.pdf
中国本草学の科学技術と思想
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/ChiBencaoTec.html