今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

包むの日

2015-02-26 | 記念日
日本記念日協会で今日・2月26日の記念日(※1)を探すと「包むの日 」があった。
神奈川県川崎市に本拠を置く、プラスチック包装フィルムのメーカーである東興資材工業株式会社(※2)が、包装材を広くPRするのが目的で制定したものだそうで、日付は2と26を「包む」と読む語呂合わせからだそうだ。

包装(ほうそう、packaging.)とは、ものを包む行為や包む素材、包まれた状態などのことを言う。
包装は2つに大別される。ひとつは工業包装、もうひとつは商業包装である。両者とも、目的は商品の保護と輸送を容易にすることなどである。
日本工業規格 (JIS) では、包装とは「物品の輸送、保管、取引、使用などに当たって、その価値及び状態を維持するために、適切な材料、容器などに物品を収納すること及びそれらを施す技術、又は施した状態。これを個装、内装及び外装の3種類に大別する。パッケージングともいう」と定義づけられている。
包装は、また古くから梱包(こんぽう)ともいわれているが、この場合は販売促進機能をもたない、輸送包装のことである。アメリカではPackaging is marketing.(包装は販売促進そのものである)という表現があるように、販売促進機能が重視されているという。
キャラメルを例にとれば、1粒ずつを包んでいるワックス紙が個装であり、これを10粒包んでいる板紙箱が内装にあたり、輸送するための段ボール箱が外装(輸送包装)である。樽(たる)詰の酒は材料である木(杉やオークなど)の香りが酒に移行し、酒の味わいをよくするものであり、このような包装が理想的なものである。
店頭に置かれて消費者の目に触れる商業包装は、それ自体が有力な宣伝媒体になることから、消費者の目をひき購買意欲を刺激するように、デザインや色彩・構造など十分工夫する必要がある。
このような包装の主要な機能と目的を要約すると以下の3つになるだろう。
・保護性(Protection):衝撃、温湿度、酸素、光、臭気、汚れ、傷など内容物の価値を損なう様々な要因から、内容物を保護する。
・利便性(handling convenience):物流時においては識別や分別を容易にして輸送と保管に適した運び易さ・置き易さがある。
・快適性(sals promotion):情報表示、顕示・美麗・清潔、未使用であることなどを伝える。
包装に用いられる主要な材料つまり「包装資材」とよばれるものとしては、現在では一般的に、段ボールの他、木材,プラスチックガラス金属などの類がある。
冒頭の記念日のところにある「プラスチック包装フィルム」とは、ラッピングフィルム(包装)、つまり、何か物をくるむため(包装)に用いる、プラスチックフィルム・・・のことだろう。
私は、このような製品については良く知らないので、記念日を制定した東興資材工業のHPを覗いてみると、以下のように書かれていた。
「当社は、書籍・DVD・化粧品等をパッケージするシュリンク(shrink)包装フィルムと、コンピューター等の精密部品の静電気障害を防ぐ帯電防止袋・導電袋(※3参照)を製造している、創業36年のインフレチューブのフィルムメーカーです。
特にシュリンク包装フィルム「ハイチューブシリーズ」は、熱収縮によって、商品にピッタリとフィットするため「保護」「改ざん防止」「美観」を実現し、お客様の多様な用途に柔軟にお応えすることの出来る包装フィルムです。」・・・と。
シュリンクフィルム 「ハイチューブ」のことについて詳しくは、ここのページを覗かれるとよい。
このような専門的なことについて知らない私としては、このようなことは別にして、今日は「包むの日 」だから、「包む」をテーマーに書くことにした。


万葉集 巻第十八には以下の歌が詠まれている。
「沖つ島い行き渡りて潜(かづ)くちふ鰒玉(あわびたま)もが包みて遣(や)らむ 」(4103)
【通釈】沖の島に渡って行って潜って取るという真珠が欲しいものだ。包んで届けてやりたい。
「鮑玉(あはびたま)」とは、アワビの内部に形成される「真珠(白玉)」「たま」と呼ばれ、珍重された。天平感宝5年(749年)5月、越中守として現地に滞在していた大伴家持が都の家に贈るために真珠を求める長歌(巻18ー4101)があり、その反歌4首のうちの1つとして詠まれたもの。“沖つ島”というのは石川県輪島市北方の七ツ島舳倉島とする説がある(※4、※5参照)。

今では色々な種類の包装資材があるが、この時、真珠を何で包んで持ち運んだかはよく判らないが、古代において包むのには植物の皮や実、獣皮、貝殻などが用いられた。

同じく万葉集巻二には有馬皇子の以下の歌がある。
「家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る」(142)
【通釈】家にあったならば(食器)に盛る飯を、草を枕に寝る旅にあるので、椎(しひ)の葉に盛るのだ。
この歌のように、7世紀ごろ、旅先の食事では椎の葉が食器 として使用されていた。 有間皇子は中大兄皇子(後の天智天皇)と不仲で、謀反をたくらんでいたが、一緒に計画をしていたはずの蘇我赤兄に裏切られ、計画が露見し捕らえられ、藤白坂(和歌山県海南市藤白)で絞首刑に処せられた。この句に詠まれている「旅」とは、捕まったあと護送されているとき磐代の地で詠まれた2首の辞世歌のうちの一首だそうである(もう一句は※6を参照されるとよい)。
日本では古来から主に食品などの包装については、天然素材の性質を利用した包装が行われてきた。
椎(しひ)の葉の他にも、ホオ(朴),フキ(蕗、苳、款冬、菜蕗),カキ(柿),イモ(芋)カシワ(柏)の葉などが用いられ、特に神道では複数の柏の葉を竹ひごで閉じた葉椀(くぼて)が用いられた。
今でも和菓子や押し寿司では、植物の葉で包むことがある。「カシワの葉」や「サクラの葉」でを包むと香りがよくなる。
また、笹の葉で包んだお米は腐りにくいとされており、現在でも石川県では、サケ、マスなどを押し寿司にして笹で包んだ 「笹寿司」が有名である。又、笹寿司に使われる笹はクマザサ(隈笹)が一般的だが、このクマザサは古くから食品を包んだり、寿司や刺身の添え物としても利用されてきた。

上掲の画像は石川県白山麓地域の笹寿司。下のものは、柿の葉すし本舗 たなかの「柿の葉寿司


「つつ・む」の漢字には【包む】の他に【裹む】がある。
この字は以下の四字熟語に見られる。
「馬革裏屍」=馬革に屍(しかばね)を裹む(包む)
【通釈】古代中国では戦死すると馬の革で死体を包む風習があったとされている。転じて、戦場で死ぬこと。また、従軍した以上は生還を期さないという勇士の覚悟をいう.。
出典は、中国・後漢書巻24『馬援列傳』の中で、凱旋した馬援に賛辞が送られるなかでの以下のように述べたところから。
原語:『方今匈奴、烏桓尚擾北邊,欲自請擊之。男兒要當死於邊野,以馬革裹屍還葬耳,何能臥床上在兒女子手中邪!』
日本語訳:『今なお匈奴烏桓は北方の辺境を侵しています。私は自らこれを討つ事を願い出ようと思います。男児たる者は辺境の野に死なねばならず、馬革で屍を裹(包)まれ、帰って葬られるだけです。どうして床について女子供の介抱を受けていられましょうか。』と(※7参照)。
この字とよく似ている 「」(音読み:リ、うら、うち)の字は、「亠」の下は「里」。「衣」の中に「里」があるが、この「」(音読み:か、つつ[む]、つつ[み]、まと[う]、たから)の字は、なべぶたに続き「果」を書く(※8参照)。音読みでは包(つつ)むと同じで、私にはよく判らないが、裹_百度百科(和訳)を見ると、どうも、中国語では、人体を布で覆う、又、遮蔽して隠す意味があるようだ。
食品の保存や持ち運びにも様々な工夫がされ、ひょうたん(瓢箪)、竹の筒、笹や竹、椰子の皮などの植物をうまく利用したり、アワビなどの巻貝やハマグリなどの二枚貝の貝類なども現在の包装資材の原型といえるかもしれない。
そして、歴史を重ねる中で様々な包装資材が開発されてきた。
中国では2200年前の西周には簡単な織り機が生まれていたとされており、アサ(麻)の布地がその頃中国に存在したらしく、日本でも紀元前から栽培されており、この頃には 麻の布が包装用に使用されていた可能性がある。
稲作が始まった縄文時代の頃には、が包装資材とし使用されるようになり、奈良時代には藁を編んだ「筵(むしろ)」が使用されている。
そして、この頃に書かれた『日本書紀』の、弘計天皇の項に「取結縄葛者」とあり、「注連縄」の原型と見られる縄(かずらなわ)が大変重要な建築資材であったことが記されており、既に普通の包装資材として紐や縄が使用されていただろう。
木で作る円筒形容器の最古の形態は、木の幹をくりぬいた「刳桶(くりおけ)」で、古くは弥生時代の遺跡からも出土する。続いて「曲物桶(まげものおけ)」が発明され、平安時代には一般に「(おけ)」が広まった。桶と良く似た形で蓋の付いた「樽(たる)」は、ヨーロッパなどとは異なり日本では遅く、鎌倉時代末から室町時代初期ごろ出現した、結樽(ゆいだる)と云われるもので、たがは竹材を螺旋に捩ったものであった。

そして、日本では、物を包み持ち運んだり収納したりするための道具として非常に便利なものが利用されてきた。正方形の四角い布の「風呂敷(ふろしき)」である。その起源となるようなものは正倉院宝物の中に残っている舞楽の衣装包みとして用いられたものであるが、この専用包みには、現在の風呂敷にはない中身を固定するための紐が取り付けられていたそうだ。
平安時代には「平裹」・「平包」(ひらつつみ)と呼ばれていて衣類を包んで頭に載せて持ち運ぶという使われ方をしていたようだ。一方この時代、入浴することは心身を清めるための厳粛な行事であったため、裸ではなく白衣で入るのが作法であった。そのため入浴前後に、広げた布の上で服を更衣したが、この布を「風呂敷」と呼んだのが呼称の起源という説がある。江戸時代に「銭湯」が普及することにより、この「風呂敷」の名が広く流通するようになった。
そして、その後、「が包装資材として使われるようになるが、日本の「和紙」作りの時期に関しては諸説あり、早いものでは3~4世紀とするものからあるが、6世紀半ばごろ、540年(欽明天皇1年)に、渡来人である秦人・漢人に戸籍の編集をさせたという記録があり、この時に使われた紙は郷戸が作成したとされており、人が日本で紙を作ったと推測されているようだ。
製紙技術の伝来から100年程経過してから、本格的な紙の国産化が始まり、『正倉院文書』によれば、天平9年(737年)には、美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙漉(かみすき)が始まったが、紙はまだまだ数が少ない高級品で、日常的に使用されることはなく、製紙技術の向上によって平安時代には和紙が大量生産されるようになり和紙文化が発達。この頃になると。貴族の懐紙にも使われるようになり、色々なものに使われるようになるので、包み紙としても使われるようになっただろう。
現在に見られるような洋紙(西洋紙)は、日本では1873(明治6)年に、欧米の機械を導入した初の洋紙工場が設立されたと言われている(※9、又パピール・ファブリック参照)。なお、木質紙が主流になる以前、洋紙の主原料は木綿のぼろや藁だったという。
日本のクラフト紙袋の歴史としては、1923(大正12)年にアメリカ・ベーツ社が作成した紙袋を見本に、林商会(現・王子製紙)が試作したものからスタートしたという。国内で最初に使用された用途は「セメント用」だったそうだ。
そして、現在では、一般的に「ビニール袋」と呼ばれて使用されいる様々な合成樹脂製の袋は、1970年代から使用されるようになったようだ。それまでは、紙袋に持ち手がついたものが汎用されていたが、安価で強度もあるため、紙袋に変わり広く使用されるようになった。
しかし、物を包み、持ち運んだり収納したりするための道具として、日本の歴史上古くから使われ、未だに便利なものとして利用され続けているものが、ただの正方形の四角い布の「風呂敷」だろう。
この「風呂敷」の”包む”というものに、日本独特の優れた文化が感じられる。風呂に入る道具としてみただけでも、1枚で、衣類の持ち運びに使われ、又、脱衣かご代わりや、バスマットをも兼ねた優れものであったが、「ふろしき」には、”収納”面や、”運搬”面でも、 物の量・大きさ・形に自由に対応できる、しかも、用が済めば、たためるのでかさが張らない、多用途性(多目的性) がある、そして、再利用・別利用ができる など非常に多くの特性がある。
「風呂敷」に用いられる文様には、それぞれの家の家紋や、花鳥風月等を題材とする日本独特の吉祥文様が用いられることが多い。戦前からほっかむりをした泥棒が唐草模様」の大風呂敷を背負っているというイメージが、漫画などで多用されていた。
そういえば、「夢もチボーもないね」「東京の田舎ッペ」「マァいろいろあらァな」など、栃木訛りを誇張したギャグで1963年頃からテレビなどで人気を博していた東京ぼん太のトレードマークは唐草模様の風呂敷だったね~。
緑や紺の地色に四方八方に伸びていくつるが絡み合う蔦(つた)の文様を描いたこの風呂敷の図柄も、長寿や延命を象徴した縁起が良い吉祥文様ひとつである。
この風呂敷については、前にこのブログ2月23日「ふろしきの日」でも簡単に書いたのでこれ以上は書かないが、私も重宝している便利なもの。使い方を覚えれば、本当に役にたつので、以下参考の※10:「ようこそふろしき研究会へ」など覗いて、いろいろ使ってみるとよい。
又、風呂敷の歴史などは:「風呂敷の歴史」が詳しいのでそこを参照されるとよい。

上掲の画像左:唐草模様。右:東京ぼん太のレコードジャジェット(コロンビア)

ところで、このブログを書いていて気付いたのだが、「包」という文字は「腹の中に胎児のいる姿」を表したものだったのですね~。
現在の字形で「包」は勹部「勹(ほう)」に「己(こ)」を合わせた文字だが、古代文字・篆文(篆書体)・旧字は、「巳(し)+勹(ほう)」 の会意形声文字である(※12参照)。新字体は勹の中が巳⇒己に変化した。
「勹(ほう)」は、横から見て、人が身をかがめている形の象形で、つつみこむ意がある。「巳」はここで胎児の形で、図形の上部は頭を表している。
従って、「包」は胎児を身ごもるさまから、「つつむ」の意味となったようだ。

上掲の画像は包むの字を絵にしてみたものである。

形声文字は、今まで作られた文字の「意味」をあらわす部分と「音」を示す部分を組み合わせて作られたものであることから、「包む」が妊娠すること、つまり「はらむ」意味から、この「包」をふくむ字の多くに妊娠と関係した意味がある。しかし、この「ほう」ということば(音)を表すのは、包の系列だけではなく、呆─保─宝などもこの同じグループに属する。要するにまずことばが先にあって、それを表す漢字があとに作られたのである(※13:「漢字家族」の形声文字:大切に包む参照)。
こう書いていて、ふと、思い出したことがある。ちょっと脱線するが、それは、新約聖書中の一書『ヨハネによる福音書』第1章の冒頭に出てくる以下の言葉である(※14 のここ参照)。
1.初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2.この言は初めに神と共にあった。
3.すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
4.この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

ここでいう言(ことば)は、「ロゴス」を言っているようであり、キリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味するそうだ(Wikipedia・※15参照)が、これを哲学的に否定し、ここでいう言(ことば)も普通に言われるところのことばだとしている人もいる(※16など参照)。
私は、キリスト教徒でもないし、このような難解な教えを理解する能力もなく、宗教とは関係なく、考えると、やはり、先ず、言葉はどうして生まれてきたか?…ということを考えると、そこにはやはり言葉には生まれる意味があったからだろう。そして、使い方になにかの意味がなければ、言葉は生まれない。
言葉があるということは、その言葉が意味する機能や動作に意味があるということ。人が何かをしたいと思った。何かを変えたかった。そしてそれを他の人と、共有したかった。言葉がなければ、人には考えていることやしたいことが「見えない」。だから言葉という手段を必要としたのだろう。
象形文字は物体の状況(形)を表現する方法というか、現象・事象を伝えるために作られた。そこから、人の歴史が始まり、化学も進化した。正に天地創造の始まりではないか・・・・などと、素人考えで思ったのだが・・・。
なにか、「包む」という言葉の誕生などを考えたりしていると、「包む」ということには、非常に優しさや、暖かさが関係しているように感じられる。そうすると、ラッピング(包装)は単に贈り物を保護するだけに包むということだけではなく、人の心を包むことのようにも考えられるようになってきた。
ラッピングは、贈り物を受けた人と贈った人の両者を笑顔でつなぐコミュニケーションツールとなるものともいえる。贈ったものを受け取る人を思い浮かべながら、ラッピングを考えると、心の豊かさ・思いやりの表現がラッピングに求められそうだ。

日本では、贈答品を渡す際は、直接手で持って渡すことは失礼にあたるとされ、風呂敷に包んで持参するのが礼儀とされている。その際、包んだまま渡すことを作法とする説と、包んだまま渡すと「この風呂敷にお返しを包んで戻せ」という催促の意となるため、厳に慎むべしとする説がある。
現在でもほとんどの場合、手渡す際に風呂敷を解き、贈答品のみを置いて風呂敷を持ち帰るのは、後者の作法に準じているためであるが、風呂敷での包み自体を新しい感覚のギフトラッピングと捉えて、そのまま贈ろうという提案も近年なされているという。
物を包むのに使う方形の布には他に「袱紗(ふくさ)」がある。贈り物の金品などを包んだり、覆うのに使用されるが、小さい物は、「帛紗(ふくさ)」と表記する。これは、主に茶道で、茶道具を拭い清めたり、茶碗その他の器物を扱うときに用いられる布である。
「袱紗」は、包装・覆いとしての実用性を超えて、熨斗袋(祝儀袋・不祝儀袋)の水引がくずれたり袋が皺になることを防ぐ心遣い、また先方の心中や祭礼を重んじ、喜びや悲しみを共にする気持ちを示す意味を持つ。熨斗袋で金封し、さらに袱紗で包むことで、礼節と肌理(きめ)細やかな心遣いを示す意味で使われる(※17参照)。
贈答などの際に用いられた、紙を折って物を包む日本の礼儀作法の1つに「折形(おりがた)」と言うものがある。折形の名称は、現在では折紙と呼ばれている紙を折ることや折ったものの江戸時代中期頃の呼称で、江戸時代初頭は折据(おりすえ)、明治時代には折り物と呼ばれていた。現在、折形と呼ばれるものは、折紙のうち儀礼折紙や実用折紙と呼ばれる範囲である。
平安時代より贈答をする際には進物を紙で包むようになり、室町時代の武家社会において発生し、江戸時代には数々の流派が興るほど発展したが、現在は、包装紙や市販の包みが多く使われ、結納以外で折形を見る機会が非常に少なくなった。
流派は多数あるようだが、包みの基本はどれも陰陽説に基づいており、折形では、「天(上)が先、地(下)が後」「左が先、右が後」が基本となる。このようなこと間違ったこと言えないので、興味のある人は、以下参考の※18、19など参照の上、日本の伝統的な贈答の包みを覚えて、日々の生活に取り入れられるものは取り入れてみても良いのでは・・・。。
そして、日常的に一番良く使われる普通のデパートなどでのラッピング(斜め包み)方法は以下を参照して、気持ちのこもった綺麗なラッピングで物を贈りたいものですね。

ラッピング方法:斜め包み b>


参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:東興資材工業株式会社HP
http://www.packtoko.co.jp/
※3:導電性袋と帯電防止袋の違いについて- YAHOO!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1133905146
※4:大伴家持と万葉集 - 高岡市万葉歴史館
http://www.manreki.com/arekore/yaka-manyou/yaka-manyou.htm
※5:不思議なことはあったほうがいい
http://ameblo.jp/seikuzi/archive-201006.html
※6:有間皇子 千人万首:
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/arima2.html
※7:馬援伝
http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/baen.htm
※8:漢字辞典オンライン
http://jiten.go-kanken.com/
※9:日本最古の洋紙製紙場跡 - 京都市
https://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk091.html
※10:ようこそふろしき研究会へ:「ふろしきってなに?」
http://homepage3.nifty.com/furoshiki/mokuji/furoshikimokuji/furoshikimokuji.html?mokuji/furoshiki?mokuji.html
※11:風呂敷の歴史
http://www.miyai-net.co.jp/furoshiki/history04.html
※12:象形辞典
http://www.vividict.com/WordInfo.aspx?id=1591
※13:漢字家族:
http://1st.geocities.jp/ica7ea/kanji/mokuji.html
※14:新約聖書 (口語 1954年改訳版)/ 旧約聖書(文語)INDEX
http://web1.kcn.jp/tombo/v2/label.html
※15:初めに言があった
http://www.km-church.or.jp/preach/preach_021201.html
※16:ウソだ!8:ことだま 前編 <はじめに言葉ありき>
http://www.hasegawadai.com/logic/哲学的考察-ウソだ/ことだま-前編-はじめに言葉ありき/
※17:知らないと恥ずかしい のし袋・水引のマナー :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO48237510Z01C12A1W05001/
※18:折形紙幣包みの折り方
http://nosi-mizuhiki.com/modules/tinyd0/index.php?id=1
※19:折方
http://deepbeigepigment.myartsonline.com/orikata.html
包装技術ネット:まめ知識
http://www.housougijutsu.net/knowledge/
47スクール:漢字物語
http://www.47news.jp/feature/47school/kanji/index.php
包み - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E3%81%BF

世界社会正義の日 2-1

2015-02-20 | 記念日
今日・2月20日は「世界社会正義の日」(World Day of Social Justice)である。
国際連合は.貧困排除失業といった問題に取り組む努力を促進する必要を認識し、2007年、第62回総会で、毎年2月20日を国際デーの「世界社会正義の日」(World Day of Social Justice)に制定。この国際デーは2009年から実施されている。
国連の目的達成の一翼を担う専門機関に、国際労働機関(ILO)がある。
第一次世界大戦後、悲惨な戦禍への反省として、当時、貿易競争の公平性の維持や中でも特に、労働問題が大きな政治問題となっていたため、国際的に協調して労働者の権利を保護するべきと考えられていた。
そして、1919年、第一次世界大戦の戦後処理をするためのパリ講和会議において 労働問題を解決することが世界の平和につながっていく、という強い信念から、ベルサイユ条約第13編(後のILO憲章.。※1のここ参照)の採択によって、国際連盟 (第二次世界大戦勃発後は事実上活動を停止していたが、1946年4月に解散し、その資産は国際連合により承継された) の姉妹機関として国際労働機関(以後IOLという)が設立され、1946年に、国際連合との協力に関する協定に基づいて、IOLが国際労働に関する最初の専門機関となった(※1の歴史参照)。
各国は、この特別の日を、1995年3月、我が国の村山富市首相(当時)を含めた全国118ヵ国首脳が参加したコペンハーゲンにて開催された「世界社会開発サミット」で採択された目的(※3参照)に沿った国内活動の推進にあてることが求められている。
「世界社会正義の日」は、貧困撲滅、完全雇用とディーセント・ワーク( Decent work、働き甲斐のある人間らしい仕事。 ※1のここ参照)の促進、男女平等(男女同権も参照)、すべての人に開かれた社会福祉と社会正義に向けた国際社会の取組に寄与することが期待されている(※2参照)。
日本は戦勝国(連合国参照)の一員として、ILO設立当初(1919年)から加盟しており、1920年11月には、ILOとの連絡を行う日本政府代表事務所がジュネーブに開設された。また、1922年の第4回総会では8大産業国の一員として常任理事国に就任している。1940年にILOを脱退したが、1951年に再加盟(1954年には常任理事国に復帰)し、以降、ILOの活動に積極的に参画してきた。そして、ILOの分担金のうち、日本は12.535%(2012年)を占め、加盟国中第2位であるという(※4参照)
それでは日本の「社会正義」に対する現状はどうなっているだろうか?
ちなみに、世界経済フォーラムが2006年より公表している世界各国の男女間の不均衡を示す「世界男女格差指数」(Gender Gap Index)の2012年の順位など見ると、日本は調査対象142カ国中で101位と下位にあり、連合調べによる『ディーセント・ワークに関する調査』(※5:「人事ネットワーク/日本の人事部」のここ参照)など見ると、・ディーセント・ワークの認知率 11.7%、「内容を知っていた」のはわずか1.7%と、これらに対する認知度も非常に低い。
日本は、1975年から政府、労働者、使用者の三者すべてがILO常任理事となっており、理事会における議席を占めているものの、国内では、派遣業界がILO勧告を守らないなどといった例も数多く見られるようだ(“人材派遣市場の現状”などは※5:「日本の人事部」のよくわかる「人材派遣」講座“ 2、 人材派遣市場の現状”など参照)。
Wikipedia.によれば、ILOが採択した184条約(失効5条約を除く)のうち、日本が批准しているのは48条約で、わずか四分の一に過ぎず、以下は日本の主な未批准条約である。
1号条約(一日8時間・週48時間制)、47号(週40時間制)、132号(年次有給休暇)、140号(有給教育休暇)などの労働時間・休暇関係の条約。
1998年のILO新宣言(「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」で「最優先条約」とされた8条約のうち、105号(強制労働の廃止)、111号(雇用及び職業における差別待遇禁止)の二条約。その他、3号(母性保護)、 94号(公契約における労働条項)、97号(移民労働者)、103号(母性保護、改正)、148号(作業環境)、151号(公務労働者)、 155号(労働安全衛生)、157号(社会保障の権利維持)、158号(使用者の発意による雇用の終了)、171号(夜業)、173号(労働者債権の保護)、175号(パートタイム労働)、177号(在宅形態の労働)、183号(母性保護)など。
日本では特に、労働時間関連(※6参照)、母性保護関係(3本の母性保護に関する条約、第3号、第103号、第183号の母性休業の最低期間についても規定する)を一本も批准していない。雇用形態についての条約批准に消極的である傾向がうかがえると言う。
連合、全労連など、日本の労働団体はこれら未批准の条約の早期批准を求めているようだ。「いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となる」とILO憲章に書かれているとおり、日本もILOから早期批准を求められている。
ILOの言うところの「社会正義」は、理想であり、これを完全に実行するには難しい面もあるだろうが、先に書いたような内容や以下参考※7:「暴露 派遣業界」や※8:「学生を潰す「ブラックバイト」の厳しく過酷な実態」など見ていると、何か自分の国では都合の悪いことは野放しにして、ほかの国には、支援支援と言って金だけは出している国?・・・といった感じがしなくもなく、ちょっと嫌な感じもするが、現役から離れた私など、実情について余り詳しくは知らないのでこの問題はこれくらいにして「,社会正義」について少し考えてみよう。

Wikipediaによると、「社会正義」(英語:Social justice)とは、正義を社会において応用した概念であり、社会的公正とも呼ばれる。…とあるが、じゃ~、その「正義」とは何だろう?
「正義」という言葉を聞いて、最初に浮かんだのが、テレビで人気の杉下右京(水谷豊)が係長を務める警視庁内の窓際部署「特命係」を舞台にした刑事ドラマ『相棒』の2作目の映画『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』である。
本作は警視庁が舞台となり、そこで各部の部長・警視総監以下12人の幹部たちが人質となる人質篭城事件が発生することからストーリーを展開、ラストには『相棒』シリーズを揺るがす衝撃の結末が描かれる。杉下はあくまでも真実と正義に固執する。そして、劇中で小野田官房長(岸部一徳)と右京、神戸(及川光博)が最後に交わした会話が次のようなものである。
●以下の動画の最初の部分に出てくる(小野田の2回目の言葉から)。時間があればちょっと覗かれるとよい。



小野田:「この国の警察をよくするために、個人がどうのと言っているヒマはもはやないんだから」
右京 :「大局的見地というわけですか?」
小野田:「そうだ。そんな目で見る。わかってますよ。多少やり方が強引ってことは。当然、自覚はあるんだから。自分が全面的に正しいなんて思っていない。そもそも全面的に正しい人間なんてこの世にいない。つまりお前だって間違っている。なのにそれを自覚していない分、質が悪い」
神戸 :「それが官房長の正義ですか?」
小野田:「正義の定義なんて立ち位置で変わるものでしょう。まさか絶対的な正義がこの世にあるなんて思ってる?」

上記のように小野田が 右京を酷評しているが、右京の言動は間違いなく正義だろう。法律や道徳など、人間が守るべき規範に照らせば、右京は常に正しい。しかし、警視庁を警察省へと格上げをしようと画策している小野田がやろうとした人事一新による警察の全面改革も、大きな歴史の流れで見たら正解なのかもしれない。もし、右京が真相解明をすることによって、警察の改革が頓挫したら、警察はますます腐敗し、官僚的になり、機能しなくなるかもしれない。
大きな改革のためには、小さなものを切り捨てでもしよとする小野田。それに対して、一警察官として、真相解明をするにあたり、どんな小さなものでも犠牲にしてはいけないと考え行動する右京の行為。結局、この作中では『不慮の事態』の勃発で二人の正義のどちらを是とするべきなのか、結論が出ないうちに終わることになったが・・・。
この映画には「あなたの正義を問う」という主題が掲げられているが、作品を見た人はどちらの正義に共感しただろうか。何が善で、何が正義か?それはその立ち位置によって変わってくる難しい問題だろう。
この作品に登場する妖怪じみた小野田を葬ったのは、彼の理想実現の生贄にされた(表向きは体裁を整えた免職処分)三宅貞夫という生活安全部長であった。明哲な論理でも高邁な正義でもない、矮小な私噴に基く暴力だけが小野田公顕という妖怪を仕留めることができた。個人が巨大な組織に対抗する手段が、テロリズムに近い暴力しかないとしたら・・・・、それは、あまりに切ない話なのだが・・・。
思い起こせば、歴史上にはこんなこともあった。

6か月にわたるパリ講和会議の結果として締結されたヴェルサイユ条約によって、第一次世界大戦は公式に終了した。そもそもこのヴェルサイユ条約は、その制定に際してアジア・アフリカの解放という大義名分が掲げられ、民族自決と軍縮は、次の大戦を回避するための最低限の条件を整えるという考えの上に成り立っていたのだが、実際には、第一次世界大戦が過去に類を見ないほど多大な損害を生み出した戦争となったため、戦勝国の敗戦国への報復的とも言える賠償条件を含んだ賠償規定ともいえるものになっていた。その結果ドイツとその同盟国は戦争を引き起こした責任として、莫大な賠償金を課せられた。
結果、この講和条約はその後のドイツ民族の住む地域のドイツ周辺国への割譲ということを含め、ドイツ国民の民族意識を傷をつけることとなり、このことがドイツ民族というものをひとつにするというアドルフ・ヒトラーを中心とする国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に政権を握らせる一因となった。そしてこれが、第二次世界大戦の要因となった(第二次世界大戦の背景参照)。

1939年ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した(ポーランド侵攻)。これにたいして、ただちにイギリス、フランスはドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発した。1940 年6月、フランスがドイツに降伏し、フランス軍はドーバー海峡を渡ってイギリスに逃れた。ヨーロッパ西部をほぽ制圧したドイツは、イギリスに降伏を迫るがイギリスは断固拒否。同年7月、ドイツはイギリス本土へ本格的な空襲を開始。.
1940年11月14日には、ナチス・ドイツによる爆撃「Coventry Blitz」の標的となり、コヴェントリー大聖堂 (Coventry Cathedral) を含む市の中心の大部分が破壊された。
英国首相・チャーチルは、事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コベントリー市の爆撃隊を見逃したとする話がある(※9参照)。
暗号の解読の事実は最重要機密として扱われ、その存在が明らかになったのは、戦後30年も経ってからのことだそうだが、真相は、イギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが、電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたので、それがすなわちコヴェントリーであるとまではわからなかったとする説もあるようだ。その真実はわからないが、「戦争屋」といわれるチャーチル。、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コベントリー市の爆撃隊を見逃したとする話があっても不思議ではないと思っている。
チャーチルは、2002年、BBCが行った「偉大な英国人」投票で第1位(ここ参照)となっており、イギリス人からは英雄視されている。
米国のルーズベルト大統領も、日本海軍の暗号解読と無線傍受でミッドウェー作戦を事前に把握して迎撃準備を整えていたとされている(真珠湾攻撃陰謀説、※10参照)。
アメリカは当時中立の立場を取っていたが、米国の対独参戦がなければ、英国は敗北・滅亡して、欧州大陸は、ナチス・ドイツが支配することになる」と、心底から信じていたルーズベルトはこの日本の奇襲攻撃により、死傷者が出ることも、予想したうえで、日本軍が米国民を多数殺傷したことをきっかけに自衛のために戦争をせざるを得ないとの立場で、アメリカが連合国に加わって第二次世界大戦に参戦したといわれている。

二十世紀に起きた二つの大戦の戦死者数と傷病者数、破壊された文化遺産など、余りにも多くの犠牲があった。
第一次大戦は、ホーエンツォレルン家ハプスブルク家ロマノフ王朝を滅ぼし、代わりに、ヒトラー(ナチズム)や、ムッソリーニ(ファシズム)とスターリン(スターリニズム)という三つの全体主義を生んだ。
第二次大戦は、「ドイツ第三帝國」を壊滅させ、その代わり、「スターリンの支配する東欧世界」を生んだ。アジアでは、「大日本帝国」を崩壊させ、代わりに「毛沢東の中国」を生んだ。
二つの大戦で主導的役割を果たし、特に、第二次大戦では「大英帝国」の威信を賭けて、戦いを「欧州動乱」(1939年のドイツ第三帝國のポーランドへ侵攻に始まる欧州での動乱)から「世界大戦」に発展させたチャーチルは、アメリカの援助による勝利と引き替えに、世界の四分の三を支配していたといわれる「大英帝国」を第二次世界大戦後は、国力の衰退が決定的になり、また民族自決運動や独立運動もさかんとなって、「ユナイテッド・キングダム(英:United Kingdom)」(通称;イギリスまたは英国)と称される北海上の一島嶼に落としやった。

イギリスは、1940年代から50年代にかけてはアジアで、インドやパキスタンをはじめとする諸国の独立を認めた。1956年7月26日、エジプトナーセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言すると、これに反発したイギリスはフランスおよびイスラエルと共同で第二次中東戦争を起こしたものの、アメリカの介入によってスエズからの撤退を余儀なくされ、地中海紅海を結ぶスエズ運河の利権を喪失、政治的に大敗北を喫した。これによってイギリスの凋落は決定的となり、1957年のガーナ独立を皮切りに1950年代から1960年代にかけてはアフリカで植民地が次々と独立し、1970年代に入るとペルシャ湾沿岸諸国やオセアニア諸国、カリブ海諸国も独立していった。2010年代にはイギリスの植民地はわずかな数しか残っておらず、ほとんどは「コモンウェルス(the Commonwealth)=イギリス連邦)へと移行した。
また、「偽りの戦勝国・フランス」も、ドゴールが失われたプライドを粉飾したが、やがて失意のうちにベトナムとアルジェリアから撤退せざるを得なくなった。





中東イラクや、シリアなどでは今も日々、戦闘が続いているが、ついに、「イスラム国」(IS)を名乗る過激派組織により日本人が殺害される事態まで発生した。
イスラム国(IS)を名乗る過激派組織に、拘束されていた、フリージャーナリスト後藤健二さんが、それより先に同じく拘束され殺害されたと思われる湯川遥菜さんに引き続いて、殺害される様子の動画が、インターネットに公開されるという最悪の結果を迎えた。




映像では、ナイフを持った黒ずくめの男が立っており、男が英語で、日本が「イスラム国」と戦う連合に参加したことを理由に後藤さんを殺害するなどと語り、最後に「日本にとっての悪夢を始めよう」と言って、後藤さんの首にナイフを突きつける場面で映像が暗転。その後、男性の遺体が映し出された。この様な残虐な行為には日本のみならずアメリカオバマ大統領・イギリスキャメロン首相・フランスオランド大統領など各国首脳もその行為を野蛮、卑劣と熱烈批判をし、キャメロン首相などは、その行為を「悪の権化」と批判している。又、フランス・オランド大統領は「中東和平、テロ撲滅の為に日本と行動を共にする」といっているが、日本の安倍晋三首相は首相官邸で「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携していく」と語った。確かに、イスラム国の行為は野蛮、卑劣であり、同じアラブ諸国の人達でさえ、その残酷さに驚き、批判をしており、日本としても、そのような集団のこのような行為を許すわけにはゆかないだろう。
しかし、安倍首相のこのような発言内容は憲法で戦争を禁じている日本の主将の言葉としてどうだろうか。これでは、まるで、米国や英国と一緒になって、イスラム国壊滅に乗り出すような表現にとられないだろうか。その本心がどうであれ、イスラム国にとっては、日本からも宣戦布告されたような気になるだろう。日本政府は2億の援助の基本は人道支援ということでイスラム国への敵意が無いことを訴えているが、はたしてそれは整合性があるのだろうか?紛争地帯において憎しみの連鎖とも負の連鎖といえる環境下で対立している2者もしくは複数間の関係である一方に金だけ援助することは力のバランスを失うことかもしれない。日本の援助は建前上は、避難者だけに限定しているが、避難者はその支援で再度シリア、イラクに戻りイスラム国と戦う兵士や戦闘員になるかもしれない。難民にイスラム国と戦い逃れてきた兵士もいるとなれば、簡単な話ではないだろう。その兵士は幾人かを殺して逃げ延びてきたのかもしれない。安倍首相の発言は一国の首相としては、いささか感情的にすぎるのではないか。
湯川遥菜さんと云う人は何をしている人なのかあまりよく判らない人であるが、後藤健二さんはフリージャーナリストとして紛争地域の子供を取材し、“その悲惨な現実がどんなものであるかを伝えたい”一心で危険な地域での取材活動をしていた・・・と、報道番組などでは伝えられており(※11)、そのこと自体非常に立派ことだと思っている。しかし、今回は、湯川さんを助けるためにシリアに向かっていて人質となったようである。後藤さんのシリア行きについて、日本の外務省は計3回も、渡航中止を要請していたことも伝えられている。しかも、ネット上では、湯川さんと後藤さんとの間にはもっとなにか深いつながりがあるようなことも書かれているものもある(※13参照)が、その真実は、よく判らない。
いずれにしても、湯川さんは過去に、自由シリア軍
に拘束され尋問を受けるが、英語も話せず、後藤さんが通訳として交渉し解放されたことがあるようで、これが、後藤さんと湯川さんとの初めての接触であるとマスコミでは報道されていたように記憶している。この時に、湯川さんは後藤健二さんに帰国を勧められたようだが帰国せずシリアに残り、その後、自由シリア軍と行動しているところを今度は、イスラム国に拘束されてしまい、それを知った後藤さんが救出に向かって、逆に拘束される羽目になってしまったようである。
今のシリアは、アサド大統領下のシリア政府軍であるアサド軍と、シリア政府軍から離脱した将校達が結成した反乱軍である自由シリア軍とイスラム国(IS)を名乗る過激派組織のグループが三すくみ状態というか、それに、クルド人の勢力もあり、事実上は四すくみ状態での争いが起こっている(シリア騒乱)。
欧米が支持する「シリア反政府勢力」というのは基本的には、自由シリア軍を指しているようであり、他にも欧米が支持する武装組織は幾つかあるものの、自由シリア軍が中核的な組織となっているようだ。もし、湯川さんが欧米が支援している自由シリア軍と行動していたとしたら、イスラム国の側からすると、対立しているグループと行動していることになり、いわば、敵方になるわけで、その敵方の湯川さんの味方後藤さんも敵方の人間と云うことになるのだろう。
上記組織の中で最も弱体なのは自由シリア軍のようで、アサド政権軍の猛反撃にあってシリア西部の主要都市を次々と失っている。一方ISはシリア東部や北部を中心に急速に勢力を広げ、アサド政権さえも苦戦を余儀なくされている。
現在でも紛争が続いている中東地域。そもそも、このような中東問題はなぜ生じたのだろう?
そもそもこれらの問題の原因も、イギリス、アメリカ、そしてそれを支えた資本の動きにあったのではないだろうか?

世界社会正義の日 2-2 へ続く

世界社会正義の日 参考 へ

世界社会正義の日 2-2完

2015-02-20 | 記念日
かって「中東」一帯には テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族国家の「オスマン帝国」(オスマントルコともいう) という名の超どでかい帝国があった。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブルと通称されるようになる)。
同じ頃(1500年前後)に、ヨーロッパでは「大航海時代」が訪れ、「ポルトガル」 「スペイン(日本などではスベイン語の発音でイスパニアと呼称)」 「イギリス」 「オランダ」 などの国々が、まだ見ぬ世界を探求するために船を出し、貿易船と、それを襲う海賊、そして海賊を倒す艦隊が入り乱れていた。
1600 年頃になると、大航海時代は 探検航海によって世界の姿が解って来ると、その新しい世界を支配しようと、列強国が互いに争いを始める 支配の時代へと移っていき、列強間での争いを始めた。ヨーロッパの軍隊は最新の武器で武装し、世界の国々をどんどんと占領してゆき、地域住民の事などおかまいなしに領土の奪い合い合戦が起こるようになる。このヨーロッパの強国が世界中の国々を 「植民地支配」 していった事が、その後の世界の歴史に大きな影響を及ぼすことになった。

オスマン帝国の17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナハンガリーチェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んでいた。

●上掲の画像はオスマン帝国の領土(Wikipedia)。ここクリックで拡大図が見れる。
しかし、1700 年頃 から、オスマン帝国 はヨーロッパの国々との戦争に押され気味となり、徐々にアラビア半島の方に押し込まれ、1800年頃、フランス・ナポレオンの遠征によってエジプトが制圧され、北アフリカの覇権をなくし、その後も敗退を続け、1900年ごろには 「中東地域」 であるアラビア半島のみを支配する国となった。
そして、1900年ごろ中東地域で「石油が発見され、ただの砂漠だった中東地域が 「油田の宝庫」である事が判明すると、各国は一斉にこの地域の利権を求め始めた。ちょうどこの頃は、ガソリンを使ったエンジンや、灯油を使ったストーブ、街灯などが登場し、石油が求められていた頃である。
1914 年、小国同士の争いに大国が介入し、ヨーロッパを中心に起こった戦乱 「第一次世界大戦」で、オスマン・トルコ帝国 は 「ドイツ」 側として参戦するが、先にも書いたようにドイツが敗れてしまった。「石油の油田を持っている国が戦争に負けた」 ということは、戦勝国であった イギリス や フランス にとっては大きなチャンスであった。すかさず イギリス と フランス は極秘に協定を結び、中東の多くの土地を分割して支配し、これらの領土を植民地化した。この時、イギリス や フランス は、自分達の都合の良いように適当に領土分けを行ったり、互いに矛盾する外交を展開したことが、現在のパレスチナ問題クルド人問題、イスラム国問題といった、いわゆる中東問題へと繋がっていったのである。
中でも、中東問題の諸悪の根源となったのが、イギリスが第一次世界大戦の中でとった三枚舌外交と呼ばれる不誠実な外交施策であり、これがのちの中東を混沌とさせる最大の要因となった。
イギリスは第一次世界大戦中に戦後の中東問題に対して、以下の三つの協定を結んでいた。それぞれ、アラブ・フランス・ユダヤに配慮した内容であった。
1)- フサイン=マクマホン協定
1915年10月にメッカの太守であるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡の中で、イギリスはオスマン帝国打倒(対トルコ戦)への協力(アラブ反乱)の見返りにオスマン帝国からのアラブ人独立とアラブ全域をまたぐ大きなアラブ人居住地・統一国家の独立支持を約束した。しかし、これが、遂に守られることはなかった。
2)サイクス ・ピコ協定
第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれた大戦後のオスマン帝国領(中東)の分割を約した秘密協定でイギリスの中東専門家マーク・サイクス(Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコによって原案が作成され、この名がついた。主に植民地支配権と、資源利権の分配を意図したもので、フサインの蜂起(アラブ反乱)直前のことであり、内容は以下のようなもの。
シリアアナトリア南部、イラクモスル地区をフランスの勢力範囲とする。
・シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。
黒海東南沿岸、ボスポラス海峡ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする。
この協定は、先に書いたフサイン・マクマホン協定や次にあげるイギリスがパレスチナにおけるユダヤ人居住地を明記したバルフォア宣言 (1917年11月)とイギリスが相矛盾する三枚舌外交をしたとして批判された。
3)バルフォア宣言
第一次世界大戦中の1917年11月に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーである第2代ロスチャイルド男爵(ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド)に対して送った書簡で表明された。バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束している。

1921年3月21日エジプトのカイロでイギリスの当時陸相であったチャーチルの主宰により、イラクの今後の統治について検討する会議がもたれた。この会議ではベルはフランスによってシリア・ダマスカスを追放されていたファイサル一世をイラクの国王に据え、高等弁務官以下イギリス人で構成される国家評議会を廃止、アラブ人の手になる仮政府を樹立させ民政に移管するという案を持ち出した。
第一次大戦中、ファイサルの父でマッカ(メッカ)の太守ハーシム家(預言者ムハンマドの後裔と称していた)のフサインはパレスチナにおいて英仏軍とともに戦い、大戦後は論功行賞としてシリア・パレスチナ・ヒジャーズの王となる事が英仏により保証されていた。いわゆる「フセイン・マクマホン協定」だが、戦後のアラブにおける英仏の勢力圏を画定した前出の「サイクス・ピコ協定」の内容と明らかに矛盾しており、この英仏の二枚舌外交は現在に至るまで尾をひいている。サイクス・ピコ協定の内容を知らないまま、ファイサルは勇躍シリア国王に即位したもののフランスはこれを認めず、追放の憂き目をみていた。チャーチルもベルの案に賛同、本国にベルの案を打電した。
統治形態についてはまとまったものの、イラクの領土画定問題に議題が移った途端に紛糾した。クルド人(スンナ派)の北部、アラブ人(スンナ派)の中部、アラブ人(シーア派)の南部、それにペルシャ人、ユダヤ人、キリスト教徒などの地域が複雑に入り組んでいる地域の国境をどう画定するか?
ベルは上記の3つの地域で一国を構成されるべきという持論を曲げなかった。この会議に同席していたトーマス・エドワード・ロレンス(映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデルとして知られる)は、「クルド人地域のみトルコへのバッファーゾーン(緩衝帯)としてイギリスが直接統治を続けるべき」という意見を出したが、ベルはこれに耳を貸さず、ここにイラクの領土は画定された。しかし結果的にはロレンスが抱いた危惧は正しかった。そしてハーシム家の次男でファイサルの兄にあたるアブドゥッラーはヨルダン国王に配され、現在のヨルダン王室へと続く事になる。
以上のようなイラク建国の経緯から、イラクは列強の利害とベルの地政学的見解がリンクした結果、建国された人工国家であるという評価が定着する事になる。この年の6月、ファイサルはイラクに入り、そのわずか2ヶ月後にイラク国王として即位した。
ベルの意見が採用されて不自然な国境線となったことにより、クルド人はトルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断され、世界最大の国を持たない3000万人の民族集団となった。また、シリア東部からイラク西部にかけて勢力を拡大している過激派組織「イスラム国」(IS)も、サイクス・ピコ協定に怒りを抱いており、武装闘争を続ける動機の一つとされているという。
パレスチナについてはイギリスの三枚目の舌「バルフォア宣言」とのからみで結論は先送りされたが、結果的に、中東に存在しなかったユダヤ人国家イスラエルの建国を認めた宣言となり、この土地からパレスチナ人を追い出して、イスラエルが建国されることになった。
しかも、それは「国際連合」の決議に基づいておこなわれた。第二次大戦後、処理できなくなったイギリスは国連に問題を丸投げし、1947年に国連でパレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、国連関連管理地区の3つに分ける分割案が採択された。本来、その土地の人々が自ら判断する権利を持つべき(民族自決の原理)という考え方は全く無視されてしまったわけである。
このようなことを見ていると、国連の目的達成の一翼を担う専門機関だといわれるILOが唱えている「社会正義」などという言葉もなんともむなしく聞こえてくる。
これに対して、不満を持ったアラブの国々は同盟してイスラエルを攻撃するが、イスラエルは強く、アラブ連合軍は負けてしまう。そしてイスラエルはヨルダン川の西側の地区を完全に支配してしまい、元々パレスチナに住んでいた人々が難民化した結果、現在でも解決しないパレスチナ問題の原因となった。
一方、負けてしまったアラブの国々では、「いまの政府はダメだ」 という声が上がり始めた。そもそも、アラブの多くの国がイギリスとフランス(特にイギリス)の植民地政治を受けていたことから、これへの反発もあって独立しようという動きが一気に高まり、アラビア半島の多くの国が、次々と独立していったのだが・・・

サイクス・ピコ協定により、イラクはオスマン帝国から分割され、フランスとイギリスの勢力下に治められた。 1920年11月11日、イラクは国連からイギリスに委任統治され、イギリス委任統治領イラクと呼ばれることになり、イラクの政体はハーシム家の君主制となった。このとき、クウェートは切り離された。
ハーシム王家はイギリスの支援のもとで中央集権化を進め、スンナ派を中心とする国家運営を始め、1932年にはイラク王国として独立を達成した。その後、1958年共和国革命(7月14日革命)により、ハーシム君主制は終焉。
新政府はアブドルカリーム・カーシムが首相・国防大臣・最高司令官を兼任し、副首相兼内務大臣にアブドッサラーム・アーリフが就任した。
1968年アフマド・ハサン・アル=バクル将軍によるバアス党政権樹立を経て、1979年のイラン革命を切っ掛けに中央条約機構(CENTO/旧中東条約機構)が崩壊すると、中東全体が全く新しい軍事バランスに向かって動き出した。
1979年サッダーム・フセインが大統領に就任。フセイン政権の下、イランとイラクとの国境をめぐり、イラン・イラク戦争(1980年9月ー1988年8月)が勃発。続いて、クウェート侵攻湾岸戦争(1991年1月ー2月)等が行われた。
湾岸戦争の後にイラクが受諾した停戦決議(決議687)において、イラクは大量破壊兵器の不保持が義務づけられていた。これを確認するため、国連査察団が送られたが、イラクは査察に非協力的とされ、大量破壊兵器を保有しているとの疑いが持たれた。
その後、2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生した。 これをきっかけに、アメリカ政府は対テロ戦争を宣言し、まずはイスラム原理主義ターリバーンを排除するためにアフガニスタンに侵攻した(不朽の自由作戦)。
続いて、2003年3月19日、国連決議に反して大量破壊兵器を保有しているとの疑いで、アメリカとイギリスの連合軍はイラクに対しての開戦を宣言(イラク戦争)。4月にはバグダッドが事実上陥落,フセイン政権は崩壊した(イラク戦争の年表参照)。

●上掲の画像は、倒されるサッダーム・フセイン大統領銅像である(Wikipedia)。
重いロープを首に巻きつけてイラク市民の歓声の中へと引き摺り下ろされる。この映像は世界中に流され、メディアは、4月9日を"VI(Victory in Iraq)Day"と呼び始めていた。

2004年6月、イラク暫定政権が発足し、2005年1月に選挙を行い、 2005年4月、イラク移行政府が発足した。
ブッシュ大統領は2005年5月1日、イラク戦争から帰還中の空母エーブラハム・リンカーンの艦上からテレビ演説し、「大規模戦闘の終結宣言」を行い、「国民解放」を強調している。
■大統領演説の骨子は以下の通り(※14参照)。
一、 イラクでの主な戦闘作戦は終結し、米国と連合軍は敵を圧倒した。我々は自由の大義と世界の平和のために戦った。
一、 我々はイラクの危険な地域に秩序をもたらす。政権の指導者を追跡している。
一、 隠された化学・生物兵器の捜索を始めた。調査すべき数百カ所を把握している。
一、 独裁から民主主義への移行には時間がかかる。任務が完了するまでイラクにとどまる。
一、 イラク解放はテロとの戦いにおける決定的に重要な前進だ。
一、 我々はアフガニスタン、イラク、パレスチナに自由をもたらす決意がある。 ・・・と。

しかし、その後もテロなどによる死傷者は後を絶たず、同年9月にすでに戦闘中の死者数を上回り、06年8月23日現在、その数は2839人、負傷者は1万9609人に上る(CNN電子版)。イラク民間人の死傷者はその10倍以上とみられている。
戦後は2003年5月から米英の暫定占領当局(CPA)が統治し、同年7月イラク人によるイラク統治評議会が発足、2004年6月末イラクに主権が移譲されたが、治安は相変わらず悪く、当初多国籍軍や外国・国際機関などの民間人が人質やテロの標的となっていたが、治安維持の主体がイラク正式政府になるにつれて、スンニ派とシーア派の対立が激化しており、有志連合軍がイラクに侵攻してから10年が経った今日、イラク国内では内戦に陥りつつあり非常に多くの多くの死傷者が出ていることが指摘されている(※15参照)。
その原因は、国防総省から統治を引き継いだCPA当局代表ジェイ・ガーナーは、イラク国家運営にはフセイン政権下で要職にあった旧バアス党員やスンナ派勢力の協力が不可欠と考え、戦犯をサッダーム・フセイン一族と側近にとどめて、しばらくはフセイン体制を維持したまま、ゆっくりと改革していこうと考えていたそうだが、性急な体制変革を望むブッシュ政権や国防総省、イラク国内のシーア派やクルド人勢力はガーナーの方針に反発、彼は1か月で解任され、後任のポール・ブレマーは就任すると、本国や国内勢力の意を受け、元バアス党員すべてを公職追放した。
官公庁職員・警察官・消防士・軍人など、フセイン時代からの公務員は概ねバアス党に登録していた為、国家機能は失われてしまった上、これらの人材が今勢力を拡大しとるイスラム国(IS)など武装勢力に加わる結果となった。
また、公職や高級な職種についていたのはサッダームに厚遇されたスンナ派に限られていた為、これらを追放すると、失業したスンナ派住民と、それまでの抑圧の恨みを持ったシーア派・クルド人の軋轢が増し、過度な衝突を招いた。
国家運営は、連合軍や連合国の人材が当初から少なすぎたことが災いし、各地で武装勢力や宗教勢力が自治組織を運営して勢力を拡大。当局はクルド人の自治権を大幅に拡大したが、クルド自治区はイラク軍とは別の武装組織が治安維持を行い始め、治安は良いものの、半独立国の様相であり、クルド人組織も独立を望んでいるが、大量のクルド人を抱える周辺諸国は逆に危機感を募らせている。
「内戦状態」といわれるイラクの主要因を生み出したのは、このCPAのおこなったフセイン体制の一掃でもあるが、それを支持したブッシュ政権の失敗でもある。

2001年1月に発足したブッシュ政権は、2001年9月11日の同時テロを、先代(父)のジョージ・H・W・ブッシュ政権時から懸案だったイラクを叩く好機と捉え、素早く動いた。つまり、始めにイラク攻撃ありきといったきらいがある。
イラク戦争でアメリカの勝利をイラクの「解放」とよび、「イラクに自由が訪れた」と誰よりも喜んでいるのはブッシュ政権中枢に食い込んでいるネオコン(「ネオ・コンサーバティヴ」のことで、「新保守主義」と略される)とよばれる人たちだろう。ネオコンは自分達とは違った文化(異文化)を認めない人たちであるが、これをを支えているのは共和党の親イスラエル(シオニズム)政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ(イスラエル)・ロビーである。
かれらには軍産複合体と利害が近い人も多い。ブッシュの父親。ジョージ・H・W・ブッシュ政権の時代から中東の民主化構想が考えられ、ブッシュ政権のイラク戦争もそれに基いているとされている。
「9.11」同時多発テロ後の渾沌とする世界の中で、アメリカ防衛のためには、先制攻撃も辞さずとネオコンが強力に仕向けたものだろう。先にあげたブッシュ大統領の、「大規模戦闘の終結宣言」演説の骨子にある最後の言葉など、ネオコンのユダヤ・ロビーストなどが泣いて喜んだろうね~。
ブッシュ政権は、開戦の理由はイラクが無条件査察を認めないことであって、イラク国内に大量破壊兵器が存在するという理由ではないと主張しているが、開戦前にブッシュ大統領やチェイニー副大統領が「イラクは大量破壊兵器を保有している」とメディアを通して繰り返し広言していたが、開戦後に大量破壊兵器が発見されなかったことでこの戦争の『大義』が失われたという批判も多い。
イラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあったが、それを押し切った形での開戦となった。これら国々の反対の裏には人道的な反対というより、フセイン政権との関係やイラクの石油利権に絡んでいるとする意見もあるが、アメリカ事態が、イラクでの石油利権を確保するとともに、2000年ユーロ の誕生を機にイラクのサダム・フセインが石油の取引代金としてドルの代わりにユーロを用いると宣言したことに対して、米国の基軸通貨であるドル防衛のためにこれを阻止する意向もあったという説がある(※16参照)。、
アメリカ国内の世論は武力介入には高い支持を与えたものの、国連の支持なしの攻撃には必ずしも国論は一致していなかったし、戦争での死傷者が多く出たことに批判も多い。また、アメリカに合わせて武力行使を積極支持したイギリス・ブレア政権では、閣僚が相次いで辞任を表明し、政府の方針に反対した。
イラク戦争後、イラク国内の内乱のほか、さらにイスラエル対ヒズボラ(レバノンのシーア派イスラム主義の政治組織、武装組織)の武力衝突も発生し、アラブとイスラエルの対立、イランの核開発疑惑など、中東をめぐる情勢は混沌としている。
そして、今、米国主導で、有志連合軍は過激派集団・イスラム国壊滅を目指し空爆から地上戦に入ろうとしている(※17)。
この動きに抵抗してのことだろうか、イスラム国(IS)は2015年2月15日に、リビアで誘拐したエジプトのキリスト教の一派コプト教徒(コプト正教会参照)21人を一斉に殺害したとする映像をインターネット上で公開した(※19参照)。ISが、シリアやイラクの支配地域以外で、誘拐した多数の外国人を一斉に殺害したのは初めてのこと。ISは、2010 年にエジプトでイスラム教への改宗を妨害され、コプト教会で拷問を受けた中部ミニヤ県の女性の報復だと主張している。リビアでは2011 年にカダフィ独裁政権が崩壊した後、反カダフィ派が世俗派やイスラム主義者に分裂し、武力闘争を続けている。ISはその混乱に乗じて、東部デルナや中部シルトに進出し、訓練キャンプも設置。豊富な石油資源を狙っているとの見方もある。
これに対して、エジプトは16日朝早くにリビア国内の過激派組織「イスラム国」の拠点を空爆したと発表した。今まで、中東屈指の軍事力を誇るエジプトは、米国主導の対ISの空爆などの作戦には参加していなかったが、この事件を契機に国外で軍事行動に踏みきる可能性もある。
イラクやシリア以外の地域でもISの活動が活発化しそう。ますます混沌としそうだ。あの「アラブの春」はなんだったのだろうか・・・・?

ブッシュはイラク戦争に勝ち「我々は自由の大義と世界の平和のために戦った。 」などと、勝利宣言をしているが、そこには、どんな正義があるのか?
正義」の裏には「価値」の絶対性を主張する論理があり、その論理の後ろには、必ず「利権」がある。アメリカは「大量破壊兵器を保有するテロ国家をやっつける」という「正義」を掲げてイラクに侵攻したが、大量破壊兵器は出てこなかった。イラク戦争の背景が結局は、「お金」と「石油」だったことは、今では誰でも知っている。西洋のほかの国も同様である。
弱いものを犠牲にすることで先進国ビジネスが成り立っているのなら、永遠に世界の平和などつくれるわけはないだろう。
ILO憲章でも「労働は商品ではない」と高らかに歌い上げているが、今、イスラム過激派のなかには、自らの体にダイナマイトを巻きつけて自爆する女性までいる。この悲しい現実はいつなくなるのであろうか。このようなテロ行為が起こる根本原因には貧困が大きいだっろうが、そのような貧困者を生み出しているのは人間の持って生まれた性「貪欲さ」ではないだろうか。・・・これが少しでも抑え、貧しい人の方に回るようにしてあげれば、その分幸せな人が増えるはずなのだがが・・・。欲には限りがないのだろう。

最後に、チャップリンのトーキー映画『独裁者』のラストを飾る壮絶な演説を思い出した。この映画、タイトルの通り、アドルフ・ヒトラーとナチズムの風刺が主なテーマである。
ヨーロッパの大国トメニアの独裁者ヒンケル(チャップリン)は、世界征服とユダヤ人排斥を旗印に、世界に君臨しようとしていた。一方、ユダヤ人のゲットーの床屋であるチャーリー(チャップリン)は、ヒンケルと容貌が似ていた。そして、ふとしたことからチャーリーがヒンケルに間違われてしまうのである。そして、最後に、チャップリンがこの映画を通じて全世界の人々へ最も伝えたかったことが語られる。それは私の言いたいことでもあり、これを聞いて、このブログの締めとして下さい。




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世界社会正義の日 参考

2015-02-20 | 記念日
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参考:
※:1:ILO駐日事務所
http://www.ilo.org/tokyo/ilo-japan/history/lang--ja/index.htm
※2:ILO広報誌:歴史の中のILO
http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---asia/---ro-bangkok/---ilo-tokyo/documents/article/wcms_249577.pdf#search='%EF%BC%A9%E2%85%AC%EF%BC%AF+%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%AE%E6%97%A5'
※3:世界社会開発サミット - 国連広報センター
http://www.unic.or.jp/files/summit.pdf#search='%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88'
※4:国際労働機関(ILO)の概要-外務省国際機関人事センター
http://www.mofa-irc.go.jp/link/kikan_ilo.html
※5:人事ネットワーク/日本の人事部
http://jinjibu.jp/
※6:なぜ日本政府はILO第1号条約(8時間労働制)を批准できないのか
http://www.jitan-after5.jp/essay/es020511.htm
:※7:暴露 派遣業界
http://bakurohakengyoukai.blog.fc2.com/
※8:学生を潰す「ブラックバイト」の厳しく過酷な実態 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2137601988394393401
※9:善悪の彼岸/ウィンストン・チャーチル
http://inochi.jpn.org/hitoiki/H05.htm
※10:TEL QUEL JAPON The Coventry Blitz: Churchill 悪玉論(3)
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-143.html
※11:常に現場に… 後藤健二さんの思い - NHK 特集まるごと - NHKオンライン
http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2015/02/0202.html
※12;後藤健二さん:世耕氏「外務省が計3回、渡航中止を要請」 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20150203k0000m010110000c.html
※13:後藤健二さんの美談化に違和感..シリアに行った理由は何だったのだろう
http://critic20.exblog.jp/23360557/
※14:ブッシュ米大統領が戦闘終結宣言 国民 - 日本財団 図書館
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00484/contents/060.htm
※15:内戦状態に陥りつつあるイラク - IPS Japan
http://www.ips-japan.net/index.php/news/politics-confict-peace/1891-iraq-glides-towards-civil-war
※16:イラク戦争の真の目的とは? 民主主義? 石油? - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140223124680275001
※17:画像 : 対イスラム国空爆!! 有志連合軍地上戦突入か!?世界に広がるISの脅威!
http://matome.naver.jp/odai/2141165356858495801/2142409847574749703
※18:テロの立役者は先進国の武器メーカーである
http://blogs.yahoo.co.jp/yrtrb512/17260919.html
※19:「イスラム国」:リビアでエジプト人21人殺害映像 - 毎日新聞 - 毎日jp
http://mainichi.jp/select/news/20150216k0000e030144000c.html
世界の現状|NGOを支援するNGO 国際協力NGOセンター(JANIC)
http://www.janic.org/world/
ポーランド - 共同通信 記事データベース-スマホ版- 47NEWS
http://www.47news.jp/smp/blog/OUT/200305/OUT_GEO/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89.html
中東問題がどうしてこうなったか歴史的経緯がよく分かるまとめ - NAVER
http://matome.naver.jp/odai/2138032922997955501
世界の現状|NGOを支援するNGO 国際協力NGOセンター(JANIC)
http://www.janic.org/world/
ILO「労働は商品ではない」 原則の意味するもの - 早稲田大学(Adobe PDF)
http://www.waseda.jp/w-com/quotient/publications/pdf/wcom428_06.pdf#search='%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%AE%A3%E8%A8%80'
BPエネルギー統計レポート2014年版解説シリーズ
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0325BpOilGas2014.pdf#search='bp%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%81%A8%E3%81%AF'
社会正義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%AD%A3%E7%BE%A9

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NISAの日

2015-02-13 | 記念日
日本記念日協会に登録されている今日・2月13日の記念日に「NISAの日」がある。
NISA (=ニーサ)とは、2014(平成26)年1月から始まった株式投資信託への投資(新規購入分)によって利益が生じた場合。その値上がり益(キャピタルゲイン。(※1参照)や、分配金または配当金(=インカムゲイン※1参照)は、年間100万円(2016年から120万円)を上限に,最長5年間、非課税にする制度,、「少額投資非課税制度 」の通称である。
記念日登録は、年金加入者が自分の責任で資産形成のための賢い選択を行えるように、その効果的な教育を中立の立場で支援する特定非営利活動法人「確定拠出年金教育協会」(※2参照)が制定したものだそうだ。2014年から新しく、NISAが始まることを記念し、その内容を広めるのが目的だそうで、日付は2と13で「ニーサ」と読む語呂合わせから。

「NISA」が始まって1年経った今、もう、殆どの人が「NISA」のことはご存知ですよね。
この制度を利用するには,銀行や証券会社等の金融機関にて、NISAが適用される専用口座(非課税口座)を、通常の取引口座とは別に開設する必要がある。
利用できる上限の年間100万円(2016年から120万円)という金額は、その1年間で行うことのできる新規投資の上限額であり、年の途中で売却しても、空いた枠は再利用できないが、投資可能期間は2014年から2023年までの10年間続き、毎年新規に年間の投資上限(2016年から120万円)の非課税枠を使うことができる。ただし、NISAを利用できるのは、NISA向け口座を開設する年の1月1日において20歳以上の日本の居住者である。・・・等、様々な条件はあるものの、現在キャピタルゲインやインカムゲインに対する20%(2014年度からは、新たに復興増税も加わってくるため、税率は20.315%)もの課税が非課税になるというメリットは大きいので利用しない手はないのだが、皆さんは利用されていますか。
昨・2014年1月から開始されたNISAの口座獲得競争はすごかったですよね~。金融業界にすればかってあった「マル優制度」に匹敵する程、対象者数が多い制度なので、勢い口座獲得に力が入るのはわかるのだ、その口座獲得競争は、既に投資を行っている人を囲い込む、または飴をちらつかせることで他の金融機関から顧客を奪い取る陣取り合戦のようにも見え、非常に違和感を感じたものだった。
事実、現在はどうなっているのかよく知らないが、金融庁が昨年9月に発表したNISAの最新統計「NISA口座の利用状況等について」(※3:金融庁HPの“ここ 参照)によると、2014年6月30日現在で、「NISA総口座数は、727万3667口座となった。」・・・とあるが、その58,4%は60歳代以上の高齢者で占められている。
近年、非課税などのインセンティブが与えられてきた制度は、確定拠出年金制度(「日本版401k」とも言われる)のような勤労者(公務員は除く)を対象としているものばかりであり、専業主婦やリタイア世代を対象としていなかったが、NISAは、満20歳以上で住民票が取れる人は誰もが対象となるのだから、先に述べたようにマル優制度並みのインパクトはある。
同制度導入では、本来は、広く、今まで投資を行ってこなかった人をいかに投資に振り向かせるのかが大事なはずなのだが、実際には、対象者の数は膨大ではあっても、利用者の多くは相変わらずこの制度を利用して投資を行っている人のようであり、違和感はそのような「既投資家」という限られたパイの中での陣取り合戦を行っている風に見えた。
「貯蓄から投資へ」と言う言葉が何年も語られ続けているが、日本の場合、一向に個人のお金が投資に回らず、預貯金や国債などの成長が期待できないセクター(証券業界の用語で「業種」を指す)に滞留し続けているのが特徴である。

日本の財政収支GDP比)は近年改善してきたとはいうものの、2008(平成20)年秋以降の世界同時不況の影響により、主要先進国と同様に赤字幅が拡大しており、日本の総債務残高(GDP比)は主要先進国の中で最悪の水準にあり、純債務残高(政府の総債務残高から政府が保有する金融資産を差し引いたもの)で見ても、主要先進国で最悪の水準となっている。
また、この20年間(失われた20年と呼ばれる)で、日本の政府総支出(対GDP比)は増加している一方租税負担率の水準は大幅に低下したことに伴い、財政収支は大幅に悪化している(※4:「財務省:わが国の財政状況」の4. 財政事情を諸外国と比較してみると?参照)。そのため、その改善策の一環として、2014年4月から消費税も引き上げられた(※5:厚生労働省HP社会保障・税一体改革参照)。
そのようななか、投資や資産運用で得られる利益を非課税とするNISAについては、〝金持ち優遇政策ではないか〟・・・といった印象が拭えないところがある(※6参照)。
もともと、NISAは、低迷していた株式市場を活性化しようという、一種の景気対策として、キャピタルゲインやインカムゲインに対する税率を20%から10%に引き下げていた株式や投資信託に対する「軽減税率」を2014年1月から撤廃し、元通りの20%に戻すことが正式に決まった際、その影響で株式市場が下落しないよう、株式市場へのダメージを和らげる予防措置的な制度として策定されたという経緯がある(※7参照)。
もう一つ重要な導入の背景には、日本銀行が事務局を務める金融広報中央委員会が、毎年11月に公表している「家計の金融行動に関する世論調査」の2014年版の「単身世帯、2人以上世帯の調査結果」に見られる通り、金融資産の平均保有額は1182万円と2013年と比較して81万円増加し、金融資産を保有していない世帯も2014年は、30.4%とやや減少(2013年は31%)したとはいえ、金融資産保有ゼロ世帯が3割を超えている現状。つまり、預・貯金がまったくない世帯が増加しており、資産格差がなかなか縮まらないことが窺えることである(※8の調査結果の一括ファイル参照)。
こうした状況を踏まえて「金融資産ゼロ世帯を始めとした家計の資産形成をサポートする必要性が生じてきた。」ことは、金融庁の「金融商品取引業者等向けの総合的な監督指針」Ⅳ-3-1-2 勧誘・説明態勢」にも明示されている通りである。
そもそも、NISAは、1999(平成11)年からスタートした、イギリスの「ISA」(Individual Savings Account= 個人貯蓄口座。愛称アイサ)という制度を参考にして作られた制度であり、Nは日本(Nippon)を意味している。
しかし、イギリス発祥の「ISA」と日本版「NISA」には、相違点が多い。共通点としては、株式や投資信託が購入対象であることや、配当・分配金・譲渡益が非課税であることなどであるが、一方、ISAでは預貯金や公社債も購入出来るがNISAではできない。また、ISAには運用期限が無いこともNISAとは異なる。そして、ISAはイギリス国内に居住している人であれば国籍に関係なく誰でも口座が開けるため、利用者も多く、イギリスの金融市場では20兆円以上を動かしていると言われているそうだ。
またISAの利用層も広く、利用者の半数以上は年収2万ポンド未満(約300万円未満)と言われており、少ない資産でも運用できるという利点が既に広く支持されているという。
ただ、日本のNISAは、先に書いた目的や背景を基に、イギリスのISAをアレンジして導入したものだが、イギリスのISAに比べ、使い勝手の悪いものである。
NISAは、「金融資産を保有していない世帯の自助努力による家計の安定的な資産形成を支援するとともに、経済成長に必要な成長資金の供給を拡大する」目的で導入したものだが、私など、穿(うが)った見方をすると、「国民が長年コツコツとため込んだ莫大な預貯金やタンス預金を、低迷している株式や投資信託などのリスクアセット(=リスク資産。※1参照)市場に投入させ、市場経済の活性化と、それによる企業活動の活性化を期待する」ことを目的として導入したもの。つまり、国民の資産形成の支援の為と云うよりも、あくまでも、市場経済・企業活動の活性化を目的として導入したもの・・といった印象が拭えないのである。
私自身は、「NISA」が導入される以前より、金融資産は、預・貯金だけでなく、株式や投資信託等へもバランスよく配分していたこともあり、証券会社からも勧められ、「NISA口座」の開設は、家人名義も含めて早々にしてはおいたものの、結局、今でもNISAでの購入はせず今まで道りに普通口座を利用している。
理由は、私自身高齢であり、手持ちのものを何時売却・処分しなければならないかわからないし、損失が発生した場合、NISA口座と、普通口座のものとで利益と損失の相殺ができない不便さがあるからである。証券会社の人に聞くと、私の様に口座を開設しても利用していない人は結構多いという。
日本版NISAの問題点などは以下参考の※9:「イギリスISAとの比較から学ぶNISAの制度の問題点」に詳しく書かれているので参考にされると良い。また、以下では、NISAについての特徴や、銀行か証券会社に作るか?証­券会社は店舗かネット証券か?などの比較、投資信託等の口座開設する前にメリット・デ­メリットをわかりやすく説明しているので、時間のある人は見られるとよい。


世界の中でも類を見ない預・貯金好きの日本人。あまりリスクを大きくしたくないという人にとっては、イギリスで人気の高い「預金型ISA」に関心が深いだろうが、現状では「預金型」を導入してもあまり意味がないと言えるかもしれない。理由は、あまりにも低い日本の預金金利にある。毎年いくらかの年利が振り込まれたとしても、よほど高額な場合はともかく、大抵の場合、ATM手数料で差し引きされてしまうくらいの額であり、家で現金を保管する危険性が回避できると言った程度のメリットしかない。これを非課税にしたところで、これによって、預金を増やそうというほどの気持ちにはなれないだろう。
しかも、先に述べたように、政府のNISA導入の動機は、日本人が貯めこんだ預・貯金等をリスク市場へ投入させ、史上を活性化させたい・・・という気持ちの方が強いので、日本で「預金型NISA」が導入されるのは、まず当面期待できないだろうし、金利が上昇するまでは、導入されてもあまりメリットはない。
ただ、イギリスのISAも1999年に導入されて以降、長い年月をかけて進化してきた制度であるが、日本のNISAは導入されたばかり、今のところ2023年までの限定措置なので、これが、イギリスのように経済の活性化につながり、利用する人が多くなってくれば、日本でも年間の限度額改定や 期限も延長もしくは恒久化されるなどの可能性はあるだろう。

日本では、昨・2014年4月の消費税増税に続き、今年1月には相続税率も引き上げられた。
それに、アベノミクスにより、デフレから脱却のためのインフレ政策が掲げられ、日銀はインフレターゲットを2%と定め通貨流通量(マネーサプライ)を増やし、円安を誘導していることから、輸入物価が上昇、電気ガス等公共料金をはじめ低所得者にはつらい食料品をはじめとする諸物価がどんどんと上昇している。
このようなインフレが続くと、表向き、生活は苦しくなるが、かつては基本的には物価上昇と並行して金利水準も上がっていたため、預貯金をしておけば、利息収入も増えて、ある程度は物価上昇分を相殺できた。
ところが、今私たちが直面しているのは、物価が上昇しているにもかかわらず、政策金利は抑えられ、現在ではほぼゼロ%といった状況である。つまり、インフレ率と預貯金金利等の差がマイナス金利となっている。言い換えれば、私たちが長年コツコツため込んできた預貯金=貨幣価値がどんどん下がっているのである。
しかし、このような状況が継続的に続くインフレ下では、借金をしても実質負担が減る。つまり、土地や建物などの不動産を持っているが、借金などマイナス資産を抱えている人たちにとっては逆にプラス要因となる。
例えば、銀行やゼネコンが抱えている不良債権の名目債権額は変わらなくても、実質債券額は目減りするだろうし、利益を目的に、多額の借金をして、株式や不動産・設備などへ投資している一流企業、金融機関、それに個人でも、余裕資金を多く持っている一部の金持ちなどは、その借金の元本の目減り分が非常に大きく、投資資産はインフレで上昇するので大きく儲けることが出来るだろう。
そして、先にも述べたように、債務危機に直面したイタリア(GDPの1,5倍)よりも財政状況が悪化し、国内総生産(GDP)の2.3倍もの債務残高を抱えている日本政府(※10を参照)にとっても目先的には、都合の良いことなのだろう。
このように、インフレの進行によって、貨幣の価値が下落する一方で、金利を意図的に低く抑える政策、つまり実質的に民間から政府への所得移転が起ることを「インフレ税」と呼んでいるが、こんな言葉知っていますか。実際に税金が課税されるのではなく、インフレーションによって財政赤字を解消させることである。
税金と言っても、所得税や消費税の様に税率をいくら上げるかを国会で審議する必要もなく、政府は貨幣の発行特権(シニョレッジ)を持っているので、財政赤字を埋めるために通貨を大量発行すればインフレとなり、民間が保有する貨幣価値が実質的に下がり、その分、政府や債務者の債務は実質的に目減りするという仕組み。民間から政府への所得移転が起こる。
日本政府の債務残高が経済規模の2倍を超える水準にまで積み上がった経験は、過去にも存在する。第二次大戦末期の1944(昭和19)年末には、政府債務のGNP比率は204%に達していた。これは、巨額の戦費を税収だけでは賄うことが出来ず、国債発行で財政赤字をカバーしていたからである。このときには、戦中戦後に発生した高率のインフレより、数年間で政府債務の大半が帳消しにされてしまった苦い経験がある(※11や、日本の財政問題参照)。
国家が最終的に莫大な財政赤字を解消するには、戦争で債務をチャラにする以外、通常は、以下の3つの方法しかないだろう。
1)デフォルト(債務不履行)に陥る。
2)財政再建を断行し債務を減少させる。
3)激しいインフレによって債務を目減りさせる。
このなかで、欧州が今、真剣に取り組んでいるのが、2)の財政再建という、最もポピュラーな方法である。借金をしてしまったものは、支出を減らしつつ、一生懸命働いて返済するしかないのであるが、歴史的には、莫大な財政赤字を抱えた国家は、結局、1)のデフォルトに陥る(1998年ロシアや、2001年アルゼンチンなど)か、もしくは3)の激しいインフレによって莫大な財政赤字を解消させてしまうパターンがよくとられる。
世界に類を見ない財政赤字を抱える日本の財政改革は待ったなしの状態にあり、そこで選ばれたのが、2%の物価目標を設定し、政府・日銀が連携を強化しての、場合によっては、政府や日銀、民間が出資するファンドによる外債購入も視野に入れた「無制限の金融緩和」策による円安誘導政策である(※12参照)。
ただ、安倍政権では、これらの複合策を行えば、一定の成果を出すことが期待出来ると考えているようだが、日本が量的な金融緩和政策だけでは景気回復ができるかどうかは賛否分かれるところである。
確かに、米国では量的金融緩和政策が終了し、利上げへの移行が具体的に考察される局面を迎えており、米ドル、株価が堅調に推移してきたが、ギリシャ総選挙で緊縮財政反対の最大野党が勝利して後、リスク資産への投資が敬遠され、一進一退を繰り返しており、まだまだ先行きは不透明である。
それに、インフレを目指してきた米国では、一部のアナリストによれば、米国の富が上位1%の富裕層に集中していると指摘しているが、2014年 09月米国FTB調査の報告によれと、実際には上位3%の富裕層に集中していることが分かった・・という。そして、2010━2013年の期間に、米国の家計所得(インフレ調整後)は平均でおよそ4%増加したものの、所得の伸びは富裕層に集中し、上位3%の富裕層が所得全体に占める割合は30,5%だった。また家計純資産の保有状況ではさらに格差が拡大。上位3%の富裕層が全体に占める割合は、1989年の44,8%、2007年の51、8%から2013年には54、4%にも上昇しているという(※13参照)。一方で、飲食業界などの勤労者は低賃金。医療サービスや大学の授業料は値上がりし、貧富の格差を示すジニ係数は日本よりかなり高い。
インフレ政策による財政赤字の軽減が、上手くいけばそれに越したことはないのだが、それには安倍首相が言っているように、いくつか条件がある。まず景気回復が伴わなければならない。株高や円安によって日本を代表する国際優良企業が業績を回復してくれば、サラリーマンの賃金のベースアップが行われ、それによって、個人消費が上向く。そして、日本経済低迷の元凶である「需要不足」を解消できるかもしれない。
しかし、2015(平成27)年1月30日に発表された家計調査(ここ参照)でも、景気のカギを握る個人消費は深刻な減少を続けているし、勤労者世帯の実収入も名目増加しても、実質は0.8%の減少となっているなど、インフレになっても大企業は別として特に中小企業ではなかなか賃金アップは追いつかない(※14参照)。インフレが成功して、国家の財政赤字は解消させたとしても、勤労者の所得が比例して増加するわけではなく、生活自体は苦しくなっていく人が多くなるのだ。それに、もし、景気回復が実現できなくなったときには、円安、インフレ、債券安(金利高)だけが残ることになってしまう。
そんななか、少子・高齢化社会が世界に類例のないスピードで進む日本では仕事が出来、収入のある若いうちは何とかなっても、定年後の生活に必要な老後資金が確保できていないと大変なことになる。
インフレは借金しながら投資のできる恵まれた人には良いが、ただコツコツと預貯金で貯めるだけのふつうの庶民にはちっとも恩恵が及ばず、多くの国民が泣きを見ることになるが、特に蓄えのない低所得者や年金受給者などの生活は破綻しかねない。いずれにしても、インフレが続き、物価水準が上昇する一方で、このような超低金利が続くようだと、日本国内における格差問題は、今まで以上に広がっていく恐れがある。持てる者と持たざる者、そして、このような社会に対応できる者と出来ない者との格差が深刻になってゆくだろう。
しかも、日本人の平均寿命は、これからも伸びてゆくだろうし、そうすれば、医療費や介護・年金など社会保障費はますます増加するが、国も地方も社会保障費を今まで通り負担はしてゆけなくなるのは明らかである。医療や介護費の国民の負担率はますますアップし、年金の受給開始年齢も60歳から65歳へと段階的な引き上げが始まっているが、まだその先、支給開始年齢が引き上げられるかもしれなし、又、支給額も減額されるかもしれない。
そうなれば、これから60代を迎える人は、借家であれば住居費はもっとかかるようになるし、住宅ローンで持ち家のある人でも退職時に、退職金を全額貯蓄に回せる人は少なくなってゆくだろう。
総務省統計局が2013年2月に公表した『家計調査報告(家計収支編)2012年平均速報結果の概況』(※15のここ参照)資料を見ると、2012年の「総世帯」の消費支出(日常生活に必要な商品やサービスを買うために払った金額)は、1世帯あたり24万7,651円(月平均)で、2011年に比べて0.2%増えている。このうち、「2人以上の世帯」は平均28万6,169円で11%増加し、「単身世帯」は平均15万6,450円で28%減少と報告されている。
『高齢社会白書』(内閣府※16参照)や『厚生労働白書』(厚生労働省※5参照)では、65歳以上の高齢者のいる世帯を「高齢世帯」と呼んでいるが、総務省の『家計調査』は60歳以上としている。総務省の家計収支速報の「II.世帯属性別の家計収支」(※15のここ参照)では、年代、世帯人数、職業、年収などさまざまな項目ごとに家計の状況を報告しており、これを見ると、60歳以上の「家計」実収入(年金給付など)と実支出(消費支出と非消費支出の合計)を差し引きした「不足分」は以下のように赤字となっている。
高齢世帯の家計(月平均額)。
「高齢無職総世帯」(60歳以上)の場合、
実収入18万1,028円。実支出22万8,819円。不足額 4万7,791円
「単身無職世帯」(60歳以上)の場合 
実収入12万1,542円。実支出15万3,830円。不足額 3万2,288円
「高齢夫婦無職世帯」(夫65歳以上妻60歳以上)の場合 
実収入21万8,722円。実支出27万0,395円。不足額 5万1,674円
この不足分は金融資産の取崩しなどで賄われているが、今後、年金の支給額は減りこそすれ、増えることはまずありえないが、、実支出の方は増えこそすれ、減ることはないだろうから、毎月の家計の不足はもっと増えていくことを覚悟しなくてはいけないだろう。
昨年の4月1日、多くの国民の反対を押し切って消費税が5%から8%に引き上げられた消費税の増税も「税と社会保障の一体改革」だったはずなのだが税収アップ分は公共事業法人税減税などに消えてしまい、社会保障の拡充にはほとんど結びついていないのが現実のようだ(※17参照)。
そのようなことをしながら、安倍政権は政策的に、インフレで目減りする「金融資産」を取り崩して、「NISA」を利用して株や投資信託などのリスク資産を購入し、自助努力で収入を増し、老後資金を準備せよと仰っているのである。・・・本当に親切?なことだ。
今、政府・金融機関・そして年金機構までが莫大な年金積立金を使って株式や外国投信などを購入している。そして今、株も上昇はしているが・・・。この株高いつまで、どれだけ上がるのか・・・。上がった後はどうなるのか・・・?…考えるだけで恐ろしい。
しかし、老後資金の貯蓄の重要性は、今まで以上に高まっていることは確かだ。実質的にマイナス金利である預・貯金に頼っていては、老後の生活はやってゆけない。何とかしなくてならないのだが・・・。
せめて、「NISA」も無力な庶民の為にイギリスの「ISA」並みには改めてほしいものだが・・・。

参考:
※1:マネー百科:金融用語辞典
http://money.infobank.co.jp/index.htm
※2:NPO401K教育協会
http://www.npo401k.org/
※3:金融庁HP
http://www.fsa.go.jp/
※4:財務省:わが国の財政状況
http://www.mof.go.jp/budget/fiscal_condition/index.html
※5:厚生労働省HP
http://www.mhlw.go.jp/
※6:金持ち優遇 - PRESIDENT Online
http://president.jp/articles/-/14349
※7:軽減税率終了 - 楽天証券
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/info/info20131025-02.html
※8:知るぽると:金融広報中央委員会
.http://www.shiruporuto.jp/
※9:イギリスISAとの比較から学ぶNISAの制度の問題点 | ZUU online
http://zuuonline.com/archives/15169
※10:時事ドットコム:【図解・行政】基礎的財政収支の対GDP比(2014年11月)
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_yosanzaisei20141117j-03-w330
※11:日本の財政赤字の維持可能性
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/12j018.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E8%B2%A1%E6%94%BF%E8%B5%A4%E5%AD%97+%E5%A4%96%E5%9B%BD%E5%82%B5%E5%88%B8'
※12:自民経済再生案:日銀法改正含め連携、外債購入ファンド創設も (2)
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MDKAA66KLVRL01.html
※13:米国の所得格差が金融危機で拡大、富は上位3%に集中=FRB
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0GZ2O420140904
※14:日本の平均
http://jpnaverage.com/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/post-114/
※15:総務省:統計局
http://www.stat.go.jp/index.htm
※16:高齢社会白書について - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html
※17:政策解説 消費税増税分〝すべて社会保障に〟のウソ 政策部 - 兵庫保険医協会
http://www.hhk.jp/hyogo-hokeni-shinbun/backnumber/2014/0425/070003.php
危険水域にある日本の財政事情 - モルガン・スタンレー
http://www.morganstanley.co.jp/im/research/fr/121218.html
財政赤字の「ネズミ講」はいつまで続けられるか - ニューズウィーク日本語版
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2014/11/post-891.php
少額投資非課税制度 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E9%A1%8D%E6%8A%95%E8%B3%87%E9%9D%9E%E8%AA%B2%E7%A8%8E%E5%88%B6%E5%BA%A6