今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

クリスマス イブ

2012-12-24 | 行事
Merry Christmas
今日はイブ。
寒冷前線の接近により寒い寒いホワイト・クリスマスとなったようですが、せっかくのクリスマス、日本では、宗教とは関係なく、一行事として楽しく過ごしましょうね。
添付の画像は、神戸・うろこの館のサンタさん。今年、オリンピックで活躍した選手たちも勢揃いしています。
このクリスマスが終わると、すぐに正月が来ます。
私は、これから正月の松の内が明けるまでブログを休止しますが、みなさん、クリスマスの後は、休養を十分にとってとって、風邪を引かないようにし、よいお正月を迎えてくださいね。
今年は訪問有難うございました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
来年も訪問をお待ちしています。

洗濯の日

2012-12-15 | 記念日
日本記念日協会登録の記念日に「洗濯の日 」(12月第3土曜日)があった。
記念日の由来を見ると、”年末の大掃除のように、家にある布団カバー、毛布、カーテンなどの大きな物を洗い、すっきりとした気持ちで新しい年を迎えることを勧めようと、家庭用の洗剤などの洗濯用品を手がけるライオン株式会社(※1)が制定。日付は年末の掃除や洗濯の準備を始めるのが12月の3週目が多く、しっかり取り組みやすい日としてその土曜日としたそうだ。
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
よく知られている桃太郎伝説の冒頭の一文であるが、こ物語の原型が出来たのは室町時代以前と考えられている。
洗濯とは、衣類などについた汚れを洗い落とすことであり、古くは、水辺での足踏みやたたき洗いが行われた。中世に入るとたらいでのもみ洗いが普及し、井戸端でしゃがんで選択をする光景が一般化した。上図参照。
昭和初期までよく見られた家族のものに小ざっぱりとしたものを着せるための洗濯にかかわる一連の作業は家庭を預かる妻女のつとめであった。川の流れを利用した洗濯では大きなものは足踏み洗いをした。そして、井戸端でのたらい洗いは語らいの場でもあった。
石鹸は、安土桃山時代南蛮貿易で伝えられたが、江戸時代には医薬用に使用されたぐらいであった。また、戦後の昭和初期までよく見られた洗濯板は明治以降に使われだしたものである。
汚れ落としのための当時の洗剤としては、灰汁(あく)や、無患子(むくろじ)(※2も参照)、皁莢(さいかち)の実を煎じたものなどが用いられ、また、糠(ぬか)や米のとき汁などもつかわれた。
一方、着物を一度解いて生地にして洗う解き洗いという方法もあった。これは解いた生地を洗い張りの板に張って干す方法と、伸子(しんし)という竹ひごで布を広げて干す方法がある。
中世より、一部には洗濯女のような職業もあり、安土桃山時代になると、紺屋から分離、独立した洗濯士という職人が生まれている。
江戸時代に入ると、紺屋から独立した洗張りの仕事は、京都で洗い物屋、江戸で洗濁屋(せんだくや)と呼ばれる本格的専門業者に移ったようだ。
また、コトバンクよれば、日本初のクリーニング屋は、1859(安政6)年横浜本町に開業した青木屋忠七を初めとするそうで、本業は横浜に入港した船舶の荷役配送業務であったが、同時に船員の衣類の補修から洗濯までを副業としたそうだ。
しかし、横浜市中区山手町に「クリーニング発祥の地の碑」があり、その碑文には「安政6年神奈川宿の人、青木屋忠七西洋洗濯を横浜に・・・・・」と記されているが、青木が外国奉行に営業申請したのは3月であり、横浜港開港はその後の安政6年6月2日(太陽暦で1859年7月1日)のことであり、この碑分の文面の信憑性は薄いとされているようだ。外国人相手の洗濯屋は開港時から存在はしたが、本格的な洗濯業としては、文久年間に開業した、渡辺善兵衛が最初とされており、店の前を流れる小川のなかに大きい丸い石があり、外国人の衣類をその石に叩きつけて、洗濯していたという。
小島庄助、脇沢金次郎らが、これに次ぐが、近代企業としてのクリーニング業は、フランス人ドンバルの技術指導により、脇沢金次郎が始めたと言われているようだ(※3、※4参照)。
当時近隣には、フランス駐屯軍やイギリス駐屯軍が駐留していたこともあり、これらの士官や兵士たちの洗濯を請け負っていたようだ。
一方、ドライ・クリーニングは、1906(明治39)年3月、東京・日本橋にて洗濯店「白洋舎」を創業した五十嵐健治がその翌年に初めて成功したようだ。

汚れには水に溶ける「水溶性」と、水に溶けない「脂溶性・不水溶性」がある。たとえば、身体から出るなどは水溶性だが皮脂は脂溶性であり、襟など直接皮膚にあたるとこは特に脂溶性の汚れ(油汚れ)が多い。
このような汚れを取るための洗濯の方法には湿式洗濯と乾式洗濯がある。
湿式洗濯とは、水を使用した洗浄法のことをいう。現代の家庭で洗濯機に水と洗剤を入れて行っている洗濯は湿式洗濯である。
湿式洗濯(クリーニング)の長所は、水溶性の汚れがよく落ちる(水の温度を上げるとなお、よく落ち)。短所は、型崩れしやすい点である。
したがって、この湿式洗濯は、羊毛製品や絹製品などは、型くずれ、変形、色落ちしやすくなる。しかし、湿式洗濯は、水溶性の汚れをよく落とすという特徴がある。
この湿式洗濯に対して、洗濯する際に水を使用せず、油脂類に起因する汚れや垢を、溶解する揮発性(液体の蒸発しやすい性質.)の 有機溶剤を使用した洗浄法のことを「乾式洗濯(ドライクリーニング)」という。
乾式洗濯(ドライクリーニング)の長所は、油汚れがよく落ちる。衣類の型崩れや収縮がしにくい。短所は、汗やしみ(水溶性のもの)が残るのが特徴である。
このように2種類の洗濯方法には長所と短所があり、洗濯する服の繊維や汚れを考えて洗濯しないときちんと洗えない(詳しくは、※6参照)。
明治、大正の頃より、ドライクリーニング(乾式洗濯)は揮発油ベンジン等いわゆる石油系溶剤が主流であったが、これらの溶剤は揮発性が高く、引火性もあるため、コンパクトな機械でも、できうる限り密閉式につくられていた。
一般に町の洗濯屋さんでは、地下槽を設備したり、防爆式にしたりする関係上、機械を設置するには、それなりのスペースと防火設備が必要であることから、ワイシャツ等の水洗物とは違い、ドライは外注に頼っていた。
数カ所、あるいは数十カ所の洗濯屋さんから集められたドライ物は、ホールセールで素洗い、乾燥処理されてから、それぞれの洗濯屋さんに返却され手アイロン等で仕上げられていた。この工程を踏んだものは当時「純ドライ」「洋式洗濯」「乾式洗濯」などの名称で看板を出していたようだ。
石油系溶剤は、現在あるような、臭わないものではなく、独特の臭いを強くもっていた。素洗いをした被洗物を手アイロン等で仕上げ成型しても、揮発性の高い臭いが残り、その臭いで本式だという認め方もあったくらいだという。

上掲の画像は、MYコレクションの絵葉書より、「洋服を揮発油にてあらふキハツ クリーニング場 」の光景である。絵葉書表差出人欄には神戸市阪神電車神戸終點前、 陣野染洗店・・とある。呉服の染物や洗い張り、しみ抜きなどをしていたところが、洋装の広がりから、その技術を生かして、クリーニング業へ転身していったところが多かったということだろう。
この絵葉書はクリーニングの広告用の絵葉書だろうが、表書きの阪神電車神戸終點前とある、神戸とは、かつて兵庫県神戸市に存在した阪神電気鉄道本線の駅で、通称滝道駅のことだろう。
阪神電車は、1905(明治38)年4月12日 大阪の出入橋駅 - 神戸駅(初期は神戸雲井通とも案内。のちの三宮駅)間で開業。
1912(大正元)年11月1日 神戸側終点を雲井通(三宮)から加納町(滝道)まで延伸。加納町(滝道)に新たな神戸駅設置、従来の神戸駅(神戸雲井通)を三宮駅に改称。神戸駅は市電の電停名に倣い滝道駅と呼ばれることも多かった。
1933(昭和8)年6月17日 神戸側の地下新線(岩屋駅 - 神戸駅間)開業。岩屋以西を地下線として岩屋駅 - 三宮駅 - 神戸(滝道)駅間地上線の営業廃止。省線三ノ宮駅近くの地下へ新たな神戸側終点となる神戸駅を設置する。
したがって、ここにある絵葉書の年代は、神戸(滝道)駅のあった、1912(大正元)年11月1日~1933(昭和8)年6月17日の間のものと思われる。余談だが、この駅ができる3年前の1908(明治41)年、当線を歌った「阪神電車唱歌」が作曲されている。阪神電鉄が宣伝のために製作したもので、22節に当時の駅名を織りこみ、当時の沿線の名所や­名物などを紹介している。面白い歌なので、後で一度聞いてみてください。以下です。
阪神電車唱歌を歌おう - ZAQ
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buaro005/hs_syouka.htm

東京など、関東大震災後、郊外に続々と建てられた洋風のモダン住宅は「文化住宅」と呼ばれ、サラリーマン層の夢を誘った。これらの住宅の特徴は、玄関わきの応接間、そして、居間と食堂、さらに水道やガスの引かれた板張りの台所である。そこには、炊事や暖房用の目新しいガス器具や電気器具が並んでいた。
ガスや電気は最初は照明として使われていたが、やがて燃料としても使われるようになり、ガスの竈(かまど)(日本における最初のガス器具特許品)が発売されたのは、1902 (明治35)年のこと(東京ガスより※7参照)。
大正中期には熱源をめぐってガスと電気の競争が始まり、大正末にはガスの七輪に対して電気の七輪が、ガスのかまどに対して、電気釜が登場したという(『朝日クロニクル週刊20世紀)』1926年063号)。
そして、東京電機(現在の東芝)が、電気アイロン(1915年※8)、電気冷蔵庫(1930年※8)、そして、同年に日本初の電気洗濯機(※8)の国産化も進めた。
しかし、これらの電気製品やガス器具をそろえることができたのは一部の高給取りに限られていた。多くの庶民は、鍋や釜、包丁、はてはたわしまで「文化」の名前を付け流行の文化生活の一端に触れようとした。しかし、家庭での電気利用はせいぜい電燈ぐらいで、洗濯には洗濯板を使い、料理は薪や炭でするという生活がほとんどだった。
やがて1927(昭和2)年の金融恐慌をきっかけに慢性的な不況に突入。満州事変を契機にナショナリズムが台頭してくると都市型の文化生活は目の敵にされるようになる。
そして、第二次世界大戦が終わるまで、ぜいたくは敵であり、ただただ耐久生活が続いた。

以下参考の※5:「共栄産業ホームページ:業界今昔物語」によると、クリーニング業界は比較的歴史は若く、急速に加速したのは、1959(昭和34)年の環境衛生法(正称は環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律)の施行により大きな転換を迫られた頃からだという。
機械洗濯(洗濯機参照)の歴史は明治、大正時代から「湿式洗濯」と「乾式洗濯」の名称のもとに、繊維の発達と洗剤・助剤の発達とともに時々刻々緩やかな道のりを辿りながら、需要を満たしてきた。
昭和の初期までは、タライや洗濯板を使って手で洗濯し、天日で乾かしたものであった。このころでも、一部では洗濯機械もあるにはあったが、ごく限られたところでしか使われていなかった。
終戦後、米軍の進駐にともない、その後方機関としてQMランドリーというものがあったそうだ。これは米軍の部隊、病院などからでる洗濯ものを処理する工場で、当時としては目を見張る設備を備えたクリーニング工場で、これが、クリーニング業者はもちろん、機械メーカーにも大きな参考になった。米国払い下げの中古機械を買い漁った時代もあったという。
そして、国民生活が終戦後の混乱期を脱した頃より、その需要は様変わりして、環境衛生法の実現をみた。
昭和34年の環境衛生法が施行される前は、ランドリークリーニング(ドラム式。水を使用しての洗い)においても、ドライクリーニング(有機溶剤を使用して洗い)においても、最もつらい労働であった「絞り」を解決するために、手回し脱水機がまず工場に備えつけられた。これはやがて直結電動型となっていった。
環境衛生法施行とともに洗濯する機械、乾燥する機械を含め、仕上げる機械を「業務型洗濯機」という名称で機械メーカーが生産。
米軍の設備が手本となったため、業者は米国のクリーニング工場を参考とし、需要を満たすため、進んで米国業界を手本とし、発達する道のりを歩んでいったという。
一方、家電メーカーも「家庭用洗濯機」を発売して、一層の発展への拍車がかけられ、経済発展に伴う庶民の生活の向上とともに、洗濯に対する必要性がますます認識され、便利さと快適さを求められて今に及んでいる。
女性の仕事として長い間家事労働の大きな部分を占めてきた洗濯だが、家庭電化による電気洗濯機の普及、新しい化学繊維や新洗剤の出現などにより、洗濯に費やす時間と労力は著しく合理化されてきたため、今の女性は昔の女性に比べずいぶんと家事労働が減り、自由に行動ができるようになったといえるだろう。

ところで、今の時期になるとなかなか1日では出来ない大掃除をしなくていけないと、これがずいぶん負担になっている人も多いのではないか。俳句では、年末の大掃除に『すす払い(煤払)』という季語を用いる。どうせするなら、あまり忙しくないほかの季節にすればよいものを日本では、年末の大掃除は、単に掃除をするということより、『すす払い(煤払)』をして、建物や身体や気持ちを清めて新年を迎えるという正月行事の一つとなっている。
しかし、正月の準備は本来、正月事始の12月13日に行うもので、正月飾り、門松、鏡餅を供える。大掃除(すす払い)をするのも、歳神様(歳徳神)を招きいれるための準備である。しかし、現代では元日間際になって行うというのが一般的になっているのではないか?。
普段からの計画的な手入れ次第で、そんなに、年末だからと言って、たいそうな掃除をする必要はないはず。
私の家など息子たちが自立しマンションを買って出て行ったため、年を取った私と女房の二人では、少し広すぎる家になったし、我々二人だけでは、年末の大掃除も大変なので、大掃除ですべきことなど、正月前にしなくて良いものなどすべて、1年の計画の中で組み込んで、一つづつこなしている。だから、これから後にすることはあまりない。
掃除で手間のかかるのは、戦後の急成長期以降、なんだかだと言って買った物が多くありすぎるからだろう。何もないすっきりした部屋なら掃除に時間はかからない。
戦後の焼け野原の後には、どんなに狭くても「我が家」の存在自体がすばらしいものであった。……いわゆる「団地のDK(ダイニングキッチン)」の台頭。そこに備えたい台所用品や家電の多くは、それまでの主婦らは見たことも、想像すらできないものばかりだった。新しいモノを知ったが最後、周囲の家と競い合うように買い求め、それが当たり前になっていった時代があった。そして、家も広くなり、その分どんどんと品物が増えていったのだ。
「戦後 」のもののなかった時代を考えてみれば、今のように「モノが多過ぎる」状況に至るのは別段不思議ではなかったようにもみえるが、この際、不要なものは思い切って、すべて、バッサリと大掃除することが大切かもしれない。
私も、今までに買いだめした衣類などでも、まだ手も通したことのない背広ほか多くのものがあり、これらのうち、もう長く来ていないものや、これからもいつ着るかわからに様なものは、すべて、この際処分しようと思っている。そうすると、気まぐれにあれを着たり、これを着たりしてできてしまった洗濯ものの数も減るし、一挙両得だものね。
それと、今度の衆議院選挙では、国会議員さんも慎重に見極め、戦後日本の「腐りきった行政の大掃除」を断行してくれそうな人を選びたいものだね。政治、行政の洗濯をしないと、日本は何時ギリシャになるかわからないところに来ているから・・・。
さて最後になったが、今日のテーマー「洗濯」など、特に、年末だからというのではなく、普段からやっておきたいのだが、まだの人は、今日の記念日「洗濯の日」を設定したライオンでは、クイズに答えて当たる!旅行券10万円分を10名様、買って当たる! 神戸牛すき焼き肉等を合計1,205名様にプレゼント!・・・といった、「年末大洗濯始めよう!キャンペーン! 」をしているので、時間のある人はちょっと覗いてみては・・・。以下です。
年末大洗濯始めよう!キャンペーン!
http://o-sentaku.jp/


それと、私は明日から、正月の松の内が明ける1月15日まで、このブログを休止しようと思っていますのでよろしくお願いします。また、来年もよろしく訪問お願いします。
皆様、良いお正月をお迎えください。


(冒頭に画像は、洗濯『倭国百女』。NHKデーター情報部編ヴィジュアル百科『江戸事情』第1巻生活編より借用)
参考:
ライオン株式会社
http://www.lion.co.jp/index2.htm
※2:無患子(ムクロジ)
http://www.hana300.com/mukuro.html
※3:発祥の地コレクション/クリーニング業発祥の地
http://hamadayori.com/hass-col/commerce/cleaning.htm
※4:タイムスリップよこはま - 元町周辺/クリーニング業
http://www.timeslip-y.jp/motomachi/clean.html
※5:共栄産業ホームページ:業界今昔物語
http://www.kyoeinet.com/konjaku/index.html
※6:洗濯屋さんのホームページ
http://members.jcom.home.ne.jp/wex/index.html
※7:東京ガス : GAS MUSEUM ガスミュージアム / 収蔵品検索 調理器具
http://www.gasmuseum.jp/search/gas_kigu001.html
※8:東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり
http://kagakukan.toshiba.co.jp/manabu/history/1goki_j.html
汚れの分類
http://liv.ed.ynu.ac.jp/kaisetsu2/01basic/02soil.html
大掃除のコツ ホーム - サイトマップ
http://www.3615soul.com/
日本記念日協会:今日の記念日
http://www.kinenbi.gr.jp/
洗濯 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E6%BF%AF

大根焚き

2012-12-08 | 行事
通常11月8日の頃は1年を24に分けて季節を表す二十四節気では立冬(りっとうにあたる。(今年、2012年は11月7日が立冬)。
『暦便覧』(天明7年=1787年〔寛政10年=1798年に再版〕 に出版された暦の解説書。太玄斎著。※1)では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明しており、初めての気配が現われてくる日としているが、今年は、冬の到来が非常に早く、11月から真冬並みの寒さとなっている。これからの冬の寒さとの闘いは長期戦となりそうだね~(※2)。
こんな寒い季節には暖かい鍋物を食べて、躰の芯から温めるのがなによりだろう。
1000年の歴史を誇る京都の冬は底冷えして寒いが、そんな京の都の冬の到来を告げる12月の歳時記年中行事の一つに「大根焚き」がある。
京都では「大根」のことを「だいこ」と呼ぶ習わしがあるので、「大根焚き」は「だいこだき」となる。
但し、近い時期に各寺で行なわれる行事ではあるが、個々の寺の間に関連はなく、別々の意味合いを持った行事として行なわれるものである。

西陣(京都市上京区)にある真言宗智山派の寺院である大報恩寺、山号は瑞応山(通称:千本釈迦堂)では、釈迦が菩提樹の下で成道(悟りを開く事)した(日本では、釈迦は臘月=旧暦12月の8日に成道したと伝承されている)のを記念して行われる法要 成道会 ( じょうどうえ )の12月7日・8日に、境内で行われる大根炊きが知られている。
この行事は、鎌倉時代に、当寺の三世・慈禅(近衛兼経の弟。コトバンク-近衛家 とは参照)が、法要の際に大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされ、今日では、この大根を食べると中風 コトバンク-中風 とは も参照)など諸病除けになると信じられているようだ。
使われている大根は、従来聖護院大根を使っていたが、昨今は京の伝統野菜「聖護院大根」は実りに限りがあり、品不足であることから、仕方なく他の大根も使われているそうだ(※3)。 
また、京都市右京区鳴滝にある真宗大谷派の法輪山了徳寺。ここも通称、大根焚寺と呼ばれており、毎年、12月9日、10日に行われる大根焚きの行事は千本釈迦堂とともに知られる。
その由縁は、同じく鎌倉時代に、親鸞愛宕山中の月輪寺よりの帰途、鳴滝で説法をし、それに感銘を受けた里人が、他に何ももてなすものがないので、塩炊きの大根を馳走した。
それに応えて、親鸞はすすきの穂を束にして筆代わりとし、「歸命盡十方無礙光如來」(※4)の十字名号を書いて、その礼としたとのことが伝えられており、この故事に因んで行なわれる報恩講の通称が、大根焚きだという。
寺の前庭には「すすき塚」がある。ここの大根だきの大根は、細長い“笹大根”を用い、昔は寺の畑などで作ったものを使っていたが、今は亀岡市篠町のものが使われているそうだ。そして、大根だきで、切るのは女、煮るのは男、加減はすべて口伝で申し送られているのだという。
このような、京都の仏教行事は、僧侶を中心とした法会と、地域の人々の願いを込めた庶民信仰の2つに分けられるが、後者は各宗派の祖師の忌日か誕生に係わるものが多く、五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)・減罪除災・祖先の供養など仏事の目的で行われるが、「大根だき」も庶民信仰の長い歴史の中で生まれたものであるといえよう。
京都での「大根炊き」は、このほか、日蓮宗の寺で宇多野の三宝寺(鳴滝の妙見さん)が12月第1土・日曜日に御会式法要(日蓮忌日報恩法要。)で、真言宗大覚寺派で嵯峨野覚勝院の大根供養(※5)が11月22日・23に行われるほか、東山にある天台宗法住寺大原にある同じく天台宗の三千院などでも行なわれるようだが、大根炊きは京都地域だけにに限らずその他の地域でも行われている。
よく、観光案内などでは、大根炊きが、“参詣者にふるまわれる。”“接待がある”・・などといった書き方をしているので、何か、ただで、食べさせてくれるような錯覚をする人がいるかもしれないが、いずれも、700円から1000円の料金がいることをお忘れなく。日本の神社などでは、ありがたい大根供養や接待を受けようと思うと、それ相当のご喜捨が必要なのですよ。
大根炊きを食べると中風 コトバンク-中風 とは も参照)にならないと信じられているが、この中風とは、一般には、卒中発作後、後遺症として半身不随(片麻痺)などの運動麻痺を残した状態をいうことが多いが、本来は純然たる伝統中国医学(東洋医学)の用語で、後漢時代に書かれた漢方薬術書「傷寒論」にも頻出するようだ。
中風の「中」は、中毒の中と同じく、「あたる」という意味であり、古くは、風邪(ふうじゃ)が身体に侵入したことによって引き起こされる症状を「中風」といっていたらしい。
中国医学の初期には、病変を起こすは外界にある邪気で、風とか湿のような形をとって体内に侵入するとしていたようだ。
特に重視されたのが風の邪気、すなわち風邪(ふうじや)であって、たとえば、中風は風邪によって起こされた発熱性疾患であり、発熱・発汗・咳・頭痛・肩のこり・悪寒・悪風(おふう、風に当たると寒けや不快感があること)など・・・風病の一種で、感冒のようなものとされていた。
また、破傷風は傷口に風邪が侵入して起こった病気という考えであったらしい。したがって、その治療にも薬物などのほかにまじない(呪い=呪術)が重視されたようである。

今年の冬は低気圧の影響で非常に寒いが、3日に「2012ユーキャン新語・流行語大賞」(※6)が発表されたが、そのトップテンに、(株)ウェザーニューズの「爆弾低気圧」が選ばれている。
「爆弾低気圧」("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語であるが、近年では、2012年4月3日に、台風並みに巨大な低気圧が発生し、各地に被害や混乱をもたらした。特に風が強く、西日本から北陸にかけての広い範囲で瞬間風速30メートル以上が記録された(※7参照)。また、一昨日(12月6日)、昨日にも日本海側、北日本などで大きな影響を及ぼしている(※8)。
このとき、普通は「非常に発達した低気圧」というべきだが、日本列島を襲った低気圧は、その表現を超えたため、インパクトのある呼称を使用したもの。
『現代用語の基礎知識』には2008年版から登場している用語らしいが、なんでも、気象庁は、「急速に発達する低気圧」といった表現を使用しており、この用語を使用しないよう指導しているらしい( Yahoo!百科事典参照)

先にも書いたように、邪気払いの庶民信仰から生まれ大根炊きを食べると中風にならないと言うのだが、大根炊きを1度くらい食べたからと言って、中風の予防にはならないだろうが、以下参考の※9:「風邪予防に良い食べ物」の中にもダイコン(大根)は、含まれており、寒い冬に、普段から、温かいダイコンの煮物などを常用していると、風邪(かぜ)の予防の一助にはなるだろう。

「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 春の七草 」

よく知られている春の七草は食用になる7種類の野草や野菜で、そのひとつ、すずしろ(須々代, 蘿蔔)とはダイコン(大根)のことである。

原産地は地中海地方中東という説が有力のようだ。古代エジプトには食用として用いられたという記録が存在するという。
その後ユーラシアの各地へ伝わり、日本に最初に伝来したのは、弥生時代のこととされているが、奈良時代になって中国から本格的に伝来したといわれている。
古事記』(712年)下巻「仁徳天皇」には以下の歌がある。
原文:「都藝泥布 夜麻志呂賣能 許久波母知 宇知斯淤富泥 泥士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米」
読み:「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 木鍬持(こくわも)ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねじろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」
解読:都藝泥布(つぎねふ)は山城(やましろ)」にかかる枕言葉(※10)なので、「山城女が木の鍬を持って、畑を耕してつくった大根。その根のように白い腕を枕として共寝をしなかったのなら、知らないと言ってもいいが、そうは言えない仲ではないか。」・・・といったような意味になるようだ。大根は女性の白い腕に例えられている。
ここでは、大根は、「淤富泥(おほね)」となっているが、「意富泥(おほね)」も出てくる。『日本書紀』(720年)卷第十一「大鷦鷯天皇(おほさぎのすめらみこと) 仁徳天皇」にも同じ歌があるがそこには「於朋泥(おほね)」の名で記されている。(※11:「古代史獺祭」の古事記下卷仁天皇また、「日本書紀 」卷第十一 大鷦鷯天皇 仁天皇を参照)
まだ、和字がなかったこの時代、古事記や万葉集の歌は万葉仮名で表記されているので大根(おほね)に「淤富泥」「意富泥」「於朋泥」など文字が違っていても仕方がない。
中国から渡来した当時はとにかく「おほね」と呼ばれていたが、平安中期の漢和辞典『和名類聚抄』(937年)には、於朋泥(おほね)俗称大根(おおね)とあり、やがて「大きな根」の意味合いからの「おほね」が「おおね」となり、品種改良や栽培技術が進んだ江戸時代には「大根(だいこん)」と呼ばれるようになる。

万葉集の編まれた時代には「秋の七草(種)」はあった(山上憶良が詠んだ2首が有名。秋の七草参照)が、「春の七草」はまだ定まっていなかった。
「春の七草」は南北朝時代四辻善成(よつつじのよしなり)が『源氏物語』の注釈書である『河海抄(かかいしょう) 』(20巻)で七種の草を選んだのが最初であるが、その第十三巻の「若菜」の注釈のなかで、善成は平安時代の「若菜まいる」の行事は、次の12種の植物を合わせて羹(あつもの)にしたと書いている。

若菜(わかな) 薊(あざみ) 苣(ちしゃ) 芹(せり) 蕨(わらび) 薺(なずな) 葵(あおい) 蓬(よもぎ) 水蓼(みずたで) 水雲(すいうん) 芝(し) 菘(すう)

菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」とされており、この12種の最初の「若菜」は、個別に挙げた種類以外の野草をいっている。
個別に挙げた種類の中に、大根(すずしろ)は、含まれていないが、善成はこれに続いて7種の野菜・野草を挙げており、これが先に挙げた現在まで伝わる春の七草の歌の原典になっている。
しかし、そこでは、今知られている「セリ」に始まる歌の順には七草が掲載されていないようで、後に誰かが五・七・五・七・七の短歌の形にしたものだが、それが誰かはわかっていない(※12:「チューさんの野菜ワールド」の七草の歌・作者はだれ?参照)。
今日本では豊富な野菜に恵まれて、ベジタリアンだけでなく野菜好きの日本人が多いのだが、もともと日本原産の野菜は極めて少なく、芹、水菜、蔓菜(つるな) 蕗(ふき) 韮(にら) 茗荷(みょうが) 独活(うど) 三つ葉 山芋 位しかなく、それもほとんど葉菜であり、早くから日本に入ってきたダイコン以外は日頃あまり食べないし、名前も知らないものが多いようだ(※12:「チューさんの野菜ワールド」の野菜はどこから来たの ?・参照)。
古来より、新年早春になると、上も下もこぞってまだ雪の残る野に出て若菜を求め、これを摘んで煮物にしたり,粥や雑炊に入れて食した。

「籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根」
読み:籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串(ぶくし)持ち、この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)、家聞かな、告(の)らさね、
解釈:良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。

万葉集巻第一の1より(※14:「たのしい万葉」のここ参照)抜粋したもの。万葉集第一巻の最初の歌は、この雄略天皇の歌より始まる。
春の野遊びに出た雄略天皇に、こう呼びかけられた乙女が、春の丘の辺で摘んでいたのも、若萌えの草の芽だったのだろう。
この巻頭の雑歌をはじめとして、山部赤人の「明日よりは春菜(はるな=わかな)摘(つ)まむと、標(し)めし野に、昨日も今日も雪は降りつつ」(第八巻-1427。※14:「たのしい万葉集」のここ参照)など、万葉集には春の野山での菜摘みを詠んだ歌が多い。

若菜摘みは冬の食生活において不足しがちな新鮮な野菜、文字通り「野」の「菜」、を求める生活上の必然からであり、現在、字面からイメージするようなのどかな春の遊びではなかったようだ。
早春に若菜を食する風習は,厳しい寒さが続くなかで芽吹く若菜に強い生命力と神秘さを感じ、若菜に秘められた力を借りて邪気を祓い万病を除くことを願ったものであるが、栄養学的に見ても冬の食生活において不足しがちなカリウム、ビタミン A、ビタミン C などの補給の面から理にかなったことではあった。おそらくそれまでの食経験から若菜を食すると種々の病を避けられることが知られていたのであろう。
若菜摘みは平安時代中頃には古代中国の正月七日(人日)の七種菜羹(じんじつななしゆのさいかん)の風習(7種類の野菜を入れた羹[あつもの]を食べて無病を祈る習慣)などと習合して、新春の宮中行事として型が整備され、正月七日あるいは初子の日に若菜の羮を奉るようになった。
また、長寿を祝う算賀にも新年に若菜の羮を贈る習わしがあった。古くは種々の若菜,、山菜を摘み集めて羮にしたのであろうが、儀式化されるに従って若菜の数が七種類あるいは十二種類と定められるようになっていった。
若菜を七種類あるいは十二種類とするのは、七が陽数(陰陽思想などにおける奇数のこと)であることからその呪力を借りようとするものであり、十二も吉数で若返るという縁起があるからである。
若菜の羮のうち、七種類の若菜を用いてつくる羮は七種菜と呼ばれ、現在の七草粥につながるものとしてよく知られているが、しかし当時(平安時代)の七種粥は、いわゆる「春の七草」を入れたものではなく、七種類の穀物で作られ、「七種粥」と言われたという説もあり、入っていたものはコメ、クリ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキで、「春の七草」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからともいわれているようだ。
一方、十二種類の若菜を用いてつくる羮は十二種若菜と呼ばれるが、これについてはあまり知られていないが、このことについては参考の※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)参照。
江戸時代の本草学貝原益軒の『大和本草』(1709)に「凡そ大根に種類多し。」とあって、十数種があげられているという(※16)。
江戸時代になると、日本在来種と中国からの大根との交雑が行われ、栽培技術や品種改良が進み、やがて、江戸近郊に位置した板橋や練馬、浦和、三浦半島辺りが大根の特産地となっていった。中でも練馬大根は特別に有名になった。
大根の種類は多く、各地で改良されてきた歴史があり、現在有名なものだけでも青首大根、白首大根、桜島大根 、聖護院大根 、守口大根など10種類ほどあり、中でも青首大根が圧倒的に普及しており、青首大根以外の大根は、主に特定の地域だけで出回っていて総称して「地大根」(地野菜)と呼ばれている。そして、小規模な品種も含めれば100種類以上もの品種があるとされているようだ。
大根の大部分は水分であるが、主な栄養成分はジアスターゼアミラーゼなどの消化酵素であるが、ビタミンCも含まれている。ビタミンCは、これからの季節、風邪を予防したりストレスを和らげたりもするのでいい。また、大根の根よりも葉の部分の方がビタミン類(CやA)などは多く含まれているので大いに利用したいが、いまどき、スーパーなどでは、葉を切り落とし、根だけ売っているのは、ちょっと、問題だな~。
それに、ジアスターゼは熱に弱いので、生のまま食べるのが効果的。また、大根の辛味成分イソチオシアネートには抗ガン作用があるそうだ。だいこんは先端にいくほど辛みが強くなるので、サラダなら甘い首の部分、煮物は中央部分、おろしや薬味なら先端と、これぐらいの使い分けだけはした方が良いよね。このような大根の栄養や効用・効能、料理のコツなど詳しくは、以下参考の※17:「健康・医療館」の健康食品:大根を参照)
寒い今日は、さっそく温かい、大根の煮物かおでんでも食べてみては・・・。


(冒頭の画像は了徳寺の大根焚き。Wikipediaより)


参考:
※1:二十四節気・解説
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm
※2:冬(12~2月)の天候 - 気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1203/01c/tenko121202.html
※3:e京都ねっと-京都の観光ポータルサイト | 大根焚き
http://www.e-kyoto.net/saiji2/622
※4:十字名号の意味。正信偈問答。松並語録
http://www.eonet.ne.jp/~souan/jihou/2009/2009.04.html
※5:京都 | 嵯峨野 | 大覚寺塔頭|別格本山覚勝院
http://www.kakushouin.jp/
※6:「2012ユーキャン新語・流行語大賞」
http://singo.jiyu.co.jp/
※7:気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1204/06a/20120406teikiatsu.html
※8:爆弾低気圧…北海道・東北に猛烈な吹雪と暴風 : 社会 : YOMIURI
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121206-OYT1T01317.htm
※9:風邪予防に良い食べ物
http://www.healthy-mylife.com/101/205/post-12.html
※10:つぎねふ山代」の語義
http://www.dai3gen.net/tuginehu.htm
※11:古代史獺祭
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm
※12:チューさんの野菜ワールド
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/mokuji.htm
※13:やまとうた:百人一首 光孝天皇
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/015.html
※14:たのしい万葉集:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)
http://repository.dwc.doshisha.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AA11325308-20120220-78
※16:練馬大根の発祥はいつごろか。 | レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000078103
※17:健康・医療館
http://health.merrymall.net/index.html
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606770
貝原益軒アーカイブ:大和本草|図書館|中村学園
http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/lib_data/b01.html
「京都観光ナビ
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/top.php
京の季節の味・大根炊き(だいこだき)
http://www.kyoto-eiyoshikai.or.jp/season/kyonoaji2.html
日蓮宗の大根焚・御会式
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&ManageCode=1000268
気象庁 | 気圧配置 気圧・高気圧・低気圧に関する用語
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/haichi1.html
大根焚き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A0%B9%E7%84%9A%E3%81%8D