今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

幸福の日

2011-05-29 | 記念日
日本記念日協会(※1)に今日の記念日として「幸福の日 」 が登録されていた。
記念日の由来には、”世界の人々が幸せに平穏に暮らせることを祈って「幸福の日」を制定したのは、インターネットなどでグリーティングカード、慶弔関連ギフトなどを販売している株式会社ヒューモニー(※2)の長谷川博之氏であり、「幸せになりたい」「幸せにしたい」メッセージの公募などを行う。”・・とあった。
ヒューモニーのホームページを覗いてみたが、リカちゃん電報などを販売しているようだ。最近流行の販促用の記念日・・といったところだろう。
「幸福の日 」なんて記念日の名前が好きなものだから、又、ブログを書く気になったのだが、今までに同様のブログ、2月9日「福の日」について2度も書いているよ。以下がそのブログだ。
2月9日「福の日」   2月9日「福の日」(Part 2)
人間誰しも「幸福」であることを願わない人はいないであろうが、漢字の「幸福」は「幸」+「福」の字からなるが「幸」の字の原字(漢字)には2つの説がある。
1つは「」は、2枚の厚い板に半円の穴をあけ、上下から罪人の両手首また両足首を挟んで、その自由を束縛する(手かせ又、足かせ)のための刑具である「かせ(枷=械)」を象(あら)わす象形文字であり、もともとは、刑罰を意味していたものが、それでも斬首刑になるより手かせ、また足かせをかけられるだけで生きてさえいられれば幸いだ、ということから、後に「運が良い」、転じて「しあわせ」を意味するようになったものだとする説である。
2つ目は、「幸」は象形文字「」+会意形声文字」(「しんにょう」を省いた部分の音符「屰」(ゲキ)」の字から出来た漢字だとし、「夭」(ヨウ)は、人のなよなよした様を象(かたど)り、なよなよした幼子を意味し、これは若死に(夭 逝 【ようせい】)の意味もある。「屰」は、「」の字の人を逆さまにした図を表していることから、若死にの反対「若死にをまぬかれる」、つまり、長生きを意味することから、ひいては、幸せを意味するようになったというのだ(※3)が、漢文学者・古代漢字学で著名な東洋学者である故白川 静が編纂した字源辞典『字統』では、「夭逝を免れる」というような否定の意を加えた会意という造字法はないとし、第1の説を支持している(※4)。
又、「幸福」の」は、部首「「ネ」(=神をまつる祭壇の形)」+音符「畐(品物がたくさん入っている倉の形でつまっていること)。異体字の「」と同系。」の合意形成文字であり、もののつまっている倉のように、神の恵みが豊かなことから幸せの意味を表しているらしいが、また、『字統』では、「福」は「宗廟に酒樽を供えて祭り、福を求める」ことだとしているようだ(※5)。
それでは[幸福](こうふく、英:Happiness)とは何かを、『広辞苑』(第六版)で見ると「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。」と、いとも簡単な説明しか書かれていない。それでは、「しあわせ」とは何かを、『広辞苑』で見ると、「しあわせ」には漢字「し合せ」を充てており、①めぐりあわせ。機会。天運。②なりゆき。始末。③(「幸せ」とも書く)幸福。幸運。さいわい。また、運が向くこと。狂言の末広がり。」・・・とある。
「しあわせ」には、「幸せ」と「仕合せ」の2通りの書き方があるが、日本語の「しあわせ」の語源は、「し合わす」で、動詞「しあ(為合)わす」の連用形からできた言葉のようだ。し(為)+合わすの連用形であるから、何か二つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」と言うことになる。つまり、自分が置かれている状況に、たまたま別の状況が重なって生じたことが、「しあわせ」だったわけであり、昔は「しあわせ」とは、いい意味にも悪い意味にも用いられていた。
そのようなことから『広辞苑』にも「し合わす」は「めぐりあわせ。機会。天運。なりゆき、始末」と書かれているのである。だから、偶然めぐり合わせた、良い運命も悪い運命も「しあわせ」だったわけであり、「めぐりあわせが良い」場合は「しあわせが良い」、「めぐりあわせが悪い」場合は「しあわせが悪い」といった使い方がされたようで、言いかえれば、「しあわせが良い」というのは、どちらかと言えば “間が良い”、“運が良い” という意味の言葉だった訳である。
それが時代とともに変化して、「し合わせ」が「し合わせが良い」、「間のよい」、「運が良い」にのみ使われるようになり、今では「幸運。さいわい。また、運が向くこと」 の意味に使われるようになった。
『広辞苑』の、「仕合せ」の説明③の中には幸福。幸運。さいわいなどと一緒に“狂言の「末広がり”が含まれている。
狂言は、と同様に猿楽から発展した伝統芸能で、猿楽の滑稽味を洗練させた笑劇であるが、狂言は、道理に合わない物言いや飾り立てた言葉を意味する仏教用語の「狂言綺語」(きょうげんきご)に由来する(※6)。
狂言の演目のひとつ「末広がり」(※7 Yahoo!百科事典-末広がりも参照)は、脇狂言を代表する祝言曲目で、果報物とも呼ばれる。
大果報者(大金持ち。シテ)が、供応の引出物(ひきでもの)に末広がり(扇の一種)を進上しようと、それを買い求めるために太郎冠者を都へやる。古傘を末広がりとして売りつけるすっぱ(詐欺師、)と、末広がりとはどういう物かを聞いてこなかったから知らないために、それに騙される太郎冠者のやり取りを演じる。終盤、太郎冠者が持ち帰った傘を見るや、主人は激怒し、太郎冠者は自分が騙された事に気付く。しかし太郎冠者が詐欺師に教わった囃子を謡うと主人はたちまち機嫌を直し、太郎冠者と共に囃子物のリズムに浮き立っていくところに、めでたい和やかな笑いが漂い舞い、謡う。・・・悪い結果も最後はHappy ending・・・目出度し、目出度しである。
『広辞苑』では、幸福者・果報者のことを「仕合せ者」と字を充てているが、現代では「し(為)合せ」の連用形「し(為)」に、訓読みで、「仕(つか)える」と発音させる漢字の「仕」を当てることによって、「仕合せ」と書きその名詞性を高めるようになったのは日本人の知恵でもある。又、もとは「さいわい」という語に使われていた「幸」の字を当てて現代では「幸せ」とも書かれるようになった。
スポーツ・武術などの技を比べ合い勝敗を競うことを現代では「試合」と書くが、江戸時代なら剣術の「仕合」などと書いていた。これらも、昔からお互いに何か物事をするまた、競い合うことを「~を為(仕)合(しあ)う」「為(し)合い」からきたもので、「し」はサ変動詞「す」の連用形で、「試」「仕」共に当て字である。
「勝つか負けるか・・・」、「為(し)合い」は、単に「仕合う」ことによって「幸せ」を感じていたわけではなく、先人達は、相手に「合わせ」ることを、「する」・・・つまり、ご互いが自分の持る力を、ぶつけ「合う」ことによって「し合せ」を感じ取っていたのであろう。為(し)合いの結果が勝つか負けるかではない・・・。
人生においても運命の巡り合わせがその人にとって幸福(happy)であるかどうかは判らない。日本語の「しあわせ」は、人間の意図を超えた幸不幸の両方を含んだ広い概念での天運(天から与えられた運命。自然の理法。)である。色んな人との出逢いや巡り合い(仕合わせ)の結果が「幸せ」になるか否か、その人が今までどれだけのことをして来たか・・・と言うだけでなく、その時その時の偶然性に大きく左右されるものである。
古代中国、紀元前2世紀ころの『淮南子』(えなんじ)に掲載されている人間訓に「人生万事塞翁が馬」がある。
「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍へ、また禍から福へと人生に変化をもたらした。つまり、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」(良いことと悪いことは縒り合わせた縄のように表裏一体であるから片方ばかりは続かない。だから、一時の幸・不幸に深く一喜一憂しても仕方がないことであるということ。
禍福というのは予測できないものであり、結果がどう出るかは判らないが、ただ、その人が何を考え、積極的にどれだけのことを考えて行動して来たか・・・その行為には必ず意味があり、結果にも少なからぬ影響をしているものと思うのだが・・・。
そんなことを考えながら、ネットで検索していると、エッセイストで神戸女学院大学名誉教授でもある内田樹氏が、薪能で狂言「仏師」(※9)を見て、その狂言で用いられる言葉「しあわせ」を論じているコラムを引用している興味深いブログがあった。(以下参考に記載の※8:「散歩主義」を参照)。
狂言「仏師の内容は、簡単に書けば、“今までに楊枝1本も削ったことがない 偽仏師(すっぱ=詐欺師)が口から出まかせで、仏像を求める田舎者をだまして製作を引き受け、自分が仏像になりすますが、田舎者が仏像の印相(仏像の印を結んだ形)が気に入らずいろいろと注文を出すのでそのたびにいろいろ形を直すうちに正体がばれてしまう。”・・・といった内容だが、この狂言に、「しあわせを直す」とか「仕合なひと」とか、「しあわせ」という言葉が何度も出てくる(狂言の内容は※10参照)。
ブログでは、内田氏が以下のようなことを言っているという。
“「仕合わす」とは、「物と物をきちんとそろえる」を意味する動詞が名詞化したものであり、「仕合わせ」は「出会うべきものを出会わしめる」他動詞的な結果をいったのである・・・。古語「しあわせ」に含まれていて、現代語「しあわせ」の語義から失われたのは、それは「しあわせ」が前提としたこの手間暇である。
つまり「仕合わす」人の意志と行動抜きでは「しあわせ」は存在しない、とかつての日本人は考えていたのである。
だから現代のように抽象的な「しあわせ」ではない。待っていてくるものでもない。当人が働きかけるものなのだ。現代、不意に到来する「幸せ」があったとしても、それはまた不意に去っていくだろう。何故なら「仕合わす」ことをしていないからだ。
また「仕合わせが悪い」ということに関して、そうしない自分が悪い、と気がつかない。たいてい、いつも誰かが悪いのだ。
日本人はいつからか、こういう手間暇をかける習慣を失ってしまった、と内田氏は言っている“・・・と。
そうだろう・・・、先にも書いたように、禍福というのは予測できないものであり、結果がどう出るかは判らないところが有るとはいえ、そこには、その人が、その場その場の境遇に合わせてどれだけのことを、為(し)てきたかが大切だということだろう。
今年(2011年)3月11日に太平洋三陸沖を震源として発生した「 東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)ではM9.0という海溝型巨大地震と、それに伴う大津波の発生により東北地方を中心に死者・行方不明者計2万人以上にのぼる甚大な被害が発生し、また福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質漏れや大規模停電なども重なって、日本全国および世界に多大な経済的二次被害をもたらした。
16年前の1995(平成7)年の阪神・淡路大震災で、同じような悲惨な被害の状況を見てきた神戸の人間として東北地方の被災者の皆様のご心痛は痛いほど良く判ります。一日も早い復興を祈っていますが、神戸のときと違って、非常に広域での被災であり、又、地震だけでなく大津波や原子力発電所事故による放射性物質漏れによる被害までが重なっているため、復興には非常に時間を要するだろうから、これからのご苦労は大変なことでしょう。それでも、我慢し努力を続ければ必ず、良き時が来るものと信じて、力強く生き抜いていただきたいものと全国いや世界中の人たちが応援しています。
しかし、阪神・淡路大震災で、戦後の町と同じように地震と火災で崩壊した神戸の住民は、当時、国や県、神戸市など行政府からも神戸で大地震が発生する危険性があることなど全く知らされては居らず、従って、殆どの人が神戸で大震災が起こるなどとは思ってもいなかったから震災保険への加入者も少なかったし、震災への対策も十分には出来ていなかった。しかし、震災が終わって見ると、保険会社の震災保険の保険料率の査定も高かく、又、ある地震学者は、大きな地震が来るかもしれないことを予測していたとも聞かされた。
今回の東北地方の大地震でも、歴史的に見れば、これまでの津波堆積物の調査から、869(貞観11)年に起きた「貞観地震」では当時の海岸線から仙台平野で数キロ、石巻では3キロ以上津波が押し寄せたことが判明しているが、そうした貞観津波の時と同規模の地震が再来する可能性について地震調査委員会の長期評価部会でも今年2011年2月以降「切迫性があるのではないか」という意見があり、議論を続けていた(※12)ということは先日このブログ5月10日「地質の日」でも書いたばかりである。
百人一種42番に清原元輔の以下の歌がある。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 
        末の松山 浪越さじとは
この歌の出展は、『後拾遺集』巻十四・4-770から。以下参考の※13:「百人一首清原元輔 (千人万首)」によれば、通釈は、「約束しましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を決して波が越さないように、行末までも心変わりすることは絶対あるまいと」・・といった意味で、下の句の「末の松山」は『 古今集』巻二十に「みちのくうた」として「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなん」があることから陸奥国の名所歌枕とされている。
比定地としては多賀城付近とする説などがある。“浪こさじ”とは 末の松山を波の越すことがないように、心の変わることはあるまいと。初句「契りきな」に返して言う。・・・とあり、浪が越えたらもう最後だということがこの歌でも認識されていた事を表している。
末の松山宝国寺というお寺の裏の松の木の間には墓が並んでおり、その情景は310年前に『奥の細道』で松尾芭蕉が訪れた(※14:奥の細道末の松山参照)ときと変わらないという。
『古今集』が編まれた時より数十年前に陸奥の国で貞観地震があり大津波が襲来し瀕死者が1000人を出した。この時の津波ではこの松の木にも波がかかるほどであったようだ。これより70年前にも東国東海岸一帯の大津波が記録されており、古くからの大異変の伝承から、松の木のある山を波が越すという発想が生まれていたようだ(※15)。
日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島では島民の間で、津波がぶつかったとされる場所(標高約10メートル)に石碑が建っており、そこより下は危険とされていたといい、島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難したそうだ。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまり、・・・「先人の言い伝えが命を救った」・・と、近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。という(※16)。
又、同じように、沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)でも全ての家屋が被害を免れたそうだが、そこには、1933(昭和8)年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝しているというが、その石碑には以下の歌が刻まれているという。
高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 
想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 
此処(ここ)より下に家を建てるな
明治29年大津波で大惨事に遭いながら、前に起きた惨事のことを忘れ、昭和8年にも同じ失敗をして大惨事を起している。そのような失敗を繰り返さないためには、言葉だけでは十分でないからとこのような石碑を建てて、後世の人に警告をしているのだが、今回の震災でも色々と理由はあるのだろうが、結局、その警告を無視して海岸近くの低地に住んでいた人達などが津波の被害に遭ったことになる。
以下では、「失敗学」を専門とされている東京大学名誉教授畑村 洋太郎氏が『だから失敗は起こる』(第4回)のなかで、話されている内容が聞けるが、聞いていて耳の痛い人も多いことだろう。
YouTube-TSUNAMI" 失敗は伝わらない
http://www.youtube.com/user/tsunami110311
又、以下参考に記載の※17:「写真ニュース:先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」47NEWS」でも、「東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センター(※18)の平川新(あらた)教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かったという。平川教授は当時「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。 そして同教授も「明治以降の近代化や宅地開発などで、津波経験の記憶は薄れてしまった。」・・・と締めている。これからの復興に生かされると良いのだが・・・。
青森県から宮城県に至る三陸海岸各地には、このような津波記念碑が多く建てられているというがこの地域では、津波による災害が過去あったことも、先人たちがこのような警告をしていることも殆どの人は知っていても、結局、自分のいるところ、自分の生きている時代には、そのような惨事は起こらないだろうということで、何かと理由付けをして海岸近くの平地に住んでいたことになる。
対策として、それなりの護岸の為の堤防が築かれているところもあったのだが、それも破壊されてしまった。これは想定外の津波が押し寄せたからということなのだろうが、東電の原子力発電所の事故も、東電や政府が想定外の津波による災害と言っているのと同じことだろう。
恐らく、これからも、地震や津波などに対してそれなりの対策を講じられるだろうが、巨大な自然の力に対して人の力がどれだけ及ぶのだろうか・・・。恐らく、あらゆることを想定した100%完全な対策などは、財政面などの面でもなかなか難しいことだろうと思う。
昔から「天災は忘れたころにやってくる」とも言い伝えられてきた。私なども子供の頃から良く聞かされていたものだが、時が経つとそのことを忘れてしまう。それは、何処の地域の人、いや日本だけではなく何処の国の人も皆同じことなのだろう。
人は誰でも「幸せ」を求め、どうすれば「幸せ」になれるか試行錯誤しているのだろうが、幸せは「し為(し)合わせ」の結果としてのもの。先ずは、どれだけのことをしたか・・・。その結果が「幸せ」とはいえないことになったとしても、後悔しないようにしておきたいものである。
「仕合わせ」ることを「幸い」とする幸福観こそが、古来、日本に伝わる仕合わせ」であったことを最後に、付け加えておこう。
かって、夫婦間でも、家族間でも、また、地域社会においても、日本ではお互いにいたわりあい、足りないところを補い合って十全とすることに幸福を見出し、それを、「仕合わせ」という言葉に込めていたのが日本の文化でもあった。幸せについて 人それぞれに求めるものが違うだろうが、辛い、悲しい、苦しいことも「仕合せ」せであり、本人の考え方次第で天国にも地獄にもる。そう思えば、相手のことを思いやり為すことをして、いまあることが自分の幸せだ・・・と、そう思っている方が、ずいぶんと幸せに生きていけるのじゃ~ないかな~。阪神淡路大震災は日本のボランティア元年といわれたが、今は多くのボランティアが、東日本大震災の人達の助になりたいと一生懸命になっておられる。その人達は自分が一生懸命にしたことで被災地の方々が少しでも喜んでいただけることを願っているのであり、そこには、何の欲も得も無い。ただ、自分たちが助になりたいとしたことで少しでも喜んでもらえるのが一番の仕合せなのである。一方の被災地の人たちも、そんな一生懸命にやっておられる人たちに接することで、今の辛い、哀しい状況のことを忘れて一時でも「仕合せ」を感じ取っ欲しいものだ。それこそがここで言いたかった仕合せなのである。
東京都の石原慎太郎知事の「津波は日本人への天罰」発言が物議をかもし、色々と批判され、被災地の方々の気持ちを傷つけたとして、その発言を撤回し、陳謝もしていたが、彼は、少々ぶっきらぼうで思ったことをポンポンいう人ではあるが、頭の良い人でもあり、被災地の人のことを悪く言うつもりで言ったわけではないであろう。
先にも書いた平川新教授が「明治以降の近代化や宅地開発などで、津波経験の記憶は薄れてしまった。」ことを戒めているのと同じような気持ちで、日本人全体に対しての今回起こってしまった結果に対する教訓のつもりで言ったのだろうと私は解釈している。又、私が、今日のブログで東北地方の津波のことを「しあわせ」に結び付けて書いたのも、同じ気持ちで書いているのであり、あまり、悪い方へと解しないようにだけはして欲しい。そのことを最後の最後にお願いしておきます。
(冒頭の画像は、小倉百人一首の読み札に描かれた清原元とその歌である。)
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
※2:株式会社ヒューモニーホームページ
http://www.verycard.net/
※3:漢字の起源
http://www.ens.ne.jp/~a-in/kigen.html
※4:古今字 - 「幸」と「倖」
http://www.oct.zaq.ne.jp/dkcc/kotoba/kokonzi.html
※5:【今日の漢字】と【今日の天声人語】:私の感字/漢字の話
http://shimo.exblog.jp/i12/4/
※ 6:狂言綺語 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%8B%82%E8%A8%80%E7%B6%BA%E8%AA%9E
※7:Yahoo!百科事典-末広がり
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9C%AB%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8A/
※8:散歩主義
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99901&pg=200508
※9:立命館大学能楽部 - 狂言「仏師」研究
http://2style.jp/ritsnoh/readings/kenkyu_busshi.html
※10:『待宵の宴』:狂言・仏師
http://www.sanjin.jp/hibi/index.php?ID=530
※11、天使の図書館:宮城県東松島市宮戸島、平安時代の石碑の言い伝えが命救う
http://plaza.rakuten.co.jp/tenshino/diary/201104230002/
※12:内閣府・防災情報のページ 
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/taisaku_syuto/syuto_top.html
※13:百人一首清原元輔 (千人万首)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/042.html
※14:奥の細道末の松山
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno161.htm
※15:地質ニュース553号,63頁,2000年9月 楳 瑳畎敷 瀬 数 敲 〰 「末の松山浪 ...(PDF)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2000/09/00_09_10.pdf#search='末の松山 津波'
※16:「島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波―石碑建て継承・
http://ghzdgzdhzdh.seesaa.net/article/197271541.html
※17:写真ニュース:先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」47NEWS
http://www.47news.jp/photo/184384.php
※18:東北大学 東北アジア研究センター
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/
「幸」という字の由来 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1036102960
幸せ(しあわせ) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/si/shiawase.html
象形文字の秘密:漢字の解読
http://shoukei.blog65.fc2.com/
此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm

高血圧の日

2011-05-17 | 記念日
今日・5月17日は「高血圧の日」
特定非営利活動法人日本高血圧学会(※1)と日本高血圧協会(※2)が、高血圧の予防などの啓蒙活動を目的に制定。
日付は世界高血圧連盟が定めた「世界高血圧デー」に准じている。「世界高血圧デー」は2005(平成17)年に開始され、当時事務局を担当していたアメリカの高血圧啓蒙月間が5月であったことなどからこの日となったそうだ。日本も2007(平成19)年から世界高血圧連盟に参加しているようだ。
明治時代から昭和20年代までの長い間、「国民病」「亡国病」と恐れられた結核も、抗生物質など薬の発達により大幅に減少し、寿命が急速に伸びて、世界でも長寿の国になり、少子化が進んだ日本人の病気も変わってきて、現在では、薬では治りにくい疾患が増えてきている。
現在の死因別死亡確率の最も高いのは、悪性新生物(がん)であり、次いで心疾患(心臓病)脳血管疾患(脳梗塞=脳卒中)であり、これらの疾患が現在の日本人の3大死因として挙げられている(※3)。
高血圧は、この3大死因の中のがん以外の心疾患(特に虚血性心疾患)・血管病の最も多い原因となっており、又、腎不全への発症リスクも高くなっているようだ(※4の高血圧と腎臓病参照)が、高血圧自体は静かにゆっくりと忍び寄るため自覚症状が何もないことが多く、ある日突然に心臓病や脳卒中などにより死に至らしめることから、「サイレント・キラー(沈黙の殺人者)」とも呼ばれているようだ。
血圧とは心臓から送り出された血液が血管(動脈)の壁に与える圧力であり、心臓はポンプのように毎分60~70回ぐらい収縮と拡張を繰り返して血液を送り出しているが、心臓が収縮して血液を押し出した瞬間が、血管に一番強く圧力がかかるが、この血圧が最も高くなった時が収縮期血圧(最高血圧)、そして、収縮した後に心臓が拡張するときには、圧力が最も低くなるが、この最も低くなった時が拡張期血圧(または最低血圧)と呼ばれている。
高血圧とは、血圧が正常範囲を超えて高く維持されている状態であるが、先に述べた収縮期血圧と拡張期血圧のどちらが高くても、高血圧ということになる。
血圧の単位は永年の慣行からSI単位系のPa(パスカル)ではなく、mmHg(水銀柱ミリメートル)を使用しているが、それでは、血圧がいくつ以上を高血圧というのか。
高血圧の基準値は、人種によって多少異なり、また、色々変遷もあるようだが、血圧の基準として世界的に採用されているWHO(世界保健機構)の基準(1978年の基準)が日本でも利用され治療目標にも使われてきたが、1999(平成11)年2月にWHOとISH(国際高血圧学会)により、新しい高血圧の定義が発表されたが、高血圧と診断する基準の血圧値が以前の値より低く設定され、また高血圧の治療目標の血圧値も低く設定されたことから、日本でも日本高血圧学会で日本人向けの「高血圧治療ガイドライン」を作成している(※5の正常血圧と高血圧の基準値は?又、※6の血圧>血圧を調べる検査、※7など参照)。
高血圧は重症度の分類が軽症高血圧(収縮期血圧140~159、拡張期血圧90~99)、中等症高血圧(収縮期血圧160~179、拡張期血圧100~109)、重症高血圧(収縮期血圧180以上、拡張期血圧110以上)の3段階に分けられているなど、少し基準が複雑になっているが、高血圧の重症度の分類は別にして、理想的には年齢を問わず、正常血圧(収縮期血圧を130未満、拡張期血圧を85未満)に保つことが必要で、収縮期血圧140以上、拡張期血圧90以上の場合を高血圧症と診断されており、中等症高血圧以上の場合は、臨床状態により治療を開始する事になっているようだ。
WHOなどの血圧の基準の改定に見られるように、世界的に血圧の管理をより厳しくしようとする傾向にあり、血圧に関しては出来るだけ低く抑えた方が脳卒中や心筋梗塞などの動脈硬化に基づく疾患を予防したり、腎障害の発生を抑えることができるという大規模試験の結果を尊重した設定となっているのだという。
日本人では30歳以上の40~50%が高血圧と言われているようだが、年齢とともに血圧が上昇するという傾向があり、厚生労働省の行なった2006年国民健康・栄養調査によれば、日本人では40~74歳の人のうち男性は約6割、女性は約4割が高血圧(140/90mmHg以上)ということになっており、特に、70歳以上になると、男性では約71.4%が、女性では約73.1%が高血圧となっているなど、高血圧は日本人に非常に多い病気であり、現在、日本には約4,000万人と推定されている高血圧患者がいるようだがそのうち実際に治療を受けているのはわずか2割しかいないという。
しかし、どうして高血圧になるかというと、大部分は原因がよくわかっていないようである。
高血圧が起こるには、さまざまな原因があり、そのなかではっきりと原因がわかる高血圧を二次性高血圧(症候性高血圧)といっているが、この場合は、腎臓病や甲状腺(甲状腺機能亢進症)などの病気や、糖尿病肥満が原因で血圧が高くなっている状態で、もとの病気を治療することで血圧も正常に戻るそうだが、これは全体の1割にも満たないそうで、日本人の高血圧の大部分(90%以上)は、どんな検査をしてもはっきりとした原因が特定できない本態性高血圧(原発性高血圧。※8)と呼ばれるものだそうだ。
本態性高血圧のなかでも、通常、年寄りは年齢が進むにつれて、動脈自体の柔軟性がなくなり、動脈の柔軟性がなくなれば、最高(収縮期)血圧が上昇し、最低(拡張期)血圧が低下する収縮期高血圧と呼ばれる状態になり、これを、高齢者収縮期高血圧と呼んでいるそうだが、この状態を除く、本態性高血圧の発症原因は単一ではなく、両親から受け継いだ遺伝的素因に加えて、環境素因もあり、生後の成長過程、加齢プロセスにおける食事(食塩摂取)、ストレスなど様々な生活習慣がモザイクのように複雑に関係しているのだと考えられているようだ(モザイク説、※9参照)。
日本人の高血圧についての遺伝的素因について参考※10:「たなか醫院診聞『高血圧・塩・日本人』」 には以下のようなことが書かれている。
「生命は海から誕生した」と言われるが、その海の生物が陸に上り、生命維持のために特に大切な物質、塩(Na=ナトリューム)を、体内に保持する遺伝子を持った生物のみが生き残り、やがてその中から、アフリカでヒトが進化し生まれてきたといわれている。当然アフリカは熱くNaを保持する遺伝子を持っていたものが生き残り、あるものは大陸を渡り北の寒い地域やヨーロッパに住み着く。そこではNa保持者でなくても生きてゆくことが出来ようになるが、アフリカから海沿いに東アジアへ向かった集団は、暑さとの戦いを引き継ぎ、Na保持者が生き延びてきた。この海沿いを渡ってきた日本人の遠い祖先が縄文人であり、Na感受性の遺伝子を色濃く持っていた。この遺伝子を持つ人々は、実はこの事が裏目に出る。汗はそれ程かかないし、体内に塩分をため込む一方となり、この塩分に反応して血圧が上昇する。
そこへ、朝鮮半島やカムチャッカ半島から北欧系の非感受性の民族が渡ってくる。それが、弥生人であり、そして、縄文人と弥生人の混血が今の日本人であり、従って日本人にはナトリューム(Na)感受性の人が約半分近く(30%から45%)いるといわれている。この人たちは血圧が食塩摂取と密接に絡んでいる。・・・と。
要するに日本人にはナトリューム(Na)感受性遺伝子を有する人が多く、本来、塩が貴重であった古代において、人間が生き延びるためには、限られた塩をいかに体内に残して失わないようにして、循環血液を維持して血圧を保つかが重要であった。塩を体内に残すことができなければ死んでしまうからである。高血圧患者はその意味では塩を体内にとどめておくことのできる優秀な遺伝子を持った人の子孫ということになるのだが、古代で貴重だった塩が現代では簡単に手に入り、何にでも塩が使用されるようになると、この遺伝的特性がマイナスに働いてしまっていると言うのである((※11の”No.455-アメリカの最新医療情報「高血圧」”又、※12の”塩と人 生命維持のメカニズム”も参照されるとよい)。
高血圧は、脳卒中、心筋梗塞、腎不全などを引き起こすだけでなく、最近の研究では認知機能障害の原因になることも知られている(※13、※14)。
このような恐い高血圧の予防・改善をするためには、塩分のとりすぎを防ぐことが重要というのが定説になっているが、欧米人に比べて日本人の食塩過剰摂取が多いといわれるのは、日本人の食塩嗜好は野菜の漬け物、梅干し、魚の塩漬けなど日本独自の食生活と関連があるようだ。
2010(平成22)年4月厚生労働省により「日本人の食事摂取基準」(※15)が5年ぶりに改訂された。その中で、ナトリウム(食塩相当量)摂取量の目標値が、男性は1日 10g未満から9g未満に、女性は8g未満から7.5g未満へと低減され、より厳しくなっている。日本人の現在の食塩平均摂取量は1日約11gであり、WHOや国際高血圧学会ガイドラインでは、高血圧の予防と治療のための指針として個人レベルの食品摂取量1日6g未満を勧めているが、日本人の現時点での食品摂取量とは隔たりがあること、又、生活の質を悪化させたり、他の栄養摂取量に好ましくない影響を及ぼしたりすることのないよう、無理な減塩をしないことを考慮して定めた基準だという。
従来の日本型食生活では、日本人の食塩摂取量は、1950(昭和25)年頃は20gを越えていたと見られているが、1965(昭和40)年以降の減塩運動により摂取量は低下してきた(※16の食塩摂取量の推移参照)ものの、日本人の生活スタイルも昔とは一変しており、肉体労働も減り、また、交通手段や家事労働なども利便化され運動量が減っている。それに、エアコン等によって室内の温度を一定に保つことで、夏でも汗をかく機会も減っている・・・といった生活スタイルにより塩分を体外に排出する量も減っていることから、必要な塩分摂取量も少なくてよい・・と言うことにはなるのだが・・。
ただ※12の中にある日本人の栄養所要量と国民栄養調査から見た食塩摂取量には、“研究の進展に伴って最近では欧米の研究で、減塩に対する悪影響についての論文が目に付くようになってきた。そのためと思われるが、以前のような減塩すればするほど良いような表現ではなく、減塩に対する配慮もケース・バイ・ケースで考えるようにきめ細かく表現されるようになった。として、厚生省の設定している目標値に疑問を投げかけている。
中には、「減塩運動で増加した高血圧患者!」(※17)といったものも見られるが、※18:「ちょっと栄養学」の塩 再考(2)減塩は必要か?でも、“減塩による効果がない人が多く、減塩で血圧降下を示す人々の比率と同じぐらいに、血圧が逆に上がる人がいる。として、「極端な減塩」がどのような悪影響及ぼすかが書かれており、塩感受性の人に限って減塩を行うのが良いと、国内外で言われ始めている。”・・・と結んでいる。
塩分に対する血圧の変化は塩感受性によって異なることは先にも書いたが、塩分を少しとりすぎただけで高血圧になりやすい(血圧の塩分感受性が高い)体質であるかどうかの検査をしてもらい、自分の身体のこと(Na感受性遺伝子有しているか)を知っておくことが大切かもしれないな~。
血圧の塩分感受性は、遺伝的な要因のほか生活習慣などの環境因子によっても影響を受ける。つまり、日常生活上でのストレス、運動不足、アルコール、肥満などが不摂生が大きく影響するという。
この、がん・心疾患・脳血管障害という3大死因になっている疾患を減らしていくため、2000(平成12)年に厚生労働省が「健康日本21」という健康政策を打ち出している。
私も血圧が高いので、医者から血圧抑制剤を貰って飲んでいるが、父親やその兄弟など脳溢血等高血圧が原因で亡くなっている人が多いので、私もひょっとしたら塩分感受性が高い遺伝的体質を受け継いでいるのかもしれないので、用心しなければいけない。
一応毎日家で朝晩、2回血圧を測り、塩分摂取にも気をつけ、朝の散歩もするなど色々と気をつけているのだが、ここのところ、少し、それまでより高めになっているが、良く考えてみると、菅内閣になってから、TVの報道などを見ていていつも、TVに向かってカリカリとしていることが多いが、どうも、このブログを書いていて、そのようなストレスが大きいのではないかと思うようになった。
余りの菅内閣の体たらくに腹の立つことの多い毎日であるが、これから血圧が上らないよう腹を立てないよう気をつけなければいけないのだがなかなかそうはさせてくれなさそうだ・・・。
でも、東北地方太平洋沖地震の早期復興のことや日本のこれからのエネルギー問題、経済問題など考えると、一日も早い菅氏の首相退任が望ましいのだが、あのずうずうしい菅は首相の座にしがみ付き、愚策を繰り返している。これでは、もう、血圧患者を増やすだけではなく国を病んだものにしてしまうかも知れないと、心配しているもだが・・・。
(画像は私が使用している血圧管理手帳)
参考:
※1:特定非営利活動法人日本高血圧学会
http://www.jpnsh.org/
※2:NPO法人日本高血圧協会
http://www.ketsuatsu.net/
※3:厚生労働省>最近公表の統計資料>日本人の平均余命・平成17年簡易生命表>死因分析
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life05/04.html
※ 4:札幌厚生病院循環器科HP
http://www.gik.gr.jp/~skj/index2.php3
※5:なるほど高血圧ガイド
http://ketuatu.sakura.ne.jp/index.html
※6:生活習慣病を知ろう!(厚生労働省HP)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/index.html
※7:大日本住友製薬:血圧管理基準の変遷
http://ds-pharma.jp/medical/gakujutsu/cv_guideline/vicissitude/02.html
※8:本態性高血圧 - goo ヘルスケア
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10610200.html
※9:日本にCa拮抗薬とACE阻害薬が登場:日経メディカル オンライン
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/ish2006pre/history/200609/501406.html
※10:たなか醫院診聞「高血圧・塩・日本人」[PDF]
http://www.tanaka-iin.or.jp/shinbun-123.pdf
※11:神奈川県予防医学協会HP
http://www.yobouigaku-kanagawa.or.jp/kenkana/455.htm
※12:橋本壽夫の塩の世界:たばこ塩産業新聞の「塩なんでもQ&A」
http://www.geocities.jp/t_hashimotoodawara/salt6/salt6-3.html
※13:大阪大学 老年・腎臓内科学 老年内科|高血圧・老化研究室
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/geriat/www/jgrpb4.html
※14:塩分とりすぎでなぜ高血圧に? 遺伝子レベルで解明 東大病院(日本生活習慣病予防協会HP)
http://www.seikatsusyukanbyo.com/calendar/2011/001769.php
※15:厚生労働省:「日本人の食事摂取基準」(2010年版)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/sessyu-kijun.html
※16:塩事業センター
http://www.shiojigyo.com/a080data/
※17:減塩運動で増加した高血圧患者!
http://www.chiffonya.com/shop/kouza/titoku105.htm
※18:ちょっと栄養学
http://homepage3.nifty.com/KOMBU/nutrient/nutrient.html
血圧ドットコム
http://www.ketsuatsu.com/index.html
なるほど高血圧ガイド
http://ketuatu.sakura.ne.jp/index.html

地質の日

2011-05-10 | 記念日
一般的に国語辞書などでは、「地質」とは、地殻を構成する岩石・地層の性質や構造のことを言い、「地質学」("Geology)とは、これらを専門的に研究する学問である・・・と書かれている。
今日の記念日「地質の日」は、その地層、岩石、土壌などで構成される大地の性質である「地質」について、多くの人に理解を深めてもらおうと、地質関係の組織・学会が発起人となり、2007(平成19)年に制定された。
その翌・2008(平成20)年に日本地質学会は、「地質の日」制定記念イベント実行委員会(現:事業推進委員会)を、実施母体として立ち上げ、その後、この日を記念した多くのイベントを、全国各地の博物館・大学で開催してこの記念日を広めていく活動をしているようである。
記念日の日付は、ベンジャミン・スミス・ライマン(B.S.Lyman )らによって、日本で初めて広域的な地質図、200万分の1「日本蝦夷地質要路之図」(地図は※1参照)が、1876(明治9)年のこの日に、つくられたことによるそうであり、又、1878(明治11 )年のこの日は、地質の調査を扱う組織(内務省地理局地質課)が定められた日でもあるそうだ。
幕末から明治にかけて、日本は「殖産興業」などを目的として、欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために多くのお雇い外国人を雇用したが、このライマンもその1人、米国の鉱山学者であった。
彼は、1872(明治5)年と1876(明治9)年に北方開拓のために置かれた開拓使の招待や工部省の依頼で日本各地の石炭・石油・地質調査にあたり、1881(明治14)年に帰国するまで自身の日本人助手に教育するなど日本の地質学に貢献したという(※2)。
ところで、わが国の気象観測の歴史は、明治政府が、1871(明治4)年、工部省に測量司を置き、東京府下の三角測量を始めたが、測量師長は、やはりイギリス人のお雇い外国人であるマクビーン (CA McVean。 明治元年に灯台建設のため来日、明治4年に工部省測量司に移る)で、その測量助師のジョイネル(H.B.Joyner: 明治3年に京浜間鉄道布設のために来日、明治4年に工部省測量司に移る)が、明治政府に気象観測の必要性を建議したことにはじまり、以後、1872(明治5)年に日本初の気象観測所が函館に開設され、1875(明治8)年には気象庁の前身の東京気象台が現在の東京赤坂に設立され、地震観測と1日3回の気象観測を開始したのだが、マクビーンが気象観測のために日本への招へいと気象器械の調達を依頼したシャーボー(H.Scharbau)は、来日の際「日本は地震が多いと聞いたが、測点が移動しては困る。日本で測量をするにはまず地震観測が必要だ。」と考え、イタリア製の地震計を気象器械とともに持参したという。
だから、当時から、外国人には、日本に地震が多いことは良く知られていたわけであり、日本は当然、地震対策を、確り、行っておかなければならないはずであるのに、建築物でも、構造設計偽造に始まる違法な建築などが多く見られた(2005年)ことに憤りを感じたことは以前に、このブログ天気図記念日でも書いたことがる。
日本地質学会は、地質学の発展や普及を目指して、今から100年以上も前の1893(明治26)年に東京地質学会として創設されたものが、1934(昭和9)年に日本地質学会に名称を改称。2008(平成20) 年12月1日には、一般社団法人日本地質学会を設立し、昨・2010(平成22)年 5月23日には、それまでの任意団体日本地質学会を解散し、すべての事業及び財産は、一般社団法人に受け継がれており、事務局は、東京都千代田区の井桁ビル6Fに置かれているそうだ(同学会HP※3参照)。
冒頭の画像は「地質の日」事業推進委員会作成の2011年版「地質の日」ポスターである。このポスターは、未曾有の大災害をもたらした東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災)が発生したその前日である3月10に出来上ったものだというからなにか因縁めいたものを感じる・・・・・。
日本地質学会HPによれば、地質学の英文字“Geology”は、18世紀末に「Geo(地球)+logy(学問)」の合成語から誕生した言葉 であり、この言葉に込められた思いは「地球を科学する」ことであったが、この言葉が生まれて以降、19世紀~20世紀前半にはもっぱら固体地球(地球の表面から大気圏水圏を除いた岩石圏)表層の地殻の岩石や地層そして化石などを対象として地球の歴史や現象を包括的にあるいは個別的に研究する ことを主としたことから、そのような分野に対して限定的にGeologyというようになったようだ。
しかし、20世紀後半に、人類史上はじめてプレートテクトニクスという科学的包括的な地球観を得て以来、地球に関する科学を一般にはGeosciences(地球科学)と呼ぶようになった。
つまり、地球諸科学が融合して「地球を知る」作業が必要となった。このことがそもそものGeo-logy成立の精神であったのであり、今後、地質学は切迫する地球環境問題や大規模自然災害の解明などに答えながら益々発展する科学である・・・としている。
しかし、今回のマグニチュード9と言われる東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は日本の観測史上最大で、津波も想定を遥かに越える規模であった事が、被害を甚大なものとしたといわれている。
だが、日本地質学会HPではこのことについて、”数百年毎に一度の頻度で超巨大地震が発生している可能性に、一部の研究者は気付いていた。海岸近くの地層に、過去の大津波の痕跡(津波堆積物)が報告されており、その研究から、日本では観測された事がない超巨大地震が大津波をもたらしていた事が、北海道でも,東北日本太平洋側でも報告されていた。また、そうした堆積層が何層にもわたって存在しており,その年代頻度から次の襲来が迫っている事も警告されていた。
こうした超巨大地震は、最近数十年間においてもスマトラ(ここ参照)やチリ(ここ参照)などで発生し、甚大な被害を与えたことは記憶に新しく、これらの超巨大地震が今回と同じ海溝型地震(ここ参照)であることを考えれば、そして最近の研究結果からみて、超巨大地震は想定しておくべき事であった。“・・と、反省している(東日本大震災に関する地質学からの提言参照)。尚、津波堆積物の調査報告などは以下参考の※3・※4など参照されるとよい。
つまり、これまでの津波堆積物の調査から、869年に起きた「貞観地震」の津波で、当時の海岸線から仙台平野で数キロ、石巻では3キロ以上津波が押し寄せたことが判明しており、しかも、そうした大津波は、貞観津波も含め過去にほぼ1000年に1回の頻度で4度も襲来していたのであり、貞観津波からすでに1000年以上(1141年)経過していることから、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震を契機に、地震対策特別措置法により、政府の地震調査研究推進本部のなかに1995(平成7)年に設置されている地震調査委員会(※6)の長期評価部会でも今年2011年2月以降、貞観津波の時と同規模の地震が再来する可能性について「切迫性があるのではないか」という意見があり、議論を続けていたという(※7)。
北アメリカプレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレートがぶつかりあっている上にある日本は、かって大陸の朝鮮・中国と繋がっていたものが、大陸プレートの下への海洋プレートの沈み込みが原因で今のような弧状の島になったといわれており、日本に火山が多いのもこの為だ。
このように、日本列島の成因そのものがプレートの動き、地震と大きくかかわっているのだから、日本は他の国と違って絶えず地震の脅威にさらされており、日本に住んでいる限りは、地震を避けて生きてゆくことはできないのだから、当然に十分な備えをしておかなければいけなかったはずなのに・・・・・。
阪神淡路大震災以降、日本列島の各地で、地震活動が活発化し大きな被害をもたらしていたにもかかわらず、比較的地震活動が静穏期にあったと思われる頃に想定されていた耐震設計や防災基準も、貞観地震・津波の再来の様な「複合型」巨大地震・津波を考慮したものとなっていなかったのだが、実際には起こることは想定されていたにもかかわらず、安全性よりも効率や経済性を優先してその対策を怠っていただけなのに、いざ、災害が発生してしまうと、いつも「想定外のこと・・・」が発生・・・などと言っているのはいかがなものかな~・・・・。
この災害に懲りてかどうか・・・、5月6日、菅直人総理は海江田経済産業大臣を通じて、東海地震の震源域に近いことなどを理由に、防潮堤建設など中長期対策の完成までの間、静岡県御前崎市にある「浜岡原子力発電所」の全原子炉の運転停止を中部 電力に要請、中部 電力は全面停止を受け入れることを決めたらしい。安全面を考えれば、原子力発電など出来るだけ使用しない方がよいのだが、これから夏に向けての電力不足による経済活動の低下が気になるところだ・・・。
しかし、近く発生が予測されている巨大地震は東海地震だけでなく、政府の地震調査委員会は2007(平成19)年1月1日を基準として東京湾北部を震源とするM7級の首都直下型地震が、今後30年以内に70%の確率で発生すると予想していた(※7)が、今年・2011(平成23)年4月、東京大学地震研究所のグループは、東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を発表しており(※8)、首都直下型地震の発生がより心配される状況となってきたようだ。
2007(平成19)年11月名古屋大学の鷺谷准教授は、過去400年の地震分析から、内陸で地震が起きると、その後数十年にわたりその周辺で大地震が起きやすい傾向があると指摘しているそうだ(※9)。
何もかもが東京に一極集中している日本において、東京を直下型地震が襲ったら・・・日本は一体どうなるのであろうか・・・。
そのようなことを考えれば、単に、地震や津波に対する建物や原発等への対策だけで無く、地方への権限委譲を進めた、首都機能の分散もしておかなければいけないのではないか・・・。
今回の震災で、自然の恐さを厭と言うほど痛感させられた人類・・・特に危険なプレートの上にいる日本人は、今日「地質の日」に地球上に生きる難しさを再認識し、この地球のこと、地殻のこと、そして地震などのことを学ぶ機会にしてもよいだろう。
参考:
※1:[地質トピックス]地質の日企画:札幌軟石を楽しむ!!
http://www.gsh.pref.hokkaido.jp/publication/gshnews/news_pdf/vol26_no2.pdf#search='地質図 日本蝦夷地質要路之図'
※ 2:ライマン雑記11北海道地質測量調査
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1995/02/95_02_10.pdf#search='ライマン雑記 日本蝦夷地質要路之図'
※3:日本地質学会 - 『地質の日』
http://www.geosociety.jp/
※4:仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf#search='藤原 治ほか編, 2004, 地震イベント堆積物.地質学論集, 58号.'
※5:石巻平野における津波堆積物の分布と年代
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/seika/h18seika/pdf/shishikura.pdf#search='津波堆積物'
※6:地震予知と地震調査研究に関係した組織
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/abe/abe-homepage.html
※7:内閣府・防災情報のページ 
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/taisaku_syuto/syuto_top.html
※8:首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研 – YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110422-OYT1T00974.htm?from=top
※9:今後の地震予測
http://juki.nomaki.jp/jishin-kongo.htm
毎日JP:地震:「連動する地震は想定外」…地震調査委委員長
http://mainichi.jp/select/today/archive/news/2011/03/12/20110312k0000m040178000c.html
浜岡原発、首相の要請を受諾…運転停止へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110509-00000803-yom-pol
東京大学地震研究所
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/
プレートテクトニクス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9
固体地球科学 - 日本地球惑星科学連合 Japan Geoscience Union
http://www.jpgu.org/science/sci_descrip_4.html
地質ニュース427号ライマン雑記
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1990/03/90_03_06.pdf#search='ライマン雑記'
(独)国立公文書館>ぶん蔵>気象事業の歴史.
http://www.bunzo.jp/archives/entry/001081.html