今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

マナーの日(2-1)

2013-10-30 | 記念日
日本記念日協会の今日・10月30日の記念日に「マナーの日」がある。
ビジネスマナー、一般マナーなど、あらゆる場面において必要不可欠な「マナー」について見直し、生活に役立ててもらうことを目的にNPO法人・日本サービスマナー協会が制定(※1参照)したもの。日付は協会が設立された2008年10月30日からだそうだ。
同協会のHPでは、同協会について以下のように紹介している。
“企業が成り立つ重要な要素として、「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」があると言われる中で、この不況を乗り切るために一番重要とされているのが人材教育だと言われている。 特に最近は「人は財産」という考え方から「人財」とする企業も多くなってきた。
現代の社会では今まで以上に顧客に対する現場の対応力が問われるようになり、相手先の企業やお客様とどのように接することが出来るかということが顧客満足度(CS)を高める重要な要素となってきている。
当協会はエアライン・ホテル・旅行・ブライダルなどの接客サービスが求められる業界の接客サービス研修から、一般企業の社員研修、大学生のための就職活動に向けたビジネスマナー教育などを通じて、相手先の企業担当者やお客様に喜んでいただけるサービスがきちんと提供できるような技能を多くの人たちに身につけていただくための研修教育を提供できる事を大きな目的としている。”・・・・と。

「お客様は神様です」は三波春夫の有名なフレーズである(※2参照)が、確かに、サービス業(サービスを取り扱う産業)のビジネスマンにとって、相手先の企業担当者やお客様に満足度を高めなければ、成果は得られないし、そのために必要なビジネスマナーは当然身に着けておく必要があるだろう。
企業における経営管理(経営管理論参照)とは、企業活動を円滑に行うとともに、企業の目的を達成するために、「ヒト・モノ・カネ・情報」の4つの経営資源を調達し、効率的に配分し、適切に組み合わせる、といった諸活動のことである。
中でも特に、主体的に行動する「ヒト」(人的資源)が重要であり、これに上手く働きかけて、組織化し協働させたり、活性化させ(もしくは能力を発揮させ)たりするようなシステムを如何に構築するかということが主要な課題となっている。

企業は人間を扱い、その人間を使う企業人も人間である。つまり、人間が人間を使う組織であるが、これが、企業経営の本質的問題でもあるともいえる。
そのようなことから、近頃では「人材」に「人財」という言葉が充てられることが多くなった。
人材」の「材」は「材料の「材」であり、「人財」の「財」は「財産」の「財(たから)」である。
「人材」に「人財」という言葉が充てられるようなったのは、企業が、「あなたは企業にとって『材料』ではなく貴重な『財産』ですよ。」というメッセージを、「人財」という一言に載せて発信することで、従業員を大切にする姿勢を伝えようとしているわけである。
つまり、人が企業の中の単なる歯車の一つではなく、感情を持つ一人の人間として、「会社のために頑張りたい!」との意欲を高めるために・・・、
モチベーション(動機づけ)のために使っていると言っていいだろう。
ただ、企業が何の施策もなく、「人財」という流行の言葉を意味もなく使っているだけでは従業員は誰も会社を信用しなくなるだろう。「人財」という言葉を使用するためには、何故「人材」を「人財」と使い分けているかの理由や、「人財」として人を大切にする制度が、会社の中にしっかりと存在していなくてはいけない。
「人材」の「」という字は「木」+音符「」の会意形声文字(字源参照)であり、決して悪い意味だけではなく、「材料」という意味とともに「才能。また、才能のある人」という意味もある。要するに人材は単なる「労働力」や「人的資源」ではなく、今の企業経営にとって大きな役割を担い、多様な資源を提供してくれる企業経営におけるパートナーだということを実感させなければ、「人財」などという言葉を使ってもそれは単なる言葉遊びにしか過ぎないといえるだろう(※3参照)。
私が現役時代関係していたある大手流通業社では、就業規則その他諸規定(※4参照)がよく整備されており、中でも、就業規則の中での賞罰に関する規定(報奨・懲戒処分※5参照)では、守らなければならないことを「こんなこと社会人としての常識じゃ~ないか」と思われることまで、非常に細かく定めていた。
恐らく他社の人達が見れば驚くほど詳しく書かれており、その是非については賛否両論があるだろうが、急成長をし、若い社員や、パート・アルバイトを多数採用していた同社では企業の組織力を発揮するためのツールとして非常に重視をしていた。
それは、「会社の最低限守らなければならない規則を守りさえすれば、あとは何をしようとも自由ですよ」ということの表明でもあり、その趣旨や理由、企業人として会社で働く上で必要な最低限守らなければならないルールやマナー・・・、この基本的なことだけは入社後の教育時に徹底的に教え込まれる。
一方、会社は人を大切にし、特に、個々人の個性は非常に尊重にする。そして、10年20年先を見通した将来の会社に必要な人材の養成にも非常に力をそそぎ、教育投資を惜しまない。学歴や男女間の格差などは一切せず、完全な実力・能力主義を基本とし、こと評価に関しては、同じ仕事をしている以上年齢による差別もしない。
そして、頭は良くても口先だけで行動しない人ではなく、失敗を恐れず積極的に行動する人が評価された。結果的に、たとえ、失敗しても再挑戦のチャンスが与えられた。
そんな会社の人事制度をよく知る人からは「教育の○○」と高く評価されていたが、そのことが、結果的に非常に優秀な人材を多く育て、今では、その人たちが中心となって会社を支えており、業界では日本のナンバーワン企業といわれるまでに急成長を遂げている。

「世の中には、法律とか、法則とかいうものがあって、これは外圧的に人間というものを一束(ひとたば)にしようとする。貴方がたも一束にされて教育を受けている。十把一(じっぱひと)からげにして教育されている。そうしないと始末に終(お)えないから、やむをえず外圧的に皆さんを圧迫しているのである。これも一種の約束で、そうしないと教育上に困難であるからである。その約束、法則というものは政治上にも教育上にもソシャル・マナーの上にもある。
飯を食べるのにサラサラグチャグチャは不可(いけ)ないという。そういうのはこれは法則でしょう。それから道徳の法則、これは当り前の話で、金を借りればどうしても返さねばならぬようになっている。それから芸術上の法則というのがある。これがまた在来の日本画だとか、御(おのう)だとか、芝居の踊りだとかいうものには、非常に究屈(きゅうくつ)な面倒な固(かた)まった法則があって、動かすことが出来ないようになっております。・・・」(夏目漱石 『模倣と独立』 より、引用。※6の「青空文庫」参照)
『模倣と独立』は、第一高等学校校友会雑誌所載の筆記によるものである。
漱石は、1913(大正2)年、第一高等学校における講演で、道徳、芸術、社会などにおいて人は常に「模倣」(英語:イミテーション【imitation】)をする。一方で人間は「独立」(英語:インデペンデント【independent】)していてスペシアル(【special】。特別、特殊)なものである。人はこの両面を持つが、日本に必要なのは他国の模倣ではなくインデペンデントだと説いている。
この中で、「人格から出た品位を保っている本統(ほんとう)の紳士もありましょうが人格というものを度外(どがい)に置いて、ただマナーだけを以て紳士だとして立派に通用している人の方が多いでしょう。まあ八割位はそうだろうと思います。気高(けだか)いというものがない。」・・とも言っている。

ここには、ドイツの哲学者カントの思想が入っているように思われる。
カントは行為の結果よりもそれをなす動機となる《善意志》こそ重要だと考えており、この《善意志》にもとづき、道徳法則(※7参照)の命じる道徳的行為を、実践理性(実践理性批判も参照)で捉え自律的に行う主体である人間を、「人格」と呼んでいる。
カントは道徳律(Sittengesetz)を「仮言命法」としてではなく、「定言命法」(kategorischer Imperativ)として受取ることである。 仮言命法とは、「もし…なら…べきだ」というものである。道徳律においても、このようなものは多く見られる。たとえば,「もし人から信用されたいのならば、嘘をついてはいけない」とか、「早起きは三文の得」などがそれにあたる。それに対して、条件なしに「…すべきだ」とだけ命ずることを定言命法(無上命法)という。(詳しくは、※7、※8参照)
個人の心理面での特性。人柄。または人間の人としての主体である人格形成には、事故や病気等による外的要因を除いて、幼少期における経験や体験が大きく影響を与えているとされている。
人格は、英語でパーソナリティ【personality】とも表現されるが、その場合、日本語の「人格者」のような肯定的な価値は含まれないが、パーソナリティの形成に影響を及ぼすのは主に遺伝要因と環境要因(※9参照)であり、両者は密接に結びついている。
前者は気質と深く関連する生理的・身体的特性に影響を与える。後者は家庭環境と自然的・文化的環境とに分かれ、そこでの成長・適応の過程で個人のパーソナリティに影響を与える。

品位とは、判り易く言えば気品や品格、人品などともいわれるが、個人ないし特定の団体が、礼儀 (人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。)や節度(行き過ぎのない適当な程度。ほどあい)や人徳(その人の身についている)、気高さに富む様をいい、そうした、品位の保持は人々より尊敬、或いは信用を受けるとされる。
この品位は特定の作法やマナーなど、立ち居振る舞いを厳格に定める価値基準も存在するが、基本的にはきわめて観念的な国際的価値観であり、国際的な権威であるマナー・プロトコル(国際儀礼)など一位の行動基準を共有する外交や通商の場の他は、それぞれの国や習俗により差異もあり、その価値観も一定ではない。
いずれにせよ、身だしなみや言葉遣いはもとよりルール(【rule】規則)やマナー(作法を含む)、立ち居振る舞い、他者や周囲への気遣い・気配りなど日常的な自律的行動が品位の醸成につながるとされることは確かである。
こうしたことから、幼児期から(しつけ)や行儀作法 (立ち居振る舞いのしかた)やテーブルマナー(食事の際のマナー)などの教育に力を入れる学校や家庭も多く存在する。
このような品位は家庭教育や学校教育の他、社会的な鍛錬などにより洗練されることも多いが、最終的には個人の心がけによるものである。また、身だしなみやマナーや行儀作法の修得といった外面的な修練も品位には欠かせないが、基本にあるのはむしろ内面にあるといえる。
例えば、落ち着いた態度や節度、言葉遣い、他者や周囲への気配り、遠慮、謙虚さなどが重要な要素である。 外面的に品位の保持に努めたとしても、それに相応しい行動や気配りが伴わなければ評価を受けず、人徳が豊かであっても自己流で他者から評価されなければ品位あるともみられない場合もある。
社会的には、就職活動に際しての、身だしなみや言葉遣い、態度が評価される他、営業や交渉、催しの開催に際しての対応、公的な場での言動などにおいて品位が問われる場も少なくなく、公務員や公的な資格に基づく職業については法律にて品位の保持が規定されているものもある(法律で品位の維持を義務付けられている地位・職業参照)。
このような、品位の保持とは自ずから心がけとして行うものであり、他者に見せ付けたり、強要することは本来の様ではない。さり気なく自然に備わる様であるといえる。

さて、本題のマナーについて書く前に、今月初めの毎日新聞の夕刊社会面の「憂楽帳」という記者が書く短めのコラムに面白いことが書かれていたのを思い出す。詳細は忘れたので、以下参考の※10:「憂楽帳 アーカイブ:毎日jp」の2013年10月05日付記事から以下に抜粋する。
アルゼンチンブエノスアイレス2020年夏のオリンピック開催地を決めるIOC(国際オリンピック委員会)の総会が行われ、東京がプレゼンテーションを行いました。その­なかで滝川クリステルさんが「おもてなし」の心をアピールし、IOC委員に東京招致を­訴えました。
ワシントンでタクシーに乗った時、目的地の30メートルほど前で「降りろ」と言われた。戸惑いながら従うと、 運転手は新しい客を乗せて走り去った。米国人の助手に尋ねたら「次の客を見つけたら手前でも降ろす。時々あります」。
政治のあおりとはいえ、今月から観光施設まで閉鎖された(※11参照)のも「サービスは二の次」という体質の表れだろう。
だが、米国には別の顔もある。ワシントンに赴任して間もなく、現地校に通う娘が8歳の誕生日を迎えた。
パーティーに10人以上の同級生を招待したが、「急に転校してきた外国人のためにどれだけ集まってくれるだろうか」と 直前まで気をもんだ。ところが、ほぼ全員が大きなプレゼントを抱えて次々と駆けつけ、盛大に祝ってくれた。
東京五輪の招致演説では「日本のタクシー運転手は世界で最も感じが良い」と「おもてなし」の精神がアピールされた。
確かに日本人のきめ細かな配慮は世界に誇れる。しかし、ヘイトスピーチが公然と繰り広げられる国に外国人を 分け隔てなく迎え入れる文化は根付いているだろうか。」・・・と。

2020 TOKYO Olympic Games滝川クリステル『おもてなし』字幕付フルスピーチ

以下参考※12:MSN産経ニュース-【主張】では「ヘイトスピーチについては今年5月の国会審議で、安倍晋三首相は「結果として自分たちを辱めている」と指摘し、「日本人は和(和の文化を参照)を重んじ、反日デモでは、多くの日の丸が焼かれた。侮蔑的な言動もあったが、その多くは放置された。日本と日本人は国内で、あらゆる国や民族へのそうした行為を許さない。そういう存在でありたい。」・・と述べられているがその通りである。

しかし、最近、ネット上では誹謗・中傷が氾濫し社会問題化している中、金沢市の「餃子の王将金沢片町店」で客の男が裸になってすらりと並び、その画像がインターネット上に 公開された事件でこのうちの客の2人(風俗店経営者・店長)が威力業務妨害と公然わいせつ容疑で逮捕されたり(※13参)、札幌市の衣料品店「ファッションセンターしまむら」で購入した商品が不良品だと訴え、店員に土下座させ、その様子を写真に撮ってTwitterに投稿した女性が強要罪の疑いで逮捕されるといった事件が相次いでいる。
また、危険な携帯電話などを見ながらの自動車や自転車の運転をしたり、公共の場(特に病院内や混雑した電車内など)で携帯電話などの使用を控えるように注意されていても、ほとんどの人は守っていない。若い人だけでなく中年以上のいい大人まででが・・・。
今のIT社会(IT【Internet Technology】。今ではICT【Information and Communication Technology】ともいう。日本語では一般に「情報通信技術」と訳される)、でのマナーや常識がなかなか守られていないなど、近年はIT社会だけでなく、一般の社会でも日本人のマナーはかなり、乱れてきているようには思われる。

マナー (英語【manners】)と は、一般的に礼儀、行儀・作法を指すが、このマナーは、日常生活をしていく中で自然と身につけていく作法であり、○人に会ったら挨拶をする、○目上の方には敬語を使う、○何かしていただいたら「ありがとう」と言う、等々、誰か人と会うとき、誰かと会話をするとき、誰かとものを食べるとき、自分がやりやすいように、そしてほかの人が不快にならないように気をつけることなどありとあらゆる場面にある。
マナーの様式は、多くの場合、堅苦しく感じられるが、その形はその社会のなかで人間が気持ちよく生活していくための文化や知恵であり、こうした方が美しいであるとか、素晴らしいであるとか、気持ちが伝わるであるとか、そのような行儀や作法である。
このようなマナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。また、くわえタバコやものを食べながらでの歩行、など、個人間でも価値観や捉え方による差異もあるし、ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば、日本では食事の際に飯椀を持ち上げて食べることが一般的であるが、諸外国では逆に皿を食卓に置いたまま箸や匙、フォークを用いるのが一般的であり、食器を持って食べることはマナー違反とされる等々・・・。
マナー自体が絶対的な定義によって決められる物ではないため、絶対に正しいマナーが存在しないことも珍しくない。
そのため、人によってマナーと思われる作法、礼儀、行儀が異なるケースがあり、複数のマナーが衝突することもある。
最近は、注意をすれば逆切れする人(特に若者)が多くなったようで,
うっかり、注意も出来ない。それに、戦後教育(教育改革参照)のせいか、法に触れなければ何しても構わない(自由だ)と言う思想がはびこっているように思われる。
そのようなことから、個々人が自分の世界にあり、持っている文化がまちまちになるということは、個々人の文化がバラバラの状況になってくるわけで、そうなると、異文化の衝突が非常なストレス社会(※15参照)を生む一因にもなり、世の中の人の心が荒んでくるのではないかと思われる。


●上掲の画像は、2013年10月8日付朝日新聞朝刊に掲載されていた画象である。インドネシア・バリ島を訪問している安倍晋三首相の昭恵夫人が、7日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)参加国首脳らとの記念撮影の際、韓国の朴槿恵大統領(右端)と笑顔で言葉を交わし、握手している場面である。一方、既に別の会議で朴氏と握手した首相(後列左端)は昭恵夫人の様子を見守っている。
この写真を見た翌日の朝日新聞朝刊(10月8日付)の天声人語には、良いことが書かれていた。それを以下に抜粋する。
「いい笑顔は、相手の心に素直に飛び込むらしい。昨日の本紙面に載った安倍昭恵さんの写真は良かった。あの表情で向き合われたら韓国の朴槿恵大統領も白い歯で応じざるをえない。『往く言葉が美しければ、来る言葉も美しい』。かの国の言葉をふと思い出した。
一部地域は紙面の都合で載らなかったが、首相夫人と大統領は笑顔で握手を交わした。朴氏も作り笑いには見えない。冷え切り、すさびきった日韓の関係(Category:日韓関係参照)にかすかな明かりを見た人もいたのではないか。
先月昭恵さんが、日韓交流の行事に参加したとネットに投稿したら、批判が相次いだ。昭恵さんは「色々なご意見がおありだと思いますが、お隣の国ですので、仲よくしてゆきたい」と書き足した。ファーストレディーとしてなんら間違ってはいまい。
歴史や領土でにらみ合う現実は、むろん甘くはない。反日に嫌韓が応酬して「売り言葉に買い言葉」の観をなす。しかし、そうでない人も多い。
ノーベル文学賞候補にあがる韓国の詩人高銀氏が3・11直後に韓国紙に寄せた「日本への礼儀」と題する詩は忘れがたい。一部を紹介すると、
<あんなにもだいじにしていたあなた方の家/みな流れていた。・・・>
<しかしながら、日本は今更にうつくしい/決してこの不幸の極限に沈没せず/犯罪も/買占めも/混乱もなく/相手のことを自分のことと/自分のことを相手のことと思い・・・>(青柳優子訳)。
海峡を越えてこうした言葉が行き来しないか。}・・・・と。

[東日本大地震 ] 日本への礼儀 (韓国詩人 ) -

現在日韓関係は不幸にして領土問題等のために冷え込んでいるが、いかなる国同士であろうが、一国の首脳が、国際舞台で顔を合わせば、笑顔で挨拶ぐらいは、社会人としてのマナーというよりも人としての常識(人格)によるものだろう。国際間のいがみ合いは、いくら時間がかかっても両国間での話し合いで解決するか、それがだめなら国際司法裁判所で解決するしかないだろう。それを、話し合いの機会をも拒否していると、戦争でもしなければならなくなる。
いがみ合っている国の首脳が笑顔で挨拶している姿を報道できない国なんて、文化程度の低い未成熟の国であることを表明しているようなものだろう。
3・11東日本大震災、では高銀氏の詩で歌われるように、悲惨な状況の中で、涙なしには語れない美しい秘話も多く聞いているし多くの人が同情と感動を得たことだろう。それを一番わかってくれた台湾などは国を挙げて支援をしてくれた。本当の意味での友好国と言えるだろう。この様な災害に対する支援の方法を見てもその国の品格が窺える(東日本大震災に対するアジア諸国の対応参照)。
ただ、3・11東日本大震災での高銀氏の歌「日本への礼儀」では、「日本は今更にうつくしい」として、色々褒めそやしてくれてはいるが、実際には、このような美しい話ばかりで悪い話はなかったのだろうか。
わが地元で起こった1995年(平成7年)1月17日(火)の阪神・淡路大震災では、耳にしたくないことも多くあった。
多くの家屋が倒半壊し、その修復にどの家庭も苦労をしている中、これ幸いと非常に多くの業者が、全国各地から神戸に押し寄せてきた。そして、契約をしてお金だけを騙し取り、工事をしないまま帰ってしまったり、工事はしても不当な工事費を請求する。質の悪いいい加減な工事をする等々、よくもまあ、途方に暮れている人間を相手にこれだけあくどいことができるものと感心するほどのひどい話を多く聞いた。それも、いま日本で大流行りのおれおれ詐欺(振り込め詐欺)同様に、お気の毒な年寄を食い物のにしてのものが多い。
こんなことは、建設業界だけでない。電気は意外に早く復旧したがガスが使えないので、ガスボンベなどを買いたいと思っても、それを1本1000円もの高値で販売するといった具合である。私などそれを目にしている。中には、がれきの山で公共交通機関どころか自動車さえ市内に入れない中で、善意のボランティアの人たちが、遠くからバイクなど使って応援に駆け付けてくれ、被災者の家の中に入っている一瞬のうちに、そのバイクが盗まれる。三宮などの市街地では宝飾店等多くの店がどさくさの中でシャッターを破られ盗難に遭う。
また、家屋が倒壊した避難民が宿泊している避難所の中でも現金など貴重品が盗難に遭っているなど、情けないことがあちこちで起こっていた。そして、家屋等倒壊の被害は免れ、避難所に避難することはなかったものの、食べるものがなく、避難所には全国各地からの支援物資が来ているので、それを分けてもらおうと非難所に行くと、家屋が倒壊もせず、非難する必要もないのに食べ物だけを貰いに来たと避難所の人から白い目で見られるなど、数え上げたらきりがないほど嫌なことは多く聞いている。
マスコミではそんな車も入れない街中に入ってまで現実の状況を取材はしていないので、そのような不幸な出来事はごく一部しか報道されず、善意のボランティアの活躍ばかりが報じられていたように思われる(※16参照)。
東北地方の場合には地震での家屋の倒・半壊ではなく津波ですべてを流されてしまったため、神戸のように中途半端な半壊の家屋などが少なかったことから、あくどい建設業者による詐欺や、また盗難なども少なかったのかもしれない。また、素朴な東北の農・漁村地と、世知辛い大都市神戸との地域差によるものなのかは知らないが・・・。
理想主義者の詩人などには、日本が悪いことなど何もない理想郷ように見えたのだろう。
いずれにしても、今の日本が、詩で詠われるような「美しい国」と褒めそやされるといささか恐縮の至りである。もし日本以外の国の人々が、日本がそれほど美しい国に見えるのなら、その国の内情はもっともっとひどい状況なのだろう。そうであれば、やはり、まだまだ、他国から見るとよい国なのだろう。日本に住んでいることを幸せに思う。


マナーの日2-2

マナーの日:参考へ







マナーの日(2-2)

2013-10-30 | 記念日

そもそも人格などの前提ともなる、マナーなどは、生まれてから日常生活をしていく中で自然と身につけるものであるが、特定のコミュニティ、文化の中で作られていったマナーについては、自然と身につける機会は非常に少ない。また、場合によっては一般的なマナーとは全く違う考え方によって「行儀が良い」とされることもある。
漱石の 『模倣と独立』の中にも「約束、法則というものは政治上にも教育上にもソシャル・マナーの上にもある。」と出てくるが、「ソーシャ・ルマナー」という言葉最近よく聞くようになったと思いませんか?
英語では「Social manners 」、ソーシャルは「社会」のことだから、「社会で活用できるマナー」、「社会で役立つスキル」と言える。対人関係の多い商人などには必須となる。
食事のマナーや、冠婚葬祭のマナー、人との付き合いのマナー、ビジネスマナー等々、色々なマナーが想像されるだろうが、結局は、マナーとは、思いやりの心を、形に表すことで、日本語で言うなら、「礼儀作法」と言う言葉になる。
江戸時代のことわざに、「三つ心(みっつこころ)、六つ躾(むっつしつけ)、九つ言葉(ここのつことば)で、十二文(じゅうにふみ)、十五理(じゅうごことわり)で末(すえ)決まる」・・・・というものがある。
江戸の町人のは、意外に厳しく、しかも道理に適っていた。昨今問題になっている社会の教育力が江戸期には息づいていた。
諺の意味は、3歳までは愛情深く、子供に接し、子どもの人に対する信頼感を植え付け、6歳までには作法の基本を身につけさせる。
9歳までには他人への口の利き方を教える。12歳になると文字が自在にあやつれるように仕込み、そして15歳になると森羅万象に対してその真実を見抜く力を養っておく、というのが江戸時代の段階的子育て(躾)の基本であった。

●上掲の画像は、『女中風俗艶鏡』 (じょちゅうふうぞくつやかがみ。西川祐信画)より、子供をあやしている図である。(NHKデーター情報部編『ヴィジュアル百科江戸事情』第二巻生活編より借用).
子供を育て、躾(しつけ)るのは母親の役目である。子供のしつけの基本的なものは、遊び、食事、排泄、睡眠。母親や祖母たちから叱られたり、あるいは、仲間の子と一緒に遊びながらそれを習得してゆく。
昔から「三つ子の魂百まで」ということわざもある。三歳までは愛情いっぱいに子供のを育てる。4 歳から7歳は、理性、知性、社会性が育つ時期といわれているので、6歳までには大人の立ち居振る舞いを見習わせ躾を終わる・・というのもこの時期にしなければならないこととぴったり・・・。
9歳までには、どんな人にも失礼でない挨拶(あいさつ)ができるようにさせる。12歳のころには一家の主(あるじ)の代わりに手紙を書けるようにしておくことである。注文書や請求書、苦情処理の弁解書(弁明書)などもまがりなりにも書けるよう鍛育していたようだ。さらに15歳までには、経済や、物理、科学などのを暗記でなく実感として理解できるようにさせ、真実を見抜く力を養った。当時。15歳はもう一人前の大人であった。
いわば、知識より理解、つまり、「知る」ことよりも「わかる」ことの重要性を昔の人はわかっていたのかもしれない。「わかる」ことが人への共感や、思いやりの心につながる。
現代の感覚をもってしても、この格言には合理性があり、実に説得力がある。・・・というより、もはや現代では失われてしまった教育の原点、あるいは到達点といっても過言ではないだろう。今はどうなっているのだろう。
江戸時代は職業別に身分制度が編成され、それぞれの職業は家職(家業)として相伝されるところとなる。家の存続を願うとき、子どもを家職の継承者としていかにして一人前に育て上げるかが、それぞれの家にとって大きな課題でもあった。だから、育児と教育の責任は父親にあると考えられていた。
江戸時代には「良妻」という考えはあっても、「賢母」という考えはなかった。「賢母」の考えが自覚されるのは明治になってからのこと。父親の指導で育児の実労働に主として携わったのは、母親であったが、小家族の下級武家も庶民の父親も実際の育児を担っていた。父親も出産に立ち会い手伝っていたことがいくつかの史料から確認されているという。家族ぐるみで育児にあたり、親類や共同体もそれを支えていたようだ(※※18参照)。
ただ商いの取引や訪問客が頻繁な豪農や豪商を除くと、普通の人は「自然に放っておけば一人前になる」という考えが当たり前であった。変化が起きたのはサラリーマンの原型が出てきた明治の終わりくらいからだという。幼い頃からいろんなことを覚え、学校教育で成功することで「よりよい仕事に就き、よりよい人生を送るチャンスを得られる」というライフコースができたからだ。
昔だと、男の子の場合、高等小学校を出た14歳くらいで家を出て、住み込みで働いた。女の子だと、7・8歳ぐらいで子守り奉公に出されたりしたケースもあったし、14歳ぐらいで女中奉公や女工として稼ぎに出た。奉公先では、男の子の場合でいうと、最初は風呂焚きや掃除をし、いつの間にか仕事を覚えていく。何年間か見習いをやって、いずれ独立した。
今では学校に在学する期間が長くなっているから、「ここで切れ目」というのがはっきりしない。1974(昭和49)年くらいに高校進学率が90%を超え(※019参照)、90年代になると大学や専門学校への進学率が上昇し、昔だったら社会に出て自立せざるをえなかった年齢の青少年が、今では家庭の中でずっと親子関係を続けている。
現代社会の少子高齢化と人口減少の背景には晩婚化・非婚化の進展、ひいては「皆婚社会」であった戦後日本の常識的な家族像が大きく変わってきていることが挙げられる。
しかし歴史的に見れば、国民の大半が結婚し、直系家族等、親子を中心とする世帯を形成するのが常態化するのは近世(江戸時代)に入ってからであり、それ以前は大家族の中で未婚のまま過ごす者が少なくなかった。また都市における未婚率は高かった。
中世には名主名子被官を動員した大規模な農業経営が一般的であったが、戦国時代から江戸時代へと平和な時代になり、開拓が進むにつれて名子層は平野部に進出して自立し、17世紀中ごろには一夫婦とその直系家族による小規模な家族経営が大半を占めるようになっていった。これを、小農自立という。
この小農自立の流れを決計的にした背景には太閤検地がある。太閤検地は一地一作人制を原則とし、農地一筆ごとに耕作する農民を確定した。このことが家族を単位として耕作を行う近世農村への道を開いたのだ。
昔は、豪農や豪商など以外の一般の家庭では、子供を産んだ母親は、嫁として農作業や夜なべ仕事で休みなく働き、仕事の合間に子供に乳を与える時ぐらいが唯一ほっとできる時間であり、そのため、普段は、働けなくなった年寄りや年長の子供が子守りや世話をしていた。つまり、生活に追われていた母親は余り子育てに手間ひまかけられなかった。
しかし、少し子供が大きくなれば、奉公先や村のネットワークに参加してそこでしつけられた。だから、ムラ共同体の影響力が強かった。礼儀作法をはじめとして世の中を生きていくうえで必要なマナーやスキルはムラのルールの中で暮らしていけば、自然にいろんなことが身に付く、・・・と考えられており、親があまり教育的な配慮をすることの必要がなかったともいえる。いまは全く逆になっている。

幼い頃から子供を熱心に教育するというのは、社会の一部でずっと続いていて、それが「男が外で働き、女が家で子育てし、家庭教育する」というふうに分業したのは明治の後半からのことである。
明治時代に学校制度が誕生し、学校が始まったことで子どもは徒弟のために他家に行かずに、家で家族と共に生活するようになったからだ。このことから、家庭において子どもと見なされるようになった。親子の距離がそれまでよりも接近したゆえに親は子どもに対して愛着という感情を抱くようになり、親と子の関係が密になっていく中でそれまでにはみられなかった「情の結びつき」が発生した。つまり、それまでとは違って、子どもが「小さな大人」=「労働者」としてみなされなくなった。
そして、地域社会の共同体性も失われ、教育期間が伸びるにつれて親子関係が長期化していく中で、今では親が子供の面倒を見続ける時代になった。
つまり、前近代社会のように徒弟として家族以外のところで子どもを教育したり、地域全体で子どもを育てるという意識のあったころと比較し、子どもに対するいわゆる「しつけ」は家庭の母親がその責任を負うような形が出来上がってきたのである。
しかし、親は長期間、親としての責任を果たさないといけない。一方、子供はすぐに自立しなくてよくなった反面、いつまでも親の保護と干渉を受け続ける。親離れや自立が、いつどういう形で達成されるのかが見えにくい時代になった。
一方、地域の共同体(英語:community)というものは同質性を本質としている。村落などに見られるように、何代もに渡って互いに熟知した間柄を保ち、同じ生活価値を共有し、同じ掟を守る。しかし、都市化や郊外化に伴って、異質性が人間関係の基本となっていく。
故郷を後にして都会に出てきた人々は互いに見知らぬ者同士である。生活価値観も異なり、習慣や風習も異なる。この異質な者同士が社会を形成して公共的生活を営んでいくところに近代の特質がある。
同質性の関係から異質性の関係へ。このプロセスのなかで、それまでの地域社会や血縁の深い絆も解体していった。こうして、1960年代にはまだかろうじて残っていた共同体性が消えていった。
高度経済成長の頃から、核家族化が始まり、女性の社会進出、夫婦共稼ぎが普通となった昨今、家庭でのしつけも難しくなっている。

しかも、現代のコミュニティにおいては、様々なマナーが主張されるケースも多くなってきている。また、マナー自体が絶対的な定義によって決められる物ではないため、絶対に正しいマナーが存在しないことも珍しくない。
そのため、人によってマナーと思われる作法、礼儀、行儀が異なるケースがあり、複数のマナーが衝突することもある。

マナーとは個々人の主体的自覚に訴えたものである。人間は本来動物や機械のように外からの圧力(要因)によって動かされるものではない。外から律せられて動かされるのではなく、自ら律して意思で行動することができる。従って、自らの行動によって発生した問題に対して、その行動の「責任」は自分自身に帰するものだ。

だが、会社組織での働きとは、唯我独尊で自分一人が行うものではない。意見の異なる者であったとしても共通の目的に向かって協働して進むものだ。
マナーを守れないだけでなく、各人が、様々なマナーを主張されてはそれが無理だ。そのため、罰則付きの「決まり」の強制に変えたものがルール(rule=規則 )というものだ。
マナーは善悪の判断が主体的にできる人間を前提としたものであるが、ルールは放っておくと何をするかわからない人を前提としている。人間観でいえば、マナーは性善説、ルールは性悪説だ。
実はマナーとルールの対立は、漢字になおせば「」と「」の対立であり、二千年前の中国での儒家(孟子)と法家(韓非子)の対立にまでさかのぼる。
孔子自身は礼は士のもので庶人には無理とあきらめていた。つまり礼を基準として生きる者には法(罰)は不要で、そうでない庶人には法しかない、と思っていた。なぜなら礼とは「衣食足りて礼節を知る」というわけで、衣食を足らせるのに精いっぱいの人々に礼を要求することが所詮無理で、それらの人たちはせめて法に違反しないで他人に迷惑をかけなければよしとされていたが、現実には庶民といえども衣食が足りてくると、礼を求めるようになり、江戸時代初期、江戸庶民の間で小笠原流礼法が大流行した。そして、江戸の町では後に「江戸しぐさ」(※21参照)といわれる公共のマナーまで出来たのだ。
ところが、道徳の基準である武士階級がなくなり、さらに和魂洋才で生きようとした明治の精神も滅び、衣食を足らせることから再出発した戦後の日本人は、すでに礼とは無縁の人種となっていた。
「違法でなければ個人の自由=法に触れなければ何をやってもいい」という倫理の最低水準付近をうろつく発想には、「ベストな振舞いとは何か」という理想水準を問題にする礼の入る余地がない。そうなると、法(罰則)でしばるしかない。
礼は善悪を自律的に判断できる自己の尊厳を守る。「決まりだから守れ」という無思考な発想をとらない。守るべきだから守るのだ。礼で自己制御できる人には権力による強制によって法で縛る必要はない。だから、法など作らなくて済むように礼を守ることが大切なのだが・・・(※22参照)。しかし、現代の日本では、ルールを徹底しなければいけない状況があまりにも多くできてきているように思う。
昨今、緊急性の低い症状でも安易に救急車を利用しようとするため肝心の時に電話が通じないなど、救急車利用のマナー悪化が問題となっており、、今年4月には、総務省消防庁より「救急車利用マニュアル」が公表(※23参照)されたりしているが、最近問題となっているネットでの炎上や自転車の乗車マナー、なども、ただマナーに頼っているだけではなく、徹底的に取り締まらないといけないでしょう。

最後に、今はやりの「おもてなし」。この「おもてなし」とはどういうことかよく理解しておいた方が良い。参考※24:「「接客マナーは心の礎」 おもてなしの「礎」語源」に詳しく解説されている。
「思い遣る心」を【形】として表わすことが「マナー」。
「おもてなし」は、「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉で、「もてなし」語源は「モノを持って成し遂げる」という意味であり、別に、お客様に応対する扱い、待遇とも言われている。
「おもてなし」のもう一つの語源は「表裏なし」、つまり、表裏のない「心」でお客様をお迎えすることで、 接客業、サービス業に限らず、人の生活する場、すべての家、人にひつようなもの。
この「おもてなし」には目に見える「もの」と、目に見えない「こと」があるという。
この「もの」「こと」を、お茶の世界(茶道)で例えると主客一体の心の元、お見え頂いた「お客人」をもてなす際に、季節感のある生花、お迎えするお客様に合わせた掛け軸、絵、茶器、匂い(御香)など具体的に身体に感じ、目に見えるリアルな「もの」である。
もてなす人の瞬時に消えてしまう言葉、表情、仕草など、目に見えないバーチャルな心を「こと」と言いあらわしている。
東京オリンピックでは、世界からのお客様を「おもてなし」すると約束した。
みなさんも「おもてなし」どのようにおもてなしをするか・・・考えておいてください。・・・でも、その前に、当然守られなければならないマナーをあなた自身は守れているか・・・セルフチェックしておいた方がいいですね。


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マナーの日:参考













マナーの日:参考

2013-10-30 | 記念日
参考:
※1:NPO法人・日本サービスマナー協会
http://www.japan-service.org/
※2:「お客様は神様です」について - 三波春夫
http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
※3:戦略的人材マネジメントの考え方
http://granaile.jp/column/shrm01.html
※4:社内諸規定類作成サポート - FMS
http://www.fms9.com/G020.htm
※5:就業規則作成11.賞罰に関する規定(報奨・懲戒処分)
http://kawamura-sr.blogdehp.ne.jp/article/13108838.html
※6:夏目漱石 模倣と独立 - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1747_14970.html
※7:カント(2)-実践理性
http://www.geocities.co.jp/HiTeens/8761/germanphilosophy02.htm
※8:カントの道徳観
http://www.geocities.jp/sa_e1983/reports/kant.html
※9:発達の規定要因 - DTI
http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/clinical/clinical_10/
※10:憂楽帳 アーカイブ:毎日jp
http://mainichi.jp/opinion/column/yurakucho/archive/
※11:【アメリカ】政府のシャットダウンで観光地も閉鎖。閉鎖と ... - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138120750301467001/2138121063604091703
※12:MSN産経ニュース-【主張】ヘイトスピーチ 正当な批判と侮蔑は別だ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131009/trl13100903330000-n1.htm
※13:「餃子の王将」で裸、客2人逮捕 店の業務妨害容疑 画像はネット公開-msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131007/crm13100716420009-n1.htm
※14:土下座強要女”を逮捕に追い込んだ「鬼女」の正体-東スポWeb
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131009-00000002-tospoweb-ent
※15:ストレス社会
http://www.geocities.jp/kurusiminobara/rose1/sutoresu.html
※16:神戸淡路大震災下での治安状況は? | その他(社会問題)のQ&A
http://okwave.jp/qa/q3116176.html
※17:子育て・しつけのポイント(1)(幼児期)
http://www1.odn.ne.jp/k2/counsering/yasogawa/00y/kougiroku0004y.htm
※18:つれづれ 江戸の父親たち
http://higanzakura.blog107.fc2.com/blog-entry-111.html
※19:図録高校・大学進学率の推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3927.html
※20:孟子を読む:梁惠王章句 雑感(その2)
http://suzumoto.s217.xrea.com/website/mencius/mencius02-last_b.html
※21:NPO法人江戸しぐさ
http://www.edoshigusa.org/
※22:作法 マナーとルール 礼と法
http://web.sugiyama-u.ac.jp/~yamane/sahou/rule.html
※23:どんな時に救急車を呼ぶべき?「救急車利用マニュアル」登場
http://woman.excite.co.jp/lifeplanning/news/rid_29346/
※24:「接客マナーは心の礎」 おもてなしの「礎」語源
http://projectishizue.blog60.fc2.com/blog-entry-154.html
しつけはどうしたらいいの - トコトン ハテナ
http://www.tv-tokyo.co.jp/tokoton/backnum/backnumber_06.html
ストレス社会を乗り越えるためには
http://ryosay.web.fc2.com/
日本の心和の精神
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind01.htm
心臓ペースメーカーと携帯電話の問題
http://homepage2.nifty.com/seri/heart/topic-1.htm
共同体性の解体と「小さな文脈」の併存: IT そして人間、社会
http://multiport.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d50b.html
外務省: グローカル外交ネット:海外のお客様を迎えるために:プロトコールでよくあるご質問(国際儀礼の基本講座)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/inspection/protocol_faq.html
労働基準法の基礎知識 - 懲戒事由の規定例|
https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=55099
189 「家庭のしつけは衰えている」は本当か?
http://www.mammo.tv/interview/archives/no189.html
マナー辞典|NPO法人日本サービスマナー協会
http://www.j-manner.com/
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
ファヨールの管理過程論(マネジメント・サイクル) | 経営用語
http://yamauchi283.com/glossary/administration/functions-of-management/

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踏切の日

2013-10-23 | 記念日
何時もこのブログを書くのに参考にさせてもらっている「今日は何の日~毎日が記念日~」(※1)に毎月23日は、「踏切の日」があった。しかし、この記念日の由緒や何時何処が何のために記念日を設置したのか等何も書かれていないし、また、日本記念日協会にも記念日登録が見られない。
ただ、毎月23日が記念日に登録されているのは、「ふ(2)み(3)きり」の語呂合わせからであろうことだけは察しが付く。
記念日の趣旨が何かは知らないが、今日は、記念日にあやかって踏切に関することを書くことにしよう。

踏切は、鉄道と道路法(昭和二十七年法律第百八十号)による道路平面交差する場所をいい、「踏切道改良促進法」(昭和三十六年十一月七日法律第百九十五号。※2参照)など法律上は踏切道という言葉を使っている。

日本の現行法令(※3:「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」参照)40条では、踏切道は踏切道を通行する人及び自動車等(以下『踏切道通行人等』という。)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62条の踏切保安設備(踏切警報機遮断機、または踏切警報機のみ)を設けたものでなければならないとされている。ただし、以前から存在するものについてまでその義務を新たに課したものではない(※4参照)。
踏切には保安設備により第1種から第4種があるが、現在一般的なのは“自動踏切警報機と自動遮断機を設置するか、踏切保安係を配置して、列車が通る際に道路の交通を遮断機によって、通過する全ての列車または車両に対して、道路を遮断するものとなっており、第3種(遮断機はないが踏切警報機が設置されているもの。)は第1種甲に転換され数が減ってきている(種類についてはここ参照)。
それでも最近の鉄道関連の死亡事故は、そのほとんどが踏みきりで起きている。

日本におけるSFの始祖といわれる小説家海野十三はエッセイ(随筆)『恐怖について』で以下のように書いている。(※青空文庫参照)
“私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。”・・・と(※5:青空文庫参照)。

海野だけではないだろう、私が神戸市都市計画のために今の家に引っ越してくる前の家は、今の家から10分ほど離れたところにある私鉄の駅の前にあった。
その家には終戦後、徳島の疎開先から戻ってきて、私が小学校に入ったころから住んでいたが、同駅から少し離れたところに無人の踏切があり、当時は他にも同じような無人の踏切が沢山あったのになぜかそこだけはしょっちゅう事故が起こるので、近所の人の間では「魔の踏切」と呼ばれていた。そんな場所で、夜の暗闇で青白く光るレールなど見ていると確かに不気味な感じを覚えたものだ。
当駅は、1995(平成7)1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災で倒壊し、戦後栄えていたこの駅周辺は、戦後と同じような焼け野原と化した。だから私の家も、もし今の家へ引越しをしていなければ当然、他の家と同様に震災により倒壊した上火災に会いひどいことになっていただろう。
震災からの復興により、この駅は、今では地下に潜り、地下駅となり市営地下鉄と地下で交差する形になっている。
こうなる前のこの私鉄の駅は、南側はかっての神戸市電の終点で市電がなくなってからは、バスのターミナルとなり大通りには銀行や商店が多く並び私の家もその一角にあった。
駅の反対側(北側)は 戦後市場を中心に発展した繁華な商店街があった。乗降客の多いこの駅は南側、北側それぞれに改札口のある独立した駅舎があり、乗客は、踏切を渡ってそれぞれの改札口から駅に入り電車に乗るようになっていたが、この駅前の繁華な商店街の一部区間には郊外へ行く路線バスが走り、このバスも踏切を渡るし、朝のラッシュ時はいつも多くの踏切を渡る人で混雑をしていた。
また、電車の本数も多いことから、この駅前の踏切には踏切番も常駐していたが、やがて、開かずの踏切となり、乗降客を悩ませた。急ぐものは、無理やり遮断機を押し上げて通ろうとする者もいたりして、トラブルことも多かった。
私も、通勤で毎日、このいったん閉まると何本も電車が通り過ぎるまで開いてくれない開かずの踏切待ちでイライラさせられたものだが、このような踏切問題は、長年の社会問題の一つでもある。

日本では踏み切りというと常に列車優先で、列車が来れば遮断機が道路の通行を遮るもの(遮断機はレールと平行)が殆どだが、日本国外では鉄路が遮断される構造(遮断機は道路と平行)の踏切も多く存在するそうだ。
鉄道発祥の地イギリス(イギリスの鉄道参照)より遅れること40年、明治政府は文明開化の象徴としていち早く鉄道建設に着手、維新の5年後の1872(明治5)年10月14日には新橋~横浜間に、我が国初の鉄道が開通したが、踏切はその頃より存在していた。
当時の土木工事の水準や経済力の成約からやむを得ず道路と鉄道は平面交差で敷設せざるを得ず、結果として多くの踏切が誕生した。以降選挙の度に「我田引鉄」(強引な誘致運動。「我田引水」をもじった言い方。鉄道と政治参照)によって、日本の昭和初期には、今日の鉄道網の原型ができあがり、このことが、今なお踏切問題の遠因となっている。
ただ、鉄道創業当時つまり、明治時代初期の踏み切りは、日本も国外のものと同じ構造で、いつも線路の方に遮断機が降りていたのだそうである。踏み切りのところでは、線路の両側に、汽車に対する危険合図が掲げられ、汽車がやってくると、踏切番が線路上の遮断装置を開いて、現代の踏み切りと同じように、道路の通行を遮断した。この方法が、1887(明治20)年ごろまで続いていたという。
その後、今度は、普段は道路の方に遮断機を下ろしておく、という方法に変わった。通行人が踏み切りにやってくると、踏切番は、道路の遮断機を開き、線路の方を遮断して、線路の遮断装置が閉ざされていることを列車に示す危険合図を掲げた。そして、通行人が渡り終えると、また元の状態に戻して列車を通した。 (※6:「『鉄道なるほど雑学事典』の“草創期の踏切は何と記者の通行を遮断していた!を参照)という。
明治初期の歩行者優先だった踏切はまるで横断歩道のようでうらやましい限りである。
因みに、現在、鉄路が遮断される形態の踏切は、阪神電気鉄道武庫川信号場武庫川駅至近)から本線へ出る連絡線上にあるものや、東京地下鉄銀座線上野検車区入り口付近に設置されているものなどが挙げられる(※7参照。東京地下鉄銀座線上野検車区のものは動画も見ることができる)。ただし、いずれも通過は列車優先である。

鉄道建設や産業の発展に合わせ交通手段の主役が徒歩から急速に鉄道に切り替わってきたことに伴い、鉄道の利便性を求め鉄道路線に沿って市街地が拡大。鉄道が市街地に飲み込まれ、道路も整備され道路と鉄道の平面交差の踏切も増加した。
明治初期の歩行者優先だった踏切が現在の列車優先の踏切に変わったのもこのような経済成長と共にものの考え方そのものが効率重視に変わってきたせいだろう。
戦後の急激な大都市への人口流入に伴い昭和20~30年の間に踏切事故が激増した。
相次ぐ踏切事故を契機として、1952(昭和27)年に新設道路は鉄道と立体交差を原則とする旨道路法(※8)が規定化された。
1961(昭和36)年には、新設道路のみでなく、 既存の平面交差の都市計画道路等についても、 立体交差化の見直しが促進されることとなり、道路と鉄道の立体交差の促進のため、「踏切道改良促進法」(※2)が制定され、道路管理者も鉄道管理者も積極的に踏切除去、保安対策に手を付け、踏切数、踏切事故が急速に減少へ転じた。
しかし、昭和30年代以降高度経済成長を中心に大都市などの都市部に大規模な人口社会移動が発生し、鉄道沿線を中心に都市郊外住宅公団、沿線住宅開発が急速に進み、都市化社会の中で、市街地は急速に外延化(都市が郊外へ移る、拡大すること)した。
そして、市街化の進展や自動車利用の伸びに対応した道路整備も並行して行われたが、結果として、踏切数の増大をもたらし、市街地の外延化やモータりーゼーションの進展に伴い、道路交通量が増大するとともに、鉄道利用者の増大に対応した列車運行本数が増加し、踏切における交通遮断状況がますます深刻化することになった。

1961(昭和36)年の踏切道改良促進法の施行にともない、その結果、国土交通省の調べでは踏切数は、1961(昭和36)年をピークに減少しつづけ、現在(平成21年現在)では、JR(旧国鉄)、民鉄ともピーク時の約半分、合計約 3万4千箇所となり、また、モータリゼーションの進展に伴い、道路と鉄道の立体交差は1975(昭和50)年以降年々増加し、現在では立体交差化率(道路と鉄道の交差箇所数に対する立体交差数の比)は45%を越えているという(※9:の“踏切道の現状”を参照)。
踏切道における事故は、踏切道改良促進法導入後、著しく減少し、1979(昭和54)年以降、踏切事故件数の減少と踏切道の減少が同じような傾向になっている。
しかし、現在でも踏切全体の94%で歩道が未整備(歩道が無いか又は前後区間に比べ狭いもの)となっており、そのうち前後区間に比べ歩道が狭小な踏切だけでも約1,500箇所あるといい、歩行者の滞留や横断時における自動車と歩行者との錯綜がみられ、安全性の向上が課題となっている。
そんな中で、平成21年度の踏切事故は356件発生し、踏切事故による死傷者数は276人にもなっている(※9の“踏切の抱える問題”参照)。
国土交通省では、全国の道路管理者および鉄道事業者の協力のもと、全国の踏切交通実態総点検を実施したところ、緊急に対策の検討が必要な踏切は1,960箇所(平成19年4月あり)、その内訳は以下のようだたそうだ(※10参照)。
①開かずの踏切 : 589箇所、
②自動車と歩行者のボトルネック踏切 : 839箇所 (中・開かずの踏切:538箇所  ・歩行者ボトルネック踏切:301箇所 )
③歩道が狭隘な踏切(開かずの踏切との重複を除く) : 645箇所
ボトルネック踏切とは、通称「開かずの踏切」と呼ばれる踏切などの国土交通省による呼称であり、踏切交通遮断量(自動車1日あたりの交通量×1日あたりの踏切遮断時間)が5万台時/日以上の踏切のことを言い、開かずの踏切とは、ボトルネック踏切のうち、ピーク1時間あたりの遮断時間が40分以上の踏切のことを言うようだ。
用語の○速効対策とは、踏切の歩道拡幅、立体横断施設の整備、遮断時間の短縮を図る賢い踏切の導入など、効果が早期に発現する踏切交通の円滑化、安全性の向上を図る対策のことを、 ○ 抜本対策は、連続立体交差化など、踏切自体を除却することにより、踏切問題を抜本的に解消しなければならない対策を言うようだ(※9の“踏切交通実態総点検”参照)。
こうした調査を踏まえて国土交通省も特に問題が深刻な踏切などへの対応を打ち出してはいるのだが・・・。
2013年の今年、今月(10月)1日にも、午前11時半ごろ横浜市緑区中山町のJR横浜線鴨居中山駅間の川和踏切で線路内にいた男性(74)を助けようとして同区台村町会社員の女性(40)が下り列車にはねられ死亡するといった事故が発生している。

●上掲の画象は、その時の現場の様子である。(2013・10・02朝日新聞朝刊より)
男性は左鎖骨を折るなどの重傷を負ったが命に別条はないという。神奈川県緑警察署によると、男性が下り線の線路上に横たわったまま踏切の遮断機が降下。
先頭で父親の運転する車の助手席に乗って踏切待ちしていた女性は、それを見て、車を降り、踏切に入ってはねられた。
現場を歩いて、踏切待ちをしていた男性(33)は、「『ひかれちゃう』と言いながら、女性は踏切に入った。自分が非常ボタンを押したが、間に合わなかった」と話していた。
父親の話によると、彼女は、踏切内の男性を見て「助けなきゃ」と話し、「ダメだよ、止めろ」と制する父親を振り切って車を降り、踏切に入り、線路上で横ばいになっていた男性のもとにしゃがみ込んで動かそうとしたという。
父親は彼女は「困っている人を放っておけない子だった。助けられた男性には長生きして欲しい」と語り目頭を拭っていたが、人のことなど知らんふりしている人が多くなった今の時代に、こんな優し良い人が、人を助けようとして亡くなってしまったこと非常に残念なことである。彼女のご冥福を心よりお祈りするしかない。
電車待ちしていた男性が助けに入った女性を見てすぐに非常ボタンを押したにもかかわらず電車は急停車が間に合わなかった。テレビ報道などによると電車の運転者側からは見通しの悪い場所の様である。そうなると、踏切がある以上は、このような大事故はなくならないことになる。
助けられた男性は入院中で緑警察では回復を待って踏切内にいた経緯を聞く方針というが、事故があったのは警報器も遮断機もある踏切というから第1種踏切出の意事故ということになる。
男性がどのような事情で踏切内に倒れていたかの詳細は分からないが、亡くなった女性の父親が言っているように助かった命、どうしても長生きしてあげなければ、女性は浮かばれないだろう・・・。
このような踏切内に倒れている人を助けようとして亡くなる事故は、昨年JR高崎線でもあったのを思い出した。詳細は覚えていないので、以下参考の※11:「埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切」を参考に書かせてもらう。
それは、昨・2012年11月埼玉県本庄市JR高崎線の上町踏切で、男性(70)と、女性(60)が列車に撥ねられて亡くなった事故であり、列車は高崎発小田原行きの上り特別快速列車(10両編成)だった。
ここの踏切も、警報機、遮断機が設置されている第1種踏切で、また、車両を検知するための障害物検知装置(略して「障検」)と、踏切の異常を運転士に知らせるため、特殊発光器を発光させる非常ボタン(列車非常停止警報装置)が踏切の2か所に設置されていたという。
本庄署では列車の運転士の目撃情報から、女性が男性を助けようとして、下りていた遮断機をくぐって踏切内に入り、事故に巻き込まれたと見ている。同署の調べによると、列車の運転士は走行中、前方で踏切内にしゃがんでいる男性を発見し、ブレーキをかけた。その直後に、女性が遮断機をくぐって男性にかけより、背後から男性の両脇をかかえて線路の外に運び出そうとしていたという。しかし、電車はブレーキが間に合わず、二人を撥ね、二人は亡くなったとしている。ただ、通行人が非常ボタンを押した形跡はないという。
彼女も今回の横浜線で事故にあった女性同様、「困っている人を放っておけない性格」の人であったのだろう。自分が死ぬかもわからなくても困っている人を見たら助け出そうとする行動は、普通の人にはなかなか真似のできないことであるが、河でおぼれかけている人を助けようとして助けようとした人までもが一緒におぼれることが多いのと同様、このような危険な状況を目にしたら誰にでも助けてあげなさいとはなかなか言えないなかなか難しい問題でもある。
ただ、自転車に乗って横断していると、路面が悪く自転車がはずんで荷物を落とすこともある状況らしく、通行者が、そんな荷物などをとりに引き返したりしないよう路面の整備等はきちんとしてもらわなくては困るよね~。
それから、ここの踏切のことではないが、特殊信号発光機は、ボタンを押す以外にも、人(物)にも反応するそうで、心無い沿線住民が、踏切が降りてるのに平気で渡る(しかも複数が)ことから、信号が赤になったり青になったりして、列車乗務員にとって大変なようだ。そして、これにより、列車遅延の原因にもなり、設置を減らそうとしているとも言われている。通行人も交通ルールを守る必要はあるようだ(※12参照)。
それにこのような、警報機や遮断機のある踏切はまだいいが、これらがなにもない踏切(第4種踏切)のあるところはもっと事故が多い。以下参考の※13:【「必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情」によると、秩父鉄道には、70キロメートルを超える路線に第4種踏切が99カ所もあり、1999年以降の踏切事故死亡者は14人もいるという(ブログ更新日2013年07月02日)。
人が近付くと音声装置が、踏切であることを注意喚起するが、その時はまだ目の前に列車が近付いているわけではないので、この音声装置に慣れてくると、列車が来ないだろうと渡ってしまいかねない人が多いのだという。このような、第4種踏切は是非改善しないといけないよね~。

国土交通省が問題となる「緊急に対策が検討の必要な踏切」としているものの多くは大都市圏に存在し、東京23区の踏切数だけを見ても、海外の主要都市に比較して圧倒的に多く、パリの約60倍にも達している。
【東京23区と海外の主要都市との踏切数の比較】(※13参照)
東京23区672箇所(平成21年現在) 
ニューヨーク 122箇所(平成17年現在)
ロンドン   10か所(平成17年現在)
ベルリン   46か所(平成17年現在)
パリ     11か所(平成21年現在)     

急激な都市化や道路交通量の増大に対応した社会資本に追われてきた20世紀、踏切問題は20世紀の負の遺産ともいえる問題であり、早期に解消すべき事項であるが、なかなか、費用を要する問題でもあり、鉄道事業者、道路管理団体(地方公共団体)とも取り組みが消極的な様である。
しかし、踏切問題は、踏切の存する地域住民の生活に大きな影響を及ぼす問題でもあり、問題発生の原因者である鉄道関係者、道路管理者等はもっと積極的に解決に取り組んでもらいたいものだ。こんな不幸な事故を起こさないためにも・・・ね。

参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:昭和36年法律第195号【改正履歴等】(踏切道改良促進法について)
http://hourei.hounavi.jp/seitei/enkaku/S36/S36HO195.php
※3:鉄道に関する技術上の基準を定める省令
http://www.lawdata.org/law/htmldata/H13/H13F16001000151.html
※4:下級裁判例 平成20(ワ)8 損害賠償請求事件 (PDF) - 裁判所
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417195030.pdf
※5:青空文庫:作家別作品リスト:No.160作家名: 海野 十三
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person160.html
※6:『鉄道なるほど雑学事典』
http://books.google.co.jp/books?id=dMNPpKB6ct8C&pg=PT136&lpg=PT136&dq=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&source=bl&ots=rQhqhVtrNL&sig=zam0WtzZkd_N-i_3zZnxfLyYSXY#v=onepage&q=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&f=false
※7:レイルエンヂニアリング 阪神本線 - 武庫川信号場
http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-14.html
※8:道路法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO180.html
※9:国土交通省道路局| 踏切の現状と対策
http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/fumikiri/fu_index.html
※10:緊急に対策の検討が必要な踏切箇所一覧(都道府県別)(Adobe PDF)
http://www.mlit.go.jp/common/000233453.pdf#search='%E7%B7%8A%E6%80%A5%E3%81%AB%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%8C%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E8%B8%8F%E5%88%87'
※11:埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切
http://tomosibi.blogspot.jp/2013/01/jr.html
※12:踏切非常ボタン(特殊信号発光機)|列車運転士のつぶやき
http://ameblo.jp/918101/entry-11463771882.html
※13:【必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情
http://matome.naver.jp/odai/2137272352111380201
※13;社会資本整備関係 参考資料(国際比較) 平成22年11月24日- 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/common/000129516.pdf#search='%E8%B8%8F%E5%88%87%E6%95%B0+%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83'
川和踏切のリアルタイム検索結果
http://realtime.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%B7%9D%E5%92%8C%E8%B8%8F%E5%88%87
踏切 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E5%88%87



全国・自然歩道を歩こう月間

2013-10-16 | 行事
お彼岸や、体育の日も過ぎて季節は秋本番。
「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったもの。は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもある。秋の季節の素晴らしさをいう句で、多く手紙などで時節の挨拶としても用いられる。
実りの秋には新米や、さつま芋、それに果物類の梨、ぶどう、柿、栗、りんご、みかんなど分たっぷり、小松菜、大根、きゃべつ、魚類ではサンマ、イワシ、サケ、サバなど秋の味覚が食欲を誘う。秋になり馬や牛、鶏などが太るのは結構なことだが、せっかく夏痩せしていた人間も太る傾向がある。事実、私も結構食べるものには気を付けているのだが、せっかく夏痩せしていたものが、今は夏場より、2キロほど超えてしまった。来月早々のメタポ検診(特定健診制度)に、引っかからないよう調整しなければいけないのだが・・・・。太るのは簡単だが、なかなか痩せるのは難しい。
この「天高く馬肥ゆる秋」本来は違った意味であった。
出典は、中国盛唐の有名な詩人杜甫の祖父である杜審言(としんげん)が蘇味道に贈った詩『贈蘇味道』(蘇味道に贈る)に「雲浄妖星落、秋高塞馬肥」(「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づくもの(詩は※1参照)。この”塞馬(さいば)”は、北方の辺境を警備する軍側のの馬を指している。
昔、中国(中原)では、しばしば北方の騎馬民族の匈奴が収穫の秋になると大挙して略奪にやってきたので、前漢趙充国はそれを見抜き、「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と、警戒の言葉として使ったもの。
しかし匈奴が滅びた後は、現在の意味で使われるようになったようだ。「天高く馬肥ゆ」ともいう(※2参照)。

秋は、社会通念・気象学では、9月・10月・11月 。日本の旧暦では文月から長月の間で今の8-10月ごろ。
二十四節気に基づく節切りでは立秋から立冬の前日までをいう。

秋の元の字は「」。
会意文字「龝」は、「」(穀物、稲)+ 「」(たばねる)で 作物を集めて束ねる事に由来。又は、元の字を「」+「灬」につくり、穀物につく「」(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意(白川 静)ともいう。
秋になるとイナゴが大発生して穀物を食べてしまうので、イナゴを「火」で焼いて豊作を祈る儀式をした。それが「秋」の元の文字であり、「説文解字」には「禾(か)穀の熟するなり」とある。
秋の語源には、この時期になると「禾穀(稲のこと)が飽(あ)き満ちる」季節となることから来たとする説がある(※3、※4参照)。他に、「空の色清明(あきらか)なる時節」から、また、紅葉などが赤くなるが、その「あか」が転じて「秋」になったという説などがあるようだ。

この季節は涼しくさわやかで五穀や果物が実り、「秋たけなわ」「食欲の秋」などといわれるが、一方では台風や前線の影響で雨が降りやすく、「秋の空」など変わりやすいことのたとえにされる。
やがて木々は紅葉し、草花は枯れて、冬へ向かう。盛りを過ぎること。終わりに近づいていることを「天下の秋」「人生の秋」と言ったりする。私などももう「人生の秋」なのだろう。
又、和歌などで、男女の仲の冷める意味で「飽き」に掛けて用いられている。「かりそめにおく露とこそ思ひしか秋にあひぬる我が袂(たもと)かな」〈『山家集』下。※5参照〉
「秋」の常用音訓は、「シュウ」、「あき」があるが、訓読みには、「危急存亡のとき」という言葉があるように、「秋」とかいて「とき」とも読む。「危急存亡の時」と書いても絶対間違いではないようだが、正しくは「危急存亡の秋」と書く。
中国・三国時代の国の名軍師・諸葛亮(孔明)が主君・劉禅に奏上した「出師《すいし》の表」にある言葉で、(国が)存続するか、はたまた滅亡するかというほどの危難が迫っている状況を表わし、「秋」は、五穀の実る最も重要な“時”を象徴していることからきているようだ(※2参照)。

このほか、秋を表す言葉に「読書の秋」もあるが、何故読書は秋なのか?
これも由来は古代の中国からきたもので、唐代の詩人韓愈(かんゆ)の漢詩「符読書城南」(『全唐詩』341巻)の以下の一文からきているらしい。
原文:「時秋積雨霽、新涼入郊墟。橙火稍可親、簡編可卷舒。」
直訳:「時秋(ときあき)にして積雨(せきう)霽(はれ)、新涼(しんりょう)郊墟(こうきょ)に入(いる)。灯火(とうか)稍(ようやく)親(した)しむ可)べ)く、簡編(かんぺん)巻舒(けんじょ)す可(べ)し。」
涼風が立ち、夜も長くなる秋は、灯火のもとで読書をするのにふさわしい・・・・「灯火親しむべし」ということ。
日本でも秋に読書が定着したのは大正時代(大正13年= 1924年)に日本図書館協会がこの韓愈の文を用いて11月に読書週間(当時呼び名は図書館週間)を開催したのが始まりだという。

気候がよく過ごしやすいことから、秋祭り運動会などの行事も多く開かれ、たいへん賑やかな季節でもある秋。
「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」「芸術の秋」など、さまざまな言葉が冠され、秋の行事が目白押しである。家には新聞広告など、観光旅行の案内がワンサカときている。
旅行に行けば、旅行先にかかわる歴史書など車中で読書も出来るし、旅行先の名所旧跡、それに美術館などを見て回り、産地の名物など季節の物も味わうことができる。また、名所旧跡を見て歩くと、結構足の運動にもなる。何もかも楽しむにはもってこいだ。
しかし、私など、現役時代に仕事柄全国を出張し、その都度、休暇を取ってはその地を観光し、また、夫婦でもさんざん旅行をしてきたので、今は余り、観光旅行そのものには興味がなくなってしまった。
ただ、齢を取り家にこもって動かなくなったので、適度の運動をしないとメタポになってしまう。暑い夏が過ぎ、涼しい季節にもなったので、夫婦で近場の静かな自然道などを自分のペースでゆったりと散策するのが良いな~などと考えていたら、この10月は、「全国・自然歩道を歩こう月間」(Month for National Nature Trails Walking)となっている(※7参照)。
多くの人が自然や文化に恵まれた自然歩道を歩くことにより、自然への理解を深めることを目的として設けられた環境省のプロモーション月間である。
環境省では、1992年度から、10月1日から31日までの1カ月間を同月間と定めて、全国各地で自然歩道を歩く行事の実施を提唱している。
車に依存し過ぎることなく、歩くことを豊かな生活の一部としてとらえて自然とのふれあいを楽しむ機会を増やして、多くの人に自然を守ることの大切さを実感してもらおうというのがねらい。
実施主体は同省のほか、都道府県、市町村、日本ウオーキング協会をはじめとする各種団体などがあり、平成24年度も、長距離自然歩道を始めとする全国各地の自然歩道を歩きながら、自然に親しみ、自然への理解を深めるための各種行事を全国的に展開している。
長距離自然歩道とは四季を通じて手軽に、楽しく、安全に自らの足で歩くことを通じて、豊かな自然や歴史・文化とふれあい、心身ともにリフレッシュし、自然保護に対する理解を深めることを目的として、環境省が計画し、各都道府県が整備を進めているものである。
昭和45年(1970年)の東海自然歩道の整備に始まり、九州・中国・四国・首都圏・東北・中部北陸・近畿と8つの自然歩道が整備され、9つ目となる北海道自然歩道は、平成15年に計画が策定され、整備をしている。計画路線の延長距離は4,585kmで、整備が完了すれば全国の総延長は約26,000kmとなるそうだ。
家族向けのコースから本格的な健脚コースまで、各地の見どころを楽しく歩けるようになっている。
行事一覧など詳細は、以下の環境省HP(自然大好きクラブ)をご覧になるとよい。
環境省HP(自然大好きクラブ)
http://www.env.go.jp/nature/nats/index.html

私の住んでいるところから近いところは近畿自然歩道の中にあるが、近畿自然歩道は、近畿を中心とした2府7県(福井、滋賀、三重、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、鳥取)をとおり、太平洋及び瀬戸内海と日本海とを結ぶ路線延長3,258kmにわたる、全国で8つ目の長距離自然歩道だ。
この近畿自然歩道は、四季を通じて手軽に楽しく快適に歩くことが出来るように、テーマを決めて1日コースを設定し、この歩道を歩くことにより、多様な自然にふれあい、自然の中で培われた地域の歴史・文化などを認識することができるようになっている。
そこで、私の居住地兵庫県の中から今まで行ったことのないところを探し2つほど候補地に挙げてみた。
近畿自然歩道 山陽路ルート34、猪名川渓谷、屏風岩を訪ねるみち(猪名川町松尾台~猪名川町万善)と38、六甲連山を望むみち(神戸市北区大沢町神大沢~神戸市北区阿淡河町野瀬)である。どんなところかは以下参考の※8:近畿自然歩道 山陽路ルート参照(冒頭の画像は「38、六甲連山を望むみち」、のものを借用)。
家人は最近足の調子があまり良くないので、無理させられない為、まだ決めたわけではなく、これから、いろいろ資料を集め、十分調べたうえで、二人で相談して行ってみようと思っている。この2コースなら距離は8㎞~10㎞ほどだから大丈夫だろう。
他にも色々と良いところがあるようなので、健康のためにも、家族、また友人と空気の良い自然歩道を歩くのは秋のレジャーとしてはおすすめではないだろうか。紅葉の名勝地もあるし、皆さんも考えてみては・・・。

参考:
※1:よくわかる中国 » 天高く馬肥ゆる秋
http://11524blog.digbook.jp/archives/20
※2:故事ことわざ辞典
http://kotowaza-allguide.com/
※3:灬部とは (カブとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%81%AC%E9%83%A8
※4:秋とは (アキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A7%8B
※5:さんかしゅう(山家集) - Agora Sofia日本語辞典
http://jiten.eu/article/15909
※6:灯火親しむべし:原文・書き下し文・意味 - Web漢文大系
http://kanbun.info/koji/tokashita.html
※7:全国・自然歩道を歩こう月間 - 環境省
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=15753
※8:近畿自然歩道 山陽路ルート
http://www.pref.hyogo.jp/JPN/apr/hyogoshizen/shizenhodou/sanyoroute.html
秋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B
長距離自然歩道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%AD%A9%E9%81%93