ハイカーホリックの介護日記~機能訓練指導員の一日~
体の衰えは筋肉の衰えです。筋肉を復活させる事に全力を尽くします。
打倒サルコペニア。まずはウェブで!
 



「Monthly Index 2007年2月」(2月28日)
「飯の山展望台」(2月28日)
「竜崎温泉・潮風の湯」(2月27日)
「ひどい話」(2月26日)
「文珠山~嘉納山~源明山縦走、その2」(2月25日)
「文珠山~嘉納山~源明山縦走、その1」(2月24日)
「学級閉鎖」(2月23日)
「中川幹事長の発言」(2月22日)
「宝満山~三郡山縦走、その3」(2月21日)
「宝満山~三郡山縦走、その2」(2月20日)
「宝満山~三郡山縦走、その1」(2月19日)
「初春の花便り、トウダイグサ、他」(2月18日)
「初春の花便り、オオイヌノフグリ、他」(2月17日)
「太宰府天満宮の飛梅」(2月16日)
「スミレ第一弾」(2月15日)
「セリバオウレン」(2月14日)
「荒滝山~日ノ岳縦走、その2」(2月13日)
「荒滝山~日ノ岳縦走、その1」(2月12日)
「吉部の大岩郷」(2月11日)
「アフラックのあひる」(2月10日)
「日清・スポーツヌードル」(2月9日)
「時代は変わる。ラガーは変わるな。」(2月8日)
「スーパーカップ・超大盛りぜんぶ入り」(2月7日)
「宇佐神宮」(2月6日)
「長崎鼻」(2月5日)
「山口ふれあい館」(2月4日)
「猪群山」(2月3日)
「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」(2月2日)
「柳澤大臣は結局辞めちゃうんだろうなぁ」(2月1日)

「カテゴリー(Category)」
Monthry Index、体・健康、趣味(植物)、趣味(山)、トレンド、韓国ドラマ、今日の出来事、山口県の観光地、その他の観光地、日帰り温泉レポート、グルメ、カップ麺、子供と夫、Dear Yuming、Dear Others、腹立っています、その他いろいろ、レビュー、プレスブログ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




★飯の山(いいのやま)展望台


大畠から大島大橋を渡ると目の前に聳える山が「飯の山」です。標高は263mです。山頂まで車道が通じ、上にはこのような立派な展望台があります。眼下に大畠瀬戸を望む風景は絶景です。

★大畠瀬戸と大島大橋


潮の流れがとても速いと言われる大畠瀬戸ですが、そのことは写真からでもよくわかります。

★琴石山と柳井の町


秀麗な形の琴石山(標高545m)です。左側の町並みが「白壁の町並み」で有名な柳井市街です。

★文珠山


琴石山を見て振り返ると、登ってきたばかりの文珠山の大きな山塊が横たわっていました。

★皇座山


西側には室津半島が横たわり、その先っぽの大きな台形の山塊が皇座山です。

★銭壺山


東側には銭壺山が見えました。この山も山頂まで車道が通じていて、山頂にはレジャー施設があります。

★芸予諸島


遠く芸予諸島の島々も見渡すことができました。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




   

温泉施設名・・・竜崎温泉・潮風の湯
住所・・・山口県大島郡周防大島町東安下庄向佐連
電話・・・0820-77-1234
入浴料・・・大人700円、小人400円

『こだわりチェックポイント』・・・僕の気になるポイントです
シャンプー・・・(○) 
石鹸・ボディシャンプー・・・(○)
貸し出し無料タオル・・・(×)
脱衣所に無料の鍵のかかるロッカー・・・(△) ※ロビーに有
露天風呂・・・(○)
体を洗うところにシャワー・・・(○)
ビン入り牛乳が置いてある・・・(×) ※紙パック有

「近くの山」
嵩山、文珠山、嘉納山、白木山など

海のそばの温泉施設です。露天風呂からは目の前に海と嵩山(だけさん)が見え、いい眺めのなかでの入浴となりました。海のそばのせいかお湯は海水のようにすごく塩辛く、目に入るとしみるほどでした。また鉄分が含まれているのか、色は茶色のお湯でした。施設内では「セピア色の湯」と書かれていました。

http://www.ryuzaki-onsen.net/



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




鹿児島県の県議会議員選挙で選挙違反に問われていた12人の人たちが無罪になりましたが、この事件はとても不可解な事件ですね。

鹿児島県のド田舎のさらに20人くらいしかいない集落の人たちに191万円渡して票の取りまとめをしたとして、県議会議員とその集落の人たちが逮捕されたわけですが、選挙違反をするにしてもすごく非効率的ですよね。普通に考えたらこんなことやらないし、警察だっておかしいと思うはずですよね。実際その地域の警察官は最初からおかしいと思っていたみたいだし、どうしてここまでしつこくやったのかがわかりません。

テレビに映っている無罪になった人たちの顔を見ていたら、とてもお金をもらって選挙違反やるようには見えませんよね。これだったら現在の国会議員で大臣をやっている人たちの方がよっぽど人相が悪く、悪事をはたらいているように見えます。

たぶん選挙がらみのタレこみか何かがあって県警が動き逮捕したのだろうけれど、普通は検察がこんな不十分な証拠だったら立件しないと思うのです。よほど強い圧力でもかかったのか、よほど県警がメンツにこだわったのか、あまりにも不可解です。この部分をしっかりと究明してもらいたいものです。どちらにしても逮捕された人たちは迷惑な話ですよね。

しかもその取調べの中で44歳の警部補が、紙に家族の名前なんかを書いて足で踏ませて取調べをしていたそうですが、まるで江戸時代です。テレビに出てくる悪代官を想像してしまいました。先日踏み切りに入った女性を救った警察官が亡くなりましたが、ニュースでみているとその方は地域の人たちにとても信頼されていたようでした。役職は巡査部長で、年齢は50歳を越えていましたよね。そんな人がいるかと思えば、こんな人間のクズみたいな警察官もいて、こっちのクズの方が役職もずっと上だというのですから警察組織がいかにおかしいかがよくわかります。

しかもそのクズに下された処分は減給3ヶ月だったと思います。それで終わりなんてひどすぎます。懲戒免職にして逮捕するのが当然だと思うのですが、そうならないのですね。絶対におかしいです。しかも未だに謝罪すらしていないそうです。そして無罪になった人たちの名前は公表されていましたが、この警部補や県警の本部長の名前は公表されていません。甚だ不公平です。バカが権力を持ってしまうとロクなことはしません。

公務員の方々は自分の行っている仕事が公権力の行使だということをもっと強く認識すべきです。役場の窓口の人だってある程度の裁量権を持っているのです。そしてその権力は住民へのサービスのみに行使されるべきものであって、自分の利益や面子のために行使されるべきものでは決してあってはならないのです。宮崎県や和歌山県などの知事まで巻き込んだ談合事件など、このところ裁量権を逸脱した事件が多すぎます。そのくせ国民へのサービスになるようなことでも前例がないと積極的に働こうとはしません。この腐った構造をどうにか変えることはできないのでしょうか。

無罪になった人たちは国家賠償請求をするそうですが、当然です。失われた4年間は帰ってきませんから国家に賠償してもらわなくてはいけませんし、おそらく賠償を受けられるでしょう。ところがこのお金は税金から支払われます。この警部補や関わった警察官はビタ一文支払わなくていいのです。これだけのひどいことをしておきながら、仕事を失うこともなく、謝罪もしない、名前は公表されないし、賠償金も支払わなくてもよい。いい職業です。こんな奴らが日本の治安を担っているのです。美しい国には絶対になりません。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




その1から続きます。

★内海多島海景観の看板


嘉納山からはまず「そんなに下らなくてもいいのに」というくらいに下ります。その後にアップダウンがいくつか続きます。その中のひとつのピークにこの看板はあったのですが、視界はまだ開けませんでした。帰りにようやく少し見えました。

★アオキの木の中を歩きます


登山道の横は植林帯か、アオキの並木でした。赤い実が沢山ついていました。

★結構アップダウンがありました


結構きついアップダウンの道が続きました。

★四境(しきょう)の役の石碑


源明山の山頂にある「四境の役」の石碑です。地図によると嘉納山から50分と書いてあったのですが70分かかりました。
四境の役は一般には第二次長州征伐といい、幕府による長州征伐なのですが、長州では「四境の役」と言うそうです。
この石碑の字は佐藤栄作元首相のものでした。

★嘉納山を振り返る


左側の鉄塔のあるのが嘉納山です。ここでもまだ見えたり隠れたりしていましたが、ようやく視界が良くなってきたのです。

★嵩山(だけさん)と多島海景観


嘉納山から右に目をやると嵩山があります。形は典型的なトロイデです。この山の山頂にはハングライダー・パラグライダーのランチャーがあるので、山頂まで車道が通じています。

★遠く宮島を望む


源明山でゆっくりと昼食を摂ったあとに往路を戻りました。文珠山では朝と違って視界が開けていました。東方面に宮島が見えました。

★琴石山と飯の山


文珠山の目の前には秀麗な形の琴石山、その手前にはトロイデ形の飯の山が見えました。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




山口県の東部の瀬戸内海に浮かぶ周防大島は屋代島とも呼ばれ、瀬戸内海では淡路島、小豆島に続く3番目に大きな島です。本州とは大島大橋で繋がっており、橋の利用料金も無料になったので、遊びに行くにはうってつけの島です。
今回は周防大島の西部に連なる文珠山~嘉納山~源明山を文珠堂から登り、往復してきました。このルートは大島アルプスとも呼ばれる縦走ルートで瀬戸内海の眺めの素晴らしいルートでもあります。

★周防大島西部の地図


大島大橋を渡ってから文珠堂までは車で10分くらいでした。

★文珠堂


「3人寄れば文殊の知恵」と言います。その文殊のことなのですが、字が「珠」となっていました。道路標識などもすべてそうだったので「珠」でいいのだと思います。日本三文殊のひとつとして紹介されている文献もありましたが、三文殊は諸説あるようです。

★遊歩道入口


文珠堂から林道を少し登ると右手に遊歩道が分かれます。ここから文珠山までは約40分です。

★水場


登山口から文珠山までの間の丁度中間くらいにある水場です。

★幽玄な雰囲気


天気予報では晴れるとの予報だったのですが、この日は終日曇りでした。

★文珠山山頂


雲がかかっていて見晴らしが利かなかったので、写真だけ撮ってすぐに嘉納山に向かいました。

★嘉納山山頂


三角点はこの場所よりももっと手前だったのですが、一応高射砲の跡が残るこの場所が山頂のようです。文珠山から50分でした。
ここでも視界が悪かったので長居はせずに、みかんのおやつだけを食べて源明山に向かいました。

★源明山への縦走路入口


高射砲跡から少し進むと三叉路があります。道標は倒れていました。直進すれば嵩山方面、源明山へは右折します。第六管区海上保安本部嘉納山第二送信所の金網の横をまずはぐんぐん下っていきます。

その2に続きます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




子供の頃、「学級閉鎖」というのは憧れでした。よその学校で「40人の生徒のうち15人が休んだので学級閉鎖になったらしい」という噂を聞くと、もう羨ましくてしかたがありませんでした。

ところが小学校から高校までの12年間、一度も学級閉鎖に出会ったことがなく過ごしてしまったのです。自分の通っていた学校が学級閉鎖になったという記憶すらありません。これはとても残念なことでした。ちなみに僕は「お見合い」というものも経験したことがなく、どうせならテレビによく出てくるような「お見合い」というものを経験しておけばよかったと後悔しているのですが、それと同じくらいに残念なのです。

理想は自分は熱など全くなくピンピンしているのに、同級生が風邪などを引いて学校を休んだがために学級閉鎖になるというものでした。自分が風邪をひいてしまっては元も子もありません。ですから風邪での欠席が5人くらいを越えてくると、友達と「もう5、6人休めば可能性があるぞ」なんて話していましたが、結局そのような事態にはならなかったのです。

子供の頃は風邪で学校を休むというのは非日常的なことでしたから、風邪でフラフラしているにも関わらずワクワクしたものでした。さすがに熱が39℃を越えてしまうと苦しいので、理想は37.5℃くらいの熱が出ることでした。体温計の37℃のところだけは赤い字で書いてありますが、当面の目標は赤い字を超えることでした。

朝、オカンに「何かおかしい」と告げるとまずはオカンの手の審査があります。オカンがまず額に手を当てます。ほとんどの場合は「ない!」と一言で片付けられ、おでこをバチンと叩かれて終わりだったのですが、たまに「んっ?」ということになります。一次審査通過です。すると今度は両手をおでこと首筋に当てます。そこで「んっ?」ということになれば体温計の登場です。つまり二次審査をパスしたのです。

体温計を脇の奥深くまで突き刺すように差し入れ、そして上腕でしっかりと挟み込みます。36.9℃なんて中途半端なことになってもらっては困りますから、気合を入れて計ります。その間オカンは僕に体温計に息を吹きかけたりするズルをさせまいと見張っています。そして3分が経過し審判が下されます。37.2℃くらいだと「う~ん、どうしようかねぇ」ということになるのですが、37.5℃までいくと「しょうがない、今日は休みなさい」ということになります。最終審査通過です。

これが36.9℃くらいだと学校に行かされた挙句、「風邪気味なんだから道草せずに真っ直ぐ帰り、帰ってからも遊びに行ってはいけません」という最悪の事態になるのです。この「気味」というのが一番たちの悪い状態でした。

37.5℃くらいだと体もそれほどだるくなく、ふとんには入っていますが眠ることもできず、かといってオカンの監視下にありますからテレビを見ることも許されず、暇を持て余していました。オカンがお昼前に買い物に行った隙にテレビをつけ、夢中になって見ていたら帰ってきたオカンに見つかって怒られたものです。

午後3時過ぎくらいになると友達がプリントやノートを持って帰り道に寄ってくれます。パジャマ姿で友達に会うのが誇らしいやら、照れくさいやら不思議な気持ちでした。友達のほうも羨ましいというか、やっぱり照れくさいというかいつもと少し様子が違っていて、妙に丁寧な言葉遣いで話をしたりしたものでした。でも長く話すとオカンに怒られるので、すぐに「じゃあね」ということになりました。

これが学級閉鎖で自分はピンピンしていれば、「学級閉鎖」という大義名分がありますから、テレビだって見ることができたはずですし、ふとんの中にずっといる必要もなかったでしょう。また夏休みなんかのように「勉強をしなくてはいけない」という制約もなかったでしょうから夢のような一日が過ごせたはずなのです。非常に残念です。

それが最近では○○中学校の○年○組が学級閉鎖になったというニュースをよく聞きます。中には学年閉鎖なんてのもあります。今年こそ暖冬でインフルエンザが少なかったので今まではあまり聞きませんでしたが、このところまた新聞やニュースで報道されています。最近の子供は学校週5日制で休みが増え、祝日の数も増えています。そしてさらに学級閉鎖です。ずるいですね。昔とは「休み」の重みが違います。

しかしどうしてこんなことになったのでしょう。「医学は昔に比べて格段に進歩している」などと言いますが、それなのに学級閉鎖が増えているのはどうしてなのでしょう。30年位前と比べてみてください。花粉症で苦しんでいる人が格段に増えていませんか?。大人になってもアトピー性皮膚炎が直らない人が増えていませんか?。不妊症で悩んでいる人が増えていませんか?。流産する人が増えていませんか?。糖尿病の人が増えていませんか?。ガンで死ぬ人が増えていませんか?。そもそも病名の数が以前よりも格段に増えていませんか?。医療費の伸びがあまりにも急速ではありませんか?。医学が進歩しているのならば減らなくてはいけないことばかりです。

結局進歩しているのは医学ではなく、医療器械なのです。今まで見えないところが見えるようになったり、小さすぎてわからなかったことがわかるようになったりと、そういった面ではすさまじい進歩を遂げたと思います。じゃあそれが医学の進歩につながったのかといえば答えはノーではないでしょうか。新しい細胞が発見されたとしても、それが病気の数の減少に役立っているとは思えません。医療器械の進歩や薬の化学合成の技術の進歩を医学の進歩にすりかえるのはあまりにも危険だと思うのです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




自民党の中川幹事長が閣僚の閣議での態度についてずいぶん手厳しく批判しましたが、正論ですよね。正論をズバッと言っちゃったものだから、安倍さんもキレていましたね。でもキレるところじゃありませんよね。中川幹事長に感謝しなくちゃいけないと思うのですが、どうでしょう。

おかげで翌日の閣議では、安倍さんが入るやいなや全員がシャキッと起立し、私語は一切なしになりましたものね。全く子供の集会じゃないんだから、言わなきゃできないのかって感じですよね。

でもこれだけ各々がバラバラの政権も珍しいですよね。でも結局責任は安倍さんにあると思うのです。以前の記事でも書きましたが、「美しい国日本」というお題目を唱えるのは結構です。しかし具体的にどうするのかということが見えないから、こんなことになるのです。「美しい国にするために、○○と○○と○○を、こういう理由で、いついつまでに必ずやります」とはっきり言えば、目的がはっきりしますから団結もできるでしょうが、それがいつまでたってもあやふやだからこんなことになるのです。結局安倍さんも明確なビジョンは持っていないのです。

閣僚たちもすでに安倍政権は長くないと思っているのでしょうね。ニュースで小泉さんのときの閣議の様子と安倍さんの閣議の様子を比較していましたが、緊張感が全く違っていました。すでに閣僚たちは次の政権に目が行ってしまっていて、やる気は失せているように見えました。こんな様子を見せられたら、ますます支持率は下がるでしょうね。

宮崎のそのまんま東さんが話題になり支持されるのは一生懸命な様子がテレビの画面からでも伝わってくるからだと思うのです。今の安倍さんに必要なのはあのひたむきさではないでしょうか。国民は安倍首相と東国原知事を比べているのだと思います。東国原知事のひたむきさが伝われば伝わるほど、安倍首相がボンクラに見えてきます。キャラは違うかもしれませんが、少しは見習うべきです。

全く細川の殿様以来の超ダメ政権です。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




その2より続きます。

★仏頂山山頂


キャンプセンターで一休みしてから三郡山への縦走路に入りました。ほどなくして仏頂山(ぶっちょうざん・標高869m)のピークに到着しました。もともとはここが宝満山の山頂だったらしく、古宝満山とも呼ばれるようです。今では古い石の祠がぽつんと残り、見晴らしも利かないので、単なる縦走路の中のピークといった感じです。

★縦走路


宝満山への登山道が石段の連続だっただけに、この土の道の縦走路がとても優しく感じられました。

★長崎鼻


今年3ヶ所目の「長崎鼻」です。鹿児島県の開聞岳の麓の長崎鼻、大分県の国東半島の長崎鼻、そしてここが福岡県の宝満山~三郡山の縦走路の長崎鼻です。こんなに短期間に3ヶ所も同じ地名の場所を訪れるなんて不思議でした。

★長崎鼻より三郡山を望む


ようやく目的地の三郡山の山頂が見えてきました。山頂に航空監視レーダー局があるので、遠くからでも認識しやすい山です。

★縦走路パート2


木の葉っぱが落ちてしまった状態でこれだけ素敵な道なのですから、若葉の頃はもっと素敵な道に変身するのでしょう。この縦走路は最高でした。

★頭巾山(とっきんやま)


縦走路からは100mくらい外れるのですが寄り道をしてきました。「ずきんやま」と書いて「とっきんやま」と読むようです。

★山頂直下よりレーダーを望む


山頂直下まで来るとレーダー施設の大きさに圧倒されました。右側のピークが山頂なのですが、山頂よりも丸いレーダーのてっぺんのほうが高くなっていました。

★三郡山山頂


糟屋・筑紫・嘉穂の三郡にまたがることからこの名前があるそうです。標高は936mで三郡山地の主峰です。この山も山頂からの眺めは抜群でした。

★歩いてきた道を振り返る


歩いてきた道を振り返ってみました。見えるピークは仏頂山で、宝満山はその陰になっていて見ることはできません。

以前から気になっていた縦走路でしたが、素晴らしい道でした。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




その1より続きます。

★中宮跡


七合目の閼伽の井から石段をひと登りで中宮跡の広場に到着です。現在は建物や鐘楼の跡が残っているだけです。

★中宮跡の祠


広場の奥に石の祠が二基ありました。この中宮跡の先から登山道は男道、女道、羅漢道に分かれます。今回は山頂への直登コースの男道を登りました。

★袖すり岩


先日の荒滝山のくぐり岩に比べれば広いものです。そりゃそうです、「袖すり」ですから大人が2人すれ違うことができなくてはいけないのです。丁度それくらいの幅でした。

★宝満山山頂


大岩の鎮座する宝満山の山頂です。登山口から約2時間かかりました。沢山の人がくつろいでいました。

★上宮の立派な祠


上の大岩に登って上宮を見下ろしてみました。山頂の祠にしてはとても立派です。

★福岡市方面の眺め


抜群の眺めです。少し霞んでいたのが残念でした。

★宝満山キャンプセンター


山頂から急な石段や鎖場を使って下ると「宝満山キャンプセンター」という広場と山小屋があります。トイレもあるのでとてもありがたい施設です。

★キャンプセンターより山頂を望む


キャンプセンターより大岩の重なる山頂を見上げてみました。

その3に続きます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




宝満(ほうまん)山(標高829m)は太宰府天満宮の背後に聳える秀峰で、九州で最も登山者の多い山と言われています。英彦山と並ぶ修験道の山で、山の中にはその遺構がたくさん残っています。
福岡市内から近く、登山道は四方八方から整備され、山頂からの眺めは抜群で、それでいて登山道は峻険で登り甲斐のある山です。人気があるのもうなずけます。
今回は竈門(かまど)神社を登山口とする正面登山道を登り、山頂からは九州自然歩道をたどって三郡山(標高936m)まで縦走し、それから宝満山に戻ってから別ルートを下りました。

★竈門神社の鳥居


竈門神社の前の駐車場に車を止めて歩き始めました。

★竈門神社


太宰府天満宮は学生時代に縁切り神社だと言っていましたが、その近くにあるこの竈門神社は縁結びの神様だそうです。

★山の図書館


九州登山情報センター「山の図書館」です。

★林道から分かれたところにある説明板


この説明板のところから本格的な山道に入ります。

★一の鳥居(二合目)


車道はこの鳥居の下まで通じていますから、そこまで車で乗り入れることが可能です。このような登山道がずっと続きます。

★徳弘の井(水場・三合目)


地元の人が寄贈されたと思われるひしゃくがいくつか置いてありました。

★殺生禁断の碑(五合目)


この石碑の場所が五合目です。

★百段がんぎ


この登山道の名所の「百段がんぎ」です。急峻な石段です。

★閼伽(あか)の井(七合目)


百段がんぎを登りきったところにある水場です。

その2に続きます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年も下のようにトウダイグサ、キュウリグサを一緒に記事にしています。ただし大きく違うところは昨年は日付が4月2日です。怖いくらいに去年と今年は違います。昨年の記事はこちらからどうぞ。

★トウダイグサ


日当りの良い場所に咲いていました。

★キュウリグサ


この時期咲いていても地面にへばりつくように咲いているものなのですが、今年はすでに花茎を伸ばして咲いていました。

★ヒメウズ


ヒメウズも今年は冬の間もずっと咲いていたような風情でした。

★アオモジ


家からそう遠くないところにアオモジの花を目の前で観察できる場所がありました。ところが今年行ってみたらことごとく木が切られていました。展望台のような場所なので、きっと見晴らしを良くするために邪魔になる木を切ってしまったのだと思います。確かに見晴らしは抜群になっていました。
おかげで高いところしか花を見ることができず、開花しているのか、していないのかわかりませんでした。でもいずれにしてももうすぐです。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




今年は冬というものを感じないままに春になってしまったようです。これが花の開花や成長にどのような影響があるのかはわかりませんが、暖かいのでとりあえず雑草と呼ばれている花たちは元気です。

★オオイヌノフグリ


まだ最盛期の青いジュータン状態には程遠いのですが、それでも時期を考えたら十分に沢山咲いていました。しかも暖かいので元気です。



いつでも咲いているように感じますが、お日様のあたる日中でないとこれだけキレイに開いてくれません。

★フラサバソウ


フラサバソウも沢山咲いていました。フラサバソウは昨年詳しく記事にしましたのでこちらから見てみてください。

★タネツケバナ


「あっ、ペンペングサ(ナズナ)が沢山咲いている」と言ったら、「タネツケバナよ」と言われました。確かに果実の形が違います。

★ノミノフスマ


「あっ、ハコベが咲いている」と言ったら、「ノミノフスマでしょ」と言われました。確かに葉っぱの形が違います。
一年経つとすっかり忘れてしまっています。困ったものです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




今年も太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)を見てきました。昨年の記事は3月17日になっていますから、昨年は3月の10日前後に行ったのだと思います。ですから今年は梅の花もずいぶん早く咲いたのです。飛梅に関してはさだまさしさんの歌にのせて昨年詳しく書きましたのでそちらを見てみてください。また大宰府に関しましては、こちらも見てみてください。

★太宰府天満宮本殿


梅の開花、受験シーズン、連休、暖かな良い天気ということで太宰府天満宮はごった返していました。飛梅は5分咲きくらい、他の梅はつぼみから3分咲きくらいでしたから、今週末から来週末が見頃になるのではないでしょうか。本殿に向かって右側の白い梅が飛梅です。

★飛梅






やはり飛梅は他のどの梅よりも早く咲いたようです。満開とはいきませんでしたが、キレイな花をつけていました。

ところで記事を書いていて「だざいふ」と打ち込んで変換すると「大宰府」となり、「だざいふてんまんぐう」と打ち込んで変換すると「太宰府天満宮」となることに気がつきました。つまり「大」と「太」の違いです。去年は全く気がつきませんでした。

調べてみると、そもそも「宰」とは「みこともち」と読み、奈良時代に確立した律令体制下の官職名のことで、現在で言うと「知事」のようなものだったようです。そして「大宰」は「おほみこともち」と読み、「宰」よりも広い地域を取り仕切る官職だったようです。そしてその「大宰」のいる役所が「大宰府」で、他の地域にもあったようですが、途中で廃止され最後まで残ったのが九州の大宰府だったようです。一般的には「宰府」とも呼ばれていたようで、現在の太宰府天満宮のある地名は「宰府○丁目」となっていました。

ところが律令体制が緩んできた頃から「大宰府」は「太宰府」と表記されることが多くなったようで、菅原道真が左遷されて、後に天満宮ができた頃には「太宰府」が一般的になったようです。ですから「だざいふてんまんぐう」は「太宰府天満宮」と変換されるのです。現在では天満宮をはじめ、市の名前も「太宰府市」ですし、太宰府市役所によると現在の地名としての「だざいふ」は「太宰府」と表記し、歴史的なものを解説する際には「大宰府」と表現すると分けているそうです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




昨年、スミレを勉強しようといろんなスミレを探し、見ました。ところが一冬越したらことごとく忘れています。困ったものです。パソコンのハードディスクのような脳みそが欲しいです。

★アオイスミレ


春真っ先に咲くスミレとよく紹介されています。確かにそうなのですが、今年はタチツボスミレが冬も咲いていたそうです。アオイスミレは先を越されてしまったことになります。
アオイスミレはなかなかさんが詳しく解説されていますので、こちらからご覧になってください。

★タチツボスミレ


2月頃には咲いたとしてもあまり元気のない咲き方をするものですが、今年は全然違います。元気いっぱいに咲いていました。

★ナガバノタチツボスミレ


花だけ見たらタチツボスミレと同じようです。葉っぱはナガバでした。こちらも2月の様相ではありませんでした。葉っぱがすごく大きくなっていて、花期の終盤のような感じでした。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ