ハイカーホリックの介護日記~機能訓練指導員の一日~
体の衰えは筋肉の衰えです。筋肉を復活させる事に全力を尽くします。
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今年も太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)を見てきました。昨年の記事は3月17日になっていますから、昨年は3月の10日前後に行ったのだと思います。ですから今年は梅の花もずいぶん早く咲いたのです。飛梅に関してはさだまさしさんの歌にのせて昨年詳しく書きましたのでそちらを見てみてください。また大宰府に関しましては、こちらも見てみてください。

★太宰府天満宮本殿


梅の開花、受験シーズン、連休、暖かな良い天気ということで太宰府天満宮はごった返していました。飛梅は5分咲きくらい、他の梅はつぼみから3分咲きくらいでしたから、今週末から来週末が見頃になるのではないでしょうか。本殿に向かって右側の白い梅が飛梅です。

★飛梅






やはり飛梅は他のどの梅よりも早く咲いたようです。満開とはいきませんでしたが、キレイな花をつけていました。

ところで記事を書いていて「だざいふ」と打ち込んで変換すると「大宰府」となり、「だざいふてんまんぐう」と打ち込んで変換すると「太宰府天満宮」となることに気がつきました。つまり「大」と「太」の違いです。去年は全く気がつきませんでした。

調べてみると、そもそも「宰」とは「みこともち」と読み、奈良時代に確立した律令体制下の官職名のことで、現在で言うと「知事」のようなものだったようです。そして「大宰」は「おほみこともち」と読み、「宰」よりも広い地域を取り仕切る官職だったようです。そしてその「大宰」のいる役所が「大宰府」で、他の地域にもあったようですが、途中で廃止され最後まで残ったのが九州の大宰府だったようです。一般的には「宰府」とも呼ばれていたようで、現在の太宰府天満宮のある地名は「宰府○丁目」となっていました。

ところが律令体制が緩んできた頃から「大宰府」は「太宰府」と表記されることが多くなったようで、菅原道真が左遷されて、後に天満宮ができた頃には「太宰府」が一般的になったようです。ですから「だざいふてんまんぐう」は「太宰府天満宮」と変換されるのです。現在では天満宮をはじめ、市の名前も「太宰府市」ですし、太宰府市役所によると現在の地名としての「だざいふ」は「太宰府」と表記し、歴史的なものを解説する際には「大宰府」と表現すると分けているそうです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
太宰府 (イワイ)
2007-02-17 09:51:38
おはようございす!二度目の訪問です。覚えていらっしゃいますかね?
一月に九博で伊藤若冲展を見た後、初めて行きました。
ルンバルンバさんのブログの赤い三つの橋だ~と思いながら渡りましたよ(そんな頃からのルンバファンです)
梅ヶ枝餅、うちは仲良く一個ずつ食べました。

大と太 違いの分かる方だったんですネ。(笑)
 
 
 
コメントありがとうございます (ルンバルンバ(管理人))
2007-02-17 22:49:12
★イワイさんへ
いつもご覧になっていただきありがとうございます。今回は山登りがメインだったので、大宰府にはちょっと寄っただけでした。
お参りもそこそこに梅ヶ枝餅を食べ、お土産に買って帰りました。
山登りのほうもまた見てくださいね。
 
 
 
飛梅 (TA)
2007-02-17 23:25:41
旅行で太宰府天満宮に行った時には梅の花は咲いていませんでした。写真で拝見出来てうれしいです。
 
 
 
コメントありがとうございます (ルンバルンバ(管理人))
2007-02-18 22:02:41
★TAさんへ
伝説のある飛梅は記念撮影の人がいっぱいでした。他の梅はこれからでした。いい季節です。
 
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