子供の頃、「学級閉鎖」というのは憧れでした。よその学校で「40人の生徒のうち15人が休んだので学級閉鎖になったらしい」という噂を聞くと、もう羨ましくてしかたがありませんでした。
ところが小学校から高校までの12年間、一度も学級閉鎖に出会ったことがなく過ごしてしまったのです。自分の通っていた学校が学級閉鎖になったという記憶すらありません。これはとても残念なことでした。ちなみに僕は「お見合い」というものも経験したことがなく、どうせならテレビによく出てくるような「お見合い」というものを経験しておけばよかったと後悔しているのですが、それと同じくらいに残念なのです。
理想は自分は熱など全くなくピンピンしているのに、同級生が風邪などを引いて学校を休んだがために学級閉鎖になるというものでした。自分が風邪をひいてしまっては元も子もありません。ですから風邪での欠席が5人くらいを越えてくると、友達と「もう5、6人休めば可能性があるぞ」なんて話していましたが、結局そのような事態にはならなかったのです。
子供の頃は風邪で学校を休むというのは非日常的なことでしたから、風邪でフラフラしているにも関わらずワクワクしたものでした。さすがに熱が39℃を越えてしまうと苦しいので、理想は37.5℃くらいの熱が出ることでした。体温計の37℃のところだけは赤い字で書いてありますが、当面の目標は赤い字を超えることでした。
朝、オカンに「何かおかしい」と告げるとまずはオカンの手の審査があります。オカンがまず額に手を当てます。ほとんどの場合は「ない!」と一言で片付けられ、おでこをバチンと叩かれて終わりだったのですが、たまに「んっ?」ということになります。一次審査通過です。すると今度は両手をおでこと首筋に当てます。そこで「んっ?」ということになれば体温計の登場です。つまり二次審査をパスしたのです。
体温計を脇の奥深くまで突き刺すように差し入れ、そして上腕でしっかりと挟み込みます。36.9℃なんて中途半端なことになってもらっては困りますから、気合を入れて計ります。その間オカンは僕に体温計に息を吹きかけたりするズルをさせまいと見張っています。そして3分が経過し審判が下されます。37.2℃くらいだと「う~ん、どうしようかねぇ」ということになるのですが、37.5℃までいくと「しょうがない、今日は休みなさい」ということになります。最終審査通過です。
これが36.9℃くらいだと学校に行かされた挙句、「風邪気味なんだから道草せずに真っ直ぐ帰り、帰ってからも遊びに行ってはいけません」という最悪の事態になるのです。この「気味」というのが一番たちの悪い状態でした。
37.5℃くらいだと体もそれほどだるくなく、ふとんには入っていますが眠ることもできず、かといってオカンの監視下にありますからテレビを見ることも許されず、暇を持て余していました。オカンがお昼前に買い物に行った隙にテレビをつけ、夢中になって見ていたら帰ってきたオカンに見つかって怒られたものです。
午後3時過ぎくらいになると友達がプリントやノートを持って帰り道に寄ってくれます。パジャマ姿で友達に会うのが誇らしいやら、照れくさいやら不思議な気持ちでした。友達のほうも羨ましいというか、やっぱり照れくさいというかいつもと少し様子が違っていて、妙に丁寧な言葉遣いで話をしたりしたものでした。でも長く話すとオカンに怒られるので、すぐに「じゃあね」ということになりました。
これが学級閉鎖で自分はピンピンしていれば、「学級閉鎖」という大義名分がありますから、テレビだって見ることができたはずですし、ふとんの中にずっといる必要もなかったでしょう。また夏休みなんかのように「勉強をしなくてはいけない」という制約もなかったでしょうから夢のような一日が過ごせたはずなのです。非常に残念です。
それが最近では○○中学校の○年○組が学級閉鎖になったというニュースをよく聞きます。中には学年閉鎖なんてのもあります。今年こそ暖冬でインフルエンザが少なかったので今まではあまり聞きませんでしたが、このところまた新聞やニュースで報道されています。最近の子供は学校週5日制で休みが増え、祝日の数も増えています。そしてさらに学級閉鎖です。ずるいですね。昔とは「休み」の重みが違います。
しかしどうしてこんなことになったのでしょう。「医学は昔に比べて格段に進歩している」などと言いますが、それなのに学級閉鎖が増えているのはどうしてなのでしょう。30年位前と比べてみてください。花粉症で苦しんでいる人が格段に増えていませんか?。大人になってもアトピー性皮膚炎が直らない人が増えていませんか?。不妊症で悩んでいる人が増えていませんか?。流産する人が増えていませんか?。糖尿病の人が増えていませんか?。ガンで死ぬ人が増えていませんか?。そもそも病名の数が以前よりも格段に増えていませんか?。医療費の伸びがあまりにも急速ではありませんか?。医学が進歩しているのならば減らなくてはいけないことばかりです。
結局進歩しているのは医学ではなく、医療器械なのです。今まで見えないところが見えるようになったり、小さすぎてわからなかったことがわかるようになったりと、そういった面ではすさまじい進歩を遂げたと思います。じゃあそれが医学の進歩につながったのかといえば答えはノーではないでしょうか。新しい細胞が発見されたとしても、それが病気の数の減少に役立っているとは思えません。医療器械の進歩や薬の化学合成の技術の進歩を医学の進歩にすりかえるのはあまりにも危険だと思うのです。
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