ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

なつやすみからの目醒め

2015年10月25日 | たびたべた

「うに虎喰」のうに丼。

月曜から一週間ぶりに仕事だから早起きの練習しなきゃいけないと言ったら
彼が築地まで朝ごはん食べにきてくれました。

これは救急ローテ中にぴったりのアイデアかも…
せっかくだからこの地も楽しもう。

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2年次にまわりたい選択科を提出しろと言われたり
そうでなくともそろそろこの次の進路について考えなければならない時期なのかなと思っている。
いや、ほんとはだいぶ前から志望科を聞かれるたびになんともつまらない答えをしては、そんな自分を残念に思っている。思っているけど見えてこない…

でもこの夏休み、久しぶりに大自然のなかで過ごしたり実家で親に甘えまくったりしたりパンこねたり接骨院に行ったり声楽のレッスンに行ったりして(つまり心から尊敬できる人に会って好きなことばかりして)何段階か前の生活を再現していたら
今までの自分も考えたり探したりしてきたわけじゃないけど「これだ…」と思えることと出会えた瞬間があったことを思い出した。そしてひとたびその出会いを経験した後は、そのことに向かって自信をもって向かってこれてきたことも。
“そのこと”とは身近にある問題で、なんでか気になって他人事と思えないことで、自分でもその解決について発言したくなるようなことだった。それが一般的に普及していることでなくても成功しなさそうなことでも気にしていなかった。飽きるかもしれないとか、心配すること自体思いつきもしなかった。そのことについて家族としゃべっていると話が尽きなかったり、そのことについての本なら何冊でも買ってきて時間を惜しんで読んだりした。そのことをやるための勉強ならどんなに苦手で関係なさそうな数学でもがんばれた(←これだいじな指標)…夢中になっていられた。
最近、いまいち夢中になっていない自分に焦っているんだと思うけど、“そのこと”を見失っちゃってたからだと思う。大きく変わったとか忘れたとかではなくて(そう…よくよく思い返してみると意外と興味のあることが中学生の自分と今の自分で重なる)、それらしい科を回ってもしっくりこないというか、自分がやりたいことをできそうな場を見つけ出せないでいるからだ。その場って今の日本に少ないだけかもしれないのに、そこ諦めちゃったらそりゃ医者で居続けるために全く新しい目標を探すことから始めなきゃいけなくなっちゃうのは当然だ。それよりも、なりたい自分になるためにしっくりくる場を探している方が楽しいと思う。

それでとりあえず今日は丸善の医学書コーナーに行って初めて、「明日から研修する科と関係ある本」でないのも3冊買ってきた。ずっと気になってたけど「そんな余裕ないんだから!」と通り過ぎてきた棚の。(そもそも研修忙しくて余裕ないからって興味のあること全部ばっさり切り捨てる必要はない気がしてきた。というか…切り捨ててもなぜか勉強時間は増えなかった笑)

自分を惹きつける本を読もう。
やっぱり私は言葉から入ろう。
もしその本の言葉たちが自分のなかにスルスルと馴染むようなら、それが神さまからの合図と思ってそっちに進んでみよう。それがきっと、わたし流の自分に正直でいるやり方だ。
(だから変に罪悪感とかもたずに趣味は続けよう!)

この夏休みから生まれたひらめきでした(最後のはおまけ笑)。
やっぱり夏休みってすごい。
中高時代に毎年何十枚とレポートの宿題を出されてたから、夏休みってなんか一つのことを延々とウニャウニャ悩んで考えをまとめる季節なんだなとは前から思ってたけど。