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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「せつぶん」

2017年02月03日 | 季節の移ろい・出来事

                               
              やぶの中で悠々と昼寝をする、ノラ猫

2月3日、節分。季節の変わり目、つまり春夏秋冬、季節を分けるところから、節分(せつぶん・せちぶん)と言われるようだ。
季節の変わり目とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日を言うが、その日を境に、季節が少しずつ移り変わっていく実感を表している。
それぞれの季節の変わり目に節分と言う名はついて回るのだが、特に立春の前日を「節分」と呼ぶことが定着したために、いつしか他の季節の変わり目は、節分と呼ばなくなった、という説もある。

いずれにしても、今日は冬から春への季節の変わり目、立春の前日の節分である。
どことなく春近しを感じさせる雰囲気は、年齢に関係なく少し気持ちが前向きになるような。
節分の今日は穏やかな日差しで、窓越しに見えるヤブの一角で、ノラ猫が気持ちよさそうに昼寝をしている。
穏やかさを絵で表現するなら、こんな光景を言うのだろうか、と思わせる。
小雪が舞えば、犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる……のが相場であった。小雪ではなく陽ざしがあれば、猫も大胆に昼寝する。

そして今ひとつ節分の話題として、恵方巻という巻き寿司を1本丸かじりする。イワシの煮つけを食べ、炒り豆をまいて邪気を払い、服を呼び込む。どれもこれも、向こう1年の悪疫退散、招福を神に祈る行事である。
地方のよってはそれに加えて、イワシの頭を柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口に吊るし、無病息災を念じる行事もある。

そこではたと膝を打つ。「イワシの頭も信心から」と言われるのはこのことだったのか、と一人悦に入る。
ひたすら真面目に何かを信じて行動する人を、ちょっと小ばかにしてからかうときに用いることが多いが、本来の語源は、この節分の習わしから出た言葉であるようだ。
他人からみればそれほどの価値はなくても、信仰する人にとっては尊いものになる。これぞ価値観の相違ということか。

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「穏やかに如月スタート」

2017年02月01日 | 季節の移ろい・出来事

                               
                完熟のピラカンサが、ヒヨの昼食

隣の空き地に自生するピラカンサ。ようやく真っ赤に熟した。
「待ってました!」とばかりに、ヒヨドリのつがいがやってきて、ランチに余念がない。
よそ様の食卓を覗くのは趣味ではないが、あまりにも美味しそうに仲良くついばんでいるので、そーっと望遠でお邪魔した。

睦月から如月へ。穏やかな月の始まり。カレンダーを1枚めくった。
2月の別称「如月」(きさらぎ)には、今一つ「生更ぎ」という書き方もあるようだ。
「生更ぎ」とは、命あるものが冬を越すために、一旦枯れたように小休止する。そこから春に向かって新たな命を宿し芽生える。
そんな意味が込めらているという。納得の生更ぎである。

1枚めくったカレンダーには「困難に出会うのは不幸ではない 自分を伸ばす好機である」と、書かれている。
確かにそうだ!!と、一度は納得してみるが、でもやっぱり「できれば困難にはあまり出会いたくないな~」と逃げを打つ。
それでも、「この世の中にいいことばかりがあるわけがない」とも、胸の奥のどこかで覚悟はしている。

こんなことを考える能天気なジジとは全く異なる若者が身近にいる。
2月の頭。真剣に困難と向き合い、己の今の実力を試そうとしている孫兄ちゃん。
スキーのインターハイ本番に向けて、群馬県の「尾瀬ほたか高原スポーツパーク」へと移動した。

今の彼らにとっては、全てがチャレンジであり、それらを一々困難などと思う暇はないのかもしれない。
そこに試合があり、ライバルがいて、タイムという壁に向かって己と闘う。これらは確かに一つの困難と言えなくもない。
でもその困難に向かって突き進んでいる今は、案外楽しい時なのかもしれない。

苦しさも楽しさも一緒くたにして、兎に角ガムシャラに挑む青春。そこには「春」という字がついて回るようだ。        

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