「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「仕事」

2016年12月10日 | 趣味・・エッセイ

                                            

久しぶりに「ねーねー、ちょっと聞いてよ」と、人に話しかけてみたくなるような短編エッセイが書けた。
幸いにして毎日新聞読者投稿欄「男の気持ち」に掲載された。いささか手前味噌な話で恐縮ではあるが、ちょっと聞いてくれる?

『仕事』

 95歳を過ぎたころから、母の認知症は徐々に色濃くなってきた。週に1日でもいい、介護を忘れるゆとりが欲しい同居人は、母をデイサービスに行かせることにした。
 
簡単に「ウン」とは言わない。手を変え品を変えて勧めるが「わしゃここが一番ええ、留守番もせにゃならんし、どこにも行かん」の一点張り。
 働き者で仕事大好きだった母は、家にじっとしているのも「留守番」という仕事をしているつもりらしい。そんな母を口説くキーワードは「仕事」の二文字だと悟り、「仕事に行くと思って行ってみんさい、面白いところよ」と勧めた。
 案の定その気になってくれた。通所が始まってしばらくしたある日、デイサービスから帰った母が「今日の仕事は楽じゃった、タオルを畳むだけよ」とうれしそうに話した。それから数日後、「給料はいつもらえるの?」と大真面目に尋ねる。これは返事に困った。
 もの忘れは結構激しいのに、「仕事に行くと思って」と勧めたことだけはちゃんと記憶している。その上、仕事をしたのだから給料がもらえるという原則も忘れていない。
 なんだかんだ理屈をこねて、給料はもらえないと説明したが納得した顔ではなかったような。息子夫婦がネコババしたのに違いないと思ったのだろう。
 101歳で逝った母の8回目の祥月命日を終えた。8年たった今も仏壇の向こうで「ネコババされた」と思っているのだろうか。同居人は分が悪いね~。
            2016年12月10日、毎日新聞「男の気持ち」 掲載。


 

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「紅く咲いても白く咲いても」

2016年12月08日 | つれづれ噺

          

庭に咲くサザンカの花の数が日に日に多くなっていく。
日当たりの加減で花期が早かったり遅かったりする差が激しいサザンカの花。
公園などの日宛の良い場所より、いつも遅めに咲き始める我が家の日宛のよくないサザンカも、いよいよ見ごろを迎えた。
早い話が、真冬の到来目前を予感させてくれる。オ~サム~~ の季節である。

歌手大川栄作を世に送り出した演歌「サザンカの宿」。今夜の忘年会二次会あたりで一発ぶちかましてみようかな……。
そんなことはともかく、作詞家吉岡治さんによると、深紅に咲くサザンカはなんかしら不倫の匂いのする花らしい。
♪♪ ・・・ ・・・ 紅く咲いても冬の花 明日はいらない さざんかの宿 ♪ と続く。

我々凡人には、紅であろうが、清楚な純白であろうが、サザンカが咲き始めると、つい襟の一つも立てて寒さから身を守ろうとするくらいのこと。ここらあたりに感性の違い、観る眼の違いがあるというものか。
もしもこの眼にそれほどの眼力があれば、市川昭介さんと組んで一旗揚げられたかもしれんのにな~

と、今からでも遅くないかもしれない可能性さえも、頭から否定してしまう年に至ったということか。
まあいい、毎年毎年同じように同じ場所で咲く庭のサザンカを見て、毎年こんなことを思っても仕方がない。
それより今夜は、先日の真昼間のリッチな忘年会に次ぐ2回目の忘年会。
あといくつか予定されている夜の宴会で、のどを広げるチャンスに恵まれたときのために、何曲か選曲しておこうという軽~~い話である。

そんなことより、あちこちで風邪ひきさんの話を聞く。気を付けようっと。
幸い、今年はもちろん、昨年も風邪を引かなかったような。
ということは、段々脳の活動が鈍り、〇〇は風邪を引かないと言うアレの仲間になりつつのあるのかも。それもまた一興。

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「リッチな忘年会」

2016年12月05日 | 宴会・会食

 

師走に入って、あちらこちら忘年会真っ盛り。
負けてはならじ、「やろうじゃないの」という元気ジルシの高齢者、といっては失礼な二人を含めた計6人。
アルコールはともかく、昼ご飯を狙った山海の珍味を、手作りでリッチに味あおうという、真昼間の忘年会。

あいにくの朝からの冷たい時雨にも負けず、一応調理のリーダーからあーせーこーせー言われるまま、準備に取り掛かる。
自慢じゃないが、こと調理にかけてはからっきしの知識と腕前。言われるままに右往左往。
ロケットストーブでは、ローストチキンを蒸し上げる。「火を上手に燃やすんよ」と指示が飛ぶ。火の番は任せなさい。タケノコ茹でで鍛えられたこの腕前?

その向こうでは「バエリア」という、手作りでは初めて見るおいしそうな料理が、グツグツ煮立っていく音が聞こえる。
こうなると、雨?寒い?・・・そんなものは関係なし。体も嗅覚もあったまり、食欲にお腹が鳴りそう。
調理の合間にはコーヒーとシフォンケーキの休憩タイム。

出来立てのバエリアにまさしく舌鼓を打ち「うまい」などと言いながら、強くもないのに真昼間のビールをグイッ!
カー、たまらんねー・・・などと言っているうちにローストチキンの出来上がり。周囲で蒸したタマネギやサツマイモのおいしいこと。
これまた「うまい・おいしい」の合唱で賞味。なんと贅沢な忘年会だ。もちろん、食べ物が府府とか、おいしいからだけではない。
それらをこの手で調理し、蒸し、焼き、味は好みに合わせて調味料を足したり引いたり。

仕上げは、本格的な材料仕込みと、道具持参の奇特なメンバーによるたこ焼きの実践と、熱々を賞味。
たこ焼き鉄板は三枚も。一度に58個焼きあがる豪快さ。「タコが大きすぎる」「キツネ色になったら竹串一本で45度回転させる」
などなど、うんちくや講釈を聞かされながら、焼きあがるのを待つ。これがまたお金では買えない美味しさ。

デザートもフルーツも全部頂いて、リッチで豪快で、尚且つ繊細な楽しい真昼間忘年会の一幕。
大きなホテルで、高い会費を出して豪華な?食事の忘年会も悪くはないが、こちらの、手作りの気持ち的にリッチを味わう忘年会。
神ってる鈴木誠也にちなんで、サイコーでーした。チャンチャン。

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「心構え」

2016年12月03日 | 家族・孫話

                                 
                                        右から2人目悠雅君。虎視眈々、スタートの合図を!

世の中は本格的な駅伝シーズンに突入。至るところで〇〇駅伝大会、△△駅伝競走が繰り広げられている。
孫の通う小学校でも、こちらはリレーではなく個人競技ではあるが、1学年全員が一斉にスタートし、学年別に一定の距離を走る「持久走」という名の長距離レースが行われた。
1年生は初めて挑戦するこの持久走。運動会とはまた違う緊張感があるようで、ドキドキ鼓動が耳に聞こえてきそう。

そんな雰囲気の中、運動会での短距離は早さを見せつけて来た孫の悠雅君。さて長距離ではどんな走りを見せるのか。
ソフトボールの練習では、グラウンド3周ランニングや、ストップウオッチ片手に鍛えられるベースランニングもこなしてきている。
それだけに本人としては負けられない、負けたくない闘争心は誰よりも強いのだろうか。その意気込み、心構えが透けて見える。

全員スタートラインに並ばされ、競技上の注意やルールの説明が長々と続く。「早くスタートさせてよ」という子が何人か見える。
悠雅君はと見れば、スタートライン最前列は言うに及ばず、最もインコースの有利な位置をちゃんと確保しているではないか。
しかも、いつ出発のピストルを打たれても瞬時に飛び出せるよう、身体を沈め、目はスターターを睨んでいる。
この心構えたるや、我が孫ながらアッパレである(笑)「先んずれば人を制す」を地で行っているではないか。

三男坊の負けず嫌いはこれまでもイヤというほど見て来た。多くはわがままを押し通す無理矢理の勝ちが多かった。
しかし今回の場合、心構えと言い、勝ための作戦と言い、理にかなった頭脳プレーと準備を怠らなかったことは認めてやりたい。
結果は、最初のグランド1周で勝敗の行方は見えた。校外に出るコース750mを駆け抜け、渡された順位カードは「1」。
「オレ、最後は心臓が止まりそうじゃったんよ、のどが渇いた」とうまそうに勝利の水を飲んだ。

格別教えたわけでもなく、自分で考えた「勝つための心構え」であったような。
何かにつけて教えているつもりのジジが、思わず7歳児に「喝」を入れられた思いのする、小学校校庭であった。

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「初冬の青空に映えて」

2016年12月02日 | 季節の移ろい・出来事

             
               天に向かって真っすぐ伸びる「皇帝ダリア」

初冬の青空に映えて見事な立ち姿を見せる「皇帝ダリア」。
この頃ではポピュラーな花の一種として、あちこちで見かけるようになった。
一様に背が高く、見上げる位置に清楚なピンクを配して、冬枯れていく野の色を背景に浮き立って見えるのがまたいい。

久しぶりに花言葉なるものをひもといてみたくなった。
皇帝ダリアの花言葉は、「乙女の真心」・「乙女の純潔」などと言うのだそうな。
そのわけは、真っすぐ天高く伸びて、晩秋から初冬の青空に優しく澄んだピンクの花を咲かせる健気さに由来するのだという。

往々にして花言葉とは、その花を見たまま、感じたままの独断的感情を、言の葉に置き換えて表現することが多いように思う。
この皇帝ダリアの場合も、それに近いものがあるようだが、それにしてもこれから寒い冬を迎える季節の中で、見上げる人々の心持を一瞬たりとも慰める効果としては、大なるものがある大輪の花ではある。

中学校高学年から高校時代にかけて、しきりに気になった「乙女の真心」や「乙女の純潔」という言葉。
今となっては少しばかり恥ずかしくて、声を出して口にするのさえはばかられる言葉となってしまったような。
それに今の若い人たちのあいだでも、こういった一見古風な匂いのする言葉は、どうかすると「死語」に近いのではなかろうか。

個人的には「野菊の如き君なりき」ではないが、乙女の真心・乙女の純潔などは、たとえ言葉だけでも残していきたい気がするのだが。
「やっぱりアンタも古いね~」などとの声が聞こえてきそうではあるな~。

あまりにもあちこちで見かけるようになった皇帝ダリアという花を、つい揶揄してみたくなったと思召せ。

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「師走ついたち」

2016年12月01日 | 季節の移ろい・出来事

                             

いよいよカレンダーが残り1枚となった。
得意の一曲の一つ、吉 幾三の「雪国」ではないが、暦ももう1枚で今年も終わりですねー。
師走に入ったとはいってもまだついたち、忙しいという実感はないが、師も走ると書く字面がなんとなく慌しさを運んでくる。

一歩家を出れば至る所に見られる里山を望む風景。今日の場合は希さんとの散歩道ではなく、悠雅君の通学路の一角である。
手前の休耕田というか、工作人を失った田んぼがただ荒れ放題になり枯草のムロになっている。
そのはるか向こう。近辺の電波をとらえる無線基地を望む山並み。
師走ついたちを迎えても、山全体が紅葉する、といった雰囲気ではない。青さがずいぶんと残っている。

気温の関係で紅葉が送れたとか、そういった天候の加減ばかりでなく、山に針葉樹が多いと緑が多く残るということである。
今この針葉樹の森が、水分を抱き込む力に欠けるのではないか、という議論が持ち上がり、広葉樹の根張りによる山の保水性が見直されているらしい。集中豪雨などの雨水を山が抱き込む力を「涵養効果」というそうだが、杉やヒノキなどから、クヌギやヤマグリなどの広葉樹への移行が注目されている。まさに山の持つ涵養効果を狙って、土砂災害を減らす取り組みなのだという。

まあそんな硬い話はともかく、師走とくれば忘年会の季節。
今年は最終的に幾つになるのかな~。昨年までより減ることはあっても増えることはなさそうである。
まず一消しは、中学校同期によるミニ同窓会が自然消滅したことだろう。

もっとも、まだまだ元気バリバリの人数も確かにいるが、その一方で、病に侵され、夜の外出を奥様や旦那から固く禁止されている者も少なくない。そんな人たちにとっては、飲み会ではなく、昼飯会、つまりランチならOKという向きも多いようだ。
だからといって「忘年会」と称するランチ会を開く意味があるのかな?などと。つい二の足を踏む。
そんな状況の下で、元気な者が集まって気勢を上げてはしゃぐというのも、「ウマ酒を酌み交わそう」ということにはならんだろう。

これだけは外せない、という恒例のメンバーによる楽しい会が幾つかあれば、それで十分という気もしてくる。
なんかしら、物思う師走ついたちになってしもうた。

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