久しぶりに「ねーねー、ちょっと聞いてよ」と、人に話しかけてみたくなるような短編エッセイが書けた。
幸いにして毎日新聞読者投稿欄「男の気持ち」に掲載された。いささか手前味噌な話で恐縮ではあるが、ちょっと聞いてくれる?
『仕事』
95歳を過ぎたころから、母の認知症は徐々に色濃くなってきた。週に1日でもいい、介護を忘れるゆとりが欲しい同居人は、母をデイサービスに行かせることにした。
簡単に「ウン」とは言わない。手を変え品を変えて勧めるが「わしゃここが一番ええ、留守番もせにゃならんし、どこにも行かん」の一点張り。
働き者で仕事大好きだった母は、家にじっとしているのも「留守番」という仕事をしているつもりらしい。そんな母を口説くキーワードは「仕事」の二文字だと悟り、「仕事に行くと思って行ってみんさい、面白いところよ」と勧めた。
案の定その気になってくれた。通所が始まってしばらくしたある日、デイサービスから帰った母が「今日の仕事は楽じゃった、タオルを畳むだけよ」とうれしそうに話した。それから数日後、「給料はいつもらえるの?」と大真面目に尋ねる。これは返事に困った。
もの忘れは結構激しいのに、「仕事に行くと思って」と勧めたことだけはちゃんと記憶している。その上、仕事をしたのだから給料がもらえるという原則も忘れていない。
なんだかんだ理屈をこねて、給料はもらえないと説明したが納得した顔ではなかったような。息子夫婦がネコババしたのに違いないと思ったのだろう。
101歳で逝った母の8回目の祥月命日を終えた。8年たった今も仏壇の向こうで「ネコババされた」と思っているのだろうか。同居人は分が悪いね~。
2016年12月10日、毎日新聞「男の気持ち」 掲載。