「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「とろける笑顔が・・・」

2010年07月03日 | 家族・孫話
とろけるような笑顔がもどった。心配したがやっともどった。
なんとも言いようのない笑顔、つい引き込まれてこちらもデレデレになる、1歳2ヶ月孫の笑顔。

4日も5日も高熱が続いた。最高は39度6部。
ついに国立病院救急外来に駆け付けることになった。点滴で取り敢えず体力を維持。細かい検査をあれこれ。「病的異常は認められない、夏風邪でしょう」という医師の判定に先ずはひと安心。

それから2日。やっと旺盛な食欲がもどった。食欲と共に、イタズラも笑顔も我が儘ももどった。
この頃では、気に入らないことには首を左右に振ることを覚えた。食卓の椅子に座らせると頂きます、と手を合わせる。
仏壇のリンを鳴らせば、短い足を折ってペコンとお辞儀をする。食べるものは何でもかんでも鷲づかみで口に運ぼうとする。

一気に色んな知恵が付いて、動きも活発になり、最高に可愛いペットの時。
そんな1歳2ヶ月の悠雅君が、食欲もなく手も足も動かさない。ひたすら熱の苦しさに耐え、大きく息をしている様子は痛々しかった。
自ら抱かれようとする力もなく、ぐったりもたれかかってウトウト眠るだけ。身体は燃える如く熱い。

そこまで、何もせず手をこまねいていたわけではない。かかりつけの個人の小児科で診察は受けていた。
熱冷ましの座薬だけは投与されていた。何をしても熱が下がらない。
しまいにはこちらが恐ろしくなるような塩梅。兎に角思い切って大病院の救急外来へ。事なきを得た。

この小さな笑顔のお陰で、ジジババも含めた家族全員に晴れやかな笑顔がもどった。
この小さな笑顔に秘められた底知れぬパワーを改めて感じる。元気がいい。健康は有り難い。家族は心強い。
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「アオサギ ④」

2010年07月02日 | 季節の移ろい・出来事
  
    6月15日 大雨          6月22日 飛翔準備        7月1日 もぬけの空

アオサギ銀座の様相を呈していた向かいの雑木林。
ギャーッ というけたたましい鳴き声が一段と激しくなった。どうかすると深夜までその声が響き渡ることもある。

4カ所の巣のうち、一番よく見えていて、双眼鏡はもちろんカメラでも最も捉えやすかった1カ所は、7月1日現在既にもぬけの空となっている。
6月15日の大雨には、あおの大きな身体を折るように下を向いて、ひたすら雨に耐えている姿を捉えた。

それから1週間ばかり、大きく羽ばたき練習をしたり、飛翔準備と思える悠然とした羽繕いも確認した。
その直後、3羽とも無事巣立ったのに違いない。そのヒナたちと思われる数羽が、けたたましい鳴き声で戯れ合っている姿が林の中で見える。この子達のじゃれ合う鳴き声が夜中でも聞こえるのだろう。

昨年からの続きの巣、他の2カ所の新しい巣は、まだ確かに親子の姿が確認できる。
出来たら巣立ちの様子を捉えたい。が、昨年同様彼らには、仁義という世界とはかけ離れた、所詮畜生の世界。挨拶などして飛び立つわけもなかろう。

ならばこちらがしっかり注意して見る以外にはない。
ただ安心なことは、巣立ったからといって、いきなり遠くへ飛んでいくわけではないということだ。
一旦巣からは離れるものの、しばらくはこの育った林の木々をネグラに、狩りの練習をして、一人前になったら外界へ飛び出すのだろう。

そして来年もまた、この林に戻って、子育てにいそしんで欲しいものだ。
後3カ所の巣立ちの撮影になんとか挑戦してみたい。
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「日々是好日・・・」

2010年07月01日 | 趣味・・エッセイ
7月1日。「心の日」「富士山の山開き」 1年間の後半スタートの日。

『人生は、長い旅をするようなものですね。穏やかな草原や豊かな田畑や森もあるし、険しい山や深い谷、大きな河もあり、大勢の人とふれあい、すれ違います。社会の動きの中で、楽しみ、喜びとともに、いさかいやトラブルにぶつかっても、いろんな出会いから力をもらって、歩むことが出来たらいいですね』・・・(「心の日」イベント、パンフより)

夢を抱き、恋に芽生え、汗を流し、安らぎに癒され、やがて見送られる。
そのように、人間が生きていく途中には、それこそありとあらゆる局面に出会う。
そのたびに、喜ぶ・怒る・哀しむ・楽しむ・考える・迷う・踏ん張る・投げ出す・やっぱり思い直してもう一度やり直す・・・このような繰り返しが「生きる」ということかな~と思ってみる。

何事に付けても、『己一人の力なんぞたかが知れている』と言うことを肝に銘じ、上手に人の力を受け入れることで、困難なことも、なんとか解決できる場合もある。ということのお手伝いをしたい・・・というのが心に日の目標のようである。

今年も手塩に掛けたアサガオが咲き始めた。長い間楽しませてくれたアジサイが終わろうとしている。
これから咲く花、終わりを告げる花、みな己の時季をわきまえている。
              
「日々是好日」いつもそんなにうまくは行かないだろうが、棚からぼた餅を待つのではなく、自ら求めて、汗をかき、好日を引き寄せられるといいな・・・と昼寝の夢をみる。
コメント (6)
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