goo blog サービス終了のお知らせ 

「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夏、昼下がり」

2008年07月07日 | 季節の移ろい・出来事
梅雨も明け、いよいよ夏本番。少し気持ちが弾んだり、暑さに閉口したりでちょっと複雑。
特に狙ったわけでもないが、七夕様の昼下がり、昨日の河川敷に続いて錦帯橋畔にクルマを走らせた。
暑い暑い月曜日にもかかわらず、チラホラの観光客。

錦帯橋150m上流に位置する錦城橋。その下はいい塩梅に太陽を遮り、清流・錦川の風に吹かれてなんとも言えぬ心地良さである。昼寝のひとつもしてみたくなる。が、昔から言われるように「いくら涼しくても、蟻の刺すところにはいられない」を地でいく話で、残念ながら昼寝はあきらめた。

すぐ横では、降り注ぐ太陽を少しでも避けるように、お互い身を寄せ合った屋形船が気だるそうに漂っていた。
ウィークデーの昼間では鵜飼遊覧の出番もなく、ひたすら暑さに耐えて、夜の出番に備えているように見える。

日の暮れと共に、この屋形船達もやる気を起こし、手慣れた船頭の水竿に操られて、多くの遊覧客と川面を楽しむのに違いない。
気だるそうな昼下がりの顔と、生き生きした夜の顔はまるで異なるのだろう。
盛んに言われるアフターファイブの元気な顔を思い出す。

遠くに浮かぶ錦帯橋は、昼下がりも、夜のスポットライトも、朝霧も、いずれをとっても絵になる秀麗さに変わりはなかった。一安心。やはり岩国人なんだよねー。
     (写真:錦帯橋を遠景に見る、係留屋形船)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目指せ・Jリーガー」

2008年07月06日 | スポーツ・観戦
完全な梅雨明け宣言が待たれる今日、ガンガンに照りつける錦帯橋河川敷で、岩国近郊少年サッカー大会が行われるという。小2の孫も出場、お父さんは審判として走り回る役目らしい。

ジジババも何はともあれ陣中見舞い。スキー大会では実績を残している孫が、真夏のサッカーでどれほどの活躍をするのか、この目で確かめたかった。
ウンウン、なかなかやりおる。

小学低学年の部、人数が足りないチームは女子を入れても構わないので、ともすれば混成チームも多く見られる。それでも中には、低学年とは思えないシビアな動きで、相手を攪乱する選手もいる。そんな子に限って身体は決して大きくないが、俊敏さで群を抜き、サッカーをよく知っているようだ。

今のうちにしっかり基礎体力を養い、辛さに耐える気持ちの強さを持ってもらう訓練をして、あわよくばどの子にも、Jリーガーを目指して欲しい。そこまでは行かなくとも、チームワークの中で、共に汗を流した友達作りには大いに役立つはずである。

それにしても、これらの運営・審判・応援の家族など、大変なパワーの結集である。真っ赤な顔に汗を流してボールを追っかける子供達も大変だが、大会を支える大人の方も乱れぬチームワークが必要である。もちろん体力が伴わなければならない。

少年サッカー大会だけに、親もまだ若い。だからこれほどのパワーが結集できる。この若い親のパワーを、スポーツ面だけでなく、子供を取り巻く全体の環境整備にも目を向けてもらえると、世の中もっと明るくなるのでは?と期待する。
携帯電話を持たせることの賛否もそう。後を絶たぬいじめ問題の減少もそう。子育て中の親がやらなければならないことが山ほどある。私の時もそうであった。

永遠の課題なのかも知れないが、今日の河川敷で目にした親子・親同士・大人同士のきずなの輪を広げて行けば、必ず世の子供達が確かな成長を遂げるだろうなーなどと考えながら、ボールを追う子供達を見ていた。身体を濡らすほどの汗が流れ熱中症寸前、年寄りは早々に退散した。
      (写真:少年サッカー大会、試合開始直前の監督指示)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「梅雨の名残」

2008年07月05日 | 季節の移ろい・出来事
ついこの前まで、お行儀よく「前へならえ!」をしていたレンコンの葉っぱが、いつの間にか逞しく成長した。お行儀も前へならえも関係なく、われ先に根を張り枝葉を広げ、他人の領分まで侵して行っているようだ。

こうしてしっかり自立しなければ、近々訪れるの真夏の灼け付く太陽や、台風の大風に対抗出来ないことを知っているのに違いない。それらにジッと耐えてこそ、秋には見事な収穫をもたらすことをも知っているのであろう。

葉っぱは、折り畳み傘の大きさにまで広がり、にわか雨の水たまりを支えるまでに成長した。花は見事に開きはじめ、お盆用の仏壇花として出荷され、都会では重宝されていると聞く。

レンコンの葉っぱが雨水をたたえ、花が出荷される頃になると梅雨明け間近、真夏の太陽が顔を出す日が近くなる。この頃が、蒸し暑い寝苦しい夜の第一次ピークを迎える。

幸か不幸か、田舎生まれの田舎育ち。季節の移ろいを肌で感じながら、孫との散歩を楽しめる今を大事にしなければ、バチが当たりそう。
寝苦しいだの蒸し暑いだのの愚痴を飲み込み、レンコンの葉っぱに宿る、梅雨の名残を観賞しながら、避けられない夏を迎え撃つ気持ちを養っていくことにしよう。
(写真:大きく育ったレンコンの葉っぱに宿る雨水)







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「頂点」

2008年07月03日 | つれづれ噺
NHKドラマにしては珍しく、漫画チックな番組が目にとまった。
舞台は、ボクシングの世界で生き延びる厳しさ、頂点を極めるに足る精神的強さを支える心構え。それらをコミカルに描いていた。

「世界チャンピオンとは、何人も何十人もの相手を殴り倒し、傷つけ、そして自分も傷つきながら、それでもあきらめず勝ち残った人間だけが、手にする栄誉なのだ」
中途半端な気持ちではチャンピオンになれないし、チャンピオンを目指さない者は静かに去れ、それがプロボクシングの世界なのだ。という筋書きであったと思う。

ボクシングに限らず、スポーツの世界・勝負の世界ははすべてこれに似た状況は生まれる。相手を倒さなければ自分が倒される。自分が勝たなければ相手が栄光をつかむという厳しい現実から逃げ出せない。逃げ出したら負けになるだけである。
壮絶とも言えるその世界は、想像以上に人間くさいドラマがあり、心の葛藤と向き合っているのであろう。

そんな厳しさを想像しながら、ただ眺めているだけの立場は気楽ではある。
しかし、たとえサラリーマンと言えども、自分の歩いてきた世界で、誰をも傷つけなかったか、誰をも踏み台にしたりしなかったか、と問われると、果たして何と答えるのだろう。
多かれ少なかれ、スネに傷のない人はいないだろう。そこにはプロボクサーほどの厳しさはないとしても、人間同士の闘いの場であることに変わりはないからである。

第一線のリングから降りた今、せめてもの罪滅ぼしに、心の中で懺悔でもしながら、毒にも薬にもならない気楽なブログを書き込んで、闘いの日々の償いとなれば、せめてもの慰めでありこの上ない幸せである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「孫の目」

2008年07月02日 | 家族・孫話
孫の手、と言えば「愛らしいもの・可愛いもの・金食い虫……」などとおおよそ相場が決まっている。
我が家の小2と幼稚園年長の孫兄弟は、好奇心のカタマリで、身体のあちこちに目が付いているのではないかと思わせるふしがある。

仕事帰りのじいちゃんにお茶の一杯も飲ませず、雨が落ちないのをいいことに散歩に引っ張って行く。ぬかるんだたんぼ道を走り回る。目当てはザリガニ。そんじょそこらにいるわけもないが、目を丸くして兄弟が探す。

ザリガニがいないと分かると、今度は石垣を這うカニ、次いで小川の瀬を泳ぐフナをすくおうとする。水面が低いため土手に腹這いになって懸命に網の手を伸ばす。すくえるわけがないことを悟るまでひたすら傍観。ようやくフナをあきらめ、今度は小さなトンボを追っかける。

1時間あまりの格闘の末、小さな川ガニを数匹ゲットして渋々帰る。そこで「じいちゃんあれ何か知っとる?」という。孫の目の先には、ハス田のコンクリート壁にピンクのソーセージが数個へばりついている。「あれはね、タニシの卵なんよ」と教えてくれた。

恥ずかしながら、この年まで、タニシの卵がピンク色で、人間の指くらいの大きさであることを知らなかった。急いでカメラを取りに帰った。
何処で誰に教わったのか、じいちゃんが教えられた。次は、このピンクの卵がふ化する頃を教えてもらってカメラに収めるぞー。

孫の鋭い目に圧倒されながら「老いては子に従え」という言葉をすんなり思い出した。子ではなく孫に従うほど、アタシはもうそんなに老いたのでしょうか。
この好奇心を大事に育てながら、タニシの成長を孫と一緒に見届けたい。
    (写真:ピンク色した、タニシの卵)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「保存食」

2008年07月01日 | 晴耕雨読
我が家でとれた小振りのラッキョウ。断っておくが、肥やしが足りなかったり、手入れが悪かったわけではない。わざわざ小振りにしたのである。

これも農作業師匠の知恵を拝借して、一昨年植えたラッキョウを昨年は掘らず2年目の今年掘ったのだ。ラッキョウとはおかしな植物で、植えてから1年目が一番大きく育つ。もっと大きくしようなどと2年そのまま畑に放置すると、1年目の半分くらいなスリムに実る。

3年目になると、またほどよい大きさになり、値打ちが最も高くなるそうである。専業農家の人の前でする話ではない。が、ブログ閲覧者が全てお百姓さんではないだろうから、敢えて自慢げに知ったかぶりな講釈を述べている。

紛れもなく言われるままに実践して、2年目の小振りを堀上げ、手間ヒマかけてシゴをして、ラッキョウ漬けが出来るよう準備した。

先だってが梅干しで今回がラッキョウーかい、と嘲笑する友の声が聞こえてきそうである。が、ぬかみそ臭い話などとバカにする事なかれだ。
我が国食品自給率40%割り込みはご承知の通り。60%強を頼っている輸入食品においては、後立たぬ産地偽造や消費者だまし。金儲けのためなら何でもあり。

そこへ行くと、古来から伝統的に受け継がれてきた「梅干し」「ラッキョウ」などは保存食の雄である。しかも正真正銘”メイドイン我が家”これ以上安心安全な食材が他にあろうか。ちょっとしたおつけ者、箸休め、食欲増進など効果は実証済みである。

まあ硬い話は抜きにして、お腹を空かして我が家に帰ってくる孫が、クッキーなどは見向きもせず、代わりにつまんで食べる少し甘口の美味しいラッキョウを、今年も作ってもらおうっと。
      (写真:手間ヒマかけた、小さな小さなラッキョウ)
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい