料金後納郵便という切手を貼らない葉書が届いた。
その葉書には何故か「親展」の赤い大きな文字が赤い四角で囲んである。
親展というからには封書であるべきではないか。と先ずはこの葉書に苛立ちをおぼえる。そもそも親展とは、手紙・電報を名宛人自身が開封することを求めるのに使う語。親披、直披。と広辞苑にある。
これは飽くまでも封書ではない。葉書である。が、屏風のように三枚開きになっている。内面にこまごまと大切な連絡事項がいっぱい書かれている。だから開封、つまり親展か。
昨今の経費節減のあおりで、通信費が抑えられ、封書に入れる手間も省けることから、こういった葉書形式の折り込み封書風な郵便物が横行している。
届いた葉書が「高齢者講習通知書」と、「高齢者」という字が真っ先に目に飛び込むように大書してあるからといって、八つ当たりしているわけでは決してない。
まだまだ先の話と思っていたのに、高齢者と言う言葉はあまり好きでないのに、ついに来おったか。と自分の年齢を素直に認めたくない思いが、叶わぬ抵抗を試みているのだろうか。無駄なことと知りながら。
次回免許更新するためには、この講習受講が義務付けられている。
確かに、高齢者運転による事故発生件数の増加を考えると当然と言えば当然かな。それにしては、忙しい若いお母さんの無謀運転は講習の対象ではないなー。
兎に角素直に?、高齢者講習を受けようと所定の手続きに入ったら、「来年1月17日においで下さい」ということだった。葉書が来たのが9月の下旬。こちらが申し込んだのが10月初め。あまりにも長い待ち時間。予約を忘れてしまいそう。
こういうのは待ちぼうけとは言わないのかな。その割には随分遅いブログアップだねー。
やはりどこかに「高齢者」という言葉にイチャモン付けたい自分がいるなー。
自動車学校へ申し込むのだが 仰せの通り2ヶ月ほど
後の日になった。午前10時ころに自動車学校へ・・
高齢者30人ほどが受講するのだが 目の検査・耳の検査
模擬運転などをして コースを運転させられる。
その運転の欠点を指摘してもう一度同じコースを運転させ
られる。 この料金が7千円ほどかかる。
75歳になると「認知症」のテストが加えられる。
講習が終わるのは午後3時ほどになる一日がかりだ。
そっぽ向きたいけれど、それでは更新ができない。
仕方ないからお誕生日前にお忘れなくお出かけ下さい。
それにしてもずいぶん待たされるのですね。
どうせなら遅い方が?? 忘れた頃にでも。
手帳にでもしっかりメモしてね~。
それでも、今のところ、運転なしの生活は考えられないからね。仕方ないんよ。
まさにここにも日本全体の高齢化という現象がみられるのです。
高齢者事故を減らすという意味では仕方のないことですが、事務処理や当日の講習の在り方など、一工夫あってもいいような気がします。
確かに、何かにつけて高齢者は如何にも、世間のはみ出し者のような言い方。
これからは、特に商売などする人は、高齢者をターゲットに、方向転換して行こうとする時代だというのにね・・・。
我が宿六さんは1昨年車を廃車にして運転は止めましたが、免許は87歳の誕生日に高齢者講習を受講して無事免許を更新してきました、まだ免許は持っていたいようですし、受講することによって、いろいろの意味で自分のバロメータにしたいようです、費用は往復のタクシー代も入れて2万円ほどかかったようです。
私は運転しないなら免許証を持つことに疑問を感じますけれど・・・・・
そうなんです、大きなお世話だと言いたいところですが、免許更新は何としてもやらなきゃならんし。
これからの世の中、シニアの底力をなめちゃいけませんよね~。
暇とお金を持っていて、孫への出費は糸目を付けない脆さも持っている高齢者、大事にしない方法はないですよ・・・(笑)
確かにおっしゃる通り、講習を受けることで、改めて自分自身を見直すきっかけになるのでしょうね。
そんな意味からも、必要なことなのですから、もう少しなんとか耳に馴染む呼称がないものかと。
これも贅沢でしょうかねー。
今の生活では免許は絶対的価値を持っているんですよ。