「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「待たれる春」

2019年02月21日 | つれづれ噺

           

お正月を迎えることを「新春」「初春」「頌春」など春という字でお祝いする。
新しい年の初めを寿ぐにはふさわしい言葉であり、なんとなく目出度さも漂う心地よい語感がある。
でも現実には、そこから本格的な冬を迎え、雪に埋もれる地方も少なくない。雪に埋もれることはなくても、まだまだ寒い日が続き、本当の春の訪れが待たれる。

春の訪れには三つの呼び名があるという話を小耳に挟んだ。
一つ目は「光の春」。一日ごとに少しずつ日脚が伸びて、昼間の時間が長くなる。明るさも強さを増す。
二つ目は「気温の春」。気温が少しずつ上がり、気持ちもだんだん前向きになる。
三つめは「音の春」。鳥のさえずりが聞こえ始め、人々の動きも活発になり、いろんな音が混じり始める。

なるほど、言われてみればいずれも、フムフム、納得の春の表現ではある。
その昔子どもの頃には、「田んぼ一面に咲くレンゲの花」で春の訪れを肌で感じたものだ。
やがて菜の花が咲き乱れ、ゴリ釣りに精を出す。そして海へアサリ堀に出かける。
季節の変わり目をちゃんと肌で感じながら、その時にしかない行動が体を突き動かしたものである。

火鉢の水槽の下の方に潜って、姿を見せなかったメダカ君たちも、表面に浮いてきて姿を見せるようになった。
春はもうすぐ、と思いたい。なんとか風邪も引かずインフルエンザにもかからなかった。
元気で春を迎え、桜咲く4月3日の晴れ舞台を待ちたい。
ちなみに今日はパーフェクト! 1枚のみの返信が「出席」に〇がしてあった。V!

コメント
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