通学路安全見守りや一斉あいさつ運動など、登校時の児童と交流
「きさらぎついたち」は冷たい雨で始まった。この日は地域挙げての「一斉挨拶運動の日」と決められていた。
通勤ラッシュの国道沿いの狭い歩道を、傘をさして一列に並んで登校する小学生。中学校はもっと遠くになるので、雨合羽を着込んで自転車を走らせる中学生。そんな小中生を、地域の有志や各種団体の役員さんが、要所に立って挨拶したり、安全を呼び掛けたりする、青少年健全育成の大切な活動の一つである。
広報を受け持つ者は、それらの活動状況や、子どもたちとボランティアの人たちとの交流の様子をカメラに収める役割がある。普段よりかなり早く起きて、寒さ対策に加えて雨対策に身を包み、最寄りの小学校の通学路要所でカメラを構えて待つ。子どもたちが到着し過ぎ去っていく後を追って、次の要所でまたパチリ。これは、定位置に立って挨拶や声掛けするのとは異なるややこしさのある仕事である。報道カメラマンの慌ただしい動きによってこそ得られる「生きた写真」の意味が少し分かるような気がする瞬間である。
場所こそ違うが、実は我が子もかつては小中の通学ではお世話になった光景である。
いまその順送りで、自由に使える時間と体力の許す範囲で、我々がよその子どもたちを見守っているというところか。
その昔は、通学路の至る所に「こわもてのおばあちゃん」や「ヘマをすると怒り飛ばされるおじいちゃん」がいたものだ。しかし今は、こわもてや叱ることはご法度である。ひたすら優しく、黙って見守る。もっとも子どもたちも昔のようにやんちゃでなくなった。
2月は頭から時間との闘いに明け暮れた。ひょっとしたら向こう1ヶ月、こんな慌ただしさに追い立てられる予感も。
「忙しい」とは心を亡くすこと。つまり思考力より行動力が勝ることを言うのだろう。
年齢も考えほどほどに。気持ちを整理しながら、ボチボチ。これでいこう、如月ついたち。