決して広くない庭の一角に、いつの頃からか根を張り始めた寒アヤメ。あれは確か妹が苗を持ってきてくれたように憶えている。
たった一株であったのが、年々しっかり成長し、大きく頑丈な根を張り、清楚な中に凛とした美しさを楽しませてくれるようになった。
何度もエッセイのネタになってもくれた。そんな寒アヤメが今年も花を付けた。
初咲きの寒アヤメ。あまりにも寒さ厳しいここ2・3日の影響か、少し控えめに咲いているように見える。
この花が咲き始めると、今一度大きな寒波が押し寄せる。そのあとで確かな春の足音が聞こえはじめる、というのが例年のお決まりコースである。
それもそのはず、今日は節分。明日は立春。春を迎える役者はそろったと言っていい。
節分には豆をまいて家の中から鬼を追い出し、そして福を招き込む。おなじみの構図である。
誰もが追い出したがる鬼ではあるが、日本の鬼は古くから人間と共に生きてきた、言わば同居人的な可愛げがありさほど大きな悪役でもない。
その一番の例が「来年のことを言うと鬼が笑う・・・」というように、鬼さんだって笑うのである。
またどんなひどい鬼でも、同情するときには「鬼の眼にも涙・・・」というように、涙さえ流す優しさを持っている。
本来人間という生き物は、時に極悪非道もやってのけるが、所詮か弱い情も涙も持っている動物であると信じたい。
なのに、このところはまさに極悪非道、人の命をもてあそんだり、弱みに付け込んでなんでもやってしまう畜生にも劣る集団が横行する。
彼らは人間の皮を被ったハイエナにも似ている。というとハイエナが怒りそうであるが・・・。
おのれの信じる宗教のためなら、他の宗教を排斥するにとどまらず、根こそぎ葬ってしまおう、などという無法に神の天罰は下らないのだろうか。
節分の豆で、我が身の内に棲む邪気を追い払えたらいいだろうなと思ってみる。
鬼もいて福もいて、邪もあって善もある。みんなごっちゃ混ぜでバランスが取れているのだろうか。
さて今年は何粒の豆を拾って食べようか・・・。