「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「父を偲ぶ日」

2013年08月14日 | 家族・孫話

                     

お盆の8月14日は、父の41回目祥月命日。
今年は、何故かゆっくりと父を偲ぶ気持ちが湧いてくる。直系の内孫が誕生したせいなのだろうか。
それとも、段々と父の逝った年齢に近づいてきたからだろうか。

「8月、鎮魂歌」  

若い頃、田舎相撲で大関を張ったこともある元気印。健康に対して自信過剰の上医者嫌い。
そんな父が「夏風邪を引いたようだ」と珍しく弱音を吐いた。
半分けんか腰で病院行きを勧めたが、頑として聞かない。
食欲は落ちる一方。サイコロ状のスイカを口に押し込んで水分補給させる容体に、鳥肌の立つ危機感を覚えた。
翌朝緊急入院の手はずを整えたその夜、我が意を貫いたまま74歳の生涯を閉じた。
発症から7日目、悔いの残る見送りとなった。
あれから40年を経た今も8月が来ると、息子としての責任を果たし得たのか、複雑な思いが胸に迫る。
                                   
                                       (毎日新聞、はがき随筆掲載) 
                      
ちょうど40年前、1973年の夏も暑かった。
今ほど気象予報が詳細でない時代だったので、実際に温度がどのくらいまで上がったのか確かな記憶はないが、ジリジリと妬け付く暑さだったことを憶えている。
当時は「熱中症」という病名はなく、一般家庭が救急車を呼ぶことさえはばかられた。
今思えば間違いなく熱中症の症状だった。その時医師の診断は「急性脱水症」であった。

あっけない見送りに、同居家族の不手際という自責にさいなまれた。全て後の祭りであった。
40年前の8月14日、「お盆のお迎えとは、よほどいい生き方をされたのでしょう」などと囁かれる中見送った。

“ 人間の禍福は あざなえる 縄のごとし ”  有頂天になるな、悲観しすぎるな、と教えてくれた父に、 合掌

コメント (2)
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