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本間美術館・本間家旧本邸・本間家旧本邸別館「お店」

2010年08月13日 19時32分31秒 | 
本間美術館・本間家旧本邸・本間家旧本邸別館「お店」



本間美術館

『本間様にはなれそもないが、せめてなりたや殿様に』は有名だ。
酒田の殿様が誰であったか分らなくとも本間家の名前は浮かぶ。
日本一の大地主といわれた、酒田の豪商本間家。



四代・光道が文化10年(1813)築造した別荘を昭和22年に美術館として開放した。



蓬莱山石組を中心とする回遊式庭園は鳥海山を借景にしている。
島の松に鶴が飛んできたことから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられたという。

本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に本館内で展示活動を始め、棟方志功や中川一政をはじめ作家の展覧会も数多く催された。

昭和43年、創立20周年を記念して伊藤喜三郎氏設計の新館が建設された。
以後、美術品は新館に展示されている。



本間家旧本邸

1768年、幕府の巡見使宿舎として建造された書院造りの武家屋敷。
本間家旧本邸として使用されてきた。
商人ながら士族として遇された本間家の格式を感じる。
従って、武家屋敷と商家造りの2つの様式で、珍しい建造物。
華美を嫌い質実な生活をしたことが、繁栄が永続したのだろう。
木造建築物としては酒田市最古で山形県指定文化財。



本間家旧本邸別館「お店」

別館「お店」は、本間家初代原光が「新潟屋」を開業以来、本間家が代々商いを営んだ場所。館内には、実際に使用した帳場や度量衡、行灯等の灯かり、などを展示している。
展示品の中に水戸の「高倉・司命丸」の薬の看板があったのには驚き、庄内地方まで普及していたようである。
本間家は地主のみと思っていたが、今の商社のような仕事もしていたのだ、と再認識した。
地主であったが地域にも多くの貢献をしたので、当時から『本間様』と慕われた状況が分かった。

酒田は「北前船」の停泊地で、江戸時代には30数軒の廻船問屋があり、隆盛を極めた。
本間家もその一軒と思っていたがそうではないようだ。
旧「鐙屋」という酒田一の廻船問屋の屋敷があり見学した。
1845年の大火の後に再建されたというが、酒田家の屋敷より広く豊かさを感じた。
井原西鶴の『日本永代蔵』のモデルとも言われる。

往時の酒田の繁栄が偲ばれた。
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