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回天神社と回天館@水戸市松本町

2021年06月16日 23時04分25秒 | 水戸の今と昔
回天神社と回天館@水戸市松本町





回天神社
安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変、東禅寺事件、那珂湊に、水戸で、筑波山で、敦賀に殉じた1,785名の士民の霊を慰め後世に伝えるため、昭和8(1933)年に銅板に名前を刻んだ忠魂塔が建てられた。
昭和44(1969)年、明治維新100年を記念し回天神社と祀られることになった。





回天館
元治元(1864)年、尊王攘夷の志なかばにして幕府に降伏した天狗党の志士800余名は、敦賀の海岸にあった16棟の鰊倉に押し込まれ、残酷きわまりない処遇を受けた。約100年後この鰊倉の1棟を福井県敦賀市より譲り受けて水戸の常磐神社境内に移築し「回天館」と名付けた。

しかし、歳月の経過と共に老朽化が進んだため、水戸市民の有志が寄付を募り、平成元(1989)年に回天神社境内に移築した。

現在、回天館は保存会によって管理され、天狗党の資料などを展示されている。
(開館時間10:00~15:00 入場無料 定休日:毎週月・火・金曜日)



「天狗党行軍経路略図」





出版された関連書籍など。



「信州和田嶺合戦図」



藤田小四郎の楠公自画賛



敦賀の海岸に在った16棟の鰊倉のうち1棟が常盤神社境内に移され「回天館」として資料展示館となったが、老朽化が激しくなった。(昭和63年9月・この場所は現在・常磐神社の資料展示の「義烈館」となっている。)



「異国船那珂湊接近図」文政6年



桜田門外の変、愛宕山集結の版画





板の扉に、牢居していた人々の血書の「叶」の文字などが散見され、武田耕雲斎らが処刑されるまで拘置されていた当時の過酷さを思い起こす。

2011年3月11日の東関東大震災で損傷を受けた。
10月に修復工事が完了し内部は明るくなったので、陰惨さは感じなくなった。



*市民有志のボランテアで運営されているから、多くを望むのは難しいことは承知だが、展示内容がもう少し充実できればと思う(:資金面を含め解決策が見つかることを願う)
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