「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

鈴木誉志男さんと松永公明さん

2022年02月20日 19時57分49秒 | 水戸の今と昔
鈴木誉志男さんと松永公明さん



『LI(エルアイ)』(2021年10月号)
ココリコ食堂に行ったとき、偶々手にした小冊子『LI(エルアイ)』(2021年10月号)の表紙はサザコーヒー会長の鈴木誉志男さん。



始めて拝見した『LI(エルアイ)』は《「茨城×中国」ビジネスのひらめきを見つける・伝える》情報誌でレイアウトやデザインなど、とても見易い。
茨城県に住む日本人と日常を共有する中国人のためのビジネス情報誌で、発行人は黄磊さん(表紙写真の左側)



「LI的〝喫茶時間″」その1
「日中友好のサザ 中国から学んだコーヒー屋」

『私はサザコーヒーという名前のコーヒー屋を54年前に始めました。
サザとは「且坐喫茶」、サザキッサと呼びます。
且坐喫茶は中国臨済宗の禅宗の七言絶句の言葉です。臨済宗は中国禅宗五客の唐代臨済義玄が開祖で、鎌倉時代に日本に伝わりました。その意味は「さあここに座してお茶を頂きなさい」です。
私は26歳の時に、思うことがあって、一週間に一回無心の時間を求めたいと、表千家茶道に入門しました。
茶道は、精神的な求道の道と、中国唐時代の総合芸術といわれています。茶道具、書、掛け軸、茶碗、書画、古代布の美に対する意識や感動を学びました。』
(巻頭部分を抜粋)

鈴木さんは父の経営していた映画館の一画に55年前に「サザコーヒ」を創業し、茨城を代表する、あるいは日本でも屈指のコーヒーブランドに育て上げ、コロンビアに直営のコーヒー園を所有するなど世界的にも知られるようになった。
勝田(現・ひたちなか市)の生まれだが、当時は越境と云って他の市町村から水戸二中に通学する生徒が多く1学年720人、全学年で2000人を超す大所帯だった。多数の卒業生の中でもでも出世頭とも言える鈴木誉志男さんの存在は抜群で、メディアに登場すると自然に目が行く。

特に1989(平成元)年 のサザコーヒー本社本店落成、ギャラリーサザの開廊頃から約35年に渡って顔を合わせることが有る。
会えば話題が豊富で旅、食べ物、モラや仮面などの収集品、勿論、コーヒに関わる諸々の話は尽きない。
コーヒー学会の開催や「勝田全国マラソン」開催時のコーヒーの無料提供など社会的な活動にも尽力している。

「ギャラリーサザ」は展覧会の予約でいっぱいだが、オープンの頃は空の時もあったので「摩訶曼荼羅華」と題する遊びの場として無料で使わせて頂いたこともある。



「LI的〝喫茶時間″」その2として
嘉木を求め、 嘉人に至る。有限会社アトムセブン 代表取締役 松永公明

松永さんは交通事故でかなりの重傷を負い、後遺症が酷くて治らない。
その頃、友人の医師が中国へ行くというので、松永さんも天津の医学校に留学。そこで知ったのが、漢方を煮出して、そこにお茶を混ぜるという方法。
そのおかげで身体がある程度良くなって帰国した時、“日本で漢方薬をやろう”と考え、漢方薬と中国茶の店「十倶茶游」を開いた。
中国には樹齢百年・千年という見たこともない大樹が沢山ある。
所変われば品変わる、多くの茶葉を求めて何度も中国に渡って仕入れをしている。





創業時は下市の本町、震災後に千波町に移転の新店舗は1階で販売、2階が喫茶室と中国茶の教室。



2階の奥にウッドデッキのテラスもあってお気に入りの店となった。
句会の当番を務めた際は2階を貸して頂いたこともあった。

4~5年位前「十倶茶游」のオーナーの松永公明さんは以前からの知り合いであったことが分かり驚いた!
半世紀前の頃、水戸市南町の商店主が出資して広告宣伝・店舗内装の「K企画」を設立した当時、友人が社員だったのでよく遊びに行った。
出入り業者で電気工事の会社を営んでいたのが松永さんで、雑談などをした覚えがあるが、その後の付き合いは無かっただけに、お気に入りの店のオーナーだったと知りビックリした。

コロナウイルスが蔓延し始めた2年前頃から訪ねていないが、営業時間の短縮や規模を縮小せざるを得ない状況とのこと。
営業時間・11:30~17:30 定休日・木曜日

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