「東海道五十三次漫画絵巻」と山田みのる
笠間日動美術館で「幻の大津絵と東海道五拾参次」展が2022年1月2日~3月6日まで開催されたが「東海道五十三次漫画絵巻」も公開された。



「肉筆東海道五十三次漫画絵巻(漫画東海道)」
東京在住の岡本一平を始め一流新聞漫画家18人(東京漫画会)による、大正版、東海道五十三次漫画絵巻(全55点)。
紙本淡彩 近藤浩一路箱 表題・長原孝太郎(止水)作品寸法32.9㎝×24.3㎝
大正10年(1921)5月1日、メーデーで厳戒中の日本橋を「すげ傘姿」で出発。各宿場で歓迎攻めにあいながらスケッチ旅行を行い、スケッチを元に制作した約150部を制作した。
1セット55図の絵巻(上下巻)で、それぞれ肉筆のため1図に付き150枚を描く大作業だった。






水戸出身の山田みのる(1889~1925)は「赤坂」「桑名」「亀山」「大津」の4図を担当したから全部で600枚も描いたことになる。
1度に全てを描いたわけでなく、1年ほどの間に何回かに分けて納めた。
画料は会員に分配されたから、会にも会員にもまとまった収入をもたらした。
*山田みのる(1889~1925)は大正時代に活躍した、水戸出身の漫画家。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で洋画を学び、雑誌や新聞で漫画を発表する。奇抜な構図と自由奔放な画風で、世相を映す出来事や人々の風俗をユーモアたっぷりに表現した漫画は人気を呼び、漫画界で一目置かれる存在となった。
大正10(1921)年には朝日新聞社へ入社し、国内政治や国際情勢を題材とした数々の風刺漫画を発表するが、大正14(1925)年、惜しくも35歳でこの世を去った。

「山田みのる」墓所・祇園寺(水戸市八幡町11−69)
*「大正の漫画家・山田みのる」展が水戸市立博物館において、令和元年10月20日~11月24日に開催された。
この展覧会で、東海道五十三次漫画絵巻」全55点と岡本一平など同時代の漫画家たちの作品も展示された。
笠間日動美術館で「幻の大津絵と東海道五拾参次」展が2022年1月2日~3月6日まで開催されたが「東海道五十三次漫画絵巻」も公開された。



「肉筆東海道五十三次漫画絵巻(漫画東海道)」
東京在住の岡本一平を始め一流新聞漫画家18人(東京漫画会)による、大正版、東海道五十三次漫画絵巻(全55点)。
紙本淡彩 近藤浩一路箱 表題・長原孝太郎(止水)作品寸法32.9㎝×24.3㎝
大正10年(1921)5月1日、メーデーで厳戒中の日本橋を「すげ傘姿」で出発。各宿場で歓迎攻めにあいながらスケッチ旅行を行い、スケッチを元に制作した約150部を制作した。
1セット55図の絵巻(上下巻)で、それぞれ肉筆のため1図に付き150枚を描く大作業だった。






水戸出身の山田みのる(1889~1925)は「赤坂」「桑名」「亀山」「大津」の4図を担当したから全部で600枚も描いたことになる。
1度に全てを描いたわけでなく、1年ほどの間に何回かに分けて納めた。
画料は会員に分配されたから、会にも会員にもまとまった収入をもたらした。
*山田みのる(1889~1925)は大正時代に活躍した、水戸出身の漫画家。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で洋画を学び、雑誌や新聞で漫画を発表する。奇抜な構図と自由奔放な画風で、世相を映す出来事や人々の風俗をユーモアたっぷりに表現した漫画は人気を呼び、漫画界で一目置かれる存在となった。
大正10(1921)年には朝日新聞社へ入社し、国内政治や国際情勢を題材とした数々の風刺漫画を発表するが、大正14(1925)年、惜しくも35歳でこの世を去った。

「山田みのる」墓所・祇園寺(水戸市八幡町11−69)
*「大正の漫画家・山田みのる」展が水戸市立博物館において、令和元年10月20日~11月24日に開催された。
この展覧会で、東海道五十三次漫画絵巻」全55点と岡本一平など同時代の漫画家たちの作品も展示された。