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『若草 ものがたり』川井四郎追悼・若草創業40周年記念文集。

2020年05月28日 22時18分22秒 | 水戸の今と昔
『若草 ものがたり』川井四郎追悼・若草創業40周年記念文集。
 昭和62年7月発行。




川井四郎・麻子夫妻の「酒蔵・若草」が40周年を迎えたことを記念し、島津恒雄・服部正一郎・野田光春・片岡洋一・中村はな・稲葉幸郎・堀江信男・亀田博子・川野辺精・大久保久子・後藤卓三など、約70名がお祝いや思い出を寄せた文集。



川井四郎還暦記念(昭和46年7月)



開店40周年(昭和62年)

主人が調理場で女将さんが店を仕切る。
上手い料理と美味い酒。
仕事帰りの顔と顔、客同士の会話が弾む。

何処の町にも在った、居酒屋・酒場・小料理屋。
呼び名は様々にしても、街のこと人の動静、昔話に将来のことなど。
酔いに任せてあれやこれやと留まることが無い。

そのような店の一つが「若草」だった。


「若草」の歴史を遡れば。



常磐神社の境内、偕楽園の南崖に在った割烹旅館「清香亭」。
1932(昭和8)年に水戸駅前の太平館の主人・中村千代松の所有となり、経営は長女・中村はな及び婿の久治夫妻に委ねた。 
中村久治の甥の川井四郎は1913(昭和2)年に太平館・調理部に入社しており、叔父夫婦の「清香亭」に移る。



扁額「清香」は伊藤博文の書。
明治  己酉 八月 と読めるので、1909(明治42)年の創業とみられる。
大正天皇が皇太子の時代に投宿したほか、室生犀星、徳富蘇峰など著名人の宿泊リストが在ったとのこと。
これだけの格式の在る割烹旅館の創業者は誰だったのだろうか?

昭和10年頃の「清香亭」
太平館経営になって間もない頃。




現在の場所に比定すると、常盤神社の大鳥居の社名碑の左側で。




千波湖と偕楽園を結ぶ跨線橋の真正面辺り、になる。

1940(昭和15)年、川井四郎は宇都宮出身の橋本麻子と結婚。
間もなく太平洋戦争がはじまり、物資の供給もままならなくなる。
「清香亭」は茨城県に寄贈し、1942年閉店した。
しかし、建物は軍に関連した県の施設と使用された。

1945(昭和20)年8月、水戸は空襲を受け水戸市街とともに「清香亭」も焼失。




焼け出された川井夫妻は1946(昭和21)年3月、水戸市泉町の「奈良屋」の敷地の一画を借用し、飲食店・喫茶・総菜の「若草」を開店した。
現在の水戸京成百貨店の「ルイビトン」の辺り。




1952(昭和27)年12月、南町3丁目に新築移転。
大阪町に面した、通称・裏南町。

1959(昭和34)年、酒蔵「若草」として新発足。
1985(昭和60)年に四郎が亡くなるが、女将さんと長男の2人で店を守った。
2002年に麻子が亡くなり閉店。




暫くの間空き地だったが、隣にあった「寺門米穀店」も撤去された。
取り敢えず舗装されたが、何れは駐車場かマンションか。

水戸市裏南町、に在った昭和の居酒屋「若草」を知る人は少なくなった。

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