「ほたて」の天丼@土浦市中央1-2-13
JR土浦駅から10分足らず、旧水戸街道土浦宿に面した角地に「桜橋跡」「土浦町道路原標」の碑が二つ建てられてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3e/ca1c708ca606d25ecc50dd9041fbd9ca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d3/a6a18b1072d8b0ff7531b5bafa6c3177.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5b/cb9e923220762bb4ffd498624b50ef15.jpg)
その前にいかにも時代を経たと思える建物があり、その古風な構えは何だろうと興味をもつ。「てんぷら」の木の看板と家紋の付いた「ほたて」の暖簾が下がっている。
この前を通りながら、時間の都合で入ることが出来なかった店だ。
今回、市川紀行さんを訪ねる旅の一行4人の昼食の場所としてYさんが選んだの「ほたて」で、念願かなってご入店が出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fb/9a4601feba2c3eff620408247b682692.jpg)
木枠の上に「桜橋跡・うんちく板」の解説版が掛かってある。
1924年の写真、道路として埋め立てられる前は船がのぼり、水陸交通の要所であった。
この店の創業は明治2(1869)年と言われ百年以上を経過している。
建物が創業時の物ではあるか、はともかく時代を偲ばせる雰囲気。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/32/b6c7784682b4084ec10c4069e523f964.jpg)
天井の木組みに時代が表れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/7f/d28bc61ff2be4082ec1d5af8b9fa0278.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/60/f6a4dedb6883726d6d65dcddeaa2a0a8.jpg)
往時を描いた絵が飾られてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b9/e39c5a839b5b561b30abdaa94824f0dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/83/87fcd3cb9ae76a44651510e60c190d12.jpg)
おさしみ定食など、お品書きには沢山あったが、かき揚げ丼を頼むことに。
先ず「お茶と漬物」が出て、それから注文の品、が定石だったが今では希。
今は亡き、水戸市大工町の老舗食堂「㐂 久水」が正にそのスタイルだった。
水戸では失われてしまったが、土浦にはまだ在った。
丼も蓋が付いて出てくる。
近ごろは具を多くして蓋をしない姿で出されるが、蓋を開ける楽しみが失われる。
代替わりはしているのだろうが、昔風な流儀を守っているのは嬉しい。
かき揚げの形が失われサクサク感もないが、まあ良しとしよう。
女将の愛想のなさも、このような店によくあること。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a5/993473ea12635a74387df4fbff3b1fd0.jpg)
家紋と店名を染めた暖簾の前、での記念撮影。
念願が叶って、食べられたのだから。
JR土浦駅から10分足らず、旧水戸街道土浦宿に面した角地に「桜橋跡」「土浦町道路原標」の碑が二つ建てられてある。
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その前にいかにも時代を経たと思える建物があり、その古風な構えは何だろうと興味をもつ。「てんぷら」の木の看板と家紋の付いた「ほたて」の暖簾が下がっている。
この前を通りながら、時間の都合で入ることが出来なかった店だ。
今回、市川紀行さんを訪ねる旅の一行4人の昼食の場所としてYさんが選んだの「ほたて」で、念願かなってご入店が出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fb/9a4601feba2c3eff620408247b682692.jpg)
木枠の上に「桜橋跡・うんちく板」の解説版が掛かってある。
1924年の写真、道路として埋め立てられる前は船がのぼり、水陸交通の要所であった。
この店の創業は明治2(1869)年と言われ百年以上を経過している。
建物が創業時の物ではあるか、はともかく時代を偲ばせる雰囲気。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/32/b6c7784682b4084ec10c4069e523f964.jpg)
天井の木組みに時代が表れている。
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往時を描いた絵が飾られてある。
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おさしみ定食など、お品書きには沢山あったが、かき揚げ丼を頼むことに。
先ず「お茶と漬物」が出て、それから注文の品、が定石だったが今では希。
今は亡き、水戸市大工町の老舗食堂「㐂 久水」が正にそのスタイルだった。
水戸では失われてしまったが、土浦にはまだ在った。
丼も蓋が付いて出てくる。
近ごろは具を多くして蓋をしない姿で出されるが、蓋を開ける楽しみが失われる。
代替わりはしているのだろうが、昔風な流儀を守っているのは嬉しい。
かき揚げの形が失われサクサク感もないが、まあ良しとしよう。
女将の愛想のなさも、このような店によくあること。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a5/993473ea12635a74387df4fbff3b1fd0.jpg)
家紋と店名を染めた暖簾の前、での記念撮影。
念願が叶って、食べられたのだから。