「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

明治天皇巡幸の碑「お伊勢参り」其の7

2018年04月02日 18時49分02秒 | 
明治天皇巡幸の碑「お伊勢参り」其の7



明治天皇巡幸の碑;明治5年、明治天皇が海路で神宮参拝をした時の記念碑。

内宮二参拝し、社前の「おはらい町・おかげ横丁」を散策したが大賑わい。
寺社仏閣の「聖なる参拝と俗なる門前の遊興」はいつの世も変わらない。

昼食はボンヴィヴァンの河瀬シェフお勧めの蕎麦きり「才屋」を訪ねたが、あいにく定休日だった。
観光地の伊勢は水曜定休が多いようだ。

国道23号線を辿って二見浦を目指すが、その途中に地ビール醸造元が経営するビアレストランの話も聞いたので、訪ねることに。



沿道に「野口みずき金メダルロード」の標識。



アテネオリンピックの女子マラソンで優勝した、野口みずき選手が三重県立宇治山田商業高等学校時代に実際にトレーニングで走ったコースだった。



「伊勢角屋麦酒」醸造所・2階のレストランは残念ながら、休業中。




付近を散策すると、明治天皇の神宮参拝の記念碑が在った。

明治5年、伊勢湾に停泊した軍艦から小舟で勢田川を上り、舟参宮の着場であった神久地区に上陸、伊勢神宮の外宮・内宮を参拝。

歴代の天皇は熊野には度々詣でたが、伊勢に参拝したことはない。
明治天皇から解禁になったのは、何故なのか?



神久地区は船参宮の要所。
外宮線・内宮線・二見線などの電車軌道が開通した。
その後、新たな交通体系となり廃線となってしまったが、



勢田川の岸辺には今でも船着き場が、

当時、茶屋が二軒あったことから地名を二軒茶屋と名付けられた。





現在もその内の1軒が営業中で茶屋餅が名物。

おはらい町・おかげ横丁「お伊勢参り」其の6

2018年04月02日 00時51分29秒 | 
おはらい町・おかげ横丁「お伊勢参り」其の6



伊勢神宮・内宮前の門前町が「おはらい町」。
宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800m の美しい石畳の通りだ。
伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねる。





土産物店・飲食店や商家が建ち並び、参拝後の町歩きが楽しめる。



赤福の本店。







「おかげ横丁」
伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社が1993年(平成5年)に大正時代頃の建物などを移築し作り上げた。
巨額な費用をかけて作った復元された町並み。

「おはらい町」との間に門などの仕切りはないから、おかげ横丁とおはらい町の境界は分かりにくい。









伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。



伊勢の街はどこに行こうが「赤福」の看板と商品。
類似品が無い、ということではないにしても、全ては「赤福」。