鴫立庵@神奈川県大磯町
「鴫立庵」は京都の「落柿舎」、滋賀の「無名庵」と並び日本三大俳諧道場の一つとされる。
かねがね、訪ねたいと思っていたが実現しなかった。
伊勢神宮参拝の帰途、大磯駅で途中下車。
青春18切符の利点は、何度でも途中下車が可能なところだ。
大磯駅から徒歩で約10分、国道1号(旧、東海道)沿いの瀟洒な茅葺屋根の「鴫立庵」。
門前を流れる谷川を渡る石橋。
落差のある流れの沢音が響く。
元禄8年江戸の俳人、大淀三千風が俳諧道場として「鴫立庵」を再建1世とし、現在は22世の鍵和田柚子が庵主を務めている。
歴代の庵主はここに住んだようだが、現・庵主は東京にお住まいとのこと。
何も知らずに閉庵時刻の16時間近に訪ねたが、管理の係員さんが親切に案内して下さった。
民間所有ではあるが、管理面においては大磯町が援助されているように感じた。
一旦、仕舞われたにも関わらず「水戸から訪ねた」と伝えたところ開扉されて説明下さり、写真も撮って下さった。
ご親切な対応に心から感謝いたします。
管理員さんの説明と頂いたパンフレットを元にした訪問記。
江戸時代初期(寛文4年)小田原の崇雪が敷地内に建てた「鴫立沢」碑。
石碑の銘文「著盡湘南清絶地」により「湘南発祥の地」とされることもあるとか。
西行の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(『新古今和歌集』)の比定地とされている。
「鴫立庵室」歴代庵主の住まいとして使われた。
21世の草間時彦は在庵15年で平成15年に没するまで住まわれたようだ。
「法虎堂」
堂内には有髪僧体の虎御前19歳の木像。
「法虎堂」
「円位堂」
庭園の奥、海を背に北面して建つ。
大淀三千風が創建した当時の遺物と伝えられる。
文覚上人作の西行木像。
庭内には多くの石碑などが建っている。
「俳諧道場」は句会などにも貸し出し可能。
使用料も安く、句会開催の場所として最適だが大磯では遠すぎ。
地元の人にとっては絶好の場だろう。
「鴫立庵」は京都の「落柿舎」、滋賀の「無名庵」と並び日本三大俳諧道場の一つとされる。
かねがね、訪ねたいと思っていたが実現しなかった。
伊勢神宮参拝の帰途、大磯駅で途中下車。
青春18切符の利点は、何度でも途中下車が可能なところだ。
大磯駅から徒歩で約10分、国道1号(旧、東海道)沿いの瀟洒な茅葺屋根の「鴫立庵」。
門前を流れる谷川を渡る石橋。
落差のある流れの沢音が響く。
元禄8年江戸の俳人、大淀三千風が俳諧道場として「鴫立庵」を再建1世とし、現在は22世の鍵和田柚子が庵主を務めている。
歴代の庵主はここに住んだようだが、現・庵主は東京にお住まいとのこと。
何も知らずに閉庵時刻の16時間近に訪ねたが、管理の係員さんが親切に案内して下さった。
民間所有ではあるが、管理面においては大磯町が援助されているように感じた。
一旦、仕舞われたにも関わらず「水戸から訪ねた」と伝えたところ開扉されて説明下さり、写真も撮って下さった。
ご親切な対応に心から感謝いたします。
管理員さんの説明と頂いたパンフレットを元にした訪問記。
江戸時代初期(寛文4年)小田原の崇雪が敷地内に建てた「鴫立沢」碑。
石碑の銘文「著盡湘南清絶地」により「湘南発祥の地」とされることもあるとか。
西行の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(『新古今和歌集』)の比定地とされている。
「鴫立庵室」歴代庵主の住まいとして使われた。
21世の草間時彦は在庵15年で平成15年に没するまで住まわれたようだ。
「法虎堂」
堂内には有髪僧体の虎御前19歳の木像。
「法虎堂」
「円位堂」
庭園の奥、海を背に北面して建つ。
大淀三千風が創建した当時の遺物と伝えられる。
文覚上人作の西行木像。
庭内には多くの石碑などが建っている。
「俳諧道場」は句会などにも貸し出し可能。
使用料も安く、句会開催の場所として最適だが大磯では遠すぎ。
地元の人にとっては絶好の場だろう。