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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

国立自然教育園 @東京都港区

2010年04月11日 21時33分29秒 | 庭園
国立自然教育園 @東京都港区


高松藩主・松平家の下屋敷であった国立科学博物館付属自然教育園。
まれにみる豊かな自然が残されている。
JR目黒駅のすぐ近くとは思えない。

桜吹雪が舞う4月11日、園内の路傍観察路には武蔵野の草原や雑木林に咲く野草を楽しむことが出来た。







ヒトリシズカ、シャガ、バイモ、ニリンソウ、カタクリなど可憐な山草。
これらは,水戸市内や周辺でも見られるが,一同に会し,自然の状態で見るのは難しい。
水戸市植物園等で可能だが、手入れが行き届かず。

西ノ谷の緑地公園、幾分かで良いからこのようになって欲しいと思う。




駒場公園の桜と前田侯邸跡

2010年04月06日 15時38分35秒 | 庭園
駒場公園の桜と前田侯邸跡

日本民藝館の最寄り駅は京王・井の頭線「駒場東大前駅」
駅名の示すように、東京大学教養学部のキャンパスが在る。





東京大学と民芸館の中間に在る駒場公園は、加賀百万石の当主だった旧前田家の前田利為侯爵駒場邸跡。
前田侯爵がこの地に邸宅をかまえたのは昭和のはじめのこと。
自然の巨木を生かし、名石をあしらった奥庭や、芝生の広場が設けられている。



広大な敷地の一角には昭和4年に建設された洋館が建っている。

侯爵がロンドン駐在武官であったことから、華々しい社交の場となったこの優雅な豪邸も、終戦とともに占領軍に接収された。

昭和42年に東京都が公園として開園し、昭和50年4月から目黒区に移管され、現在は庭や館内を無料で見学できる。

以前、音羽の鳩山首相の祖父・鳩山一郎の邸宅跡「音羽開館」を見学したした事がある。
敷地に関すれば何百倍、建物に関すれば何十倍の規模が在る。
さすが、加賀百万石の力は凄いものと感じた。
今でも、一部分は前田家の文庫・収蔵庫のような場所があり、一般の人は入ることが出来ない。その部分も、かなり広い敷地と建物が建っていた。

芝生の庭は、馬蹄状になっている。





取り囲むように桜が植えられ、沢山の人達がお花見をしていた。
外人も多い、この辺の土地柄のせいなのだろう。

自然豊かな樹木と、西洋館を背景とした桜の広場。
あまり眼にしない、独特の風景だ。


飛鳥山の桜

2010年04月05日 12時11分32秒 | 庭園
飛鳥山の桜



江戸時代からの花見の名所としてよく知られているのが飛鳥山。
飛鳥山に桜が植えられたのは、八代将軍徳川吉宗の命によって、享保5年(1720)から翌6年にかけてのこと。
桜が根付いて花を咲かせるようになった享保18年2月には、江戸市民の行楽の便とするため、水茶屋が十ヶ所建てられた。こうして飛鳥山は江戸市民の行楽の場となった。



江戸時代の切絵図や浮世絵の題材として沢山取り上げられている。
東の筑波山、西の富士。
当時は、天気さえ良ければ眺めることが出来た。

今は高い建物が建ち不可能だが、王子駅側の「北トピア」最上階の展望室からは天気次第で見ることができる。


吉宗による事蹟を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられ、石碑は現在も残っている。


現在も、脇を流れる石神井川の河畔の桜と共に桜の名所であることに変わりがない。



夜間は「ぼんぼり」に灯がともされ、夜桜が愉しめる。
今流行のライトアップがなされてないのも、風情が在る。
桜の名所の、演出過剰で強烈なライトアップが多すぎだ。


偕楽園の中秋の名月、観月会

2009年10月03日 21時45分38秒 | 庭園
偕楽園の中秋の名月、観月会

今夜(10月3日)は中秋の名月だった。
偕楽園は夜間まで開放され、多くの催しが組まれていた。
残念なが空模様が悪く、野点などが出来るかどうか心配したが、全ての企画が行われた。

今年も昨年同様のプログラムだが、

合同野点茶会 ・好文亭茶会 。







尺八演奏会 ・琵琶演奏会 ・謡と仕舞の会・神楽舞,雅楽演奏会 ・献詠歌会・キャンドルによる園路のライトアップなど。

たまたま今日は、土浦の全国花火大会と同じ日になってしまった。
いくらかさびしい感じであったが、その分、しみじみとした趣があった。

全ては叶わなかったが、お茶席を2つ回る事ができた。



尺八の演奏、謡と仕舞の会、キャンドルによる園路のライトアップなどを見ることもできた。



とりあえず、写真をアップしておきます。



肝心のお月様、いくらか姿を見せてくれました。




水戸の萩祭り

2009年09月07日 21時13分01秒 | 庭園
水戸の萩祭り

9月1日(土)から9月20日(木)まで偕楽園で萩祭りが開かれている。

草冠に秋とつづると萩、文字通り秋を代表する草花だ。
秋空に誘われ、萩の花を見に偕楽園に出かけた。







偕楽園は梅の季節ばかりでなく、年間を通して愉しめる園だと思う。
だから、梅以外の樹木や草花も増やすべきと思っている。
それでは偕楽園の特徴が無くなる、との意見もあろう。
だが、見晴らし広場以外の梅林の御成門の側は、梅の季節以外は歩く人を見かけない。

要望はともかく、萩の花。
せっかくの「萩祭り」だ、多くの人たちに訪ねてほしい。
偕楽園の萩は水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、天保13年に伊達藩から譲り受けた萩を創設時に植えたという。






宮城野萩を中心に白萩、ヤマ萩、丸葉萩など150株が咲き競っている。
僕が子供の時分はあまり目立ちはしなかったのに、年々大幅に増えてきた。
とても良い事だとおもう。

今年も、中秋の名月 の10月3日(土)は午後8時まで開園時間が延長される。
この日に沢山の催しが企画されているが、他の日に分散し期間中は何かの催しに出会える方が望ましい。
予算の都合があるのは理解できるが。
花の街として、四季折々にお客様をお迎えしたい。


10月3日の主な催事は次のようになっている。
・合同野点茶会。   15:00~20:00、 席料・1席300円
・好文亭茶会。    15:00~20:00、 席料・1席300円
・尺八演奏会。    16:00~17:00
・琵琶演奏会。    18:30~19:00
・謡と仕舞の会。   16:30~17:30  会場・常磐神社
・神楽舞,雅楽演奏会。 18:00~18:40  会場・常磐神社
・キャンドルによる園路のライトアップ   18:00~20:30


三昧塚古墳

2009年07月25日 11時08分10秒 | 庭園
北浦湖畔の蓮を見て、霞ヶ浦の縁を抜け高浜・石岡経由で水戸に戻る事にした。
途中に三昧塚古墳があるので立ち寄って見ることにする。
古美術に関心を持ってから、縄文・弥生時代の遺跡の発掘や古墳などに興味が湧く。

石岡に向う県道155号線、左は霞ヶ浦右は台地で風光明媚だ。
このような場所は古代から人が住み着き、集落が発生した。
現在のように,自然環境が悪くとも住んでしまう必要はなかった。
県道沿いに三昧塚古墳が聳える。
聳えるというのは大げさにしても、見事な前方後円墳だ。




*案内板に拠れば

《霞ヶ浦沿岸の沖積地に営まれた前方後円墳で、全長85m、後円部径47m、前方部幅36.5m、後円部高さ8m、前方部高さ6mの規模を有します。周囲は濠でめぐらされ、約2mの深さを有していたと考えられます。墳丘には円筒埴輪が三重にめぐらされていました。後円部の中心には、墳頂下2.7mに箱式石棺が置かれ、伸展葬の形で遺骸が埋葬されていました。
副葬品としては、金銅製冠、金銅垂飾付耳飾、平緑変形四神四獣鏡等があり、ほかにも短甲、鉄鏃、そして円筒・形象(人物・動物)植輪等の遺物も確認されています。この古墳の成立は、5世紀後半と考えられ、行方市の代表的かつ当時の古墳文化を考察する際の重要な遺跡となっています。》



頂上部まで階段で登れるように整備されている。

実物大に描かれたタイルで石棺の内部を偲ぶ事ができる。
県立歴史館の展示で、副葬品の金銅製冠、金銅垂飾付耳飾などを観た事がある。
あの金銅の品々が、ここに埋葬されていたと考えると、時空が超越する。

そこからの眺めは素晴しく、多くの蓮田を見ることも出来る。



見渡せば白又白の花蓮田  阿然

水戸市植物公園

2009年07月19日 20時59分32秒 | 庭園
蓮の花が見たくて、歴史館の蓮池を再び訪ねた。
日曜とあって来訪者も多い。
偕楽園側の入り口は、午前6時から入れるらしい。
次回は、その頃に尋ねてみよう。


昨年、水戸市立植物公園で見た熱帯蓮の美しさが忘れがたく、足を伸ばした。





入り口近くの子沼には白のヒツジグサと黄色のアサザ。



チョウチョトンボが舞っているのを見た。
玉虫色で蝶々のように舞うトンボ。(画面左下、分かるだろうか?)

昨年見た,水生植物池の赤や紫の熱帯睡蓮、今年は栽培しなかったらしい。
残念ながら、見られなかった。



ひょうたん池に咲くコウホネの黄色い花はそろそろ終わり。
湿生花園はミソハギが早くも咲きそろっている。
例年より季節の移り変わりは早そうだ。

中沼には大きなアオサギが2羽。

開園して何年過ぎたのだろうか、施設も大分傷んできた。
広大な庭の手入れは難しいだろうが、手抜きでは入園者も減少するだろう。
来園者を増加させる企画に知恵を絞って欲しいものだ。




蘆花公園

2009年07月05日 12時07分28秒 | 庭園
京王線芦花公園駅の名前の由来は徳富蘆花(1868-1927)がこの地に移住したことに始まる。

駅から徒歩15分程度、蘆花の旧居「恒春園」を中心とした芦花公園がある。
当時(明治40年)まだ草深かった千歳村粕谷の地は今でも武蔵野の面影が残り、農地も農家も散在する。
中層マンションの隣りに、広大な敷地を有する旧家もある。

移住時の総戸数が20数戸。
国木田独歩、ワーズワースの影響で田園生活を望んだと云うが,青山からの移転は大英断であっただろう。
残された4棟の屋敷は晴耕雨読を旨とした晩年の蘆花の生活ぶりを垣間みることができる。
この地に骨を埋める覚悟であり,そのようにもされた。



墓碑は,兄の徳富蘇峰の撰文並びに書。

東京公園協会の資料では、
 * 1907年(明治40年) 徳富蘆花が東京・青山から、当地へ引っ越す。当地を「恒春園」と命名。
* 1927年 (昭和2年)徳富蘆花が死去。
* 1936年 (昭和11年)夫人により、旧宅・耕地など一切を東京市に寄付。
* 1938年2月27日 - 公園として開園。順次周辺の土地も公園として、整備され現在に至る。
* 2006年4月1日 - 2011年3月31日まで、指定管理者制度により財団法人東京都公園協会が管理する。



徳富蘆花 旧宅
* 蘆花記念館(遺品を展示している)
* 母屋
* 秋水書院(書斎と寝室。幸徳秋水に因んで命名)
* 梅花書屋
* 蘆花自身の手植えの竹林
* 徳富蘆花夫妻の墓
以上、徳富蘆花の旧宅の部分。厳密には、上記エリアが恒春園。

現在は周辺を買収して,トンボ観察園、ドッグラン(現在、芝生養生のため休止中)もある。

● 開園年月日 : 昭和13年2月27日
● 開園面積 : 78,583.60平方メートル
● 樹木数 : 2,400本 3,000株
● 主な植物 : クヌギ、クスノキ、サワラ、
アキニレ、ポプラ、トウカエデ、タカトウヒガンザクラ、アナベル、モウソウチク、ケヤキ

自然の景観を残した公園となっている。
水戸市の公園協会も手を加えるべきところ(ある面で,予算をかけること)と加えないところを、もっと選別した運営をすべきと感じた。




「武蔵関公園」

2009年06月29日 14時46分31秒 | 庭園
「武蔵関公園」
石神井公園の性格の異なる二つの池、石神井池と三宝寺池はどちらも野鳥の宝庫だが、そこから4~5キロメートル上流の「武蔵関公園」はこれまた野鳥の多い池らしい。
石神井川沿いに上流を目指す。
貸し自転車の利用は、この様な際に誠に有り難い。
夏の陽射しをうけても、自転車なら苦にならない。


新青梅街道に沿って行くと西武新宿線・武蔵関駅の近くに「武蔵関公園」がある。


古くは多摩、新座、豊島の三郡の境界点で、現在はここまでが練馬区で、隣りは西東京市となる。
石神井川の川幅も大分狭くなっている。湧水池「富士見池」の流れが石神井川と合流する。
池の傍らに「早稲田大学グランド」があり『取材お断り』の張り紙がしてある。
”ハンカチ王子”斉藤選手も練習するグランドなのかもしれぬ。
目隠しが在り、道路から見渡せない作りになっている。

今回はバン、カワセミ、ゴイサギ、コサギ、カイツブリ、ツミ等の野鳥に出会うことが出来た。


アマチュアカメラマンや愛鳥家にも出会った。何人かの方からは親切に教えて頂いた。
特にカワセミの営巣地点の前は、三脚をたてて待ち構えるカメラマンが10人近い。
皆さん顔なじみらしい。のんびりとシャッターチャンスを待っている。

今回の、石神井川の上流歩き。いくつかの沼沢の植物や野鳥を観る機会を得て、望外の幸せであった。
美術館用に持ち歩いている単眼鏡がとても役に立ったのも嬉しい。

鳥の羽根の色や草花の色等、どのように描かれても自然の作り出す造型にはかなわない。
動植物、全てはジッと観察するのが最高の贅沢なのかもしれないと思った。

石神井公園

2009年06月28日 20時31分44秒 | 庭園
石神井公園
東京の仮住まいは東京都北区王子で、桜の名所飛鳥山と石神井川が近い。
石神井川は程なく隅田川に合流する。
けして綺麗な流れではないが、東京の殆どの河川が暗渠となってしまった中で、川として流れているのは貴重だ。
上流はいかなるところか?先ずは、石神井公園を訪ねることにした。

西武池袋線石神井公園駅の近くに練馬区が運営している駐輪場で自転車を借りることが出来る、
一日借りて百円は安い。

石神井公園は横長に連なる三宝寺池と石神井池の二つの池を中心とした公園。

ボート遊びや魚釣りも出来る石神井池の周辺は、高級住宅地で豪邸や屋敷の一角をレストラン喫茶として営業している家もある。







公園を含む周辺の区域は、環境や景観を保持するため、風致地区に指定されており、水戸の千波公園に近い雰囲気だ。

道路を挟んだ三宝寺池は武蔵野の自然がよく残されている。
井の頭池や善福寺池と同様武蔵の台地の湧水が池となったが、最近は水量が少なく地下水を汲み上げて放流しているとの説明版があった。
その点、千波湖は那珂川の水を導水しているのだから、もう少し澄んだ湖面にならないのだろうか?



三宝寺池は水生植物の宝庫らしく岸辺には睡蓮が花盛り、写生する人たちもいる。


水生植物保護のため、周囲の遊歩道は全て木製だ。


こちらは、水戸の七つ洞公園に近い感じ。
七つ洞公園も水生植物をもう少し多く植えることや木道の改修をしてもらい。
予算が少ない時代だが、維持管理の費用は不可欠。
新たに何かを作るより、現状を維持することが大切だ。

石神井公園の中で東京都公園協会のパトロール員を見た。


水戸市の公園協会もこの様なユニホームで公園内の巡回もお願いしたい。
目に見える形での活動は、環境保護の意識も高くなるだろう。

自然保護が行き届いているので、トンボなどの昆虫類やカイツブリなどの野鳥も多いらしい。
バードをッチングをする人たちも見かけた。

水戸市の公園行政、充分とはいえないにしても、良くやっていると思う。
限られた予算の中で不要な出費を抑え、維持管理は充分にして欲しい。


“名主の滝”のヤマボウシ

2009年05月11日 13時33分09秒 | 庭園
王子の名主の滝公園は江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、“名主の滝”の名前の由来もここから来ている。現在は北区立の公園だ。
武蔵野台地の先端から流れ出る滝は4つある。
もっとも、現在は水量が少なく汲み上げ水の循環式らしい。
斜面を巧みに利用した回遊式庭園で自然の環境を保持している。
那須の塩原をイメージして造園した。との解説文がある。

沢山の樹木や草花が植えられ、植物園のようでもある。
名札も付いて分りやすい。
池には野鳥も飛来し、鳥類の解説板も設置されている。





今日訪れたら、池に面したところのヤマボウシが花盛り。
ヤマボウシは僕の友人鈍愚里さんの大好きな花だ。

黄色のカキツバタ?(アヤメ・ショウブ・カキツバタなど、見分けがつかない)
一度調べてみたが、散歩に植物図鑑は欠かせない。




更に、僕の好きな木賊(トクサ)が大きく伸び、風情在る光景だった。

毎年5月の下旬に、先輩のご招待で友人達と那須に行く。
30年以上続く恒例の行事だ。(会自体は43回を数える)
その頃、那須の高原はヤマボウシが咲く。
「ショウゾウ・カフェ」でコーヒーとケーキをいただく。

温泉で疲れを癒し、すき焼きを食べ「浦霞」を飲む。
食後はラウンジで一年間のつもる話し。
新緑の那須高原で過ごす1泊2日は身に余る。

簡素な生活を心がけているのに贅沢な話しだ。
年に一度の命の洗濯。
お許し下さい。

世田谷区立岡本公園、民家園

2009年04月30日 09時42分03秒 | 庭園
世田谷区立岡本公園、民家園

田園都市線二子玉川駅から徒歩20分『静嘉堂文庫美術館』がある。
一山全部が敷地と言う感じだが、一部は世田谷区が管理する緑地公園となっている。



その一画に『世田谷区立岡本公園、民家園』がある。
茨城県立歴史館の構内にも民家が1軒移築されているが、あの程度の規模だ。

大幅に異なるのは、今も使われている状態を保持している事だ。
その民家で生活が営まれているようにみえる。
囲炉裏には炉を焚き、鶏が飼われ、畑が作られている。

ボランテアの人達も多く参加しているようだ。
毎月、藍染・紙漉き・蕎麦うち・木挽きなど昔の手仕事を体験する会が開かれる。
さらに、独楽・竹笛・お手玉・竹の剣玉・草笛など昔の遊びを体験する企画もある。

上手く活用されているな、と感じた。



今の時期、鯉幟が揚げられ、裏庭には竹の子が伸びていた。

地続きの緑地の一部は散策できるように成っている。
敷地の縁を流れる丸子川には水生植物も植えられていた。



自然の状態を維持しながら、公園を活用する手立てが、加わっていた。

昔の暮らしを伝える事は大切な事だ。
それを楽しんで体験できる。


西山公園の櫻

2009年04月17日 20時19分35秒 | 庭園
ソメイヨシノはあらかた散ってしまったが、里山の山櫻と新緑の組み合わせは誠に素晴しい。
新緑といっても、殆ど白に近い若緑と櫻の薄いピンク。
今は亡き、山上鎮夫さんが好んで描いた題材だ。
僕も真似をして描く事も有るが、所詮物まねに過ぎない。
ともかく、理屈抜きに美しい景色だ。

櫻に関して最近知った豆知識を書きとめて置く。
日本に自生する櫻(自生種)はたったの9種類なのだ。
山桜・大山桜・霞桜・江戸彼岸・大島桜・豆桜・丁子桜・高嶺桜・深山桜。
しかないのだというから、驚き。
ソメイヨシノ(大島×江戸彼岸)に代表される園芸種は300とも400とも言われる。
日本全土に広がったソメイヨシノは江戸時代末に出来た園芸種。
寿命は僅か60年程度といわれ、枯れた後の捕植は山桜の系統が多くなりつつあるようだ。

ボタン桜(八重桜)の類もこれからが花の時期。
京都の仁和寺の『お多福桜』は5月の連休が見ごろ。
花が低い=鼻が低い。ということで、樹高が低い。
20年以上前に行ったが、関西の花見は鳴り物入りで賑やかだった。

水戸近辺では静神社のボタン桜がそれに近い。

小雨がぱらつき、急激に寒さが戻った今日(17日)ランチを食べに常陸太田に行った。





その足で西山荘の手前の『西山公園』の桜を観にいった。
ソメイヨシノの時期が過ぎ、小雨ぱらつく寒い日。
来ている人は少ない。
誰にも邪魔されず、桜を堪能できた。



山桜・八重桜は今が盛り。モミジの若葉がめちゃくちゃ赤い葉も在る。
雨に濡れた新緑との対比は見事。
遠景に山々が霞んで観えるのも味わい深い。

都会の桜を観過ぎて、やはり自然の中の桜が一番と感じた。
その素晴しさを伝える写真が撮れてなかったのは残念。
素晴しさに目を奪われ、写真どころではなかった。

常照禅寺のしだれ桜

2009年04月09日 15時58分47秒 | 庭園
常照禅寺のしだれ桜 

常照禅寺のしだれ桜は水戸近辺で屈指の場所と思っている。
山門から本堂に至る,禅寺特有の真っすぐな参道は,なだらかな石段。
両側の杉木立は,昼なを少し薄暗く幽玄で,京都の古寺の雰囲気が有る。
常に掃除も行き届き,寺自体の品格を感じる。


古木が3本の他に,若木を含め10本程が咲いている。
常に若木を育成しておかないと桜の寿命は短い。
さりとて,むやみに植えれば良い。と言う事でもなく,配置が重要だ。
その点,奈良や京都の古寺の植え込みは見事だと思う。


たまたま訪れた日は『石州流・水戸何陋会』の観桜・茶筅供養会が行われていた。
僧侶の読経と共に使い古した茶筅を炊き上げて供養する。
その後に,桜の下にてのお茶会。
見ていても清々しい。


常照禅寺に至る通路が良く無いのが難点だが,多少不便な方が品位が保たれ良いのかもしれない。



六義園のライトアップと西行法師

2009年03月31日 08時55分34秒 | 庭園
今日迄『六義園』のしだれ桜と庭園がライトアップされている。(3月19日~31日)


ライトアップ用の竹を利用した照明器具。




春と秋の2度、ライトアップと夜間の開放が行われる。
昨晩は、最終前日、という事で大勢の観客だった。
しだれ桜の前は,人ごみで歩けない程だった。

たまたま、桜の上方に目を向けたら綺麗な三日月が見えた。
桜といえば、西行法師(1118年~1190年)を連想する人は多いだろう。
その関連から,月もまた,月並みな連想か。
ともかく,桜と月が眼に入った一瞬、周りの喧噪から心が離れた。

吉野山こずえの花を見し日より心は身にもそわずなりけり


残念ながら、吉野山の桜を観た事が無い。
西行は吉野山に咲いた梢の桜の美しさに打たれてから、桜に心を奪われてしまったのだろう。
吉野の桜でなくとも,桜に憧れる日本が多いからこそ、花見に人は押し掛ける。

おぼつかな春は心の花にのみいづれの年か浮かれそめけぬ

僕もこの時期,花を尋ねてあちこち浮かれ出る事となる。
西行のように俗を脱した上での、花狂いとはいかない。

せめて,人の少ない早朝に出かけるように、してはいるが。
俗な世界の日常に、あくせくしていることへの,多少の慰めか。