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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

飛鳥山公園

2009年03月29日 20時33分40秒 | 庭園
江戸時代、八代将軍徳川吉宗が庶民のの観光の場にと、桜を1200本植えたのが飛鳥山。
歌川広重の富士三十六景(安政5年・1858)にも当時の状況が描かれている。
茶店の遠景に富士山が描かれている。高い建物が無かった時代はよく見えたのだろう。
今では、高層ビルが林立して見通す事は出来ない。



飛鳥山の近くの『北トピア』の17階からは、天候次第で望む事が出来る。
東に筑波,西に富士、とは当時から言われていた。
筑波山は水戸から望むより近く見える。



日曜日の今日(3月29日)は咲きそろったとは言えないのに,大勢の花見客。
上野からは8キロ程度北に位置するが,咲き方はだいぶ異なる。
現在の桜は650本程度らしい。
僕は水戸の護国神社、通称『桜山』から千波湖に掛けての桜の方が見事だと思う。
千波湖の周囲の桜並木・西の谷・笠原緑地を含めた千波公園一帯は桜の名所として、全国的に誇れると思う。



飛鳥山公園には,3つの博物館も設置されている。
『紙の博物館』
紙に関する歴史や資料を集めた,世界有数の紙専門の博物館。

『北区飛鳥山博物館』
北区の自然や風土,歴史に関する展示。

『澁澤資料館』
日本の近代経済社会の基礎を築いた実業家・澁澤栄一の資料館。
関係した仕事や生涯の歩みに関わる資料の収蔵・展示している。

隣接する旧澁澤庭園には、大正建築の晩香盧と青淵文庫(ともに重要文化財)も3館共通の入場券で見学出来る。

この3館に関しては数年前に見学した。『道徳経済合一主義』を唱え,明治期に数多くの事業を展開した澁澤栄一の精神と現在の企業経営者の精神性が大幅に異なる感じた、覚えが有る。
何れにしても,機会を観て再度訪ねたい。
飛鳥山公園を訪れる方には,是非この博物館を観て欲しい。






音無親水公園

2009年03月28日 00時13分25秒 | 庭園
JR京浜東北線・王子駅のすぐ上は、江戸時代から有名な花見の名所『飛鳥山』。
傍を流れるのは石神井川。
名前からして、源流は石神井公園あたりなのだろう。
しかし、場所によって名前も変わる。この辺りは音無川と呼ばれるようだ。
すぐ上流は、滝野川と呼ばれている。



ともかく、王子から板橋にかけて5~6キロメートルか?
川の両岸は遊歩道が造られ、格好の散歩道でもあり生活通路でもある。
桜や紅葉などの樹木と四季折々の草花が植えられている。

今日は、駅から遊歩道で繋がる音無親水公園に行った。
四阿や水車等も設置され、親水公園らしさを演出している。
桜の花も五分咲き以上で、丁度見頃だ。
谷状の地形だから下に伸びた懸崖の枝振りは風情が有る。
水戸の旧県庁舍前の空き壕の桜も見事だが、壕の下に伸びる姿が魅力的だ。




遊歩道には馬酔木やレンギョウの花が盛りだった。
日頃の手入れが行き届いているのが良くわかる。
全ては、手入れ次第だ。

『公園都市』を標榜する水戸市。
緑地整備の手間と、植栽する樹木や草花の種類の選定には十分気を使って欲しい。









六義園のしだれ桜

2009年03月26日 17時13分43秒 | 庭園
東京の桜の開花宣言がされて以後、寒い日が多く、今の所3分~4分咲きだ。

2月20日から東京都北区王子で生活を送る日が多い。
江戸時代からの花見の名所・飛鳥山やソメイヨシノの発祥地である駒込の染井も近い。
今日は久しぶりに晴れたので、しだれ桜が有名な『六義園』に行った。



一般的に、しだれ桜の開花時期は早い。
六義園のしだれ桜は満開の少し手前で、丁度見頃であった。
平日の午前中と有って、然程の混雑も無くじっくりと観る事が出来た。
今月中は、日没から21時までライトアップもされている。

昨年、紅葉の時期のライトアップを観る機会を得た。
洗練された照明技術で幽玄の世界を演出していたが、桜はどのようであろうか。



しだれ桜の他に、樹齢百年を超えそうなソメイヨシノがあった。
ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンザクラの掛け合わせで、駒込の植木屋が生み出したと言われている。
寿命は60~80年といわれ、山桜程に長持ちはしない。
現在、桜と言えばソメイヨシノが一般的になってしまったが、僕は山桜が好きだ。





さらに言えば、桜と一緒に辛夷の白い花を隣り合わせに観る事も欠かせない。
お約束通りに、辛夷の白い花が咲いているのも嬉しいことだ。

この時期、あちこちに花見に出かけるのは日本人の常だ。
僕も、毎年花の名所を訪ね、仲間と宴会もして来た。
しかし最近は、静かに・しみじみと観たいと思うようになった。
それには、なるべく早い時間に訪れるようにしている。





桜の時期であってもミツバツツジ・キブシ・ヤマブキが早くも花を咲かせていた。
『六義園』は四季折々楽しめる名園だと思う。




『甘泉園公園』と『水稲荷』  東京都新宿区

2009年03月14日 23時27分02秒 | 庭園
『甘泉園公園』と『水稲荷』 @東京都新宿区

現在は、東京で唯一の路面電車と成ってしまった都電・荒川線
因みに、水戸の市内にも昭和41年まで茨城交通・水浜電車が走っていたのを知る人は少なくなってしまった。



世界的に路面電車が復活しつつある時代、水戸市内に残っていれば、と残念と思う。
早稲田~三ノ輪の間12キロメートルを約1時間かけて走っているが、都民の足として利用者は多い。
料金はは全線均一で大人160円だ。



早稲田駅は新目白通りにあるが、傍を神田川が流れている。
川の両側は桜の名所で、これから見ごろで、楽しみな季節。
是非、観に行きたいと思っている。



駅の近くの『甘泉園公園』は、古くは徳川御三卿の清水家の下屋敷で、明治になって相馬侯爵邸となる。
昭和13年に早稲田大学が譲り受けて付属施設とした。
現在の広さは1万4000平方メートルあまり。



「山吹の井戸」というひょうたん型の池を中心に、池の南に三島山がある。
樹木も多い回遊式の庭園で、現在は新宿区立の公園。

入り口近くには、遊具を備えた児童公園も併設され、幼児の格好の遊び場となっている。
宝泉寺の北側、早稲田大学九号館のあたり(旧水稲荷神社境内)には、高田富士塚と呼ばれる江戸の名所が在った。
江戸時代中期以降、江戸では富士信仰がさかんとなり、各地で「富士塚」という模造富士がつくられた。
なかでも高田富士は江戸で一番古く、安永8年(1779年)に造られた。とのことである。
高田富士塚は、早稲田大学が昭和38~39年に当時の水稲荷神社の社地を購入したため崩されて、区立甘泉公園のわきに移転した現在の水稲荷神社境内で復元された。


現在の神社の境内の様子は移築復元されたようには見えず、たかだか50年位でも昔から在った様な存在感がある。



徳川家縁の『聴松亭』という茶室も、移転復元されている。

東京の都心部の昭和30年代後半の変化は、甚だしく、現在の状況から当時を回想する事は難しい。その様な点で、神社や公園は変化が比較的に少ないから当時の状況を偲べる部分が若干ある。
自然の緑地は大切に守り育てねばならない。と感じた。


『七ツ洞公園』   水戸市田谷町・下国井町

2009年03月02日 15時16分27秒 | 庭園

『七ツ洞公園』   水戸市田谷町・下国井町

久し振りに七ツ洞公園に行った。
水戸市の北西部に大小5つの池と清流、それを取り巻く森、イギリス式庭園もある大規模な自然庭園だ。
1987(昭和62)年に整備が始まり1999(平成11)年に開設された。
基本計画の策定や建築物の設計などはイギリスに依頼したとの事で、部分的にはイギリスにいるような、錯覚を覚える。


以来、10年が経過した。木道など木の部分は腐食したりしているが、概ね管理が行き届いている。『秘密の花園苑』と名付けられたイギリス式庭園は約100種類、3600本の植物が植えられている。この庭園が一番の目玉だろうが、開設時より種類や本数が減った。
ベストシーズンではないので、何ともいえないが、手間をかけないと素晴しい状況は維持するのは難しい。



帰り道に管理事務所の前を通った。
掃除をしている管理人さんにお訊きしたところでは「常駐者は二人、今の時期は何とかなるが、草の勢いが強い時はお手上げです」との事だ。

場所が分かりづらいので、未だに訪れた事がない方も多いだろう。
今月末の桜から新緑の時期は素晴しい。
お暇の折、『七ツ洞公園』の散歩をお勧めしたい。
入り口は2箇所有る。どちらから行ったにせよ、1時間有れば充分だ。



『名主の滝公園』 東京都北区王子

2009年02月27日 22時37分49秒 | 庭園

『名主の滝公園』 東京都北区王子
水戸地方に初雪が降った。一面うっすらとした白に覆われたが、間もなく雨になり消え失せた。今年一番の寒さかもしれない。観梅の時期は天候不順で、前日との温度差が10度近い事も多いし雨・風・雪もある。
先ほど、偕楽園の観光ボランテアをしている友人に出会った。「今日は如何でした?」の問いに、「寒いのにも関わらず、お客様は大勢でした。雪の偕楽園を観る機会に恵まれ、幸運でした。と喜んでましたよ」とのことだった。

所用で東京に1週間過したが、出歩く機会が少なかった。新宿の寄席『末広亭』で12時から午後9時まで通しで落語や演芸を十二分に堪能した。

上京した際、“西の谷がどう在るべきか”を考える参考に、何処かの庭園を観る様にしている。今回は北区王子の『名主の瀧公園』を訪ねた。
東京は広大な武蔵野台地に在るから沢山の谷と台地がある。
台地は、境目に湧き水や滝が出現する事がある。
西の谷も2箇所の湧き水が在り、流量の多い時は、小さな滝の状況を呈する事もある。
しかし、殆どが舗装されてしまった都市部は地下水の流れは少ない。
案内板に拠れば、名主の滝は王子村の名主・畑野家が屋敷内に滝を開き、一般の人たちも利用できる避暑施設として誕生した。

安藤広重の『絵本江戸土産』《1850(嘉永3)年》にも描かれているとある。その後、昭和に入り『上野精養軒』の経営する施設の時代もあったが、現在は北区の管理だ。
園内には3箇所の滝があるが、流れる量は少ない。夏場のシーズンにはポンプによる循環水で滝の景観を生み出しているようだ。


明治18年松平俊雄著の『常磐公園覧勝図誌』は神崎(現在の西の谷の場所)に『妙法滝』が描かれている。地下水の流量が増えれば滝の出現も夢ではない。
現在の街造り、全ての雨水は排水管を通して流されてしまうが、自然に地下に浸みこませる方法も有っても好いのではと思う。


梅が過ぎれば、西の谷の桜が咲き始めるのも間もなくだ。



神崎寺の野仏

2009年02月19日 12時32分55秒 | 庭園
神崎寺の野仏

西の谷の山掃除が大分進んで、綺麗になった。
全ての事が、手入れ次第でどの様にもなる。
年毎に美しさを取り戻すのは嬉しい事だ。

幕末から明治にかけての「名所絵図」には西の谷の中心を流れる『青川』や『神崎』『妙法崎』などが景勝の地として描かれている。
『妙法瀧』という瀧もあったようである。

神崎寺本堂。

谷の西側は神崎寺の境内に続いている。
谷から境内まで野の仏が置かれたつづら道が在る。
何時頃集められたかは分からないが、さほど古くは無さそうだ。


野仏の道


仏様の作られた時代は様々だ。
しばらく手入れされていないので、滑りやすく歩きづらい。
下草の茂る前の今の時期、早めの手入れが望ましい。

成田山にお参りした際、裏山に広大な庭園が在るのに驚いた。
神崎寺の裏山も素晴しい庭園になる要素はある。
西の谷と連動した憩いの場になる事を願う。
名刹・神崎寺さん、宜しくお願いいたします。




ヤブコウジ

2009年01月21日 21時19分55秒 | 庭園
ヤブコウジ(藪柑子、学名:Ardisia japonica)



ブログを移転したのを機に、題名を『西の谷万葉公園を美しく』に直した。
公園の正式名称ではない。
西の谷の斜面は、自然の植生が残されて、古来の植物も育っている。
万葉集に詠われているような植物を集めた『万葉植物園』に成ればと願って、勝手に名付けたのだ。
今は、花や実が一番少ない時期だが、谷の裾にはヤブコウジを見る事が出来る。
水戸市内の林を歩けば、下草に混じって10~20センチの丈で、赤い実を付けているから探しやすい。その他に、もう少し背の高いカラタチバナと思われるのもある。


ヤブコウジは最近の名前で、古くはヤマタチバナと呼ばれた。

*調べて見ると、万葉集には以下の様にある。
  あしひきの 山橘の 色に出でよ
    語らひ継ぎて 逢うこともあらむ
春日王(巻4-669)

歌意
山橘の真っ赤な実のように、顔に気持ちを表しなさい。
そうすれば互いに話をづづけて、逢うこともあるだろうから。


冬に赤い実を付けるので、寄せ植えの素材などとして使われ、花屋でも売られている。
ヤブコウジを髪に挿したり、正月などに松竹梅と組み合わせてヤブコウジを飾る風習は江戸時代から行われていたようである。

西の谷が名実ともに、万葉植物園に成るのは何時の日であろうか。


三渓園の古建築と庭

2008年11月28日 23時36分30秒 | 庭園
三渓園の臨春閣

かねてから、横浜の三渓園に行ってみたいと思っていた。
僕の好きな、鎌倉東慶寺の仏殿が移築されているからだ。
現在開催されている「横浜トリエンナーレ2008」(9月13日~11月30日)の会場の一つとなっているので、トリエンナーレ鑑賞を兼ねて行くことにした。

三渓園は、生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓の元邸宅。
彼はここに京都や鎌倉などから歴史的に価値の有る建造物を移築し、明治39(1906)年「三渓園」として一般に公開した。
175,000㎡(約5万3000坪)の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中に巧みに配置されている。
第二次世界大戦では大きな被害を受けたが、昭和28(1953)年原家から財団法人三渓園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ、5年後にほぼ昔の姿を取り戻した。
(入園時のパンフレットに拠る)

とにかく敷地が広い。
水戸の偕楽園が約15㌶で三渓園は17.5㌶だから、如何に大きいかだ。
三渓園の名のごとく谷合から3本の水脈があり池に流れ込んでいる。
中央の小山の頂上には旧灯明寺の三重塔(1457年)聳えている。関東地方では最古の塔とのことである。



トリエンナーレの第4会場としては、丁度、旧東慶寺仏殿周辺が会場。

中谷芙二子の作品は。


「雨月物語-懸崖の滝」とだいされ、流れに落ちる小さな滝周辺に人工的な霧を発生させ、幾つかの照明を当て、幻想的な空間を演出している。隣り合わせの旧東慶寺仏殿まで霧が流れてくる事もある。

ホルヘ・マキとエドガルド・ルドニッキーの作品は。
堂内に、毎回10名が入場して約20分間、退出不可能な中で、瞑想状態に成ることらしいが、お堂の外観を拝見し、写真を撮影いたので、十分と己を納得させて辞す。隣のは白川郷から移築した合掌造りの住宅。
ティノセガールの作品は。
旧矢箆原家の住宅(上記の合掌造り)の広間で、男女2人のダンサーが絡み合ってスローモーションのごとくの動き(ダンスの一種という事なのだろう)を無音の中で、延々と繰り広げる。
作家は何もせず、観客がある体験をするような状況を設定するだけで、観客の心に留めることのみが、作品ということらし。
内藤礼の作品は。
「横笛庵」という茶室の部屋に灯明をともし、くもの糸の様な細い繊維が、灯明の熱の対流効果で揺らめいて観える。繊細な素材を用いて穢れなき静謐な空間を織り上げ、小さな存在を慈しみ、空気、光、時は取り込まれて、そこに佇む人たちと一体化する。

何れの作品も三渓園の自然と古建築に融合し、現代美術から受ける軽さを感じなっかた。
如何にに環境が重要かとも言える。
正門を入って中央の道の左手が大きな池、中央の山の上に旧燈明寺の三重塔が聳え、左手の一帯が外苑と呼ばれ、今回のトリエンナーレに使われた建物が点在している。
右手が元は原家の住居部分や接待に使われた内苑と称されている部分。
鶴翔閣は原家の旧宅。横山大観など三渓と交流のあった多くの文化人が出入りした場所としても知られている。
参詣は若き芸術家の支援や、関東大震災後の横浜の復興など多方面に功績のあった人物。
臨春閣は紀州徳川家初代・頼宣が紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築。
聴秋閣は京都・二条にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。
他にも月華殿、天授院、春草櫨など古建築が庭の間に点在する。

この日も池や水路の補修工事をしている人達を見かけたが、庭園の維持管理には沢山の人手が必要だ。
初冬の三渓園目立つ花々は無かったが、静かな風情を楽しんだ。



旧古河庭園のバラの花

2008年11月04日 00時04分37秒 | 庭園
旧古河庭園のバラの花

茨城県内の各地で「第23回国民文化祭・いばらき2008」が11月1日~9日まで開催されている。
茨城県民文化センターでの開会式の様子がテレビで放映された。
文化センター前の銀杏並木も黄葉がみごとだ。この時期の千波湖周辺の立ち木の日々の変化は楽しい。
千波大橋からの眺めは見飽きる事がない。
西の谷の銀杏の色付きは、今年はいまいち良くなく少しばかり寂しい。

茨城県の花はバラ、旧県庁舎の前のバラも見ごろだ。花の時期は初夏と秋だが、手入れが難しせいかバラ園を観る機会は少ない。
旧古河庭園はバラの名所のひとつ。
北側の丘の部分は西洋館とそれに連なる斜面はバラを中心とした西洋庭園。
そして低地には回遊式の日本庭園が配されているのが特徴だ。
今回バラの時期に訪ねる事ができた。何時行っても、園丁さん数名が管理している。庭は毎日の管理が欠かせない。その結果が見事な花を咲かせることになる。

西の谷、自然のままで良い面もあるが、もう少し手が入って季節の花々が楽しめるようになれば、という感じもする。

自然教育園

2008年08月24日 05時55分05秒 | 庭園
自然教育園の路傍植物園

JR目黒駅から徒歩7分の港区白金台に、豊かな自然が残された広大な場所がある。
正式名称は「国立科学博物館付属自然教育園」隣接した敷地に「東京都庭園美術館」が有る。
朝香宮邸として昭和8年(1933)に建てられた建て物を、そのまま美術館として公開されている。
現在『船越桂 夏の邸宅』と題された展覧会を開催中。
それを観に行ったついでに、自然教育園に入場してみた。

何故このような自然が残ったか、の歴史は入場者用ノパンフレットには概ね次のように記されている。
自然教育園の生い立ちは、今から4~500年前の中世の豪族の館に始まる。
その後、高松藩の下屋敷(江戸時代)、陸海軍の火薬庫(明治時代)、白金御料地(大正時代)と歴史を重ねてきた。
この間、一般の人々は中に入る事が出来なかったため、まれに見る豊かな自然が残された。
そして、昭和24年(1949)に全域が天然記念物及び史跡に指定されると同時に、一般に公開されるようになった。

入場時に管理事務所でピンクのリボンを渡され胸に着ける。
これは入場者が同時に300人以上にならないように配慮されているとのこと。
先ず最初に、道端に生育している植物がみられる路傍植物園。日向や日陰に生える野草類が主なもの。
今は一番花の少ない時期だがキンミズヒキ、ヤブランなどが見られる。
それぞれの山野草には名前を明記した立て札が付けられているので分かりやすい。
西の谷も、一部の植物には名札が付けられている。開設当初のもので、今はほとんど失われている。
雑草といえども名札をつければいいのに、と思う。

園内全てがそうだが、手入れは必要最小限度で、通路は砂利で道幅は2メートル程度。
道幅を確保する程度の手入れがなされているのみだ。

うっそうとした林といおうか、森とも言える自然教育園は夜間の人の出入りは無い。
西の谷は公園で、しかも通路となっている所では有り得ないほど、自然のままだ。昼なを暗き、という状態。
瓢箪池、水鳥の沼、など数箇所の沼地が有る。くぼ地に周辺の雨水が湧き出し、溜まった物だ。
沼や池は水生植物園となっている。
カキツバタ、ハナショウブ、ヨシ、ヒメガマ、アサザ、等だがミソハギが花盛り。
この流れはどうなるのか、係員に訊くと「目黒川に流れる」とのことだ。
東京の河川は殆どが暗渠だから、目立たないが多くの川があるのだ。

西の谷も2箇所から湧き水があリ、其の流れは2箇所の小さな沼となっている。
水生植物園として計画されたが、現在は葦がはびこってしまい、水生植物園の体はなしていない。
しかし、自然に生えたミソハギが花盛り。

自然教育園と西の谷は共通する点も多い。
西の谷は通路も兼ねる公園だが、より自然に親しむ自然教育園にも十分になりうる。