平塚のBMWスタジアムに。

ザスパ草津を迎えて「北関東ダービー」は水戸に軍配が上がった。
6試合ぶりの白星で7位に浮上した。
27日は無敗で首位の湘南ベルマーレと対戦。
平塚BMWスタジアムに応援に行きたいと思っている、
平塚は「七夕祭りが」が有名だが、どちらにしても行ったことのない街。
サッカーゲームは相手チームのホームタウンを訪れるのも楽しみの一つ、
草津戦の前夜は「水戸バー・バル・バール」が開催された。
そのチケット1枚がゲームの入場券に替えることが出来た。
はたして、何人が使用したのか不明だが、面白い企画だった。
7時のキックオフだが、平塚市美術館で「市制80周年記念 棟方志功展」が開催されている。早めに平塚に行き「棟方志功展」を観て街をぶらりと散歩。
食事処を捜し、早めの夕食を済ませてからスタジアムに。
美術館からスタジアムは、徒歩10分程度らしい。
平塚競技場が、今年の3月から「Shonan BMW スタジアム平塚」(略称「BMWス」)の呼ばれるようになった。
平塚市総合公園内にある陸上競技場兼球技場で、駅から徒歩30分足らず、バスで7分くらいらしい。
収容人員は18500人、誠に羨ましい環境と設備だ。
勿論《ホーリホック必勝》連勝中の首位のチームに黒星を、の願いを込めての応援だが、平塚の街を十分に楽しんできたい。
対戦相手の街を訪ね、観光するのもサッカー観戦の魅力だ。

ザスパ草津を迎えて「北関東ダービー」は水戸に軍配が上がった。
6試合ぶりの白星で7位に浮上した。
27日は無敗で首位の湘南ベルマーレと対戦。
平塚BMWスタジアムに応援に行きたいと思っている、
平塚は「七夕祭りが」が有名だが、どちらにしても行ったことのない街。
サッカーゲームは相手チームのホームタウンを訪れるのも楽しみの一つ、
草津戦の前夜は「水戸バー・バル・バール」が開催された。
そのチケット1枚がゲームの入場券に替えることが出来た。
はたして、何人が使用したのか不明だが、面白い企画だった。
7時のキックオフだが、平塚市美術館で「市制80周年記念 棟方志功展」が開催されている。早めに平塚に行き「棟方志功展」を観て街をぶらりと散歩。
食事処を捜し、早めの夕食を済ませてからスタジアムに。
美術館からスタジアムは、徒歩10分程度らしい。
平塚競技場が、今年の3月から「Shonan BMW スタジアム平塚」(略称「BMWス」)の呼ばれるようになった。
平塚市総合公園内にある陸上競技場兼球技場で、駅から徒歩30分足らず、バスで7分くらいらしい。
収容人員は18500人、誠に羨ましい環境と設備だ。
勿論《ホーリホック必勝》連勝中の首位のチームに黒星を、の願いを込めての応援だが、平塚の街を十分に楽しんできたい。
対戦相手の街を訪ね、観光するのもサッカー観戦の魅力だ。
水戸ホーリーホックが6戦ぶりの白星 @Ksスタ

ザスパ草津を迎えての "北関東ダービー"。
ここ5戦勝ちなし(3分2敗)と苦しい状況だったが、1-0で勝利を収め久し振りに勝ち点3を手に入れた。

後半は互いに退場者が出た荒れた試合をものにし、勝利したことは大きい。

福島県在住の子供たちが招待され、試合終了後にパレード。
入場者数は3999人で4000人にあと一人。
草津のサポーターが少なかったから、仕方ないのかも。
金・土と開催された「水戸バー・バル・バール」
ドリンク券1枚で、この日のゲームの入場券に代替え出来たのだが、何人ぐらいが 入場されたのか?
企画としては面白かったのだから、入場者に繋がればさらに良いことだ。
今後も、多くのイベントと連携し、水戸の街が賑やかになることを願う。

ザスパ草津を迎えての "北関東ダービー"。
ここ5戦勝ちなし(3分2敗)と苦しい状況だったが、1-0で勝利を収め久し振りに勝ち点3を手に入れた。

後半は互いに退場者が出た荒れた試合をものにし、勝利したことは大きい。

福島県在住の子供たちが招待され、試合終了後にパレード。
入場者数は3999人で4000人にあと一人。
草津のサポーターが少なかったから、仕方ないのかも。
金・土と開催された「水戸バー・バル・バール」
ドリンク券1枚で、この日のゲームの入場券に代替え出来たのだが、何人ぐらいが 入場されたのか?
企画としては面白かったのだから、入場者に繋がればさらに良いことだ。
今後も、多くのイベントと連携し、水戸の街が賑やかになることを願う。
シネスイッチ銀座 @東京都中央区銀座4-4-5 旗ビル

暫く映画館に足を運んでいない。
この前、映画を観たのは何時であったか思い出すことが出来ない。
水戸市内やひたちなか市のシネコンもあるのだが。
上京時に《映画でも観よう》と思った。
どうせなら、アカデミー賞の作品賞を受賞した「アーティスト」を観たいと思い検索すると、銀座4丁目、和光裏の「シネスイッチ1・2」の2館同時上映していることを知った。
昭和30年代より『銀座文化劇場』として開館し、"銀文"の愛称で親しまれてきた映画館だそうな。 表通りを1本入った通りではあるが、銀座のど真ん中のビルに映画館が在ると知って少し驚いた。
1987年に2館のうち1館はそのまま『銀座文化劇場』とし、都内で唯一ハリウッド・クラシックス作品を500本以上提供し続け、もう1館は各国から選りすぐった洋画と邦画をスイッチ(切替)しながら提供する、ということから『シネスイッチ銀座』という館名が生まれたのだと云う。
1997年には『シネスイッチ銀座1・2』としてリニューアル・オープンし、現在に至っているのだ。
CGや大音響での過剰な演出のハリウッド映画が多い中で貴重な存在と思った。
一番の娯楽が映画、『活動(活動写真)』が死語ではない時代に育った。
ターザン、西部劇、西洋の剣豪もの、戦争映画などジャンルは問わなかった。
小学校の授業で年に一度は映画館に行ったこともある。
50年前、東京での学生時代に《名画座》などで、ヨーロッパの映画も沢山観た。
マニアでは無く、時間つぶし的なところもあったから、誰のどの映画という感じではなかった。

『アーティスト』(The Artist)は、ミシェル・アザナヴィシウス監督、ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ出演の2011年のフランスの
ロマンティック・コメディ・ドラマ映画である。
1927年から1932年までのハリウッドを舞台とし、トーキーの登場でサイレント映画の時代が終わったことで没落する男優と躍進する女優を描く物語。
昔は銀座の近辺に沢山の映画館が有った。
今や貴重な映画館となってしまった、また来たい。

暫く映画館に足を運んでいない。
この前、映画を観たのは何時であったか思い出すことが出来ない。
水戸市内やひたちなか市のシネコンもあるのだが。
上京時に《映画でも観よう》と思った。
どうせなら、アカデミー賞の作品賞を受賞した「アーティスト」を観たいと思い検索すると、銀座4丁目、和光裏の「シネスイッチ1・2」の2館同時上映していることを知った。
昭和30年代より『銀座文化劇場』として開館し、"銀文"の愛称で親しまれてきた映画館だそうな。 表通りを1本入った通りではあるが、銀座のど真ん中のビルに映画館が在ると知って少し驚いた。
1987年に2館のうち1館はそのまま『銀座文化劇場』とし、都内で唯一ハリウッド・クラシックス作品を500本以上提供し続け、もう1館は各国から選りすぐった洋画と邦画をスイッチ(切替)しながら提供する、ということから『シネスイッチ銀座』という館名が生まれたのだと云う。
1997年には『シネスイッチ銀座1・2』としてリニューアル・オープンし、現在に至っているのだ。
CGや大音響での過剰な演出のハリウッド映画が多い中で貴重な存在と思った。
一番の娯楽が映画、『活動(活動写真)』が死語ではない時代に育った。
ターザン、西部劇、西洋の剣豪もの、戦争映画などジャンルは問わなかった。
小学校の授業で年に一度は映画館に行ったこともある。
50年前、東京での学生時代に《名画座》などで、ヨーロッパの映画も沢山観た。
マニアでは無く、時間つぶし的なところもあったから、誰のどの映画という感じではなかった。

『アーティスト』(The Artist)は、ミシェル・アザナヴィシウス監督、ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ出演の2011年のフランスの
ロマンティック・コメディ・ドラマ映画である。
1927年から1932年までのハリウッドを舞台とし、トーキーの登場でサイレント映画の時代が終わったことで没落する男優と躍進する女優を描く物語。
昔は銀座の近辺に沢山の映画館が有った。
今や貴重な映画館となってしまった、また来たい。
川喜多映画記念館 @鎌倉市雪ノ下
「映画の都ハリウッド ~華やかなるスターの世界~」



鶴岡八幡宮の直ぐ近くに鎌倉市川喜多映画記念館が在る。
映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に、鎌倉市における映画文化の発展を期し、2010年4月に開館した。





映画資料の展示、映画上映をはじめとし、映画関連資料の閲覧も出来、講座・講演会やワークショップなども開催されている。
建物は平屋建ての和風建築で、周囲の住宅街の環境に調和している。
展示室の明るく広い開口部からは緑豊かな庭園も眺められ、古都鎌倉の落ち着いた雰囲気をかもし出している。
庭の上段に、哲学者・和辻哲郎が居住していた建物を、和辻の死後、川喜多夫妻が移築し、海外からの映画監督や映画スターを迎える場として使用された。


瓦ぶきに改築されているが、日本的な雰囲気ながら西洋風でもある。
外国人を迎えるゲストハウスだ。
ブックインとっとり「地方出版文化功労賞」

地方文化のバロメーターのひとつと言われる出版活動の重要性に着目し、鳥取県を除く地方出版社を対象に、毎年その優秀な作品を県内で展示・顕彰することを目的として創設され、2003年度の特別賞を受賞したのが「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」 (シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊。であったと知ったのは最近のことで、誠に嬉しいことだ。

1997年の受賞は「納棺夫日記」青木新門著であった。
僕は文春文庫で読んだが、えらく感銘した。
並みの宗教書より“生と死を”考えさせてくれた。

地方文化のバロメーターのひとつと言われる出版活動の重要性に着目し、鳥取県を除く地方出版社を対象に、毎年その優秀な作品を県内で展示・顕彰することを目的として創設され、2003年度の特別賞を受賞したのが「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」 (シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊。であったと知ったのは最近のことで、誠に嬉しいことだ。

1997年の受賞は「納棺夫日記」青木新門著であった。
僕は文春文庫で読んだが、えらく感銘した。
並みの宗教書より“生と死を”考えさせてくれた。
原発推進の前提
日本の政府は原発の再稼働を進めるらしい。
吉岡 斉氏(科学史家、九州大学教授・副学長)は
「原発推進の前提はすべて崩れた。仮に今回の事故処理や被害補償が10兆円だったとしても、それを加算すれば、発電コストは石炭や天然ガスの火力よりかなり割高。これほど不経済な発電手段はない。安定的に電力を供給できるとの主張も誤りだ。ひとたび事故が起きれば、今回のように深刻な電力不足を招く。環境問題にしても、放射能汚染は論外だ。」
「さらに、事故の損害賠償について電力会社の自己責任を徹底すれば、電力会社はおのずと原発を持たなくなるのではないか。原発も高速道路と同じで、立地推進の予算があり、お金が動く限り止まらなかった。しかし、今回の事故で自治体も引き受けるわけにはいかないだろう。政策転換のチャンスだ」
と述べている。更に。
「クルマ社会を転換するのは大変だが、原発からは簡単に足を洗える。電気はほかの手段でもつくれるからだ。原子力はそんなに素性のいいものではないということが今回の事故でよく分かったのではないか。受ける便益に対して、原発はリスクが大きすぎる。」
「国内の電力消費は07年度がピークで、おそらく、もう戻らない。人口よりも早いペースで消費は減っていくだろう。電力料金を引き上げれば、省エネも進む。そして脱原発を進める間、代替の自然エネルギーを最大限に増やす。国民的な議論で、そうした転換をするかどうかの局面だ。」
世界中の人を、生き物を、大地を、海を、空気を、巻き添えにする可能性が大きい原発事故目を覚ますときだと思います。
少しくらいの不便が自然とともに生きるということなのだと思うのです。
黙っていないで、原発は要りませんって言わないといけないと思います。」
同感である。
東海村村長・村上達也氏講演会
「福島原発事故後の社会を考える」@那珂市中央公民館ホール
3月25日(日) 2時~4時

東海村村長・村上達也氏の講演会から半月が過ぎた。
問題が大きすぎることや、当方の科学的な知識が不足でどのように考えればよいかまとまらない。
とりあえず、感想を述べておきたい。
会場の那珂市中央公民館ホールは日曜の午後だったが、500人以上の参加者が有った。東海村に隣接した那珂市民や近隣の住民の関心の高さが窺われた。
講演後の質問で分かったが、福島や埼玉からの来場者もあり、広範囲から集まったようである。
特に、子育て中の世代の母親が多く見かけられたが、関心の高いのは当然と思えた。

撮影はご遠慮くださいとのアナウンスが有りました。
写真は講演の前に撮影したものです。
《原発は魔物、化け物》
「地球上ではその創世以来堅く物質の究極の中に秘められた恐るべき力。人間は開けてはならない蓋を開けてしまった」(中谷宇吉郎「昭和20年の『文芸春秋』」パンドラの箱を開けてしまった、と言うことです。
《東海第二原発の3・11 -あわや福島の二の舞に-》
「非常用発電機3台中1台がダウン」
津波高5,4mに防潮壁高6,1mで《非常用発電機3台中1台がダウン》で事なきを得たが、補修工事の完成は3月5日で、まさに間一髪だった。
「東海第2原発で同じ事故が起きたら東海村は全村避難で、30キロ圏内の約100万人がどうしたかと思うとぞっとする」と述べ、「東海村が原子力に支えられてきたのは事実だが、われわれの暮らしや未来と原発マネーとは等価交換できないと思う」
《福島第一原発事故はチェルノヴィリィ級》
日常的に放射能、放射線を意識しないでは住めない世界が現出した。
200㎞以上離れた東京、横浜などでさえも。
《「安全神話」》
原発推進の政府は事故の願望的過小評価。
原子力災害特別諸置法はJOC臨界事故以前なかった、(石油コンビナート法に送れること25年もたっている)
世界1,2位の地震列島上に54基の無謀な原発が出来てしまった。
ひとえに、国策民営、地域独占の結末である。
《「原子力村」》
政・官・業・学の権力社会を形成している。
東大工学部旧原子力工学科卒を中心とした構造は旧陸軍大学卒と同じ。
《原発災害は「日本人への問いかけ」》
日本のエネルギー政策(国策=原子力に偏向)の転換は国際的な使命。
《「脱原発」の決意》 ―脱原発は感情論と批判を超えて―
「福島」の二の舞はゴメンだ、と「脱原発」志向を鮮明にし、エネルギー政策の転換を求めた。
一期目に直面したJCO事故以後、政府や業界の危機に対する鈍感さや、 技術過信に警笛を鳴らしてきた。
「だが変わらなかった。逆に私の言動に異質の文化をかぎ、(推進派は)三期目、四期目の村長選に対抗馬を立てた。 違うことを言うとつぶそうとする世界で、私は生きてきた」とも述べた。
その他の話や質疑応答もあったが、1999年9月30日に起きたJCO事故の教訓を生かされることが無いまま昨年の大震災に伴う福島の原発事故まで行きついてしまった、と言うことだ。
講演会を企画し運営されたボランテア団体の尽力に感謝すると同時に、続編の企画をお願いしたい。
講演会に先立って読んだ「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」
(シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊。の中で紹介されている『原子力の社会史 その日本的展開』 朝日選書 1999年の著者吉岡 斉(科学史家、九州大学教授・副学長)の話も聞いてみたい。
「福島原発事故後の社会を考える」@那珂市中央公民館ホール
3月25日(日) 2時~4時

東海村村長・村上達也氏の講演会から半月が過ぎた。
問題が大きすぎることや、当方の科学的な知識が不足でどのように考えればよいかまとまらない。
とりあえず、感想を述べておきたい。
会場の那珂市中央公民館ホールは日曜の午後だったが、500人以上の参加者が有った。東海村に隣接した那珂市民や近隣の住民の関心の高さが窺われた。
講演後の質問で分かったが、福島や埼玉からの来場者もあり、広範囲から集まったようである。
特に、子育て中の世代の母親が多く見かけられたが、関心の高いのは当然と思えた。

撮影はご遠慮くださいとのアナウンスが有りました。
写真は講演の前に撮影したものです。
《原発は魔物、化け物》
「地球上ではその創世以来堅く物質の究極の中に秘められた恐るべき力。人間は開けてはならない蓋を開けてしまった」(中谷宇吉郎「昭和20年の『文芸春秋』」パンドラの箱を開けてしまった、と言うことです。
《東海第二原発の3・11 -あわや福島の二の舞に-》
「非常用発電機3台中1台がダウン」
津波高5,4mに防潮壁高6,1mで《非常用発電機3台中1台がダウン》で事なきを得たが、補修工事の完成は3月5日で、まさに間一髪だった。
「東海第2原発で同じ事故が起きたら東海村は全村避難で、30キロ圏内の約100万人がどうしたかと思うとぞっとする」と述べ、「東海村が原子力に支えられてきたのは事実だが、われわれの暮らしや未来と原発マネーとは等価交換できないと思う」
《福島第一原発事故はチェルノヴィリィ級》
日常的に放射能、放射線を意識しないでは住めない世界が現出した。
200㎞以上離れた東京、横浜などでさえも。
《「安全神話」》
原発推進の政府は事故の願望的過小評価。
原子力災害特別諸置法はJOC臨界事故以前なかった、(石油コンビナート法に送れること25年もたっている)
世界1,2位の地震列島上に54基の無謀な原発が出来てしまった。
ひとえに、国策民営、地域独占の結末である。
《「原子力村」》
政・官・業・学の権力社会を形成している。
東大工学部旧原子力工学科卒を中心とした構造は旧陸軍大学卒と同じ。
《原発災害は「日本人への問いかけ」》
日本のエネルギー政策(国策=原子力に偏向)の転換は国際的な使命。
《「脱原発」の決意》 ―脱原発は感情論と批判を超えて―
「福島」の二の舞はゴメンだ、と「脱原発」志向を鮮明にし、エネルギー政策の転換を求めた。
一期目に直面したJCO事故以後、政府や業界の危機に対する鈍感さや、 技術過信に警笛を鳴らしてきた。
「だが変わらなかった。逆に私の言動に異質の文化をかぎ、(推進派は)三期目、四期目の村長選に対抗馬を立てた。 違うことを言うとつぶそうとする世界で、私は生きてきた」とも述べた。
その他の話や質疑応答もあったが、1999年9月30日に起きたJCO事故の教訓を生かされることが無いまま昨年の大震災に伴う福島の原発事故まで行きついてしまった、と言うことだ。
講演会を企画し運営されたボランテア団体の尽力に感謝すると同時に、続編の企画をお願いしたい。
講演会に先立って読んだ「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」
(シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊。の中で紹介されている『原子力の社会史 その日本的展開』 朝日選書 1999年の著者吉岡 斉(科学史家、九州大学教授・副学長)の話も聞いてみたい。
水戸ホーリーホックVS松本山雅FCは0-0で引き分け
@Ksスタ
1日バス乗車券

天気予報は、雨が上がって暖かくなるはず、だったが小雨交じりで寒い。
通常はスタジアムまで自転車だが、バスにすることに。
試合の日は、水戸駅前バス乗り場で1日乗車券を販売する。

駅から大工町の区間は乗り降り自由で¥900.
大工町からスタジアムまではノンストップだから、早くて便利。
アウェーのお客様も、行き返りは水戸市内に立ち寄ることも出来て便利だ。

松本山雅FCのサポーターを見て、今日はヤバイかも、と懸念した。
アウェーのバックスタンドにかなりの人数。
本日の入場者2,952人だったが500人以上はいただろう。
応援スタイルはブラジル風でリズミカル。
声援も水戸より声が揃っている。
J2に昇格した勢いが感じられた。
水戸は水戸なりのスタイルなのだろうが、何故か乗り切れない。
応援スタイルに変化と斬新さが欲しい、と思った。
水戸のサポーターの皆様ごめんなさい。
何時も、そのように感じることが多いので。
攻めの時間帯が多かったのに、決定打が出ない。
グランドコンデションが悪く、空振りでこけたり,締まらない。
惜しい!と言うシュートも無く0-0の引き分け。
帰りのバスの乗客全員が言葉なしで、負け試合の雰囲気。
次回のホームは4月8日の千葉戦。
頑張って行きましょう。
@Ksスタ
1日バス乗車券

天気予報は、雨が上がって暖かくなるはず、だったが小雨交じりで寒い。
通常はスタジアムまで自転車だが、バスにすることに。
試合の日は、水戸駅前バス乗り場で1日乗車券を販売する。

駅から大工町の区間は乗り降り自由で¥900.
大工町からスタジアムまではノンストップだから、早くて便利。
アウェーのお客様も、行き返りは水戸市内に立ち寄ることも出来て便利だ。

松本山雅FCのサポーターを見て、今日はヤバイかも、と懸念した。
アウェーのバックスタンドにかなりの人数。
本日の入場者2,952人だったが500人以上はいただろう。
応援スタイルはブラジル風でリズミカル。
声援も水戸より声が揃っている。
J2に昇格した勢いが感じられた。
水戸は水戸なりのスタイルなのだろうが、何故か乗り切れない。
応援スタイルに変化と斬新さが欲しい、と思った。
水戸のサポーターの皆様ごめんなさい。
何時も、そのように感じることが多いので。
攻めの時間帯が多かったのに、決定打が出ない。
グランドコンデションが悪く、空振りでこけたり,締まらない。
惜しい!と言うシュートも無く0-0の引き分け。
帰りのバスの乗客全員が言葉なしで、負け試合の雰囲気。
次回のホームは4月8日の千葉戦。
頑張って行きましょう。
「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」
(シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊

3月25日(日) 那珂市中央公民館ホールで東海村村長・村上達也氏の「福島原発事故後の社会を考える」と題する講演会が開かれる。
1999(平成11)年に起きたJCO臨界事故は深刻な核の恐怖におののいた大事故だった。闘病の上に死亡した人が二人。
屋内避難勧告に巻き込まれた半径10キロ㍍圏内の住民約31万人。
国や県の対応の遅れにくらべ、東海村長のすばやい事故対応と決断が村民から評価された。
以来、政府や業界の危機に対する鈍感さや、 技術過信に警笛を鳴らしてきた。
長らく地方紙の記者を務めていた箕川 恒男さんは、退職を機にJCO臨界事故を検証しておきたいと考え、一面識もなかった村上さんの自宅を訪ねたのが2000年の正月。未知の訪問者に対して快く応じてくれた。
それから、何度ものインタビューを通して纏められたのが「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」(2002年 那珂書房刊)
第1章 原子力への「夢」
第2章 未曾有の事故が・・・・・
第3章 風評被害の渦に
第4章 再処理と原発解体
第5章 サイエンス・フロンティアと海と
第6章 住民参加の自活型へ
参考資料
①参議院経済産業委員会での発言全文(1999年6月1日)
②衆議院科学技術委員会での発言全文(1999年11月24日)
③OECD-NEAでの発言全文(2001年11月28日)
3月25日の講演会を前に、この本を図書館から借りて、目を通した。
インタビュー形式ではあるが、技術や科学的な専門的な事柄や東海村の核開発の歴史などには注釈も挿入されている。
事故から間もない時期のインタビューだから多くの人達とのやり取りも鮮明に記憶されているから状況が良く分かる。
今となってみれば貴重な文献で、歴史の証言舎。
これらのことを、電力会社や国が真剣に対応していれば、福島の被害は少なくて済んだのかも。
九州大学の吉岡斉教授の本も読んでみたいと思った。
(シリーズ臨界事故のムラから) 箕川 恒男 (著) 2002年 那珂書房刊

3月25日(日) 那珂市中央公民館ホールで東海村村長・村上達也氏の「福島原発事故後の社会を考える」と題する講演会が開かれる。
1999(平成11)年に起きたJCO臨界事故は深刻な核の恐怖におののいた大事故だった。闘病の上に死亡した人が二人。
屋内避難勧告に巻き込まれた半径10キロ㍍圏内の住民約31万人。
国や県の対応の遅れにくらべ、東海村長のすばやい事故対応と決断が村民から評価された。
以来、政府や業界の危機に対する鈍感さや、 技術過信に警笛を鳴らしてきた。
長らく地方紙の記者を務めていた箕川 恒男さんは、退職を機にJCO臨界事故を検証しておきたいと考え、一面識もなかった村上さんの自宅を訪ねたのが2000年の正月。未知の訪問者に対して快く応じてくれた。
それから、何度ものインタビューを通して纏められたのが「みえない恐怖をこえて―村上達也東海村長の証言」(2002年 那珂書房刊)
第1章 原子力への「夢」
第2章 未曾有の事故が・・・・・
第3章 風評被害の渦に
第4章 再処理と原発解体
第5章 サイエンス・フロンティアと海と
第6章 住民参加の自活型へ
参考資料
①参議院経済産業委員会での発言全文(1999年6月1日)
②衆議院科学技術委員会での発言全文(1999年11月24日)
③OECD-NEAでの発言全文(2001年11月28日)
3月25日の講演会を前に、この本を図書館から借りて、目を通した。
インタビュー形式ではあるが、技術や科学的な専門的な事柄や東海村の核開発の歴史などには注釈も挿入されている。
事故から間もない時期のインタビューだから多くの人達とのやり取りも鮮明に記憶されているから状況が良く分かる。
今となってみれば貴重な文献で、歴史の証言舎。
これらのことを、電力会社や国が真剣に対応していれば、福島の被害は少なくて済んだのかも。
九州大学の吉岡斉教授の本も読んでみたいと思った。
東海村村長・村上達也氏講演会
「福島原発事故後の社会を考える」
@那珂市中央公民館ホール(那珂市役所となり)
3月25日(日)14:00~16:00 (30分前開場)

~村長からのメッセージ~ (講演会チラシより)
原発による繁栄は「一炊の夢」。
福島では原発によって故里も家族も何もかもが奪われた。
それでも未だ原発依存の声は高い。全ては目先の金のために。
こんな考えはもう捨てましょう。
原発は垢にまみれた古い思想、
古い技術、もう夢もロマンも生まないのですから。
ドイツ人、イタリア人は古い上着を脱ぎ、新しい服に着替えました。
私たちも先に進みましょう。
市民が立ち上がる時です。
「福島原発事故後の社会を考える」
@那珂市中央公民館ホール(那珂市役所となり)
3月25日(日)14:00~16:00 (30分前開場)

~村長からのメッセージ~ (講演会チラシより)
原発による繁栄は「一炊の夢」。
福島では原発によって故里も家族も何もかもが奪われた。
それでも未だ原発依存の声は高い。全ては目先の金のために。
こんな考えはもう捨てましょう。
原発は垢にまみれた古い思想、
古い技術、もう夢もロマンも生まないのですから。
ドイツ人、イタリア人は古い上着を脱ぎ、新しい服に着替えました。
私たちも先に進みましょう。
市民が立ち上がる時です。
水戸ホーリーホックVS松本山雅FC @Ksスタ
3月24日(土)13:00キックオフ

3月20日のギラヴァンツ北九州戦水戸ホーリーホックは0-1で惜敗したが3勝1敗の成績、湘南ベルマーレに次いで2位を守った。
24日(土)は松本山雅FCを迎えてのホームゲーム。
岡山・北九州を転戦してきたチームに御疲れさん、とねぎらいたい。
今年からJ2に昇格した松本山雅FCにもエールを送りたい。
水戸ホーリーホックの存在と活躍が水戸に元気を与えてくれる、と思っている。
更に、ビジターのチームやサポーターも活気を与えてくれる存在だ。
サッカーはクラブチーム(地域住民の連帯で維持される)の要素が強いから入場料の収入がクラブの大きな財源となっているが、今シーズンの入場者数は、
第1節 3月04日 横浜FC 2-1 Ksスタ、 入場者数5,817人
第2節 3月11日 カターレ富山1-0 Ksスタ、入場者数2,601人
第3節 3月17日 ファジアーノ岡山 3-0 カンスタ、入場者数 5,576人
第4節 3月20日 ギラヴァンツ北九州0-1 本城、入場者数 2,558人
開幕戦こそ6千に近かったが、少しさびしい数字だ。
3月17日の埼玉スタジアム、浦和レッズVS柏レイソルの試合は41,069人。J1に所属し、さいたま市は100万都市だから比較にならないとはいえ、入場者が千と万では桁が違う。当然サポーターの熱気も凄い。
柏は前年の覇者、お互いに負けられないゲームで、テレビの画面からもサポーターの熱気が伝わってきた。
この両チームと比較するのは酷だが、水戸のホームゲームにより多くの人達に来てほしい。水戸を含め周辺の市町村の人達が、シーズン中に1人1回スタジアムに来れば、かなりの人数だろう。
スタンドでの観戦はテレビ観戦とは全く異なる楽しさがある。
ケーズデンキスタジアムも5000人以上の入場者が有るときは、それなりの活気と楽しさが有る。
「今年はJ1」が目標だが、容易な道ではない。
とにかく、スタンドを1万人が埋め尽くす状況になりたい。
3月24日(土)13:00キックオフ

3月20日のギラヴァンツ北九州戦水戸ホーリーホックは0-1で惜敗したが3勝1敗の成績、湘南ベルマーレに次いで2位を守った。
24日(土)は松本山雅FCを迎えてのホームゲーム。
岡山・北九州を転戦してきたチームに御疲れさん、とねぎらいたい。
今年からJ2に昇格した松本山雅FCにもエールを送りたい。
水戸ホーリーホックの存在と活躍が水戸に元気を与えてくれる、と思っている。
更に、ビジターのチームやサポーターも活気を与えてくれる存在だ。
サッカーはクラブチーム(地域住民の連帯で維持される)の要素が強いから入場料の収入がクラブの大きな財源となっているが、今シーズンの入場者数は、
第1節 3月04日 横浜FC 2-1 Ksスタ、 入場者数5,817人
第2節 3月11日 カターレ富山1-0 Ksスタ、入場者数2,601人
第3節 3月17日 ファジアーノ岡山 3-0 カンスタ、入場者数 5,576人
第4節 3月20日 ギラヴァンツ北九州0-1 本城、入場者数 2,558人
開幕戦こそ6千に近かったが、少しさびしい数字だ。
3月17日の埼玉スタジアム、浦和レッズVS柏レイソルの試合は41,069人。J1に所属し、さいたま市は100万都市だから比較にならないとはいえ、入場者が千と万では桁が違う。当然サポーターの熱気も凄い。
柏は前年の覇者、お互いに負けられないゲームで、テレビの画面からもサポーターの熱気が伝わってきた。
この両チームと比較するのは酷だが、水戸のホームゲームにより多くの人達に来てほしい。水戸を含め周辺の市町村の人達が、シーズン中に1人1回スタジアムに来れば、かなりの人数だろう。
スタンドでの観戦はテレビ観戦とは全く異なる楽しさがある。
ケーズデンキスタジアムも5000人以上の入場者が有るときは、それなりの活気と楽しさが有る。
「今年はJ1」が目標だが、容易な道ではない。
とにかく、スタンドを1万人が埋め尽くす状況になりたい。
尊厳死を考えるin 茨城 @県民文化センター・分館 集会室10号
3月24日(土) 14:00~16:30 (開場13:30)
お見舞いに行って、意識が無くなり自分の力では生命が維持できないが、全身にチューブや線が繋がれて、生かされている方。
或いは、親族がそのような状態の際、見ているのがつらい。
特に、高齢者の場合は終末の医療はどうあるべきなのかを考えさせられる。
たまたま、「日本尊厳死協会」を知って入会した。
10年位前のことだ。
「尊厳死」というのが仰々しが、終末期医療での延命処置は必要ありません。
と言うことで、特別の規制はない。
年会費が夫婦2人で3000円、以前より少し安くなった。
年に1~2度、会報が送られてくる。
公開講演会の案内はがきを戴いた。
① 講演:「尊厳死運動の 過去・現在・未来」
松根 敦子 (関東甲信越支部長)
② 講演;「あらためて考える ~ 緩和医療と後悔少なき生死~ 」

大津 秀一医師(東邦大学医療センター勤務)
水戸市出身 緩和医療医師、 日本尊厳死協会 受容協力医師
③ 質疑応答:松根 敦子、大津医師
*お知り合いの方をお誘いあわせ、ご参加ください、とある。
入場無料で、事前の申し込みも必要ない。
お時間の取れる方は是非、ご参加ください。
3月24日(土) 14:00~16:30 (開場13:30)
お見舞いに行って、意識が無くなり自分の力では生命が維持できないが、全身にチューブや線が繋がれて、生かされている方。
或いは、親族がそのような状態の際、見ているのがつらい。
特に、高齢者の場合は終末の医療はどうあるべきなのかを考えさせられる。
たまたま、「日本尊厳死協会」を知って入会した。
10年位前のことだ。
「尊厳死」というのが仰々しが、終末期医療での延命処置は必要ありません。
と言うことで、特別の規制はない。
年会費が夫婦2人で3000円、以前より少し安くなった。
年に1~2度、会報が送られてくる。
公開講演会の案内はがきを戴いた。
① 講演:「尊厳死運動の 過去・現在・未来」
松根 敦子 (関東甲信越支部長)
② 講演;「あらためて考える ~ 緩和医療と後悔少なき生死~ 」

大津 秀一医師(東邦大学医療センター勤務)
水戸市出身 緩和医療医師、 日本尊厳死協会 受容協力医師
③ 質疑応答:松根 敦子、大津医師
*お知り合いの方をお誘いあわせ、ご参加ください、とある。
入場無料で、事前の申し込みも必要ない。
お時間の取れる方は是非、ご参加ください。
「あぐり白寿の旅」吉行 あぐり・吉行和子著 集英社文庫

朝の連続テレビ小説「カーネーション」を見ていると、1997年に放送された「あぐり」を思い出す。
15才で洋裁の修行をスタートし、夫を戦争で亡くすも、女手ひとつで3人の娘を世界的ファッションデザイナーに育て上げ、自身も生涯を終えるまでファッションデザイナーとしての道を全うした小篠綾子さんと、女学校在学中の16歳で結婚してから美容師をこころざし、1929年(昭和4年)に独立して山の手美容院を開店し、吉行三兄妹を育てた吉行 あぐりさん。
1952年(昭和27年)に東京・五番町(市ヶ谷駅前)に吉行あぐり美容室を開店。90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店。日本の美容師免許所持者の中では最高齢。
どちらも職業婦人(働く女性・今や一般的)の草分け。
女性が職業に就くのが珍しい時代だった。
「あぐり白寿の旅」は《白寿》=99歳、の記録で、レビュー記事に依れば、
「旅」にまつわる思い出を綴った日記が前半、後半は、長女で女優の吉行和子さんのエッセイ風日記。
91歳で初めての海外旅行がメキシコで、その後訪れた海外旅行の思い出などが記されている。
どこの国・どの場所に行ってもなんでも見て、食べて、行動して楽しめる人。
年齢にこだわらずに新しい物に挑戦する人。
股関節脱臼で入院生活中も「生きているって、やっぱりいーなあ。ありがとう」の言葉は、入院生活でさえも、「旅」だった。
更に、
『吉行あぐり 102歳のことば』石 寒太著

『「あぐり」その後―吉行あぐり103歳と家族の肖像』 阿部 和江著
も出版されている。
明治の女性の逞しさ、胆の太さは凄い。

朝の連続テレビ小説「カーネーション」を見ていると、1997年に放送された「あぐり」を思い出す。
15才で洋裁の修行をスタートし、夫を戦争で亡くすも、女手ひとつで3人の娘を世界的ファッションデザイナーに育て上げ、自身も生涯を終えるまでファッションデザイナーとしての道を全うした小篠綾子さんと、女学校在学中の16歳で結婚してから美容師をこころざし、1929年(昭和4年)に独立して山の手美容院を開店し、吉行三兄妹を育てた吉行 あぐりさん。
1952年(昭和27年)に東京・五番町(市ヶ谷駅前)に吉行あぐり美容室を開店。90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店。日本の美容師免許所持者の中では最高齢。
どちらも職業婦人(働く女性・今や一般的)の草分け。
女性が職業に就くのが珍しい時代だった。
「あぐり白寿の旅」は《白寿》=99歳、の記録で、レビュー記事に依れば、
「旅」にまつわる思い出を綴った日記が前半、後半は、長女で女優の吉行和子さんのエッセイ風日記。
91歳で初めての海外旅行がメキシコで、その後訪れた海外旅行の思い出などが記されている。
どこの国・どの場所に行ってもなんでも見て、食べて、行動して楽しめる人。
年齢にこだわらずに新しい物に挑戦する人。
股関節脱臼で入院生活中も「生きているって、やっぱりいーなあ。ありがとう」の言葉は、入院生活でさえも、「旅」だった。
更に、
『吉行あぐり 102歳のことば』石 寒太著

『「あぐり」その後―吉行あぐり103歳と家族の肖像』 阿部 和江著
も出版されている。
明治の女性の逞しさ、胆の太さは凄い。
吉行和子さんと夏木マリさん
NHKの連続テレビ小説『カーネーション』はコシノ三姉妹を育てた母親のものがたりも最終章に入った。
三姉妹がデザイナーとして成功し、孫も登場する年代となった、
それに伴って、女優は尾野真千子から夏木マリに交代した。
70代となっても自分のブランドを立ち上出る元気さを持ちながら、孫たちを気遣うお祖母ちゃん役を、夏木マリが渋く演じている。
1990年3月22日に水戸芸術館は美術館・コンサートホール・劇場からなる現代芸術の複合施設として開館した。
各部門は芸術監督が責任を持って運営に当たり、自前の楽団や劇団の公演を主とし、自主企画の演奏や展示をする基本方針は、22年を経過した今も守られている。地方自治体が運営する文化施設として稀有な例だ。
発足当時の演劇部門の芸術監督は「SCOT」の鈴木 忠志。
唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代に起こった演劇運動の代表的な担い手の一人。
開館記念公演は
ウリピデス原作『ディオニュソス―おさらば教の誕生―喪失の様式をめぐって1』次年度はシェイクスピア原作『マクベス―おさらば教の隆盛―喪失の様式をめぐって2』が演じられた。
その時、客演したのが吉行和子さんと夏木マリさん。
お二人は「SCOT」の団員と同様に稽古の時から水戸に滞在していた。
吉行さんは「劇団・民芸」の出身だか夏木さんは歌手としては有名であったが役者としてのキャリアはこの頃に始まる。
多くの劇団員はアパートなどに合宿の状態だったが、吉行さんと夏木さんは別格で、水戸京成ホテルに滞在されていた。
当時の水戸京成ホテルの9階は水戸市を見渡すレストランとラウンジバーが在り、水戸では一番お洒落なところだった。
たまたま、バーでお二人にお目にかかり、ずうずうしくも一緒に写真に納まって頂き、お話までしていただいた。
僕は「水戸芸術館に協力していただき有難う」感謝の言葉を述べたかった。
その後、NHK連続テレビ小説『あぐり』が1997年に放送された。
小説家・吉行淳之介、女優・吉行和子、詩人・吉行理恵の実母の実話エッセイをモチーフに展開されたドラマ。
ヒロイン・あぐり(田中美里)の美容師にかける情熱と、それを取り巻く人間模様。ヒロインの夫・エイスケを演じた野村萬斎は強烈な存在感を示し、只者でないと思ったが、野村万作の長男と知り納得した。

90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続た話は今回の「カーネーション」にも共通する。
さらに言えば、子供達が、それぞれの才能を発揮している。
教育ママより己の仕事に打ち込む後姿が真の教育なのかもしれない。

吉行和子さんはエッセイストとしても知られている。
「どこまで演れば気がすむの 」(潮出版社、1983年11月/潮文庫、1985年)
「 気分は夕焼け色」 (潮出版社、1986年4月)
「男はみんなハムレット」 (文藝春秋、1989年6月)
「兄・淳之介と私」 (潮出版社、1995年7月)
「楽園幻想」 (堀文子画、講談社、1997年5月)
「老嬢は今日も上機嫌」 (新潮社、2008年6月)
「ひとり語り 女優というものは」 (文藝春秋、2010年5月)
これまた、ずうずうしい話だが拙著〈一つの象徴の造型〉「後藤清一」を贈呈したら、出版されたばかりの「男はみんなハムレット」を署名入りで戴いた。
NHKの連続テレビ小説『カーネーション』はコシノ三姉妹を育てた母親のものがたりも最終章に入った。
三姉妹がデザイナーとして成功し、孫も登場する年代となった、
それに伴って、女優は尾野真千子から夏木マリに交代した。
70代となっても自分のブランドを立ち上出る元気さを持ちながら、孫たちを気遣うお祖母ちゃん役を、夏木マリが渋く演じている。
1990年3月22日に水戸芸術館は美術館・コンサートホール・劇場からなる現代芸術の複合施設として開館した。
各部門は芸術監督が責任を持って運営に当たり、自前の楽団や劇団の公演を主とし、自主企画の演奏や展示をする基本方針は、22年を経過した今も守られている。地方自治体が運営する文化施設として稀有な例だ。
発足当時の演劇部門の芸術監督は「SCOT」の鈴木 忠志。
唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代に起こった演劇運動の代表的な担い手の一人。
開館記念公演は
ウリピデス原作『ディオニュソス―おさらば教の誕生―喪失の様式をめぐって1』次年度はシェイクスピア原作『マクベス―おさらば教の隆盛―喪失の様式をめぐって2』が演じられた。
その時、客演したのが吉行和子さんと夏木マリさん。
お二人は「SCOT」の団員と同様に稽古の時から水戸に滞在していた。
吉行さんは「劇団・民芸」の出身だか夏木さんは歌手としては有名であったが役者としてのキャリアはこの頃に始まる。
多くの劇団員はアパートなどに合宿の状態だったが、吉行さんと夏木さんは別格で、水戸京成ホテルに滞在されていた。
当時の水戸京成ホテルの9階は水戸市を見渡すレストランとラウンジバーが在り、水戸では一番お洒落なところだった。
たまたま、バーでお二人にお目にかかり、ずうずうしくも一緒に写真に納まって頂き、お話までしていただいた。
僕は「水戸芸術館に協力していただき有難う」感謝の言葉を述べたかった。
その後、NHK連続テレビ小説『あぐり』が1997年に放送された。
小説家・吉行淳之介、女優・吉行和子、詩人・吉行理恵の実母の実話エッセイをモチーフに展開されたドラマ。
ヒロイン・あぐり(田中美里)の美容師にかける情熱と、それを取り巻く人間模様。ヒロインの夫・エイスケを演じた野村萬斎は強烈な存在感を示し、只者でないと思ったが、野村万作の長男と知り納得した。

90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続た話は今回の「カーネーション」にも共通する。
さらに言えば、子供達が、それぞれの才能を発揮している。
教育ママより己の仕事に打ち込む後姿が真の教育なのかもしれない。

吉行和子さんはエッセイストとしても知られている。
「どこまで演れば気がすむの 」(潮出版社、1983年11月/潮文庫、1985年)
「 気分は夕焼け色」 (潮出版社、1986年4月)
「男はみんなハムレット」 (文藝春秋、1989年6月)
「兄・淳之介と私」 (潮出版社、1995年7月)
「楽園幻想」 (堀文子画、講談社、1997年5月)
「老嬢は今日も上機嫌」 (新潮社、2008年6月)
「ひとり語り 女優というものは」 (文藝春秋、2010年5月)
これまた、ずうずうしい話だが拙著〈一つの象徴の造型〉「後藤清一」を贈呈したら、出版されたばかりの「男はみんなハムレット」を署名入りで戴いた。