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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

水戸3連勝で2位浮上。

2012年03月17日 21時18分17秒 | Weblog
水戸3連勝で2位浮上。

水戸ホーリーホックはファジアーノ岡山に3―0で勝利。
開幕以来3連勝で2位に浮上。
勝点9は湘南ベルマーレと同じ。
今年は辰年で『青龍』水戸の年。

次は3月20日(火)アウェーの「北九州」に勝利して4連勝。
J1昇格も夢ではない。


「聞いてみよう! 放射線が人間の体に及ぼす影響」

2012年03月14日 14時31分43秒 | Weblog
サイエンスカフェ in ぐるんぱ
  「聞いてみよう! 放射線が人間の体に及ぼす影響」
@水戸市水府町「ぐるんぱ」3月13日(火) 10:00~12:00
Cafe&Gallery Gurunpa(ぐるんぱ) 1Fギャラリー




東日本の大災害と福島原発の事故によって、これからは放射性物質と共に生きて行かなければならない時代を迎えた。

深夜のテレビ番組ではウランを採掘してイエローケーキと呼ばれる原子炉の燃料を作っていた旧東ドイツやカナダの話が放送された。
その過程で多くの人達が影響を受け、土壌の汚染や残滓の処理など未だに出来ない状況。他国の犠牲の上でそれらを使用する国々、
或いは核廃棄物の処理上の問題。
米ソの核開発の過程で行われた膨大な核実験による放射性物質の拡散。
旧ソ連時代のチェルノブイリノ原子力発電所の爆発事故による放射性物質による汚染。
多くの疑問や問題があることを薄々知りながら、あまりにも知らな過ぎた。
知るのを避けた。
或いは、知らされなかった・知るのを避けた・知らぬふり・知ろうとしなかったのか。あまりに無知すぎた。
食生活に関しても、東北三県や茨城の農産物・魚介類の生産者や消費者は、これからはどうすればよいのだろう。


水府町のCafe&Gallery Gurunpa(ぐるんぱ)1Fギャラリーで、サイエンスカフェ水戸(代表、尾林彩乃さん)が主催する「聞いてみよう!放射線が人間の体に及ぼす影響」という集いが開かれるのを知って参加した。


講師は茨城大学理学部教授の田内広さん。
田内さんの専門は、放射線に被ばくした遺伝子の本体であるDNAに損傷したときに働く、遺伝子修復のしくみの解明で、がんの予防や治療の改良といった、医学応用も展開できる大きな可能性を秘めている分野。





会場には幼児を連れた、若い母親の姿が多かった。
影響を受けるのは、乳幼児やこれから生まれてくる子供達だから、母親の関心の高いのは当然だ。

水戸周辺の放射線量の異常に高かったのは昨年の3月15日。
それ以降は低下し、安定した状況。
測定機によって誤差が20%位は有るし、測定地にもよる。
発表されている水戸の値は低め。(測定地点の高さが地表より高い)
出回っている食料品は検査を受けているから、問題ないと思うが、放射線の影響は今後の調査待つほかない。
遺伝子が損傷しても正常に保つ機能があり、直ぐに癌を発生するには至らない。
急激に大量に被ばくすれば別だが、影響が出るまでは時間が掛かる。

原発事故による影響は誰も確実に予想は出来ない。

とにかく、自分なりに放射生物質に対する考えを決めるほかないということを感じた。



サイエンスカフェ水戸の主催する集いは今回が第4回位とのことだが、以前にどのような演題だったのか、今後の予定などは聴くことが出来なかった。

これからも、機会あるごとに参加して、少しずつ認識を深めたいと思っている。



「林住期」(りんじゅうき)@筧次郎さん出版記念の会で

2012年03月07日 22時23分12秒 | Weblog
「林住期」(りんじゅうき)@筧次郎さん出版記念の会で


花束を贈られた筧次郎さんと陽子さん。

『自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて』(新泉社)の出版記念の会で挨拶に立った筧次郎さんは
『原稿は5年前に完成していたのですが、出版を引き受けてくれる会社が見つからず、やっと新泉社に決まりました。
その後は、担当者の方と内容についての討議を重ね、やっと出版の運びになりました。
百姓生活に入って30年、歴史と経済の本を上梓出来たことに感謝の気持ちでいっぱいです。
20年目でなく40年目でも無い、30年目というところに意義を感じます。

古代インドでは人生を「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、「林住期」(りんじゅうき)、「遊行期」(ゆぎょうき)」に区切る「四住期」の思想が有ります。
先ず「学生期」文字通り学ぶ時期です。私はこの時期が長く、この宇宙が存在しているのは・その宇宙に私が存在している意義は等を考えていました。
35歳にして鋤鍬農業をこころざし、自分自身の生活を始めました。
いわば「家住期」に入りました。
以来30年、55歳となって「林住期」を迎えたと思っています。』

ここまでを聞き、〈おや〉っと思った。

最近、五木寛之のエッセイ集『元気』や『他力』などを寝る前に、頁をめくる。短い文章だが、生・老・病・死が分かりやすい言葉で説かれている。
そこにも、何度か「四住期」の話が登場する。

筧さんの出自は水戸市の信願寺だから、仏教に対する知識は身に付いているから、「林住期」の話は何らおかしくはないが、僕自身は「林住期」を過ぎ「遊行期」に入り、新たな静かな世界を目指さねば、と思いつつ、具体的な考えに及ばない日常。
更には間もなく1年となる大震災と原発事故に何をしなければ。と迷い悩む。

僕は筧さんの弟さん(現・信願寺住職)との縁で筧さんの京都時代に知り合った。
八郷で農業を始めた時『次の世代を守る会』の会員となり、農業の大切さを知った。
自分でも実践しようと思い、友人の畑を借りて日曜菜園を始めた。

『自然農法わら一本の革命』( 福岡 正信著)に影響されて、自然農法を選んだ。
5年程経って、畑が那珂川の新堤防の敷地になることになり、場所が遠すぎで現役で仕事中でやはり無理。
別な土地を借りることは出来たが、ギブアップしてしまった。
その間、作物を育てる楽しみ、収穫した本物の野菜を味わうことが出来た。
自然が相手だから、四季それぞれの風景の変化も楽しめた。
これなども、筧さんとの縁による、懐かしき想い出。

この日の会に参集された方々、筧さん一族(幡谷家の子供さん達)以外は、ほとんどが、「林住期」から「遊行期」の方々。

顔の色つや、手足の逞しさ。
農業で自立した生活をされているからこその日本人の姿をした人たちばかりであった。
「遊行期」を迎えた我は何とする。


「そば明水」@益子町益子

2012年03月02日 22時10分55秒 | Weblog
「そば明水」@益子町益子




益子では「益子参考館」を訪ねる予定。
昼食の場所は「山の食堂」を考えたが、残念ながら木曜日は定休日。
蕎麦でも、と思ったが心当たりはない。

参考館の手前の「そば明水」に。
明るく清潔感のある店内は、座敷と椅子席が在る。

だし巻き玉子と「もり蕎麦セット」を注文。

先ず、蕎麦せんべいとお茶が運ばれてきた。
蕎麦の生地を油で揚げて、甘辛に味付けされたもの。
お土産として、販売もされていて、塩味もある。



出し巻き玉子。
だしがよく効いて、玉子のうまみも生かされ美味しい。



蕎麦セットは、かき揚が付いている。
麺はコシがあり、喉越しも好い感じだ。
蕎麦汁は甘め。 

笊が小ぶりで、少なく見えたが十分な量があった。
小海老と三つ葉のかき揚は衣が薄くてサクサク。



店内に益子焼や書が飾ってある。
このお店が紹介された、新聞記事の切り抜きが。(概要を紹介すると)

女主人で、スタッフも女性だけ。
芳賀町の契約農家から仕入れた蕎麦を毎朝製粉してうっている。
二八そばのつなぎは、上州産地粉を使用。
まがい物は一切使わず、無添加で安全なお蕎麦を提供している。
使用している器はご主人の姉妹が造った作品。

なるほどと納得した。
飛び込みで入った店が、当りだと嬉しいですね。


ブラヨー写真館 @奈良・京都

2012年02月23日 23時49分06秒 | Weblog
ブラヨー写真館 @奈良・京都



10時からTV番組『ブラタモリ』を見た。
古地図を手に都内のあちこちを散歩し、過去の痕跡を発見する。
浮世絵や古地図を参考にして制作したCGを現代に重ね合わせる。
些末なことに拘るタモリならではの番組。
一般の人が入れない場所に潜入出来るのも、テレビの取材だから。

前回の放送では、徳川家康が作った物流の大動脈・小名木川を水上探索し、都会に残る「江戸の運河」のヒミツを探った。
後編は、江戸の運河がどのように東京に受け継がれたのか追跡し、江戸の水運から平成の物流がテーマ。
富岡八幡宮や深川近辺、江戸の文化が完全に現代に引き継がれている。

『ブラタモ写真館』というコーナーは、何でもないものがタモリの目を通して見れば・・・

僕も、街をぶらぶらするのが大好きで、時には写真を撮る。
撮るのを忘れることもあるし、肝心なところ写していない。


奈良・京都の旅の写真、消去する前に・・・・
タイトルはパクリだが、それほどマニックではない。






新幹線に乗る前に購入した大船軒の弁当。
鯵の押寿し・鯵と小鯛の押寿し。



二月堂のお水取り、お松明に使用する大きな竹を準備中。
今頃は、出来上がっているでしょう。



錦の市場、早くも筍。





新京極のアーケードの店頭で見かけた自転車とスーパーカブ。
真っ赤な色が素敵だ。





河原町通りの屋台。おでんとタコ焼き、そしてホルモン焼き。






イノダコーヒー本店。
旦那さん連中が自転車で乗り付け、朝のコーヒーを飲みながら世間話。
良い雰囲気です。



明暗尺八根本道場の明暗寺は虚無僧寺の本家本元。
最近、虚無僧の姿を見かけませんね。


晦庵 河道屋 本店 @中京区麩屋町通三条上ル

2012年02月16日 15時17分34秒 | Weblog
晦庵 河道屋 本店 @中京区麩屋町通三条上ル






京都の名旅館と云われる俵屋・柊屋・炭屋、がある麩屋町通り。




その通りに「晦庵 河道屋 本店」がある。







間口は狭いが、如何にも京都らしい風情。
アプローチも流石と云う感じで、老舗らしい店構え。

入ってスグにある小あがり席。
二階席もあるようだ。
更に、奥の座敷がある。

3時頃であったか?
とにかく、時間帯がずれていたから客は我々二人。



一番奥の、庭が見られる席に座る。



鴨なんばセット(鴨なんばと季節ごはん・香の物 )
関東で食べている鴨南とは異なり、塩味で、こってりながらサッパリ。



にしんそば
甘辛タレでじっくり煮込んだニシン。
会津などのニシン料理も有名で、海から遠い所の保存食として発達したのだろう。

関東の(東京や水戸)の蕎麦とは別物という感じだが、それぞれの土地の文化。
ゆったりとした時間をすごすことが出来た。

河道屋の「蕎麦ほうろ」





蕎麦屋の並びではないが、直ぐ近くに「蕎麦ほうろ」
どちらも「河道屋」同じ経営のようで、お菓子屋さんが始まりなのか?
品質・価格に「老舗」を感じました。


『はな ひと うつわ』 関美香著 コロナブックス

2012年02月01日 17時19分30秒 | Weblog
『はな ひと うつわ』 関美香著 コロナブックス 平凡社 ¥1800 
~新いけばな入門~





ニューヨークと銀座にギャラリーを運営なさっている関美香さん。
2010年10月に刊行した古美術の入門書『古くて美しいもの』の続編ともいうべき『はな ひと うつわ』が刊行された。

サブタイトルに~新いけばな入門~とあるが、『古くて美しいもの』の中に「古器と花の一期一会」という項目があり、突き詰めて行くうちに、新たなⅠ冊が誕生したようだ。

日本とアメリカを往き来するキャリアウーマだが、着物姿が似合い、お茶とお花、写経や俳句など日本的なものに造詣の深い多彩な方。
日本の良さを未来に世界に伝えたい、との念でまとめられたのだろう。

日本の花の原点は太古からの樹木信仰とし、それに連なる縄文土器、から始まり須恵器、仏器、漆から現代作家の作品まで幅の広い器を使用し、野に咲く草花が活けてある。

花と器の他に、花にまつわる人とのインタビュー。
「縄文人の自然と宗教観」考古学者・小林達雄
「軽み をめざして」 俳人・小澤實
「花を彫るということ」現代美術家・須田悦弘

関さんは華道家を{花人}と呼ぶが、川瀬敏郎・中川幸夫・岡田幸三の3人の“花と作品”についての考えが述べられている。

更に、エッセイが、
「あらありとつらなるもの」
「利休の[園城寺]に込められたもの」
「桜に象徴されるもの」
「釈迦の話に思うこと」

生け花の技術的なコラムもある。

花の本でありなが、花だけの世界に留まっていない文章。
写真も素晴らしいから、眺めているだけでも楽しい。


本橋 成一さん @ギャラリー・しえる

2011年12月23日 23時32分22秒 | Weblog
本橋 成一さん @ギャラリー・しえる





「スズキコージさんが僕の事務所にあらわれ、チェルノブイリノ写真お借りできますか?と言うことで渡したら、徹底的に切り刻まれまして。作者としては、つらい出来事でしたが、出来上っ作品を見て、良かったな、と思いました。」
と本橋 成一さんは話し始めた。

それから1時間以上、ロシアでの体験を話された。
終了後、何かいくらい訪れたのですか、とのし質問に30回以上と思います。
とのこと「初めの数回は、とても写真など写す心境になれなかった」抗がん剤で頭の毛が失われてしまった少女に対面すれば、自分がしたことではなくとも責任を感じてしまった。と体験の一端を語った。

その後の話は、感動的。
とても、僕の言葉では表現しようも無い。
戻ってからネットで検索したら、以下のような方、
世の中にはすごい人がいるものだと思った。

1963年 自由学園卒業。東京綜合写真専門学校入学。
1965年 筑豊文庫の上野英信を訪ね、その後 九州・北海道の炭鉱の人々を撮り始める。
1965年 報道写真家岡村昭彦と出会い1年半アシスタントをする。岡村の代わりに連絡係としてベトナムに赴く。
1968年 作品「炭鉱〈ヤマ〉」で、第5回太陽賞受賞。
1971年 『太陽』の仕事でユーラシア大陸を6ヶ月かけて横断する。
1972年 色川大吉『ユーラシア大陸思索行』でデンマーク、オーストリア、ギリシャ、トルコ、インドなどを撮影。
1972年 小沢昭一『諸國藝能旅鞄』(写真/本橋成一)6回連載。
1973年 フジテレビ『動物家族』のムービーカメラマンとして羽仁進と9ヶ月間東アフリカに滞在。
1974年 仲間と共同事務所JPU(ジャーナリスティック・フォトグラファー・ユニオン)を構える。
1976年 小沢昭一編集『藝能東西』の仕事で初めてサーカスを撮る。
1977年 日産自動車新聞広告の仕事で再びユーラシア大陸を3ヶ月で横断。
1980年 上野駅を撮り始める。個展『サーカスの時間』(新宿・ニコンサロン)写真集『サーカスの時間』(筑摩書房)刊行。
1983年 写真集『上野駅の幕間』(現代書館)刊行。
1985年 画家丸木位里・丸木俊のスライド集『ひろしまを見たひと』(監督・土本典昭)の作品を撮影。
1987年 独立して「ポレポレ坐」を立ち上げる。
1988年 写真集『魚河岸 ひとの町』(晶文社)刊行。
1989年 立松和平に同行して、パリ・ダカールラリーを撮影する。
1990年 『砂の水平線』共著・立松和平(平凡社)刊行。正式に事務所「ポレポレタイムス社」を設立。
1991年 チェルノブイリ原発とその被災地ベラルーシに通い始め、汚染地域で暮らす人々を撮影。
1993年 写真絵本『チェルノブイリからの風』(影書房)刊行。写真集『サーカスの詩』(影書房)刊行。
1994年 写真集『無限抱擁』(リトル・モア)刊行。
1995年 写真集『無限抱擁』で日本写真協会年度賞、写真の会賞を受賞。
1998年 写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞受賞。ドキュメンタリー映画『ナージャの村』を初監督。 ベルリン国際映画祭に出品。
2002年 二作目映画『アレクセイと泉』で52回ベルリン国際映画祭にてベルリナー新聞賞及び国際シネクラブ賞受賞。第12回サンクトペテルブルク映画祭でグランプリなど受賞多数。
2002年 雑誌の連載で開戦前のイラク国内を旅する。翌年『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹との共著)を緊急刊行。
2003年 毎日新聞にて“生命の旋律”を一年間連載し、翌年、写真集『生命の旋律の旋律~本橋成一が撮る人間の生き様集~』を刊行。
2006年 歌と三線一本で流浪の人生を送ってきた石垣島のおばあを描いた映画『ナミイと唄えば』を公開。
2007年 徳山ダムに沈んだ岐阜県徳山村に最後まで住み続けた村人たちの暮らしを15年追った映画「水になった村」を初プロデュース。
2009年 ドキュメンタリー映画『バオバブの記憶』公開。
2010年 プロデュース作品『祝の島』公開。
2010年 個展『昭和藝能東西』(銀座・ニコンサロン)写真集『昭和藝能東西』(オフィスエム)刊行









写真集
『炭鉱〈ヤマ〉』1968年(現代書館)
『サーカスの時間』1980年(筑摩書房)
『上野駅の幕間』1983年(現代書館)
『ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界』1987年(晶文社)
『魚河岸 ひとの町』1988年(晶文社)
『サーカスが来る日』1989年(リブロポート)
『老人と海』1990年(朝日新聞社)
『サーカスの詩』1993年(影書房)
『無限抱擁』1995年(リトル・モア)
『ナージャの村』1998年(平凡社)
『アレクセイと泉』2002年(小学館)
『生命(いのち)の旋律~本橋成一が撮る人間の生き様集~』2004年(毎日新聞社)
『バオバブの記憶』2009年(平凡社)
『昭和藝能東西』2010年(オフィスエム)
『屠場』2011年(平凡社)

単行本
『パリのお菓子屋さん』共著・山本益博 1980年(文化出版局)
『砂の水平線』共著・立松和平 1990年(平凡社)
『砂の旅人』共著・立松和平 1993年(駸々堂)
『ナージャ希望の村』2000年(学習研究社)
『イラクの小さな橋を渡って』共著・池澤夏樹

写真絵本
『チェルノブイリからの風』1993年(影書房)
『アレクセイと泉のはなし』2004年(アリス館)

文庫
『サーカスがやってくる』共著・西田敬一 1982年(旺文社)

映画
『ナージャの村』1997年(監督)
『アレクセイと泉』2002年(監督)
『ナミイと唄えば』2006年(監督)
『水になった村』2007年(プロデューサー)監督・大西暢夫
『バオバブの記憶』2009年(監督




セリ @西の谷

2011年12月19日 23時00分07秒 | Weblog
セリ @西の谷


春の七草の一つであるが、西の谷に沢山生えている。

似た植物で、ドクゼリというのもある。
誤食すると、嘔吐、下痢、けいれん、呼吸困難などの中毒症状を起す。

水戸市植物園に行って聞こうと思うが、何度も食べているから、たぶん大丈夫だろう。


忘己利他(もうこりた)…

2011年12月18日 17時48分29秒 | Weblog
忘己利他(もうこりた)…己を忘れて他を利する

今日で満70歳になった、有難いことである。
人生、僅か50年と云われた時代に生まれた。

瀬戸内 寂聴尼のエッセイに「忘己利他」という言葉が再三出てくる。

「もう・こりた」ではなく「もうこ・りた」である。

生きながらえた幸せを、他の人達に何が出来るか。

一生の課題であろう。



水戸、オウンゴールで惜敗 第91回 天皇杯 4回戦

2011年12月17日 22時43分37秒 | Weblog
水戸、オウンゴールで惜敗 第91回 天皇杯 4回戦
@Ksスタ 水戸


FC東京を迎えた、サッカー天皇杯全日本選手権4回戦。
J1の2チームを破っての4回戦進出。
水戸にとって画期的な出来事。
しかし、オウンゴールの1点で敗退。

震災でメーンスタジアムが損壊し、練習できない時期もあったにもかかわらず健闘した1年間であった。
大震災を転機にアマチュア契約で加入した元日本代表FW鈴木隆行の力も大きい。

入場者数は6,242人で今季最高。
来年に期待できる、充実したシーズンであった。

柱谷監督に「有り難う」の感謝をささる。



「原子力発電と安全神話」―原発PR映画を見る茨城上映会―

2011年12月15日 21時25分29秒 | Weblog
「原子力発電と安全神話」―原発PR映画を見る茨城上映会―

12月17日(土) 13:00~16:30
@茨城大学教育学部D棟 D201教室(水戸キャンパス内)




東海村に原子力研究所が開設され、商業用原子力発電所が運転を開始されて半世紀。
放射性廃棄物の処理はどうなるのか?
幾らかの疑問を感じながらも、安全神話を信じてきた。

東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故以来、原発の安全神話は大きく揺らいだ。

多くの人が、政府や東電や原子力関係者の発言・説明などに疑問を感じるようになった。
世界的にも脱原発の動きは加速している。



今回の催しは、原発推進派が制作したPR映画を上映し、戦後史の中で原発はどのように記録されてきたのか、成長神話や安全神話はどのように作られてきたのか。
推進派が何を考え、何を表現してきたかを知る事はとても重要なこと。
こういう映像のアーカイブは非常に重要な意味を持つ。

{上映・講演のスケジュール]

13:10~13:56「東海発電所の建設記録」(1966年 46分)
13:56~14:16「原子力発電所と地震」(1975年 20分)
14:16~14:53「海岸線に立つ日本の原子力発電所-鳥の見た島国のエネルギー」(1987年 27分)
15:05~15:29「いま原子力発電所は…」(1976年 24分)

講演1 15:29~15:45 「記録映画と原子力」
    村山英世氏(記録映画保存センター事務局長/元桜映画社社長)
講演2 15:45~16:00 「私たちのことばと原子力」
    橋浦洋志氏(茨城大学教育学部教授/日本近代文学)
講演3 16:00~16:15 「過去のために見る、今のために見る、未来のために見る」木村競氏(茨城大学教育学部教授/哲学・倫理学)
  質疑等 16:15~16:30


「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展 @東京国立博物館

2011年12月03日 21時41分07秒 | Weblog
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展 @東京国立博物館



歎異抄(たんにしょう) 上巻 重要文化財
蓮如筆 室町時代・15世紀 京都・西本願寺蔵


五木寛之の著書の一つに『他力』(1981年・講談社)というエッセイ集がある。帯には《困難を生きる100のヒント》。
ひとつずつは短い文章だがが、今の時代の生き方が述べられている。

表題の〈他力〉については、表紙裏に次のように書かれている。
〈他力〉と書いて、〈タリキ〉と読みます。よく〈他力本願〉などと安易に使わ
れますが、じつはこの〈他力〉は、出口なき闇の時代にキラリと光る、日本史上もっとも深い思想であり、すさまじいパワーを秘めた〈生きる力〉です。
もはや現在は個人の〈自力〉で脱出できるときではありません。法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなす〈他力〉こそ、これまでの宗教の常識を超え、私たちの乾いた心を劇的に活性化する〈魂のエネルギー〉です。この真の〈他力〉に触れたとき、人は自己と外界が一変して見えることに衝撃を受けるでしょう。


本文の「私を支えてくれた三人の言葉」には、
 法然は日本浄土教の祖とされている人ですが、私は宗派のことはあまり意識しません。むしろ親鸞がみずからの師としてすべてを賭け、慕い続けた先達として法然を受けとめています。そして、蓮如は親鸞に帰依し、その教えを乱世に生きる大衆に手渡すことに一生を賭けました。
 法然の教えの中で、私がもっとも感動するのは、
〈易行往生〉(いぎょうおうじょう)
ということです。
そして親鸞の場合は、
〈自然法爾〉(じねんほうに)
という言葉です。有名な〈悪人正機〉説よりも、はるかに深いものをかんじるのです。
そして蓮如について言えば、
〈他力本願〉(たりきほんがん)
 というところに惹きつけられるのですが、この三つの言葉は、つまるところ同じ一つのことに違った光を当てているような気がしないでもありません。どれも背後には、
 「わがはからいにあらず」
 という他力の声が響いているように思えてならないのです。

五木寛之の著作の影響もあるが、僕の尊敬する彫刻家・後藤清一さんは親鸞に帰依した方であったので、以前から法然・親鸞・蓮如について知りたいとは思っていた。

今回の展覧会、「法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌」にちなむ展覧会。
法然と親鸞ゆかりの品々を観ることにより、幾分理解が深まればと、東京国立博物館に出かけた。 



重要文化財 二河白道図(にがびゃくどうず)
鎌倉時代・13世紀 京都・光明寺蔵



重要文化財 阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)
鎌倉時代・建暦2年(1212) 浄土宗蔵

保元・平治の乱などの戦乱や地震などの天変地異が続き、政治・社会が混迷した平安時代末期から鎌倉時代は、大震災と原発事故に見舞われている今日より、なお苛酷な時代であった。

時代背景は良く認識できたが、考え方などまでは至らなかった。
取りあえずは、五木寛之の著書を読んで、自分なりに考えてみたい。
この様に思ったのも、残り少ない展覧会を観ることになった「他力」なのだろう。



栃木に負けはしましたが。

2011年11月20日 18時35分20秒 | Weblog
栃木に負けはしましたが。

11月16日(水)に開催された、天皇杯3回戦。
水戸ホーリーホックはJ1のガンバ大阪を相手に3―2で勝利した。
今日の栃木SC戦、ガンバ戦の疲れが残ったか、動きが重い。
チャンスがありながら攻めきれず、前半終了間際にPKを与え先制された。
後半は互角で決定打が出ないで惜敗。
北関東ダービーとあって、栃木のサポーターも多く観衆は4,759人。


次のホームゲームは11月27日“ガイナーレ鳥取”13:00試合開始。
この日は、「1万人チャレンジDAY」さらに「水戸市の日」
水戸市在住・在学者は無料招待。
スタンドを、埋め尽くして応援しよう。


12月17日(土)は“FC東京”と天皇杯4回戦。

J1復帰を決めた東京を、Ksスタジアムに迎える。
この試合“FC東京”の大勢のサポーターが来ると予想される。
「Ksスタジアム」始まって以来の賑わいとなるだろう。

今年の水戸ホーリーホック、最後まで目が離せません。



ようこそ“栃木SC” 13:00キックオフ@Ksスタ

2011年11月20日 12時25分15秒 | Weblog
ようこそ“栃木SC” 13:00キックオフ@Ksスタ

北関東自動車道路が開通し、栃木・群馬・茨城の北関東三県の交流が深まると思ったら、大震災でスタートからつまずいてしまった。
復旧の糸口は見えたが、道は遠い。
スポーツは心を一つにする。

今日は《栃木SC》を迎えて北関東ダービーだ。
栃木は2009年度からJ2へ昇格した。
サポーターの意識は高く、上位に連なっていたが現在は9位。

水戸は地震の影響でホームグランドが使用できず。
柱谷新監督の趣旨が選手に伝わるも、勝利に結びつかなかったが、最近は真に元気で試合を見ていて楽しい。
サポーターも元気だ、
現在17位だが、今日を含めた2試合でさらに上位を狙える。


今から応援に出かけるが、好勝負を期待したい。・
更に、栃木のサポーター大勢詰めかけ1万人の大台を突破したい。
来年は栃木を訪れ、水戸を応援しますよ。

共に手を取り合って、北関東勢がJ2の上位を占めやがてはJ1に昇格も夢ではない。