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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

ヱビスビール記念館@ 恵比寿ガーデンプレイス内

2014年09月26日 09時06分18秒 | 博物館

ヱビスビール記念館@ 恵比寿ガーデンプレイス内

 

2ヶ月ほど前に調べ事があって恵比寿に行き、面白い街と思って何度か訪ねた。

渋谷・代官山・白銀台・広尾などに隣接しながら、下町的な雰囲気を残した家や店が多い。

サッポロビール工場跡地の再開発事業として、1994年(平成6年)に開業した「恵比寿ガーデンプレイス」により大きく変貌したようだが、駅前には立ち飲み横町なども有って楽しい。

路地裏歩きをしていたら、ガーデンプレイスにたどり着いた。

 

開業して20周年を経過、混雑も無く建物や庭木も馴染んでいる。

奥まった場所に「ヱビスビール記念館」と云うのを発見。

入り口の“入場無料”の看板に引き寄せられて入ったが、地下2階、天井も高く豪華な雰囲気だ。

受付で「約40分間のガイドツアーが間もなく始まります、料金は500円ですが、2種類のビールの試飲が出来ます」とのことで、どの様なものか申し込んでみた。

待つほど5分、「ブランドコミュニケーター」と呼ばれるお嬢さんの案内で、ツアー開始された。

このミュージアムはヱビスビール生誕120年の記念日に当たる2010年2月25日に、「ヱビスビール記念館」として誕生したこと。

1889年(明治22年)に畑や山林が広がっていたこの地に醸造場が完成し、1890年に「恵比寿ビール」が発売されたこと。

 

当時のビールは今よりとてつもなく高価だったこと、瓶も現在の倍以上大きく、口金はワイの様なコルクであったこと。

 

普及の為に銀座にビヤホールを開業し、つまみがスライスした大根だったこと。

 

「恵比寿」という地名も、駅の名前も、実は、ヱビスビールからきていること。

 

 

などなど、ヱビスの歴史や秘話を目と耳から体験出来た。

 

博物館ほどではないが、多くの資料が展示されていた。

 

ツアーの締めは、中央のホールで2種類のビールの試飲。

 

テーブル中央に、小麦とホップが入った小さなケース。

小麦の焙煎の程度によって味や香り色などが異なったビールが出来るとのこと。

 

 

高度な技術を会得したバーパーソンがタップから注ぐビールはきめ細かな、クリーミーな泡。

最後の一滴までしっかりと味わうことが出来る。

 

缶ビールを美味しく飲む注ぎ方も披露してくれた。

三段階に分けて注ぐ方法で、これを知ればれば、缶ビールもかなり美味しく飲める。

 

単純ですが、一気に「エビス」のファンになりました。


博物館でボサノヴァコンサート @水戸市立博物館 展示会場

2014年03月01日 19時20分28秒 | 博物館
博物館でボサノヴァコンサート @水戸市立博物館 展示会場

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水戸市立博物館で3月9日(日)まで「天空を翔る鳥たち―千波湖畔に生きる―」と題する展覧会が開催されている。
千波湖周辺に生息する鳥類は90種類を超すらしい。
写真やはく製などで、それらの生態を知ることが出来る。

関連企画として展示会場でボサノヴァのコンサートが開催された。
観梅の時期と言う事での博物館からのプレゼント、と云うことか。
11時と14時の2回公演、14時に出席したが聴衆は約50人。

東京在住と言う演奏者は、ギター・宮野弘紀、歌とギター・伊藤ノリコ、バイオリン・金子飛鳥のユニット。
ボサノヴァ定番の「イパネマの娘」から始まり「美味しい水」まで約1時間の演奏を楽しんだ。

展示室内のコンサート開催は水戸市立博物館では初めてだったかもしれない。
開館(1980年・昭和55)から35年を経過し、展示室の照明など問題も多い。
緊縮財政の中、改修や企画展の開催など予算の都合もあるだろうが、この様な催事を通じて観覧者の増加を図ることは良いことだと思う。



「資料が語る日本の歴史 茨城のあゆみ」@茨城県立歴史館 

2014年01月21日 18時22分45秒 | 博物館
「資料が語る日本の歴史 茨城のあゆみ」@茨城県立歴史館 
平成26年1月26日(日)迄


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茨城県立歴史館は岩上知事の時代の1974年(昭和49年)に開館した。
「博物館」と「文書館」の機能を合わせ持つ複合施設で全国的にみても珍しい。
今でこそ「文書館」の重要性が認識されるようになったが、当時はなじみが薄かった。
旧茨城県立水戸農業高等学校の敷地に建設され、戦後間もなく植えられた銀杏の木が大木となり、秋の景色を彩る。
展示もさることながら、
無料で開放されている庭園の入場門から偕楽園に抜ける道は良い散歩道で、年間を通し楽しめるので散歩をかねて訪れには絶好の場所だ。

現在、二つの企画展示が行われている。

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「資料が語る日本の歴史 茨城のあゆみ」国立公文書館所蔵資料展

慶応四年に始まった鳥羽・伏見の戦いから始まった戊辰戦争、大日本帝国憲法、
明治の茨城、日露戦争、大正デモクラシー、関東大震災、戦時下の茨城、日本国憲法、農地改革、六・三制の成立、国際社会への復帰、東京オリンピックの時代、工業地域としての鹿島開発、筑波研究学園都市の建設など、幕末から、明治、大正、昭和にかけての日本の歴史と茨城のあゆみを語る資料が多数ある。

見て ふれて 楽しい考古学 
―2013茨城県教育財団調査遺跡紹介展-


茨城県教育財団が主に平成24年度に調査した9遺跡(旧石器時代~江戸時代)について,出土した資料や調査の結果から遺跡の性格,当時の生活の様子など紹介している。
まだまだ埋蔵されている文化財が多いものだ。
開発が遅れた茨城ならと云えるし、古代より自然の恵みが多い土地であった証でもある。

阿玉台竜ヶ崎

龍ヶ崎阿玉台式土器。
この縄文土器は見事しか言いようがない。
先人の美的感覚に只、脱帽だ。

祈りのかたち 刀身彫刻と刀装具@刀剣博物館

2014年01月16日 11時05分45秒 | 博物館
祈りのかたち 刀身彫刻と刀装具@刀剣博物館・渋谷区代々木4-25-10
平成26年1月7日~5月11日




美術館や博物館は僕にとってのワンダーランドで、楽しく好奇心に満ちた数時間を過ごすことが出来る。
それらの施設を巡り歩く楽しみは、展示品が重要なこことは言うまでもないが、場所や立地条件、建物や敷地など多くの要素が含まれる。



先週は、京王新線初台駅から徒歩7分ほどの住宅街の中にある刀剣博物館に行った。
日本美術刀剣保存協会が運営する日本刀専門の博物館である。
第二次世界大戦後、危うく壊滅しようとしていた日本刀を混乱から救い、これらを後世に伝えるために、昭和23年(1948)に設立された。





庭に、日本刀の原材料となる玉鋼制作の基となる「けら」が展示されている。
砂鉄と木炭を交互に装入する3昼夜の操業の後、できあがった鉄の塊である約2.5トンの「けら」は鉄製の丸木舟のようだ。



玄関には「日本美術刀剣保存協会」の設立に功績のあった2人の方の胸像。
戦後、日本刀が廃棄され外国に持ち出される状況下で、保存に力を注いだ方々によって救われた。
武器でありながら美術的な要素を兼ね備えているのは、日本の文化の特色で、更には、武士の魂として精神的な意味もある。

4階建てのビルの2階が博物館の展示室。
展示フロアは小さいが、平安時代からの刀剣・刀装具など、国宝や重要文化財に指定されている品も展示されている。

近年、外国人で日本刀に興味を持つ方も増えた。
東博などでも刀剣室で外人を見かけるが、ここでも何人かを見かけた。
東博の様な大きな部屋より、小さい部屋が身近に感じられる。

「祈りのかたち」と題する企画展が開かれていた。
刀身と刀装具に鏨で神仏が刻まれている。
神仏の加護を求め、神仏そのものの姿や梵字など象徴するもの、あるいは八幡大菩薩などの名号を刻し、とりわけ密教との関わりは強く、不動明王や倶利伽羅に素剣、護摩箸などがよく刀身に彫られた。

刀剣に対して、どうしても引き気味になってしまう。
不気味ではあるが、それゆえの美しさがある。



国宝 太刀 銘 国行(くにゆき)「来(らい)」
鎌倉時代中期、山城国来派の刀工。 長さ76.5cm 反り3.03cm
播磨国明石藩主松平家伝来


「博物館に初もうで」@東京国立博物館

2014年01月14日 23時36分04秒 | 博物館
「博物館に初もうで」@東京国立博物館
1月2日~1月26日


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(本館の正面玄関の階段の生花)

馴染の薄い言葉となったが、明日1月15日を「小正月」と言う。
元日(または元日から1月7日まで)を大正月と呼ぶのに対し、二番正月、女正月、花正月とも呼ぶようだ。

かって「元服の儀」を小正月に行っていたということに因み、1948年公布・施行の祝日法によって「成人の日」と制定された。
祝日法の改正に伴い2000年からは1月第2月曜日になった。

謂れはともかく、暮れから正月にかけて特別の事も無く過ごした。
お正月らしかったことと云えば、東京国立博物館の新春企画「博物館に初もうで」を観たこと。

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「松林図屏風」長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀

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「破墨山水図」雪舟等揚筆 雪舟自序・月翁周鏡等六僧賛 室町時代・明応4年

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「楼閣山水図屏風」池大雅筆 江戸時代・18世紀

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「葡萄図」立原杏所筆 江戸時代 水戸藩士・南画家

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2014年の干支「午」に関連した絵画、彫刻、工芸品などが紹介されていた。
その内の1件、埴輪の馬。

鉄道博物館 @埼玉県さいたま市

2011年10月20日 23時51分20秒 | 博物館
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鉄道博物館 @埼玉県さいたま市




万世橋に在った「交通博物館」。
小学生か中学の頃に何度か行った。
もう60年前の話で、詳しい記憶はないが、乗り物は最大の関心事だった。

2006年5月に閉館した「交通博物館」に替わる施設として、2007年10月14日の鉄道の日に「鉄道博物館」が開館した。
愛称は鉄博(てっぱく)。

自動車時代に逆らって、鉄道マニアが増えた。ともいわれる。
「鉄男」・「鉄女」なる言葉も聴く様になった。

昨年に引き続き2度目の訪問。
新幹線の特別室なども出来て、さらに充実した。
子供ばかり無く、大人も多い。

博物館の両側は線路となっており、新幹線や電車がひっきりなしに走っているのを見ることも出来る。





実車の展示や、転車台を動かす実演もある。
蒸気機関車が汽笛を鳴らすが、懐かしくかつ迫力のある音だ。



大型のジオラマも在る。

テレビ番組で世界各地の「列車の旅」放送されることが多い。
列車・電車やバスを乗り継いで大垣・伊勢・京都・奈良・大原・鳥取・広島・博多・国東など、ゲストハウスに泊まりながらの旅を夢見ている。


第五福竜丸展示館 @夢の島公園

2011年10月09日 00時31分02秒 | 博物館
第五福竜丸展示館 @夢の島公園




昭和29年、操業中にビキニ環礁でアメリカの水爆実験の被害をうけた、マグロ漁船第五福竜丸が展示されています。

被爆後、改造されて練習船として使われましたが廃船となり、夢の島の埋立地に棄てられていました。



多くの人々の願いが叶い、現在は、核兵器の恐ろしさを後世に伝える貴重な木造船として、資料や写真とともに展示館に展示されています。



今こそ、多くの人達に見て貰いたいと思いました。

「東大寺大仏―天平の至宝―」 @東京国立博物館 平成館

2010年10月26日 21時11分12秒 | 博物館
「東大寺大仏―天平の至宝―」 @東京国立博物館 平成館 10月8日~12月12日

毎日新聞によると、

東大寺大仏殿で明治時代に見つかった「金堂鎮壇(ちんだん)具」(国宝)のうち、「金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)」2本から、それぞれ「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」と書かれた銘文が見つかった。
同寺と元興寺文化財研究所が25日発表した。
光明皇后が夫の聖武天皇遺愛の宝刀の筆頭として正倉院に献納し、3年後の759年に正倉院から取り出して行方不明になっていた2刀とみられ、1250年ぶりの所在確認となる。
と報じられた。



【東大寺、国宝金堂鎮壇具、金銀荘大刀】「陽劔」(左)、「陰劔」(右)の銘文が見つかった金銀荘大刀=奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センター。

10月8日から東京国立博物館・平成館で「東大寺大仏―天平の至宝―」が開催されている。

東大寺は、聖武天皇と光明皇后が、夭逝した皇子の菩提を弔うため造営した山房に始まり、やがて、聖武天皇の発願により盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、国家的な仏教信仰の中心になった。
天平勝宝4年(752)には大仏開眼供養会が盛大に執(と)り行われ、インド、中国の僧が参加するなど国際色豊かな文化が生まれた。
後世の兵火により2度罹災したが、そのたびに高僧らが復興、再建に取り組み、創建時の天平文化を代表する至宝が伝わっている

今回の展示では、新たに発見された瓦が、沢山展示されている。
大仏殿ができる前の山房や法華堂付近から出土した瓦は眞に興味深かった。

大仏殿前の高さ4.5メートルを超える八角燈籠。
古代の誕生仏では日本最大として知られる誕生釈迦仏立像及び灌仏盤。
等は必見の宝。



国宝 八角燈籠 奈良時代・8世紀 奈良・東大寺蔵



法華堂付近出土 三彩軒丸瓦
奈良時代・8世紀 奈良・東大寺蔵



国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤
奈良時代・8世紀 奈良・東大寺蔵

奈良市の奈良国立博物館では10月23日「第62回正倉院展」が開幕した。
11月11日までの開催。
秋の大和路の旅を楽しみたいが、残念なことに、今回は見送り。


立原杏所とその師友展  10月9日~11月23日

2010年10月11日 20時51分52秒 | 博物館
立原杏所とその師友展  10月9日~11月23日
                   @茨城県立歴史館


今日、10月11日は体育の日、雲ひとつない晴天に恵まれた。
昭和39年(1964年)東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を、1966年(昭和41年)から国民の祝日としたことによる。2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となった。
各地で運動会が開催されたようだ。

すがすがしい天候に誘われ、「立原杏所とその師友展」を観ようと歴史館を訪ねた。



歴史館の広い庭園は、四季折々に変化する。
庭園のみは無料となっているから、散歩のコースとしては最適。
これからは、銀杏の黄葉が見事だが、少し時期が早い。



秋の特別展は「立原杏所とその師友」と題されてている。
水戸藩士の立原杏所(1785~1840)作品を中心に、彼と関わりをもった師友の作品や史資料を交えて,水戸と関東の南画の世界を紹介している。
ところで、南画(なんが)とは?
簡単にいえば、中国の南宗画に由来する 日本独特の用語で、文人画ともいう。

展示は3部構成で。
第1部 翠軒、十江そして杏所へ
第2部 謹厳なる文人杏所の世界
第3部 文晁と門下四哲とその交流



父・立原翠軒の「墨竹図」、六地蔵寺に寄進した「七弦琴」。
最初の師・林十江の「烏天狗図」「松下吹笛図」。



「富嶽全図巻」  小泉斐(あやる)紙本墨画淡彩 一巻 



立原杏所の「葡萄図」



佐藤一斎(いっさい)像 渡辺華山

通常では眼にすることが出来ない資料や絵画を観ることができたのは嬉しい。



特別展とあって、展示方法や館内装飾など歴史館職員の創意工夫の気持ちが伝わった。
失礼かもしれないが「歴史館もやれば出来るじゃない!」と感激。
今後も、この姿勢を貫いて欲しい。

「ひめゆり・平和への祈り」展  9月19日~10月24日

2010年09月25日 14時49分20秒 | 博物館


「ひめゆり・平和への祈り」展  9月19日~10月24日
@水戸市立博物館 3階・4階 水戸市大町3-3-20 






「ひめゆり 平和への祈り」展が水戸市立博物館で開催されている。
戦後65年、太平洋戦争を体験した人たちは少なくなり記憶も薄れている。
沖縄の基地問題は、いまだに解決されていない。

1945年、沖縄では軍民混在の地上戦がくりひろげられた。
本土防衛の防波堤として20万人以上の沖縄の人たちが犠牲になった。





沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒240人はその過酷な戦場に学業半ばで動員され、沖縄陸軍病院の壕で負傷兵の看護に当たった。
彼女達は、戦後ひめゆり学徒隊と呼ばれた。







半数以上が亡くなったが、生存者の年齢は80歳を越えた。

生存者の思いを伝え、平和への祈りを込めて「ひめゆり」からのメッセージとして今回の展覧会が企画された。





3階の会場には“水戸の空襲や、戦時下の水戸の女学生など”に関する展示がなされている。

あまりのも平和ボケした現在の日本。
特に、沖縄の人たちに対する認識は少ない。

多くの犠牲の上に今の平和があることを再確認することが出来た。
10月24日まで開催されている。
戦争を知らない人たちに足を運んで欲しい展覧会だ。

「戦国大名 真壁氏の盛衰」展 @茨城県立歴史館

2010年07月16日 00時04分11秒 | 博物館
「戦国大名 真壁氏の盛衰」展 @茨城県立歴史館
7月13日 ~ 8月15日


秋田のうどん製造所「眞壁屋」を検索したら、佐竹氏の秋田移封に従って移り住んだ真壁氏の末裔で、常陸(茨城)に縁のある家系とあり、そのようにブログに載せた。
記事を読んだエビネンコさんから「茨城県立歴史館で真壁氏の展覧会が開催されてます」とのコメントが寄せられた。

歴史館の開館は10時だが、9時30分には着いた。
庭園は7時から入場できる。
先ずは、蓮池の「大賀蓮」を見ることにした。





蓮は咲き始めたばかり。
池面の全部を埋め尽くすより、ちらほらと咲いているほうが風情がある。

展示は、中世の真壁地方(現・桜川市)に勢力を誇った真壁氏。
佐竹氏の家臣となって秋田に移った。
その歴史を古文書や肖像画などを通して紹介している。

関東地方において、中世の古文書が残ることは稀だが、真壁氏の一族の長岡古宇田氏は35点の古文書を伝えてきた。
中世の武士にとって、正しく命である土地の権利書。
現代人には想像できない、重要な意味があったのだ。

真壁氏は佐竹氏の家臣となり、近世は秋田藩士となった。
その子孫達は、先祖のことを調べ、そして後世に伝えた。



紙本著色 伝 真壁道無像(部分)18世紀



絹本著色 伝 真壁充幹(みつもと)(1644~1699)。 18世紀 

「親鸞-茨城滞在20年の軌跡-」@茨城県立歴史館

2010年03月02日 23時54分47秒 | 博物館
「親鸞-茨城滞在20年の軌跡-」@茨城県立歴史館 2月6日~3月22日

鎌倉時代は新しい仏教が興隆した。
同じように、大正時代も仏教が多くの人達の心を捉えた時代であった。
浄土真宗の開祖の親鸞に帰依した人は多い。

僕の尊敬する、後藤清一さんもその一人だ。
親鸞の展覧会が茨城県立歴史館で開催されている。
歴史館が開館したのは岩上二郎さんの頃だから30年以上かもしれない。


親鸞はその生涯のうち20年を茨城で過ごした。


茨城における親鸞の軌跡をたどり、滞在20年の意義を探る展覧会。

主な展示としては



親鸞聖人直筆国宝「坂東本教行信証」(真宗大谷派(東本願寺)=国宝
唯一現存する親鸞直筆の顕浄土真実教行証文類。


長きにわたって,坂東報恩寺とも称された報恩寺(常総市豊岡町丙,東京都台東区東上野の2か所に所在)に所蔵されてきたことにより,坂東本教行信証とも呼ばれている。 

400年ぶりに茨城へ里帰り!

その他に、重要文化財が展示されている。
聖徳太子像(善重寺),善性本親鸞聖人消息集(専修寺),拾遺古徳伝絵(無量寿寺),聖徳太子絵伝(上宮寺),聖徳太子絵伝(妙安寺)、恵信尼像(稲田西念寺),聖徳太子像(永泉寺・無量寺),親鸞聖人像(願入寺),西念上人像(辺田西念寺),覚信尼像(常敬寺),善光寺式阿弥陀如来像(信願寺),唯善上人像(常敬寺)など多数。



写真の写りは良くないが、善重寺の聖徳太子像は今回の白眉。

寺伝では親鸞も礼拝したといわれる。
木造の本体に布貼りを漆塗りを施し,さらに漆の盛り上げで文様を作り,そこに彩色を施している。極めて高い技術であり,作者は朝円という京都の仏師もある。

もとは,大山村(城里町阿波山)の浄土宗・慈願寺にあり,慈願寺の廃寺にともない,徳川光圀によって,父頼房以来,信頼を寄せる善重寺に託さた。
聖徳太子像のなかで,全国的にみても最も秀作であろう。
と言われる。

「幕末日本と徳川斉昭」展

2008年11月13日 21時38分17秒 | 博物館
茨城県立歴史館の銀杏並木

久し振りの快晴で、一日中一片の雲もない秋空が夕暮れ時まで続いた。
澄み渡った空に陽が沈む空の色の変化は、神秘的な美しさであった。
陽が沈む前後の空は見飽きる事がない。
今日(11月13日)は茨城県民の日。
県立の博物館や美術館、植物園等の入場料が無料または割り引き料金で入場できる。
僕は歴史館の「幕末日本と徳川斉昭」展を観に行った。
展覧会よりも歴史館の庭の銀杏並木を見に行った、ともいえるが。

旧県庁舎前の銀杏がまっ黄色に変わる景色が大好きだったが、堀の土手改修の際かなり切り詰めたので、暫くの間は幻の風景となった。
今は、美術館前の銀杏並木と、歴史館だ。

沢山の銀杏の実が落ちていて、踏まないように歩くのは難しいほどだ。
拾い集めている人も沢山いる。新物の銀杏の色と香りと味は何より季節を感じる。炬燵に入って、炒った銀杏の殻を外しながら食べるのは季節の定期便。
以前は拾い集めて土に埋め、掘り出して水にさらして作ったが、最近は買ったものですましている。

徳川斉昭展は,斉昭を中心とした水戸藩がの歴史の転換期に果たした状況を展示している。
水戸学といわれる思想が、明治・大正・昭和の皇国史観に影響を与え、太平洋戦争にまで到ったと思う。
当時の情況の下で選択は多難であったろうから、現在の眼で見てどう、とは言えないし、良く分からない。
展示品の古地図や絵図は現在の町並みから想像できるのは興味深かった。

「追い鳥狩」が軍事訓練であった状況や、石川島での軍艦の建造、反射炉の建造と西の谷の神崎での大砲の鋳造などから、幕末当時の日本が外国からの侵略を“何とか防がなければ”と必死であった事が推測される。
戦後60年以上を経過し、アメリカ発の最大の不況を迎えようとしている現在だが、当時に比べたら、マダマダ楽な状況といえるだろう。



『山岡鉄州―全生庵所蔵資料から―展』

2008年09月21日 20時09分40秒 | 博物館
歴史館の銀杏の実も色づき始めた。

暑さ寒さも、彼岸まで。とよく言われる。9月21日から秋の彼岸に入った。
秋分(9月23日)の日を中日とし、その前後3日間 ずつをあわせた各7日間を「秋の彼岸」という。
春分・秋分とは、太陽が春分点・秋分点に達したときで、昼と夜の長さが等しくなる。
お彼岸は、このような季節の変わり目におこなわれた、様々な祭りの中から、育ってきた日本独自の仏教的な行事だ。

春から夏にかけての季節を好む人が多いだろうが、僕は秋に心を寄せる。
少しばかり気取って、『秋衣』(しゅうい)という俳号を使用した事もある。
俳句は出来ずとも、先ずは形からと、勘違いしていた。
もう少し、俳句をたしなむ様になったら、再使用するつもりだ。

茨城県立歴史館『山岡鉄州―全生庵所蔵資料から―』展

墓参を済ませ、茨城県立歴史館に行った。銀杏の葉ががそろそろ黄色くなり、銀杏の実を付けている。今年で、開館35年とのことだ。岩上県知事の時代,水戸農業高等学校の跡地に、公文書館の機能を持った独特の博物館として開館した。
幾多の企画展は、レベルの高い内容で、眼の保養と頭の体操になった。
県の財政が緊迫するに従い、目玉となる企画展示が少なくなった。
残念なことだ。しかし、何年か前から庭園は無料で開放されたので、庭木を眺め長柄の散策に何度も訪れる。特に蓮の花と、銀杏の黄葉の時期が良い。

初代の茨城県知事で東京谷中の全生庵(臨済宗・明治16年創建)建立者の山岡鉄州に関連する資料の展覧会。
明治維新の動乱期、西郷隆盛との会見により江戸城無血開城に大きく貢献した。更に、明治天皇の側近を務めた。剣・禅・書の分野でも才能を発揮し、何れも達人と称せられた。
維新の動乱で亡くなった人々を弔うため、全生庵を創建した。
今回は全生庵所蔵の資料が展示されている。西郷隆盛、勝海舟、高橋泥舟、清水次郎長、落語家の三遊亭円朝など親交を重ねた人達の書など、興味深い資料が展示されていた。