CDこの一枚 (附、AVの一枚)
コンパクトディスクの時代となってからも、数多くの名演奏、名録音が生まれている。良い演奏だなあと思うディスクが沢山出てきた。一般的に安定した良い音で聴けるのが嬉しいことである。
毎月クラシック音楽だけでも、数十枚にものぼる沢山の新しいCDが発売されていて、とても全部を聴くことは出来ないし、注目すべきCDと言われているものでさえ、そのごく一部を聴くことが出来るだけであるが、そんな中からも、聴いて良かったと思い、繰り返し聴いてみる心に残る演奏も幾つかあった。
そんなCDの中から、これこそと思う何枚かをあげてみよう。全て新しい録音のものとし、LP時代に録音されていて再発売されたものは除いた。この中で内田光子演奏のモーツァルト、ニ短調ピアノ協奏曲と、小沢征爾指揮のメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」については既に述べた。何故か二曲とも日本人の演奏となった。日本人も世界の中で活躍出来るようになった証しであろう。
1、ヘンデル:合奏協奏曲集 ピノック指揮、イングリッシュ・コンサート
CDの出始めの頃、CDはまだ良くないなあと思いながら聴いていて、それでも何枚か買って聴いている内に、これなら良いなあと感じたのがこの演奏である。古楽器の音の美しさも厳しさも充分に出ていて、さっそうとしたヘンデルの音楽が聴ける。濁りの無い音で、細かい所まで聞こえるのはデジタルの良さであろう。古楽器演奏の良さを感じた始めてのレコードであった。
古楽器の演奏では、他にバッハの曲もなかなか良いと思う。同じピノック指揮の何曲か、またホグウッド指揮の何曲かがある。これに味をしめて、ハイドンの交響曲も古楽器の演奏で何曲か買ってみたが、残念ながらこの方はそれ程良いとは思えなかった。何故だろう。モーツァルトの後期の交響曲でも同じことを感じたので、現代の楽器に慣れ過ぎているせいだろうかと思う。
2、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番~3番 クレーメル(ヴァイオリン) アルゲリッチ(ピアノ)
大好きなアルゲリッチとクレーメルの演奏だからというので、確かめもしないで買ったCDだが、第1番のソナタが聞こえ始めるやいなや、その素晴らしさに驚いた。今までのベートーヴェンの初期の曲の演奏からは聴いたことの無い緊張感に溢れた音楽が聞こえてきた。こんなに充実した良い曲だったのかと、認識を新たにさせる素敵な演奏であると思う。
クレーメルの弾いたヴァイオリン・ソナタでは、もう一組ブラームスとブゾーニのソナタが印象に残っている。Sさんのお宅で聴いたこの曲は、スピーカーの間に、あたかも二人の演奏者がいるかのように音の像が浮かび上がって聞こえてきてびっくりした。演奏も良いが音の良さにもひかれたCDである。
3、バッハ:無伴奏チェロソナタ マイスキー(チェロ)
何時だったか、mさんのお宅で聴かせて頂いた時に、何と美しい音色だろう、何と豊かな感じの演奏だろうと感心して、急いで買って来たのがこのCD。
自分の家で聴いても、やはりゆったりと歌わせた美しい音色で、厳しいと思っていたバッハの音楽もこんなに美しく楽しかったのかと感じる。聴く人の心を和ませてくれる良い演奏だと思う。
4、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K331
ピリス(ピアノ)
モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調は「トルコ行進曲つき」として有名な曲である。この親しみやすく有名な曲のレコードが、私のところには少ししかない。有名な曲のレコードは最初に一枚買えば、もう良いと思ってしまうためらしい。
だからこの曲のレコードも、昔のギーゼキングの弾いた全集の中の一枚と、若い頃のエッシェンバッハの一枚である。ギーゼキングの演奏はそっけない感じがして、当時評価の高かった程の感銘は受けなかった。エッシェンバッハのレコードはかなり好ましいと思っている。
その後も主なピアニストは殆どがこの曲を録音しているが、何時でも何処でも聴けるという気がしてレコードを買おうという気分にならなかった。ピアノ・ソナタを殆ど揃えた、内田光子の演奏でも、何故かこの曲だけは抜けている。
極く最近、レコード雑誌の評でピリスの演奏を非常に褒めてあるのを読んだ。十年以上前にピリスはデンオンにPCM録音で全曲を録音している。その時の演奏は実に真面目にきっちりと、しかもきれいなタッチで美しく、私には好ましく思えていた。彼女はその後一時病気をして演奏活動から遠ざかっていたが、再びドイツ・グラモフォンに録音を再開したという。モーツァルト・イアーの連続録音であるという。
どんな演奏に変わったのか、他の人の演奏が聴けなくなるかもしれないとまで、批評家が褒めた演奏がどんななのか、私も聴いてみたくて、久し振りに、このモーツァルトのトルコ行進曲つきのソナタを買ってみた。
CDをセットし恐る恐るスイッチをオンにする。どんな音で始まるか、神経を集中して聴くのは久し振りの事である。
最初の音が聞え、次の音が聞え、次第に曲の形が現れてくると、自然に聴き入っている自分であった。一つの音のタッチの微妙なニュアンス、音の立ち上がりから消えるまでが、なるほどなあと頷ける。次の音との間が又実に良い。一つ一つの音の強弱も又しかり。なるほどこの音は、ここではこの位の弱さが心にしみてくるのだなと感じさせる。私には音楽が自然に流れていると感じられた。
第一楽章と第二楽章には美しさを、第三楽章のトルコ行進曲には聞き慣れた以上の新しい良さを感じさせてくれる素晴らしい演奏である。
5、マーラー:交響曲第2番 小沢征爾指揮 ボストン交響楽団
私がマーラーの交響曲を聴きだしたのは比較的最近になってからの事である。マーラーブームに乗り遅れないようにやっと間に合ったかという位である。LPレコードを聴いている間は、マーラーの交響曲のどれを聴いても同じ様に聞こえて閉口したものだったが、聴きなじむに従って、旋律の美しさもハーモニイの美しさも感じるようになり、曲それぞれの良さや違いが分かるようになって来た。ちょうどこの頃CDの時代となって、数多くの録音が行われるようになった。インバル指揮のCDが録音も良く、演奏も良いというので聴いてみたが、一瞬一瞬の音の良さ美しさは感じられるものの、全体としての流れやまとまりに今一つしっくりしない所を感じていた。
そんな時に聴いたのが小沢征爾の指揮した第二交響曲である。冷たさの無い、暖かい、情熱も感じられる、しかも美しい演奏である。所々に小沢だなと思わせる間やアクセントが興味をそそる。
小沢について言えば、大学時代の同級に熱心な小沢のファンがいて、彼に言わせると、小沢の良さは実演にあってレコードには入りきれないと言う。そのとうりであろう。私も実演を聴いてから、始めてなるほど良い指揮者だと認識を新たにしたものだ。熱烈な指揮をした小沢も、だんだんと円熟の域に達しつつあるように思える。
第2交響曲については、ステレオの初期、ハイティンク指揮の演奏が良いと思って聴いていたが、当時のハイティンクはあまり評価が高くなかった。しかし次第に彼の評価は高まって、今や誰もが認める大指揮者の一人となった。早くから認めていた自分にとって嬉しくもあり自信にもなった思い出の曲でもある。
6、リヒアルト・シュトラウス:「ばらの騎士」
カラヤン指揮 ウィーン・フィル シュワルツコップ(ソプラノ) (ビデオ) カラヤン指揮 ウィーン・フィル トモワ・シントウ(ソプラノ) (CD)
最後にビデオ・ディスクからも一枚。
世の中はCDから更に映像の時代へと進んでいる。音楽の世界でも最近になって、多くのビデオ・テープやビデオ・ディスクが発売されるようになった。亡きカラヤンやバーンスタインの指揮ぶりを見れるのは嬉しい事であるし、いろいろなオペラは音だけでは分からなかった、動きや舞台を目のあたりに出来て、より面白く楽しめるようになって来ている。音楽はもともと演奏会場で実演を聴くべきものであり、そこでは視覚も重要で演奏を見るべきものだという意見もある。只映像そのものにこだわると、ある音楽のある音の鳴る時に、あるシーンが同じ様に現れることになれば、そこでイメージが固定されかねない。音楽はもっと自由で、想像の世界へ遊びたいと思う私はAVはあまり好きではない。ウィーン国立歌劇場の総監督だった指揮者ロリン・マゼールが言っている。「音楽というのは、リスナーが聴いて自分の頭で想像出来る、その未完成なところが素晴らしいと思います。…ヴィジュアルがあることで、逆にその段階にとどまってしまう危険性がある。目を閉じて聴いていれば、もっと様々に、もっと深いところまで聴けるかもしれない。」と。私はマゼールが大好きというわけではないが、この言葉には同感である。
もっともオペラを観賞するためには、ビデオが非常に良い手段であることは言うを待たない。
ビデオの中で思い出すのが、初め映画として公開され、幻の名画として音楽ファンの間で有名であった、リヒアルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」である。ソプラノの名花シュワルツコップが主役を歌い、若きカラヤンが指揮をしている。まだ学生の頃、東京・銀座のヤマハ・ホールで時々ロードショウの形で公開されていた。なかなか見る機会が無かったが、ビデオで発売されたので早速購入して見てみた。
このオペラは十八世紀ウィーンの宮廷を舞台にしたものだから、頽廃的な美しさに満ちている。序曲が終わって幕が開くと、侯爵夫人の寝室が舞台になっていて、今を盛りの美しい侯爵夫人が若い貴族の恋人を前にして、これから盛りを過ぎていく自分の将来を思って歌う。高貴な侯爵夫人の感じをシュワルツコップは実に見事に演じている。終幕に近く、別れた恋人を見送る侯爵夫人の後姿の、毅然とした中にも寂しさをたたえた画面は印象に深い。このビデオは何しろ随分以前に映画として撮影したものだから、音は良くない。そこで同じカラヤンの新録音のCDを聴く。円熟したカラヤンは美しさを追及して、一音一音美しく美しく演奏している。
1991年9月。