![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/0b/c03b61ba1c50425c9ac0ce5cf348de88.png)
( この写真は、私のカミさんの実家の玄関先で撮影たしものです。 チェンマイ市街から遠く離れた古い家
で、隣の家の鶏小屋が毎朝うるさいド田舎です。 来年には、この古い家を建て替えて、ここで暮らす予
定です・・・・・《 2017年、10月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その13 最終回( 前編 )
《 漫画家アシスタントが・・・・段ボール紛失に泣く・・・・!? 》
J先生( ※参照 )のアシスタントを辞めてから3ヵ月があっという間に過ぎてしまいました。
仕事を辞める経緯については、いろいろとノートにメモしてきたのですが・・・・・・・・・・そのノ
ートを船便でタイ( ※参照 )へ送ったためにすっかりブログの更新が遅くなっていたわけで
すが・・・・・・・・・・
いよいよ、そのノートを基にしてリアルな最後の瞬間をブログに・・・・・・・・・・と思ったら・・・・
・・・・・・
なんと、その船便で送った段ボールが紛失!
待てど暮らせど・・・・・・・ついに届かず!
まさかの事態に呆然としているわけですが・・・・・・・・・・この段ボールは、最後に送った段ボ
ールの一つだったので、かなり貴重なメモやノート類・・・・・これが、そっくり紛失してしま
ったので泣くに泣けない状況に立ちいたってしまいました・・・・・・・・・・
漫画シナリオ( 100編以上 )の紛失にもガッカリですが・・・・・・・・アシスタント時代の最後
のメモがなくなったのは痛かったです・・・・・・・・・・・・
この最後の、アシスタント退職までの幾日かの出来事・・・・・・・・それを、しっかりメモして
おいた事で、逆にすっかり油断しきっている間( 3か月間! )に、その記憶は・・・・・・・・・・
・・・・頭の中から真っ白に消えてしまっているのです!
無残・・・・・・・・・・!
そりゃね~~だろォ~~っ!!
でも・・・・・・・・・・
ま・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ま・・・・・・人生こんなもんか・・・・・・・・・・!( 意外と諦めが早い )
これが、このブログの最終回なのか・・・・・・・・・・
仕方がないので・・・・・・・・・・・・
おわり
・・・・・・・・・・・・です。
・・・・・・・・・・ってなわけにもいかないのであり・・・・・・・・・・
なんとか、印象に残っている部分だけでも書いておこうかと・・・・・・・・・・
それにしても、綺麗なほど記憶がなくなっているので・・・・・・・・・・
かなりイ~加減に書かざる得ない・・・・・・・・・・かも知れず・・・・・・・・・・
申し訳ありませんが・・・・・・・・・・
どうか、その辺のところはご容赦( ご同情 )のほど・・・・・・・・・・!
拙ブログ「 その12 」は、J先生に退職願いを申し出るところで終わっています・・・・・・・・
早速、その続きから書き始めたいと思います・・・・・・・・
J先生に声をかける時には、かなり緊張する( 非常に嫌な緊張感です )・・・・・・・・
40年間も一緒に仕事をしているのに、まるで初めて会う人の様に緊張する・・・・・・・・
この事を、人に分かってもらうのは難しい・・・・・・・・何故なら、普通なら毎日接している様な
人と、会うたびに初めて会うような緊張を感じるなんて奇妙な話だからです。
勤続39年間で、「 普通に 」接した事も、接して貰った事も、ただの一度もない「 貴重な体
験 」も・・・・・・・・いよいよ終わりが近づいています。
2017年6月の初旬・・・・・・・・
私は、仕事の終わりの時間にJ先生の背後から声をかける・・・・・・・・
「 センセ・・・・・・・・ 」
「 うィ・・・・・ 」
私は、自分に鞭でも入れる様な気持ちで・・・・・・・・
「 あの・・・・・・・・長くお世話になりましたが・・・・・・・・今月いっぱいで・・・・・・・・ 」
「 ・・・・・・・・ 」( 『 来たな 』・・・・という感じがJ先生の背中ににじむ )
「 仕事を辞めてタイで隠居したいなぁ・・・・・・と・・・・・・・ 」( 後半の声は消える様に・・・・ )
J先生は即座に・・・・・・
「 うィ、それもイ~んじゃねィ~か 」
とても静かに・・・・・・・・
『 ここの店は、ギョーザも美味いな・・・・・ 』
みたいな感じで何気なく応えていただきました。
私が辞める事は、以前から仕事場の先輩にも話していたし、今年の年賀状の挨拶文にも
「 楽隠居したい 」と書いていましたので、先生は薄々察してくれていたのだと思います。
「 長い間、本当に、いろいろとお世話になり・・・・・・ありがとうございました 」
「 ・・・・・・うィ・・・・・・・・ 」
ま・・・・・・・・
こんなもんです。
6月は、まだ仕事が一本残っているので、その作品が最後の仕事になるわけです。
少し、時間があるので後任のアシスタントや仕事場の管理上( 用具購入や掃除など )の引
継ぎなど、若干の問題を軽く処理・・・・・・・・
時間はあっという間に過ぎていきます・・・・・・・・
実は、私が辞める事をJ先生に告げる1ヵ月ほど前に、アシスタントの先輩であるMさん( 62
歳 )( ※参照 )が脳溢血で倒れるという事件がありました。
公営ギャンブルで遊んだ帰り道に具合が悪くなり、自宅に帰り着いた時には意識を失う寸前
だったのです。( 出血の場所が1㎝ズレていたら植物状態になっていたそうです )
息子さんが救急車を呼び、幸いにも軽い症状で済んだため、2週間の入院と1週間ほどの休養
で仕事に復帰する事が出来ました。( 一時は皆、復帰は無理かもと考えていました )
休養後に仕事場へ復帰した時には、まったくいつものMさんでした。
私は、数日、ガリガリと作画作業に向かうMさんの姿を見て、安心して退職願いを申し出る
事が出来たわけです。
脳溢血で倒れる前のMさんは・・・・・・・・
「 わしャ~の~、酒もタバコも絶対にやめんケ~の~! 」( 酒もタバコも健康の秘訣だ
と言わんばかりに )( 43年間の東京暮らしも関係なくベッタベタの広島弁! )
・・・・・・・と、大きなお腹をゆすってタバコをブカブカふかしていたものですが・・・・・・・・
脳溢血で倒れた後は、人が変わった様におとなしくなって、酒もタバコも完全に絶ってしま
いました。
Mさんが入院していた数週間の間は、助っ人のアシスタントを編集部で準備してもらって急
場をしのぎましたが・・・・・・・・今度は、私が辞めるのでMさんが若い臨時のアシスタントたち
と共に頑張る事になったわけです。
さて・・・・・・・・・
44年間連載が続いたJ先生のライフワークである「 H雲 」についてですが・・・・・・・・・・
私がJ先生に退職願い申し出てから少しして・・・・・・・・・・
担当編集員氏から連載の終了が近いかもしれないとの話を聞きました・・・・・・・・・・・・・
「 9 月に『 H雲 』( ※参照 )が終わる事になりそうです・・・・・・うちとしては続けて欲し
いんですが・・・・・・・・ 」
まさか、私の退職がJ先生の連載終了の契機になったわけではないと思うのですが・・・・・・・・
この事は、どうも、先生は随分と前から考えていた様です・・・・・・・・
「 H雲 」の連載が44年、私のJプロでの勤続年数が39年・・・・・・・・
長い様な・・・・・・短い様な・・・・・・・・
過ぎてしまえば・・・・・・・・
あっという間・・・・・・・・
いや、ホントに!
「 漫画家アシスタント もう終わりで章 最終回(中編) 」 へつづく・・・・
( 不定期連載、目標は、毎月2回アップだが・・・・実際は月1回でもムリムリ状態 )
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 閑話休題」へ戻る 】
【 ※参照 】
・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
という逸話もある。現在は1誌に連載中。2017年現在、74歳。
・タイ・・・・・・・・30年前から老後は、タイへ移住しようと考えていました。日本で安い年金
で暮らすのは、生活保護を受けて暮らすより過酷だからです。タイが天国だというわけ
では決してありません。
・Mさん・・・・・・・・広島出身の漫画家アシスタント、Jプロでの勤続は私より1年ほど長い。
拙ブログ本編でも以前に登場していただいた。個性的で気取らない性格で人から好か
れるため、金はないが友人は沢山いる。
・H雲・・・・・・・・1973年に「ビッグコミックオリジナル」に連載が開始かれてから44年、2017
年9月、ついに完結して連載終了。斬新で特異なキャラクターで数回テレビドラマ化さ
れた、この作品が好きで私はJ先生のアシスタントになりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化!
詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
(ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん
★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
>適当放送さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おいどん」先生のお知らせ、ありがとうございました。
私が漫画背景を教えていた宝塚大学(新宿キャンパス)で教授を務め
ていたのですが・・・・・・(お会いした事はほとんどないのですが)
学生からも、その穏やかで優しい人柄、そして、楽しい話術に人気が
あった先生です。
まだまだ、元気でいてくれると良いのですが・・・・・・・・
>しろちゃん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パタヤの情報、ありがとうございました。
パタヤだのバンコクは、男が遊ぶところがいっぱいあって楽しいと
思いますが・・・・・・・
結婚して歳をとると・・・・・・・・・・なんかソワソワしてきちゃいますよね。
若くて、おこずかいが少しあれば・・・・・・・・・・ウハウハなんですが・・・・
・・・・・・
>うぼでさんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>ウルフ大佐の父親が憑依して現れる場面・・・・・・
私は、ほとんど記憶していないのですが・・・・・・・・・
あの強烈なキャラクターは印象深いですよね。
今、こちらで「ウォーキングデッド・シーズン7」を見ているのですが・・・
・・・・・主人公たちを苦しめるボス役が、このウルフ大佐にそっくりな演技
をしています。
ファシズムとか狂王とかの代名詞みたいなキャラクターって、どこか似
ていますね。
masaさん、親切なコメントをどうもありがとうございました。
いじけた事書いてないで、ブログ更新しますです・・・・はい。
ブログブロックのお知らせ、ありがとうございました。
さっそく・・・・・・・・・アップします!
ちなみに、タイ移住のブログが始まったら・・・・・・・・・・いろいろと
画像をアップしてみたいと思っています。
でも・・・・・・・・・・読む人いるのかなぁ・・・・・・・・・・
一度に30枚ぐらいの画像アップもできます。
タイのガソリン代についてですが、普通のガソリンなら1ℓで26バ
ーツ(日本円で88円)です。(今、日本円が安いので海外生活者
にはキビシイ!)
ガソリンは、日本よりも3割位安いかも知れませんが、タイ人はい
つも「ガソリン代が高い」とこぼしています。
もっとも、タイのサラリーマンの手取り月給は5~6万円ですから、
ガソリン代は大きいかも知れません。
>冬の気温は何度ぐらいでしょうか
タイでは、日本の様な冬はありません。12月~2月までは乾季で少
し涼しくなります。この時期が気温が一番低くなるので、日本の
秋の様な雰囲気です。
ですから、今は、朝とか夜は長袖のシャツが欲しくなります。来
月になると、バイクに乗る人は革ジャンやダウンジャケットを来て
乗っている人も出てきます。(朝は18度位で昼間は26度以上、湿
度は低いので快適です)
それでも、タイ中部のバンコクはこの時期でも結構暑いです。タ
イ北部では、上記の様に涼しいのですが・・・・・・・・南部(ハジャイや
プーケット)では、さらに温度は高めになります。
タイも日本列島とよく似ていて縦長な国土なので、北から南まで気
候が結構違います。
> たとえば近くのスーパーマーケットや・・・・小売店どの写真を
>写真UPしていただけると・・・・
次回の本編は、最終回ですので仕事場の写真を使用するつもりです。
ただ、それ以降は、タイ移住の話が主になるので、現地の画像をた
くさん掲載するつもりでおります。
また、冬の気温は何度ぐらいでしょうか。
東京は昼間10度、夜2度ぐらいです。
次の更新【12/21が限度】では、近所の写真ーーたとえば近くのスーパーマーケットや小売店、またはガススタンド、やる気のない大工さんなどの写真を写真UPしていただけるとうれしいです。
>遅れてきた男さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>毎日3回血糖値を測定しているのですが・・・・・
うちの師匠も軽度の糖尿病で通院していたようですが・・・・・・・・ガブガ
ブ酒を飲み、タバコもバカスカ吸っていました。
退職してから早くも半年が経とうとしていますので、その後どうしい
るのやら・・・・・・・・・・
やっかいな病気みたいですが・・・・・・・・まさか、うちの師匠の様な無茶
苦茶な事はしてないと思いますが、どうかご静養下さい!(ご自愛下
さい)
ちなみに、北海道の知床の画像を紹介していただき、ありがとうござ
いました。
測定器がとんでもない所から送られてくるんですね・・・・・・・・!!
>しろちゃん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイで走っている多くのバイクは、50㏄か70㏄のカブだと思います。
125㏄を超えるタイプは少ないと思いますが、スポーツタイプの300㏄
以下のタイプが走っています。それから、排気量は分かりませんが、ス
クータータイプも時々見かけます。
ちなみに、750㏄を超えるタイプは、かなり少ないですね。(金持ちの
ボンや、ちょい悪オヤジなんかがたまに乗ってる感じ)
こちらでは、電車などの公共の乗り物が未整備(バスも大切な交通機
関ですが不便です)ですので、バイクや自家用車が必需品になってい
ます。(自転車はとても危険で乗りにくいです)
当然、ガソリンスタンドはどこにでも沢山あります。競争に負けて廃
業しているガソリンスタンドなんかも時々見かけますね。
東京やその近郊で暮らす人(自家用車がなくても普通に暮らせる人々)
にとっては、分かりにくいのですが・・・・・・・・・・・この国では、中・近距
離の移動手段を持っていないとその都度、タクシーが必要になったりし
ます。(実際、多くの旅行者はタクシーに高いコストを払っています)
私は、バイクのペーパードライバーですので、こちらではお荷物扱いで
す。
カミさんや親せきから車の免許を取るように強く勧められています。
正直、あんまり運転って好きじゃないんですが・・・・・・・・・・郷に入りては
何とやら・・・・・・・・・・・・かも知れませんね。
ちなみに、タイでは、私の様な言葉のよく分からない外人でも3日ほど
の簡単な個人教習で乗用車の免許が取れるそうです!(って、ホントな
のかよ!?)
いや、どうもホントらしいのです・・・・・・・・・・!!
正直言うと・・・・・・・・・怖いんですよねこの国!
ルール無視、酔っ払い運転、シャブ中運転、暴走山岳部族・・・・・・・危ない
のがウヨウヨいますんですよ!
(結果・・・・・・タイの死亡事故率は日本の10倍!)
100ccの場合、バイク専用の免許が必要なのでしょうか。それとも、車の免許の付帯免許として、与えられるものなのでしょうか。
奥さんの方が詳しいかもしれませんが。
近所にガススタンドはありますか。
http://www.arkray.co.jp/smbg/mydia/index.html
送り主は、「北海道斜里町文光町48−9」のナガタ薬局でした。
斜里町というのは、網走刑務所より車で20分も知床半島に向かって走ったところで、ほとんど地の果てです。
薬局の前でヒグマなどが昼寝しているような辺鄙なところなんだろうと思って、グーグルマップで見たら、東京の郊外とあまり変わらない光景にびっくりしました。
そんな折、自分のフェイスブックを見たら、「勤務先: 知床グランドホテル北こぶし」 の佐藤氏という
フェイスブックがあって、知床の大自然がたくさん映っていました。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010276247070&fref=pymk
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=560831804269356&set=pcb.560831950936008&type=3&theater
手元の血糖測定器を見て、はるばるやってきたものだと感心しております。
>ドレメと書かれたとき、思い出がよみがえったきたわけです。
何気ない言葉で、過去がよみがえるって事ありますよね。
「女子寮」といえば、私も思い出す事があります・・・・・・・・・・
高校時代(1973年頃)に茨木県の女子と文通していた事があるの
ですが・・・・・・・・
地元の高校を卒業して彼女が東京の観光会社に就職した時に、一
度会いましょうという事になって世田谷で会い、その後彼女の暮
らす女子寮まで送ったのですが・・・・・・・・・・
女子寮からかなり離れたところで「ここまででいいから」と言っ
て、女子寮まで送らせてもらえませんでした。
なんでも他の女子社員に見られると恥ずかしいとか・・・・・・・・・・私
は、女子寮が遠くに見える場所で彼女を見送ったのですが・・・・・・
それ以来、二度と会うことはありませんでした。
女子寮がどこだったかも忘れてしまいました。
これは、全然違う話なのですが・・・・・・・・・・池袋西口にある丸井で
は、夜になると裏口の周りに若い男どもがウロウロしているので
すが・・・・・・・・・・・
彼らは、その日ナンパした丸井の女子社員が通用口から出てくる
のを待っているのです。(恋人を待つ人もいる)
「女子寮」なんて言葉自体にもそそられるものがありますよね・・・・
・・・・・・・・いや、ホントに!
http://suginokai.jp/story.html
このホームページの最後の行の夫婦二人の写真が写っているところに、創業社主といえる杉野芳子氏の生年月日が間違っていて、1912年【明治25年】と書いてありますが、実は、1892年なので、03-3493-1556のドレメ社学園に電話したところ、「ぎゃふん、間違っていました。」とのことなので、おいおい訂正されると思います。
今でも時々、アマゾンの前を車で通るときに、ドレメも通るんですが、昭和44年頃、私は20才で、当時会津に旅行した頃知り合ったドレメの生徒19才と仲良くなって、ドレメ女子寮を時々訪ねたことがありました。
当時は携帯もなく、寮生は部屋に固定電話もなく、女子寮入口にいきなり入って、ねーちゃん達が風呂に入ったり食堂にいったりと、玄関内をうろうろしているところを、「ちょっと、ちょっと」と誰かを手招きして、何号室の〇〇さんをお願いします。
と呼び出して、交際していたものでした。
他に何人かの男達も来て、山本寛斎なんかもいたかもしれませんが、みな同じように毎日誰かが訪れては呼び出しをかけるスタイルでした。
女子寮は今でもありますが、今はスマホの時代なので、もうそんな光景は見られないと思います。
そんな思い出がありますので、yesどんが、ドレメと書かれたとき、思い出がよみがえったきたわけです。
>クロッキー教室に入学した頃は、杉野芳子は80才ぐらいで、
>まだ存命だったようです。
杉野氏の事は、私はまったく知りませんでしたが・・・・・・・・
Wikipediaによると、杉野氏が亡くなった年が1978年の7月ですから、
私がJプロに入った丁度その頃です。
ですので、クロッキー教室に通っていた年代は、亡くなってから少
し後になりますね。
それにしても、懐かしい話です・・・・・・・・クロッキー教室へ通ってい
た頃が昨日の事の様に思い出されます。(30数年前!)
今では、すっかりジジ臭くなりましたが・・・・・・・・・・あの頃は、メチ
ャクチャ若かったですね・・・・・・・・・・。
いまは、ドレメの歴史を見ても、43年以上昔のことで、手がかりもありませんが、目白のドレメには、デッサン部のようなものがもうけられたような歴史がありますね。
ドレメインスタ
https://www.instagram.com/dressmaker_gakuin/
ドレメファイスブック
https://www.facebook.com/doreme.jp/
ドレメライン
https://page.line.me/doreme
創始者の杉野芳子と言うのも、とんでもない人物でで、バリでクリスチャンディオールと会食したり、ピエールカルダンを日本のドレメに招いて、パリジェンヌによるファッションショーを開催したりと、あの太平洋戦争に向かう昭和10年頃、ファッションで大活躍していたようです。
杉野芳子物語
http://suginokai.jp/story.html
Yesどんが、クロッキー教室に入学した頃は、杉野芳子は80才ぐらいで、まだ存命だったようです。
(86才没)
>目白の「 M学園美術研究所クロッキー教室 」って、なに学園
>なのでしょうか。
それは、目白ドレメ学園(もしくは学院)の事です。
現在は廃校になっているのか、名前が変わっているのか・・・
・・・・・・・よく分かりませんが・・・・・・・・・
昔は、この学校の裏手にプレハブ建ての2階建てがあって、その上
にクロッキー教室がありました。
詳しい事は分からないのですが・・・・・・クロッキー教室がドレメ学園
に場所を借りていたみたいです。
グーグルマップで調べたら・・・・・・・・・目白三丁目の交差点の近くにあ
る「目白ファッション&アートカレッジ」ってなってる所に昔はあっ
たのです。
>みみさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水木先生のアシスタントの本、ご紹介ありがとうございました。
娘さんも出してるんですね・・・・・・・水木先生のファンなら、ぜひ読ん
でみたい本だと思います。
こうした本は、「お身内」の本なんでアットホームな面白さと、それ
なりの読後感が得られるんじゃないかと思いますが・・・・・・・私好みの
「裏話」やら「銭」の話はなさそうですね。
以前、「ゲゲゲの女房」を読んだ事がありますが、作家の視点とは違
う視点が面白かったのですが・・・・・・・こちらは、アシスタントの視点
なので興味津々・・・・・・・・・・
>オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
具体的な感想をありがとございました。
はじめは、「実録」としての(リアルな)話ではなく、毒のない「良
い思い出」だけの話かと思ってあまり興味はありませんでしたが・・・
・・・・・オレンジBさんの解説を読んで興味がわきました。
タイからアマゾンに注文を出しみる事にします。
水木先生の家の向かいの貸し屋の2階で、つげ氏がうたた寝してたときに見た夢が、「ねじ式」になったとか。クラゲの名前がよく分からなかったので、名前を「××くらげ」といい加減に書いたら、校正で「メメくらげ」という名前が与えられたと、ねじ式の解説文に書いてありますね。
上記で紹介されたマンガ「著:村澤昌夫『水木先生とぼく』」
おもしろかったです
DMMの電子書籍のコーナーでもお手軽に読めます
(1500円もしますが、それだけの価値はある、と思う)
見どころを紹介しますね
●人物キャラクターよりも、背景画のほうが上手い、妙なマンガ
(70年代に流行した“劇画(げきが)”って、こんな感じでしすた)
(最近のキャラクターばっかりのマンガを見慣れた自分には)
(逆に、新鮮に感じる)
●70ページ目
水木先生と一緒に、神保町の古本町へ資料本探し(つまり荷物持ち)
水木先生「自分は、電車に乗ると、どこに美人がいるか観察するんだ」
(電車で人間観察をするマンガ家は多いですね)
(職業病と言えそう…)
●53ページ目にJA先生の「H雲」が紹介されてます
1970年代の終わりごろの話
水木「あんた、このマンガどう?」
アシ「はい?あぁ、このマンガ人気あるんですよね。面白いですよ」
水木「このマンガみたいに、背景をあまり描かなくてもイイようにしたいですね」
アシ「えぇッ?でも水木マンガで背景がないのは、らしくないですよ」
水木「いいえ!これからは水木マンガも“背景なし”でいきます!!」
で、これ以降しばらく背景なしの時代が続いた…
それまでいた女の先輩アシスタントが1人辞めて
アシスタント×1人態勢になったので
アシさんの負担を考えてのことだったらしい
1981年以降、水木マンガは不遇の時代に突入する
連載は1本もなし
でも、一人残ったアシスタントをクビにせず
連載マンガの仕事がない代わりに
時間のかかる“点描”で妖怪の絵を描かせ
“水木しげるの妖怪辞典”として出版社に持ち込み、
出版にこぎつける
(↑この本が、後年“水木しげるの妖怪ブーム”の火付け役となる)
(↑私が小学生だったころ、小学校の図書室にもあった、気がする)
その後、水木先生の海外旅行に同行させられたり
先生が買ったビデオカメラの使い方を覚えて、
先生に教えるように頼まれたり
マンガの原稿以外でも、コキ使われる描写が
昭和の時代を感じさせて、おもしろかったです
(一緒に働く人は“家族”みたいなノリだったんでしょうね)
※このアシさん、住むところは仕事場の2F・3Fなんだけど、
家賃とか光熱費の支払いはどーだったのか
描いてないんだよね…
お金にウルサイ水木先生だから、
アシさんからしっかり家賃&光熱費は徴収していると思います…
http://natalie.mu/comic/news/258814
水木プロダクション作による村澤昌夫「水木先生とぼく」が、水木しげるの三回忌前日となる本日11月29日に発売された。
「水木先生とぼく」は40年にわたり水木プロのアシスタントを務めてきた“ぼく”こと深沢が、水木との思い出や創作秘話を明かす「(ほぼ)実録マンガ」。村澤は実際に水木プロのチーフアシスタントを務めており、深沢のモデルにもなっている。マンガには水木の仕事ぶりや、深沢のアシスタントとしての暮らし、また深沢が水木と一緒にバリやヨーロッパへ旅行したときのエピソードなどが登場。深沢が日常生活の中で感じた水木の優しい一面のほか、改築好きであったり、美人に目がなかったりといった水木の意外な顔も垣間見ることができる。同作は怪(KADOKAWA)で連載された。
「ゲゲゲの娘日記」
「ゲゲゲの娘日記」
なお本日11月29日には、水木の次女・水木悦子が家族と過ごした日々を綴るエッセイ「ゲゲゲの娘日記」も同時発売となっている。
2006年05月20日 を読んでいて、ちよっと疑問に思ったのですが、東京、目白の「 M学園美術研究所クロッキー教室 」って、なに学園なのでしょうか。
たとえば、こんな教室がありますが、
「絵画教室 下落合アトリエ
所在地東京都新宿区下落合
PR小さなお家の絵画教室。子供から年配の方まで一緒に楽しみます。東京都新宿区下落合 JR目白駅より徒歩7分。 」
http://www.shimorie.com/index.html
http://dessin.art-map.net/community/links/yobikou/tokyo.htm
単純にグーグルで検索すると、桃園学園が出てきて、
そしたら、こんな画像がでてきて、危ない世界に
入りました。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9889825910/yuzaityo-22/ref=nosim/
https://novel18.syosetu.com/n6318cq/1/
>僕は死ぬまでせかせか・ガツガツして生きてゆくしかないみた
>い・・・・・
私もそうした生き方は理解できるというか・・・・・・・・きっと私だって
同じ様なものなんだと思います。
ただ、私が違うのは、遊ぶ事やサボる事がホントに好きなんですよ
ね。(ただ適当なんです)
「遊び」とか「サボり」ってのは、仕事をする事よりも同じかそれ
以上に大切な事なんじゃないかって感じているわけですが・・・・・・・・
『よりよく遊び、楽しむために、なるべく少なく仕事をする!』
ま・・・・・
そんな事は・・・・・ともかく・・・・・・・・・
テツ斉藤さんが私の言葉を覚えていてくれた事がとても嬉しいです。
どうもありがとうございました。
>オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>日本では底辺層ほど国際化が進んでおります
面白い視点ですね!
NHKの報道特集のタイトルみたいです。
ところで・・・・・・・・・
アジアからの出稼ぎも今のうちで、もうすぐ誰も来なくなる時代が
来る(観光以外は)と・・・・・・・・・
私が今暮らしているタイで、よく見かけるのはミャンマーからの出
稼ぎ労働者です。
家事代行や、食堂の雑用、道路工事などで働いている人の多くが外
国人労働者なんです。(もうタイの若い人は、3K仕事を嫌がるんで
すよね!)
タイはこの20年ですっかり変わりましたし、フィリピンやインドネ
シアも変わってしまうでしょう。
いずれ、単純労働者の奪い合いが始まると思いますが、中国やアジ
アの経済発展のスピード(年6%以上)を見ていると、日本が心配に
なります。
日本以外の国は、その経済成長率と同じだけ毎年賃金が上昇してい
るのに、日本では実質的には増税や経費上昇で、賃下げになってし
まっています・・・・・・。
円安、賃金安のまま、アジア諸外国の経済成長の中で置いて行かれる
という事です。
もっとも、それはまだまだ先の話だと思いますが・・・・・・・・・・
仕事の現場からのお話や、天どん屋さんでのお話、とても面白かった
です。
ありがとうございました。
>ももりんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「晶晶」の読み方は、グーグル翻訳によると・・・・・・・・・・
「ちんちん」って読むみたいですね。
さて・・・・・・・・
日本の若い労働者不足は深刻で、いたるところで外国人のアルバイト
店員が仕事をしていますね。
肌の色も、宗教も、顔だちもそれぞれ違いますが、私はそんな世界が
結構好きです。
ちなみに、日本民族の人口減少がこのまま続くと1000年位で滅亡する
って話を聞いたことがあります。
前にも記したことがあるんですが・・・・・・
現在、出生児数が毎年数十万人くらい足らないという事は、毎年数十
万人の日本人が殺されているのと同じ事だと思うんですよね。
これは、将軍様のミサイルよりもはるかに深刻な問題だと思うんです
が・・・・・・・・問題が明確化してから20年以上、少子化問題担当大臣の首
が変わるだけで、まったく無策、無頓着なこの国は完全に狂っているん
じゃなかろかなぁ・・・・・・と。
まぁ・・・・日本人をゴキブリみたいに思っている人達から見れば、清々
しい話なのかも知れませんのですが・・・・・・・・・・・
5年前は、中国、ネパール人が多かったが、こないだもっと浅黒い男24才ぐらいが居て、ミャンマー人でした。
と思いつつ、1週間前は、マレーシア人、今日は平井の中華「珍来」で、名前が晶晶という読めない女性が皿だしをしていました。
日本語学校が隠れ蓑になって、実質不法労働者が激増していると言うことです。
そういえば、葛西の新鮮市場というスーパーでは、コンゴ人の女性がレジ打ちをしています。
先日、アキハバラへ買い物に行った時のこと
アキハバラで困るのが、無料で入れる公共トイレがないこと
アキハバラの奥深くまで探索していたので
トイレのために、また駅前まで戻るのはメンドクサイ
近くのお店でトイレを借りよう
たまたまあった「てんや」(天丼のチェーン店)でトイレをすませ
トイレを借りたお礼に、一番安い(小)天丼¥430を注文したら
「る○あ」(注意:個人名なので一応、伏字にしておきました)
と名札のついた、浅黒い肌の東南アジア系の女性が接客に出てきたのでビックリ
(和風の天丼のお店に場違いだと思ってビックリ:人種差別じゃないです)
ふと気が付くて、店内の店員は全員、東南アジア系の人ばかり
和食の店なのに、外国人ばかりで大丈夫か?と心配していたら
出てきた天丼をみて、またビックリ
「エビの天ぷらで、しっぽが開いている&
エビのしっぽの先が、ちゃんと切り落とされている」
「江戸前の技だ!」
「『てんや』は、外国人にもちゃんと江戸前の技を押しえているんだ。スゲー」
と感心してしまいました。
エビの天ぷらで、しっぽを開くのは
私の知る限り、東京だけみたいです
同じ関東圏でもエビの天ぷらはしっぽは閉じたまま
東北も仕事の都合で数年いたけど
海老天プラはしっぽ閉じたままでしたね
わざわざ開いて、しっぽの先を切り落とすのは
東京だけみたいです
エビの天ぷらは好物で、しっぽまで食べてしまいますが
エビのしっぽは、構造上、ゴミがたまりやすいので
しっぽの先が切り落としてないやつは
食べないことにしております
しっぽの先を切り落としてある海老天を見ると
「わかっているね」と、うれしくなります
先の建築会社の話題でもそーでしたが
建築業界&飲食業界は、外国人の従業員が多いですね
ブラック業界と言われるところほど、
外国人従業員の比率が高いみたいです
(こうして、日本の国際化が水面下で進んでいくんですね)
余談:エビの天ぷらで思い出すのが昔のSF映画「ブレードランナー」ですね
映画が始まって直後の場面:
立ち食いうどん店に入る主人公デッガード(主演:ハリソン・フォード)
主人公「おやじ、うどんをくれ、エビの天ぷらも4本くれ」
店主 「4つも!2つにしましょうよ。2つで十分ですよ」
主人公「いいや4つだ!4本くれ」
店主 「2つにしてください。お願いです。2つにしてよ」
主人公「いいや、4つだ。どーしても4つ欲しい」
店主 「お客さん、アンタも“頑固”だねぇ…」
…しばし沈黙……店主は、あきらめてうどんをゆでている
(この映画の舞台、2018年のロサンゼルスでは、エビの天ぷらは貴重品らしい…)
主人公「…“頑固”か…、そういえば、別れた女房も同じことを言っていたっけなぁ…」
あきらめた店主、うどんとエビの天ぷらを4本出す
そこへスペイン風らしい鼻の下に豊かなヒゲを蓄えた
警官風の2人の男が現れて
スペイン語らしい言葉で、何かを言う
主人公「なんだこいつらは?”食事中”だと言ってくれ」
店主 「デッカードさん、あなたを“逮捕する”って言っていますよ」
店主 「あなた“ブレードランナー”なんでしょ?」
…映画「ブレードランナー」のタイトルが来る
最近、映画館でやっている
新作の「ブレードランナー」には、旧作にあった
「アメリカを侵食している【うさんくさい日本文化】」
の場面がないそうで、
変なモノ好きの私てしては、残念でなりません(笑)
(私の周りだけかも…笑)
以前自分が働いていたブラック建築会社では
半分が日本人
残り半分が「フィリピン」「ブラジル」「中東」からきた外国人で
しかも日本語が分からなくても社長が雇うので
(人手不足だから?)
英語が社内の公用語になってしまいました(笑)
土建業界は、頭の悪い人たちばかりなのに
英語ができないと、意思疎通ができないので
仕事の作業ができない!!
英語と言っても、彼らも苦手らしく
単語をならべて、なんとか意思疎通を図っていました
3年くらい前まで、社長は
「外国人を雇っても、すぐにやめるから」
「外国人は雇わない!」
と言っていたのですが…
じつは日本人を雇ってもスグ辞めるから(ブラックすぎるから笑)
外国人を雇い始めたみたいです
とある社員(私じゃないよ)
「社長、せめて日本語のできる外国人でないと」)
「仕事になりませんよ」
社長「うぃ~。オマイラが英語でも覚えて、」
「あいつら(外国人)に仕事を教えてやってくれ」
外国人たち(特にフィリピン人たち)は、
仕事の要点をうまく伝えられないためか、
仕事の能率も悪いあまり働かないが、
いつも明るく楽しそうでニコニコしている
その後、しばらくして
私は、今年の夏が来る前に、この建築会社を辞めた
マンガを描くのに専念したかったからだ
今年の夏は雨ばかりで外出もできず
マンガ制作に専念するには、良い環境だった
描こうとするお話は、すでに決まっていたが…
思うように絵を入れることができず
(マンガって、いっぱい絵を描かないといけないんだよね)
(当たり前なんだけど…)
夏が終わるころには、マンガの原稿制作を断念して
ハローワークに通って、また自動車部品の製造工場へ
再就職を果たした
以前働いていた建築会社よりは、
給料もイイ、休日は週休2日で、ボーナスももらえるらしい
良い会社に再就職できてよかった、と思っている
最近、なんかイエスさんの考え方もありだなぁ・・・と言うか、少しのあこがれがめばえてきました。
でも結局は元来の性格で、僕は死ぬまでせかせか・ガツガツして生きてゆくしかないみたいです。
生活のための夜勤バイトでフィリピンやベトナムの子と接していると魅力的だし、想像してたより田舎臭くも発展途上臭くないし「何で今まで僕は根拠のない東南アジア嫌いだったんだろう」と反省しきりです。
イエスさんがおっしゃっていた「その国を批評する時は実際に行くかその国の人と接してから・・・」が身にしみます。
>灰色ねずみさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
youtubeの画像をありがとうございました。
塩枕とカバーの制作、ご苦労様です!
私は、元来無精者で横のものを縦にする事も出来ない男ですので、
ミシンを使いながら解説する灰色ねずみさんが眩しく見えます!
>しゃむねこさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お奨めのタイ語の学習書は、ぜひ読んでみたいので購入させてもら
います!
でも、会話本は私も沢山持っていて、主に積読に使用しています・・・
・・・・・そのため、実際に読んで学習するのは、ちょっと先の話にな
りそうです。
それから、「タイ語の目」の方は、分かりやすいタイ文字の学習書み
たいですね・・・・・・・・即使えそうなので、こちらは意外と早く読ませ
てもらうかもしれません。
貴重なお知らせをありがとうございました!
ちなみに、チェンマイはまだ乾季のはじまりで、まだまだ暑いです・・・
・・・・・あと一ヵ月もすると、もっと涼しくなるかと思います。(それを
楽しみにしているのです)
>ねこねこさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイの猫といえば、シャムネコが有名ですが・・・・・・・・・コラットなん
てのもいるんですね・・・・・・・・・・・・(両方とも、あまり実物はお目にか
かれないかも)
私は、まだ見たことがありませんが・・・・・・・・・画像を見ると、なんだか
エジプトの猫みたいな感じですね。
かつぶしでだまして日本に持ってくれば、高く売れそうな・・・。
https://www.min-nekozukan.com/korat.html
https://matome.naver.jp/odai/2138949231635096701
日本に安心が帰ってきました。
「クレーマーは2度ベルを鳴らす」
ところで、枕の余波で布団カバーと、長枕と、ピローケースも自作しました。
http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/5b89305e5fb200b7d4dea12139f20b12
布団カバーの縫い方
https://youtu.be/Pv1cXU9zb5k
ここの警官達は、ハシビロコウのように、一日中一点を見つめています。
http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/d341ca34ac876f496f6735fa920a727d?st=0#comment-form
>灰色ねずみさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塩枕は、お奨めに従って使ってみようと思いますが・・・・・・・
自作するのではなく、やっぱり購入するのが便利かと・・・・・・・・・・ただ、
タイにいるので、輸送費がちょっとかかるかも・・・・・・・・・・
>ねこねこさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイで売られているPCも家電も全てタイ語表記ですが・・・・・・・・・・一部、
外国語のものもあります。
私は、言葉の事で苦労したくなかったので、ノート型パソコンを一台持
って行きました。
デスクトップ型を持って行きたかったのですが・・・・・・・・・手持ちで持っ
て行くのがシンドかったので、ノート型にしました。
今では、ホテルはもちろん、食卓上、ベッドの上などどこでも使えるノ
ート型にすっかりはまっています。
そのため、タイのパソコン店で売られている状況を知りませんので、詳
しいことがまったく分かりません。(聞くところによると、日本語使用
で使えるデスクトップもあるそうです)
でも、私の経験では使い慣れたデスクトップを慎重に手持ちで持ってき
た方が良いと思います。
ただし、タイは電圧が220V(日本は100V)ですから、基本的には変圧
器が必要になります。
私は、高電圧式のものではなく、中低レベルの安いものをいくつか使用
しています。
300Wを超えるような家電(ヘアドライヤー、レンジ等)は、タイで買
って済ませますから、あくまで、PCやゲーム機、DVD機器などのため
の変圧器です。
ちなみにネット通販で日本製品を、海外へ郵送してくれる中継会社もあ
る様なので、利用できれば便利ですね。(送料が少し高くつきますが)
yesさんのパソコンは、日本から持って行ったものですか。電気圧の変圧器を使っていますか。
数年後タイでパソコンを買った場合、Atokのような日本語ソフトを入れれば、それでOKなのでしょうか。
アマゾンで塩枕 20*42cm 700円
https://www.amazon.co.jp/%E5%A1%A9%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89-%E5%A1%A9%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA/dp/B01006WEIO/ref=sr_1_7?ie=UTF8&qid=1510242597&sr=8-7&keywords=%E5%A1%A9%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89
塩枕全般
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A1%A9%E6%9E%95&rlz=1C1CHBH_jaJP704JP704&oq=%E5%A1%A9%E6%9E%95&aqs=chrome..69i57j69i61l3&sourceid=chrome&ie=UTF-8
タイなら、塩は安く手に入りそうなので、とりあえず5kg買って、生地も東京なら110*150で500円なので、もっと安く手に入れて、35cmに切れば4個の袋が作れます。
110を折り返して55センチの両サイドを縫えば、袋状になるので、ここに5キロの塩を詰めて、エンドを30センチ縫えば完成です。
私が縫って、自分の分2個と、奥さんから頼まれた分2個で使用していますが、最近10年間では、最大のヒットとなり、2か月ほど使っていますが、何の問題もありません。
寝付きの早さ、気持ちよさは格別です。
チューブに制作過程を5分ほど実写しております。
https://www.youtube.com/watch?v=CHBBljnb6Pw&feature=youtu.be
今週のお散歩、ありがとうございました。
語学の知識がほとんどない私でも、よくわかる解説で実際の英語
を教えていただき、ありがとうございました。
「オッケー」じゃなくて「オウケイ」なんですね・・・・・・・・でも、
繰り返し聞いていると「ホ~ケ~」に聞こえてくるので困ります。
塩枕って、1000円から2000円ほどで販売されているそうですが・・・
・・・・・・・どんなもんなんでしょうか・・・・・・・・・・
私は、以前、値段の高いエアウィーヴを使っていましたが、たい
した事はありませんでした。
ちなみに今は安価な低反発枕を使っています。(←ダメですね)
良い枕ってなかなか難しいんですよね・・・・・・・・
多分、私には、柔らかいフワフワした枕が相性が良いんじゃない
かと・・・・・・・・・・
この40年間に、枕を10個以上買ったのですが、いい枕には出会えませんでした。
しかし、この枕を作ってからは、びっくりするほどよく寝られるようになりました。
過去は「そば殻枕」で落ち着いていたのですが、どの枕も、寝始めて10分もすると、なんとなく熱をもって「なんか寝苦しく」なっていました。
その点、塩枕は熱をほとんど持ちません。
又、塩の堅さが、砂のようでしっくりきます。
制作費は塩800円、生地300円程度でした。
奥さんが欲しがったので、2個{塩5キロ入りと8キロ入り}作って納めたところ、「よく眠れるようになった」と気に入っているようです。
とっとこ写真集
http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/cc1bd785d27b39aac07058019e1980df#comment-list
制作過程のチューブ
https://www.youtube.com/watch?v=CHBBljnb6Pw&feature=youtu.be
主な特徴
日本版 2017年10月6日発売
価格 Google Homeが15,120円、Home Miniが6,480円、
具体的にできること一覧
音楽再生(Google Play Music, Spotify, うたパス)
ニュースの読み上げ
ラジオやPodCast再生
アラームやスケジュール管理
など、
でもこれって、すでにスマホで3-4年前から実現できていますね。
家電との連携ができれば、多少価値ありますが。
問題は、グーグルのcmです。
最近一日何十回も「オッケイグーグル」とcmがテレビから流れていますが、この「オッケイ」昔から日本で話されていますが、欧米行くと通じません。
ぎょっとされます。
ただでさえ変な発音の英語が国内流通している中、使う機会が多い言葉だけに、まずいなあと感じています。
では、okは英語でなんと発音するか、下のユーチューブのとおりですが、
https://www.youtube.com/watch?v=K9XVmrZbYFI
しいてカタカナにするなら、オウケイ、またはアウケイです。
イギリス英語での発音記号は「əʊˈkeɪ」でアメリカ英語での発音記号は「oʊˈkeɪ」です。
CMがしつこいこともあって、今日の7chのワールドサテライトで、女子アナが「オッケイ」とスピーカーに話しかけた全国放送を流していましたが、冷や汗が出ました。
昨日グーグル社に電話して、「変な発音のcm、やめてほうがいい」と言おうとしたのですが、ガイダンスが流れて、この手のクレームには全く聞き耳を持たない体勢でした。区分け1*2*3*4とあって、自分達が聞きたいことだけを聞くと言うことです。
このブログで、5年前のコメント欄に、フロリダを旅行したときに英国のハイスクールの学生に、了解という意味で「オッケイ」と返事したら、「オウケイ」だと、手厳しく修正された話を書きましたが、
グーグルが「オッケイ」を日本中の若者に毎日ばらまいているのを見ると、毒アリが日本中にばらまかれているようで、なんだか憂鬱な気分です。
自分の仕事を辞めるというのは、誰でも寂しさがあるものだと
思います。
いつまでも、続けていたいと思うのも人情かも知れません。
でも、私が人より早くリタイアした理由は、そうした考えが「誰
でも」経験する当然な事ではない・・・・・って事を海外で知った事が
大きかったと思います。
欧米系のリタイア組の中には、意外なほどに若い人がいるんです
よね。
彼らは、若くして(50代そこそこ)でリタイアする事をステイタス
にしている感じがします。
お金が貯まったら、仕事をさっさと止めて第二の人生をエンジョイ
する・・・・・・・・その事を目標に生きている・・・・・・・・・・それのどこが悪
いのか?
なぜ、日本人は、いつまでもいつまでも仕事をしようとするのか、
死ぬまで仕事を続ける事がなぜ美徳なのか・・・・・・・・・・
仕事でよっぽど良い思いでもしてウハウハ状態なら、死の床でも仕
事の事だけ考えるかも知れないけれど・・・・・・・・・・
売れない漫画を描いて、40年以上も人の手伝いだけやって貧乏暮ら
しをしてきて、そこにどんな美徳があるのか・・・・・・・・・・
タイで若くしてリタイアしている人を見て、つくづく考えさせられ
てしまったのです。
私の場合、幸いな事に並以下ではありますが・・・・・・・退職金も出ま
したので、即タイ行きを決断しました。
もし、タイへ来なかったら・・・・・・・・・・
今頃、細々と誰かのアシスタントをしつつ、低賃金で小さな賃貸ア
パートで質素な暮らしを維持するか、安い年金とビルの掃除や道路
工事の補助作業などのバイトをしながら70歳代を迎えるか・・・・・・・・・
日本でのキビシイ状況を想像するのは、とても簡単です。
ちなみに、チェンマイでの一日の食費雑費は夫婦で2000円ちょっと、
月に6~7万円。賃貸でなければ安い年金で十分に暮らせます。
ちなみに、2DKのボロマンションなら月々3万円以下、綺麗な一戸建
てでも6万円以下で借りれます。
あちら側に送るときによく言われるのは、
四角いダンボールが丸くなるよ。。といわれ、
届けばラッキーぐらいで・・なんて話をよく聞きます。
アシスタント生活39年で辞める時はあっけなく
くるものなのですね。私はやめ時がわからなく
なりつつあるような気がしますが、自分もいつかは
辞める時がくるのかなあと思うと、どんな終わり方
するのかなと思ってます。
ついに、最後回編、つづくということは
続きがあるのですね。楽しみです。
>迷探偵さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オレンジBさんの質問へのご回答、ありがとうございました。
さすがにお詳しい!(脱帽)
>オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
迷探偵さんは、先生はもちろんですが、うちのスタッフの事につい
ても相当に詳しくご存知です。
ひょっとすると、私や先輩スタッフよりも詳しく先生の漫画作品群
の研究をされているかも知れません。
もし、うちの先生の記念館でも出来たら、初代館長に迷探偵さんを
推薦したいとさえ思っています。いや、ホントに!
「ラブリン・モンロー」の最終巻(第13巻)をお持ちなのですね
ヤフオクとかで、スゴイ値段がついているので、
テレビ東京の「お宝鑑定団」に出してみたら良いかもしれませんよ
お宝鑑定団に、「ラブリンモンロー」第13巻を出す
↓
まんだらけの社長あたりが、鑑定に来る
↓
「このマンガは、有害図書指定を受けて再販もされないが」
「マンガの歴史に残る名作!」
「よくぞ保管しておいてくれました!」
↓
ビッグコミック(小学館:かつて連載していたまんが雑誌)が、
「そんなに人気があるなら、再版スッペ」と、
「ラブリン・モンロー」再版決定!
↓
「なんとかフレンズ」とか「じゃぱリパーク」とか
アニメの世界では、動物モノが当たっているので
↓
「ラブリン・モンロー」もアニメ化決定!!
↓
JA先生、元気になって、創作活動再開!!
だとイイなぁ……(アハハ)
●主人公「ラブリン」(ブタの女の子)の町を占領していた
オオカミ軍は町から追い出される
(すると、「ウルフ大佐」(オオカミ軍の司令官)はどーなったの?)
●町の嫌われ者だった「チンピラ―ノ」が、町長(「大統領」だったかも)になる!
●ラブリンが、チンピラ―ノと結婚して“大統領夫人”になる!
これは最初の方でいずれそうなるという予定で前フリがありました。しかし連載はそこまで行かずに一部終了となりました。
違うとわかったので13巻久しぶりに引っ張り出しました。
・ラブリン、マダム、チンピラーノ以外の主要キャラは全員死亡、ウルフ大佐による射殺がほとんど
・ウルフ大佐はチンピラーノに撃たれ「我が輩は不死身であるぞ」と捨て台詞を残し死亡?
・町に多数の国連軍の爆撃機が襲来したところで終了
>B・INABAさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日通を使って船便で送った荷物は100%、綺麗に確実に届きました
が・・・・・・
郵便局のSAL便という船便は、段ボール箱はベコベコに崩れるし、
ザックリと破られて中をしっかり確認されるし・・・・・・
その上、4つ送ったうちの一つが紛失した例の段ボールでした。
最初から事故発生の時のための「転送」手続きをしておけばよかっ
たのですが・・・・・・単なる配送でなく移住だったために、転送手続き
をしないで「不着後廃棄」手続きをしてしまった事が失敗の元でし
た。
当時は多忙で急いでいたので・・・・・・・・・
でも、もうすっかり諦めています。
>ねこねこさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の写真は、朝のまぶしい光の中で撮影したので、画像が綺麗に写
っていますが・・・・・・それほどの庭ではありません。
広さだけはありますが、結構古くて雑然としています。
家を建て替える時に、庭も整理しなくてはならないと思っています。
お昼時に、デッキチェアでゆっくりしたいのですが・・・・・・・まだ、乾
季の涼しい風が吹くには早く、ベッタリとした暑さあり・・・・・・・クー
ラーの効いた個室へ逃げ込んでいます。
>オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>「ラブリン・モンロー」の結末はどーなったのか知りたい
>です・・・・・
スイマセンが・・・・・・・・・・
忘れました。
たぶん、オレンジBさんが想像されている通りの展開だったと思いま
す。
主人公たちが勝利してハッピーエンド!(だった様な・・・・・?)
でも、私の記憶はいい加減なので・・・・・・・・・・ヤフオクか、アマゾンで
古本を購入されると良いかと思います。(今の時期はちょっと高いかも)
ちなみに、私は、先生のファンではないので、先生の漫画の事はまっ
たく分かりません。
たぶん、オレンジBさんの方が詳しいんじゃないかと思いますよ、い
や、ホントに!
どーしても質問したいことがあります
●質問:JA先生のマンガ「ラブリン・モンロー」の結末はどーなったのか知りたいです
ネットで、最終巻(13巻)の“あらすじ”らしいモノをみました
●主人公「ラブリン」(ブタの女の子)の町を占領していた
オオカミ軍は町から追い出される
(すると、「ウルフ大佐」(オオカミ軍の司令官)はどーなったの?)
●町の嫌われ者だった「チンピラ―ノ」が、町長(「大統領」だったかも)になる!
●ラブリンが、チンピラ―ノと結婚して“大統領夫人”になる!
※どんないきさつで上記のようになるのか知りたいです(笑)
※ここからは自分の想像…
たぶん、チンピラ―ノ&ラブリンの関係は、
アルゼンチンの独裁者だった『ペロン大統領&エビータ婦人』
みたいになると思う
(わからない方は、ネットで検索してください)
(マドンナの映画【エビータ】もおススメ)
●貧困層出身の「エビータ」は、女優として成功し、
軍事独裁政権を率いるペロン大統領と親交を深める。
さらに『大統領夫人』になると、
アルゼンチンで10%以下の富裕層から強制的に税金を取り上げ
国内で90%以上を占めていた貧困層へ生活支援に回した。
エビータ自身が、貧困階層の出身で、
子供のころ富裕層のお屋敷で奉公していた時の
復讐心がスゴカッタらしい…
(エビータのお話は、ココでおしまいにします)
※このマンガ「ラブリン・モンロー」は、発表当時(90年代始め)に、
「有害図書」指定を受けたために、
特に10巻以降は、極端に発行部数が少なく流通していない
(第13巻に至っては、5千部しか刷ってない、とか)
(表現が過激すぎて、再販もできない)そうな
JAマンガは、傑作も多いので、
著作権だけで会社もやっていけそうな感じなのに
(旧スタッフに、『企業年金」だすとか(日本航空とか1部上場企業並みに…))
過激描写が原因で、マンガも再販できないのが、
ファンとしては、なんとも残念でなりません……
再建するなら、大工さんの働きぶりも写真で紹介していただけると興味深いです。
何かの拍子に「ポンッ!」と見つかると良いですね...。