( この写真は、秋山プロの仕事場で毎日出ていた仕出し弁当である。400円以上するそうであるが、
コンビニ弁当よりも高い値段の割に味は悪い。こうした冷や飯が仕事の後のアシスタントの腹を満
たすのである。もったいなくも、文句を言う人間は私ぐらいなものだった・・・・・《 2006年、某月、
撮影 》 )
( ↑写真、仕事場のスナップである。この写真を撮影した当時はスタッフの数も激減し、寂しい仕事
場にゴミ山の様に古雑誌やコピー紙が積まれている。その上に30年のホコリが堆積しているのだが、
誰も片づけようとはしなかった。もし、下手にいじればゴキブリがウジャウジャと這い出して来る
事を知っているからである・・・・《 2010年、某月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
先生との思い出 2
師匠(ジョージ秋山)の話で面白いのは・・・・・・・・
やはり、他の漫画家との逸話だと思います。( 編集員の間では漫画より面白いとの評価も )
当然、漫画制作に関わる重要な話、創作の秘密など興味深い話は沢山あるのですが・・・・・・・・・・
今回は、特に師匠が話してくれた梶原一騎先生との初対面のシーンを紹介したいと思います。
ちなみに、作家というものは・・・・・・・・
その作品の全世界を創造し、全ての人間の殺生と運命を握る神の様な存在であるために、自分を
神か仏の如く錯覚する危険もなくはないのです。
例えば、自分を神だと思っている人間と、自分を仏だと思っている人間が出会ってしまう様な事
が起きた場合、まるで居合切りの勝負の様な・・・・・・・・緊迫した場面が見られます。
これが、漫画よりも面白いと言われる所以であります・・・・・・・・
この話は、20年以上前( 1990年代 )に聞いた話です・・・・・・・・たぶん当時は、もう梶原先生は亡
くなっておられたかと思います。
師匠は漫画家として自立し、ヒット作を連発、ほぼ全ての週刊少年雑誌に連載を同時進行させる
ほどの超売れっ子の時代がありました。
つまり、一週間で5本以上の連載の締め切りがあった事になります。( 現在では想像もつかない
無茶苦茶な仕事ぶりです )
マスコミの取材や、テレビ番組への出演などもあったりと、超多忙な時代でした。
「 これだけ連載やってるとよ、考えてる暇なんかねィ~んだよな、もう思い付いたモンを
ガンガン描くだけよ! 」
1960年代の後半には、すでに梶原氏は「 巨人の星 」や「 柔道一直線 」「 あしたのジョー 」で
超大物の貫禄がありました。
うちの師匠は、新人の売れっ子漫画家です・・・・・・・・・でもただの青白い漫画オタクじゃありません。
二人が初めて出会ったのが銀座の高級クラブです。
漫画家だけでなく、編集員や出版社の役員までを恐れさせていたどこぞの親分みたいな梶原氏と、
「 漫画家なんて馬鹿ばっかりなんだぜ 」と孤独な渡世人の様な師匠が出会うわけです。
はじめてと言っても・・・・・・・・両人はお互いに顔を見知っています。
最初に気付いたのは師匠の方です・・・・・・・・梶原氏が取り巻きと一緒に派手に飲んでいるのですぐ
に分かります。
「 お・・・・・いるな 」
すると、すぐに梶原氏も気付きます・・・・・・・・
『 新入の兄ちゃんが来たな 』
普通の漫画家や編集員なら、梶原氏と出会っただけで緊張感が走り、震えだして小便を漏らす人
もいます。( それは嘘です )
角刈り頭にサングラス、格闘技で鍛えた体に暴力的な雰囲気、相手を威圧する目つきと態度・・・・
・・・・・・まったく困った先生です。
ところが、うちの師匠も負けてはいません。
真っ白なスーツに白いエナメルの靴。そして、梶原氏と同じサングラススタイル。
関八州の大親分が若頭たちと酒を飲んでいる所へ、フラ~ッと、やって来た木枯し紋次郎・・・・・
・・・・・みたいな感じですね。( 表現がかなり古いがお許し下さい )
手をあげて、手招きしたのは梶原氏です。
「 おい 」
師匠はまだ20代の若者です。覚悟を決めて梶原氏のテーブルへ進みます。
「 ジョージだろ? 」
二人は目と目を合わせてジッと対峙します。
相手を威圧する様に低い声で・・・・・・・・・
「 梶原だ、ま・・・・・よろしくな 」
そう言って右の手のひらを差し出します。
普通の人だと、そのまま梶原氏と握手するのですが・・・・・・・・・その時、梶原氏は相手の手を握り
つぶす様に( その怪力で )いたぶる事があります。
相手が「 痛てててッ 」と顔をしかめたらそれで終わりです。
男と男の関係が、この瞬間、親分と子分の関係に変わるのです。
こうして冗談の様に、軽く「 男の挨拶 」をするのが、梶原流なわけです。( たぶん )
右手を差し出すその異様な雰囲気を察した師匠は経験上、握りを浅く(!)しました。
「 俺は、若い頃にワルとも付き合っていたからよ、よく知ってるんだよ 」
師匠は、そう解説しながら、つづきを話してくれました。
案の定( 例のごとく )、梶原氏は師匠の手を怪力で握り絞めます。
しかし、師匠は、浅く握っていたので、指の部分がグニャリとするだけで痛みはほとんどありま
せん。
「 何ですか? 」
・・・・・・・・といった感じで梶原氏の目を見つめます。
梶原氏はニヤニヤと笑いながら・・・・・・・・・・
「 チッ、面白ェ奴だな 」
その後、どんな会話をしたのかは聞いていませんが・・・・・・・・・・( もっとしつこく聞いていればよ
かったのにと後悔しています )
さて・・・・・・・・・・
こうした武勇伝の様な話で超有名なのが村野守美先生です。私がアシスタントをしていた時に、
先輩スタッフから聞いた話・・・・・真崎守先生のご自宅へ日本刀を持って殴り込みをかけたり、暴
走族と喧嘩して、その溜まり場へスタッフと共に夜襲をかけて警察沙汰になった話など・・・・・・・・
でも・・・・・・・・・・
それは、いずれ機会があった時に書かせていただくとして・・・・・・・・・・・・・
次回は、ジョージ先生と赤塚不二夫先生との喧嘩について書いてみたいと思っています。
当時の大御所だった赤塚先生に噛みつく師匠の武勇伝という事になります。
赤塚先生のファンの方々には不快な読み物になるかも知れませんが・・・・・・・・・・
まぁ・・・・・・・・洒落だと思って、笑って読んでいただければありがたいです。いや、ホントに。
「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 2021新年 」 へつづく・・・・
( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
タイにいて、関係者もかなりなくなっていて、yesさんには怖いものなしで、思いっきりネタ話をお願いします。
梶原先生は50歳で亡くなっていたんですね。
守美先生は、背が158センチと小さく、車いす【学校の窓から転落骨折】なのに、日本刀で殴り込みって、すごいですね。でも60歳代の終わりに心筋梗塞で亡くなったというのも、何とも言えません。
毎度毎度、おもしろくて貴重なお話をありがとうございます!
子供の頃、あしたのジョーの単行本カバーの梶原先生の写真を見て「ヤクザやんかっ!」と思った記憶があります。(笑)
ジョージ先生と他の漫画家さんとのエピソードはホントに貴重だと思います。
何しろ、ジョージ先生はインタビューで他の漫画家さんのお話をされることはほとんどありませんでしたからね。
長年に渡り、ジョージ先生のインタビュー記事を見つけるとスクラップ保存してきましたが、
漫画や漫画家のことについて聞かれたときは、ほとんどいつも、漫画は読みません、興味がありません、みたいな答え方しかしてませんから。
私が保存しているインタビュー記事で唯一、他の漫画家との交流について語っているのは、2002年に発売された「少年マガジン名作セレクション」という本でのインタビューだけです。
相変わらず「モリケン以外の漫画家には会ったことがない」などとトボけているジョージ先生に対してインタビュアーが食い下がります。
「先生は本当に手塚治虫さんは見たことないんですか?」
「一回だけ」
「一回だけ?何のときに」
「いや、手塚さんから誘われたんです」
「そんなことがあったんですか?」
「それはねぇ、直接電話いただいたんですよ、手塚先生から。
〝ポケットマネーで、私の〟 〝ああ、そうですか〟
とにかく新宿で、いや新宿じゃない、六本木だ、アマンド。
一番目立つところ。けっこう身長があんだな。
漫画集団がよく使ってる店に連れてってくれて、安くて、そういう連中がくる。
タタミだから面と向かってる。
手塚さん、自分が飲めないものだから、お酒ついでくれるんだけど、つぎ方が下手なこと。
ガソリンじゃないって!
緊張していたのかな、少しふるえていたみたい。
結局いくらもついでねえなあ。おちょうし2本くらい。
やっぱりオリに聞きたいことがあったんだろうな。たぶん。
覚えてねえ」
「漫画の神様」と呼ばれた人を語るときに「酒のつぎ方が下手」とか「緊張していた」とか言ってしまえる人が漫画界にどれだけいるでしょうか。
やはりジョージ先生は孤高の作家ですね。
>ねこねこさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>守美先生は、背が158センチと小さく・・・・
実は、村野先生は大柄な方です。
まったく足が使えないために、立ち上がる事が出来ません。
そのため、どのくらいの身長があるのか推し量るのは難しいのですが
・・・・・・・
ただ、両手を左右にいっぱいに広げると、その長さが180㎝を超える
感じですから、実際の身長も180㎝を超える体格だったかと思います。
体形も太り気味だったので100㎏級だったのではないでしょうか・・・・・・
子供の頃に窓から落ちて足が不自由になったお話など、私も本人から
直接聞いた覚えがあります。
それなのに、武勇伝や虫プロ伝説(アニメの製作スタッフだった)など、
話題に事欠きません。(大陸満州気質でちょっと日本人離れした所があり
ました)
実は、うちの師匠と無関係ではありません・・・・・・・・
その事も、いつか拙ブログで紹介したいと思っています。
>おっさんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
師匠と手塚治虫先生とのエピソード記事、ご紹介いただきありがとう
ございました。(とても貴重なインタビュー記事です)
実は、この手塚先生との対面については、次回の本編で紹介するつも
りでした。
この時に、師匠と手塚先生がどんな会話をしたのか・・・・・・・・そこまでは、
師匠が語っていませんが・・・・・・・・
私は、その内容を知っています。
>オリに聞きたいことがあったんだろうな。たぶん。覚えてねえ・・・・
それは嘘ですね。
作家として、もっとも重要な「核心」に触れる会話をしています。
忘れるわけありません!
昔の剣豪が真剣で対峙するみたいな・・・・・・・・その一瞬の激突を!
でも・・・・・・・・・・
亡き手塚先生の事を想って「覚えてねえ」と打ち切ったのだと思います。
この・・・・師匠がグッと飲み込んだ部分こそ・・・・・・・・・・
まさに「核心」とも言うべきもので・・・・・・・・
次回、本編にて書くつもりでいます。
どうか、楽しみにしていてください。
今回は、貴重なインタビュー記事を本当にありがとうございました!
毎回楽しませていただいてますが、
次回は特に内容の濃いブログになりそうですね!
とても楽しみにしています!
>おっさんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと、心配しつつ(何せ実名ですので)・・・・・次回も頑張ります。
>迷探偵さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
森田拳次先生については全然分からないのです・・・・・・
変な話かも知れませんが・・・・・・ジョージ先生は森田先生についての話
をほとんどしませんでした。
アシスタント時代の話や漫画制作についての話など、いっぱいあって
もおかしくはないのですが・・・・・・・・・・
どういうわけか・・・・・・・・・話してくれた事がありません。
もちろん、ほんの少しはありますが・・・・・・・・・・ブログでわざわざ発表
するほどの内容でもありません。
ただ一つ、印象に残っているのが・・・・・・・・・・
森田先生は、ジョージ先生の真面目さや、その集中力に随分と驚いてい
たらしいと・・・・・・・・・・
もらった給料袋を一ヵ月も仕事場に置き忘れてケロッとしている様子
などが、森田先生を驚かせたとか・・・・・・・・・・
スゴイ弟子が入って来たと緊張されたのではないでしょうか。
師匠の自伝的な作品で、少しだけ紹介されたアシスタント時代のエピ
ソードですが、私は直接聞いたのを覚えています。
お金の事をまったく頓着しないのは、若い頃からず~と同じなんですね。
入って来た原稿料をそっくりその日のうちに銀座で遊んでしまう放蕩
振りは、若い頃からの無茶苦茶なライフスタイルの延長なんですね。
でも、仕事は命がけで必死に頑張る真面目ぶり・・・・・・・・・その反対に、
遊ぶ時もハチャメチャになるわけです・・・・・・・・・・
どうも、この振り子の様な極端なふり幅の「大きさ」を大事にしていた
みたいです。
「釣りキチ三平」など自然と人間をテーマにした作品で知られる漫画家の矢口高雄さんが、今月20日、すい臓がんのため東京都内の病院で亡くなりました。81歳でした。
矢口さんは秋田県横手市出身で、地元の高校を卒業後、銀行員を経て、昭和45年に30歳を過ぎて漫画家としてデビューしました。
昭和48年に発表した「幻の怪蛇バチヘビ」は、みずからも見たとする蛇に似た未知の生物ツチノコにまつわる話を描き、ツチノコブームの火付け役になりました。
同じ年に連載が始まった「釣りキチ三平」は、主人公の三平が美しい自然の中で、さまざまな魚を釣り上げようと奮闘する物語が人気になり、全国に釣りブームを巻き起こして大ヒットしました。
自然と人間をテーマにした作品を描き続け、昭和51年には「マタギ」で日本漫画家協会賞大賞を受賞しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201125/k10012730031000.html
漫画家の矢口高雄先生が亡くなられました。
日本漫画家協会理事としての活動や、最近ではTwitterも始められて漫画の連載はされなくなりながらも熱心に活動されておられたのに急な訃報に驚いております。
矢口高雄先生といえばジョージ秋山作品とは対極にあるような生真面目な作風でしたが、元銀行員で漫画家になってからも締め切り前に原稿を完成させる生真面目な方であったようです。
釣りキチ三平も面白いのですが短編も面白く、「ボクの手塚治虫」と言う自伝で田舎の農村でこき使われるお母さんの不遇を子供ながらに見ていて辛かったという優しい心根が感じられるエピソードが心に残っております。
yesさんは矢口高雄作品はどのように読まれておられましたか?
もっとも、白土氏のアシスタントをしていた小島剛夕氏【子連れ狼】も20年前に亡くなっているし、楠 勝平氏は30歳で亡くなっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%9C%9F%E4%B8%89%E5%B9%B3
81歳まで生きたのだから、まあまあともいえます。
>ふじもんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
矢口高雄先生訃報のお知らせ、ありがとうございました。
>yesさんは矢口高雄作品はどのように読まれておられましたか?
まったく読んでいませんでした。
だいたい「釣り」には興味もなかったし、ジョージ先生の所で仕事を始
めた頃から、(全般的に)あまり漫画を読まなくなっていました。
ホントに好きな一部の作品だけを単行本などで読んでいた感じです。
そのため、漫画雑誌を毎日の様に仕事場で見ているはずなのに、読む作
家と完全にスルーしてしまう作家がいて・・・・・・・・・ちょっと偏ってるん
ですね。
ただし、矢口先生の漫画の背景画には大変お世話になっていました。
特に、釣りのシーンに出てくる海や川の水面の処理などは、とても良い
資料になるわけです。
秋山プロで一番画力のあった先輩が、矢口先生の大ファンでその画風
にメチャクチャ影響を受けていました。(特に植物や建物の処理技術)
私の背景画の画風が、この先輩アシスタントの影響を受けているので、
間接的に矢口先生の作品から多くを学んでいる事になるわけです。
変な話ですが・・・・・・・・・・
氏の漫画は全然読んでいない(まともに一本も読んでない!)のに、そ
の背景画には強い影響を受けているのです。
>適当放送さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
漫画界の巨匠と呼ばれる人の平均寿命は、かなり短そうです・・・・・・・・
適当放送さんのお話の通り、81歳という年齢は、長生きされた方かも
知れません。
不規則な生活や、運動不足、過労、飲酒、食事の偏りなど・・・・・・・・悪癖
のかたまりみたいな方々が多いですから。
ちなみに、私の師匠は、その漫画家人生において徹夜仕事を一度もした
事がありあません。
必ず8時間は睡眠をとっていたそうです。
その意味では、漫画界では稀有な健康優良(?)漫画家なわけですが・・・
・・・・・
酒で深夜まで飲み歩いたり、医者から止められても深酒とタバコを止め
ようとしなかったそのダメージは、相当蓄積していたかと思います。
少なくと、10年前に止めていれば・・・・・・・・まだ元気に仕事をしていた
のではないかと思います。
いや、絶対に元気に仕事をしていたと思います。
「俺ィをジジイ扱いするんじゃねィ~ッ!」
なんて、憎まれ口を言っていたはずです。
きっかけは、先日(12月10日)にNHKで放送された「漫勉(まんべん)」で紹介された「惣領冬実」先生が
(ボーイズラブとかいう言葉が生まれるよりも、はるか昔から…)
(男の人同士でホニャララ~な、お耽美(たんび)な、ホモ臭いマンガを描く人ですよね)
(最近、この番組もマンネリ化してきて、あまり期待していなかったのですが…)
なんとマンガを描くのにミリペンを使っていたから!
えーあの大御所が?ミリペンでまんがを?
そんな手抜き臭いことしてていいんかい?
でも描きあがった原稿は、ミリペンで描いたものとは思えないほど繊細なタッチの絵。
https://twitter.com/hashtag/%E6%83%A3%E9%A0%98%E5%86%AC%E5%AE%9F?src=hashtag_click
番組終了後、日本のネット界で”ミリペン”が話題に
あるマンガオタク「プロのマンガ家が!しかもあんな大御所が、ミリペンでまんがを描いていいのか?!」
別の人「いやいや、自分もプロのマンガ家だけど、だいぶ前から(20年以上前から)ミリペンでマンガを描いているよ
「ミリペンで描くと、インクが乾くの待たなくていいから、作業が効率よくできるんだよね」」
またまた別の人「ミリペンで描くと、時間がたつとインクが薄くなるから、長期保管に向かないとか言うよね」
●う~ん、ミリペンで描くと、線の強弱がつけられないから、
どうしても素人(しろうと)臭い絵になってしまうのだけど、
惣領冬実 先生の描画は、すごいなぁです。
うん、ひさびさに魂のこもった絵を見た気がします
野球なら「一球入魂」、マンガ家なら「一筆入魂」ですね(笑)