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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々515  晩秋の八王子城跡4

2014-11-24 09:59:47 | まち歩き

城主北条氏照の居館だった御主殿跡に行く。曳橋を渡ったところにある。

御主殿跡から見た曳橋。

石垣。

復元された御主殿の門。

御主殿跡。

御主殿から見た本丸のある山の方向。

「もみじ愛で 宴興じた 日を想う」 

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四季折々514  晩秋の八王子城跡3

2014-11-23 12:43:09 | まち歩き

城山から下って麓を城山川にそってを歩く。

城山川を渡ると、復元された古道が続く。

大手門があったところ。

説明板も置かれている。

古道はよく整備されている。

古道は森の黄葉に包まれている。

古道から見る森の黄葉。

「逝く秋に 青葉茂らす 広葉樹」 

復元された曳橋。今は危険ということで通行禁止。近々建て替える計画があるとか。

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四季折々513  晩秋の八王子城跡2

2014-11-22 11:04:12 | まち歩き

八王子城跡の入口から約40分ほどで山頂の本丸跡に着く。城山は元々は深沢山といい、標高460メートルの山。

眺望が一気に開け、眼下に八王子市街を、はるかかなたに新宿やスカイツリーも見えてくる。

八王子神社。

北条氏照が城の守護神とした八王子権現が祀られている。

八王子神社は、牛頭天王(ごずてんのう)とその眷属神(けんぞくしん)の八人の王子を祀っている。この城山の八王子権現は、延喜16年(916年)に華厳菩薩妙行が祀ったのが始まり。八王子の地名の由来となっている。

八王子神社を守る天狗。

本丸跡。

もっとも重要な曲輪。横地監物吉信が守っていたと言われている。

 

本丸跡を守る天狗。

本丸と八王子神社のすぐ下ったところが松木曲輪。

勇猛果敢だと言われた中山勘解由家範が守備していたところ。

「落城の 悲哀が沈む 山落葉」 

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四季折々512  晩秋の八王子城跡1

2014-11-21 14:00:13 | まち歩き

晩秋の八王子城跡に行く。

八王子城は、小田原に本拠をおいた後北条氏の、三代目氏康の三男、北条氏照(?~1590年)が築いた山城。天正年間(1573年ー1592年)に築城が開始され、天正12年から天正15年(1584年ー1587年)の間に、北条氏照が滝山城から拠点を移したとされる。豊臣秀吉の命で、天正18年(1590年)6月23日、前田利家・上杉景勝らの軍勢に攻められ落城。八王子城の落城が決め手となって本拠の小田原城は開城、北条氏は滅亡した。氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政とともに城下で切腹した。(八王子市教育委員会のパンフレットから)

まず山頂の本丸を目指す。

八王子城跡の入口。黄葉した銀杏が迎えてくれる。

 八王子城跡の石碑。

入口の案内板。ここからハイキングが始まる。

登る。

 

金子曲輪(くるわ)。

金子三郎右衛門家重が守備した所。

「落葉踏み よすがも消えた 古戦場」  

八王子城の戦いの顛末。

柵門台。

柵門跡の説明板。 

 柵門台を過ぎると眺望が開けてくる。 

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読書感想151  静かな大地

2014-11-18 18:32:28 | 小説(日本)

読書感想151  静かな大地

著者      池澤夏樹

生年月日    1945年7月7日

出身地     北海道帯広市

出版年     2003年

出版社     朝日新聞社

 

★感想★★

 「徳島の侍が襲ってきた時の騒動の思い出を、父は幼い由良に何度も話した。」という書き出しから始まる。そして成人した由良は今は亡き父から聞いた話の中の欠落している部分を調べ、一冊の本にまとめようと決意する。それは父と父の兄、三郎の物語であった。

徳島の蜂須賀家とその家老職にあった淡路島の稲田家は仲が悪く、明治維新においてその方針の違いから亀裂は決定的になった。蜂須賀家中が稲田家中を襲撃する稲田騒動という事件が起きた。その稲田騒動をきっかけに、稲田家中は淡路島を離れ北海道日高の静内に入植することになった。その中に宗形家の6歳の志郎と8歳の三郎の兄弟もいた。二人は美しく雄大な北海道の自然に魅了され、厳しい開拓の日々を過ごすうち、アイヌの少年との運命的な出会いをすることになる。木刀を持った侍の子供達がアイヌの子供達と喧嘩して負けるという屈辱を味わう。それから親しくなった少年達は互いの言葉を覚え生涯にわたって篤い友情を育んでいく。

明治期のアイヌは、本土から押し寄せる和人によって狩猟民族としての生存条件を狭められ、遡上してくる鮭も横取りされ、エゾシカも乱獲され、食べ物すら手に入らない境遇にまで追い込まれた。生存のためにアイヌは和人達の牧場や農場で下働きをするようになっていったのだろうか。本書の中ではアイヌの動物の扱い方はうまく牛や馬の飼育能力は高かったと言っている。野菜やじゃがいもなどの栽培技術はアイヌにはなかったと思われる。それは和人から教えられたものだっただろう。本書の中ではアイヌとの共存の場を近代的な牧場や農場の中に求めている。歴史上の夢、ファンタジーとして開拓者とアイヌの共存が語られているようである。

「悪い和人のなかにもいい和人もいましたが、最後は悪い和人が勝ち、アイヌはアイヌの言葉と名前を捨て和人になりました」とつぶやく声が聞こえそうな結末だった。 

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