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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々38   スフレパンケーキ

2013-05-07 16:19:38 | まち歩き

八王子市の野猿街道沿いに新しい喫茶店ができた。星乃珈琲店。そこでは普通のパンケーキではなく、スフレパンケーキを出す。連休中は込んでいた。

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入口。

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スフレパンケーキ。

普通のパンケーキよりふわふわ。

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珈琲。

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紅茶とフレンチトーストのモーニングサービス。

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読書感想71   葉隠物語

2013-05-07 15:23:38 | 小説(日本)

 著者      :  安部龍太郎<o:p></o:p>

 

出身地     :  福岡県<o:p></o:p>

 

生年      :  1955<o:p></o:p>

 

出版年     :  2011<o:p></o:p>

 

出版社     :  ()エイチアンドアイ<o:p></o:p>

 

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感想<o:p></o:p>

 

 「武士道とは死ぬことと見付けたり」という一節で有名な「葉隠」をわかりやすく物語にしたものである。<o:p></o:p>

 

「葉隠」を著した佐賀藩藩士山本常朝(出家後改名)は、佐賀藩の藩祖である鍋島直茂と、その主君龍造寺隆信、そして自身の祖父中野清明との劇的な因縁から、自身が仕えた第2代藩主鍋島光茂とのこと、第5代藩主になる宗茂に「葉隠」を送ったいきさつが書かれている。<o:p></o:p>

 

 戦国時代から江戸初期までのいろいろな出来事を通じて武士とはどうあるべきかを教えているわけである。戦国時代の主従関係は一体となって緊密である。生死がかかっている時代だから形式的なものではない。だから龍造寺隆信の敗戦戦死のあと、家臣だった鍋島直茂が中心になって肥前(佐賀)の武士団を統率し領地を守った。肥前の武士たちは形式的な主君である龍造寺家ではなく実質的な棟梁である鍋島直茂と生死を共にした。戦国時代だから家柄ではなく人物本位で選ばざるをえなかったのだ。藩から追放し牢人にした武士にも藩内に留まらせ最低限の食い扶持を与えたりしている。家臣に恩義を感じているからだ。一方では殉死を禁止しなければならないほど殉死が多かった。<o:p></o:p>

 

しかし時代が下って江戸時代に入ると、武士を縛る掟の厳しさに恐怖を覚える。主君の我ままに付き合って家臣が責任をとって腹を切る。また駆け落ちした相手に捨てられた娘を連れ戻し、駆け落ち相手の名前を言えば命は助けると言われても娘が頑として名前を明かさない。娘はもちろんその家の当主の兄、隠居した父親まで連座して死罪になる。わずかの金を工面できなくて藩の金に手をつけ、返却できずに死罪になる。<o:p></o:p>

 

今の時代に武術が中学校で必修化されても、江戸時代の死と表裏一体の厳しい掟の下での滅私奉公の精神に戻ることは不可能だ。<o:p></o:p>