今日は、お世話になった在宅医療の先生のところに挨拶に行きました。
母を看取ってくださったもう1人の先生もちょうど出勤してきたところだったので、挨拶することができました。
あとは訪問入浴の会社の支払いをすれば、本当にすべて終わりです。
先生にも話しましたが、介護しているときは長い日々でしたが、終わってみると、本当に短い日々でした。
もう先生方にも会うことはないでしょうし、いろいろありましたが、今までの日々は思い出にしたいと思います。
最近、テレビや新聞で、在宅医療について取り上げられることが多いですね。
その中で、「やはり死ぬときは家で死にたい」「私は夫を家で看取りたい」などの言葉が聞かれます。
しかし、在宅医療を選ぶときは、患者も家族も、かなりの覚悟が必要だということを知ってほしいです。
病気にもよりますが、母のようにがんなどの場合、家で命にかかわるような恐ろしい症状が出ることを覚悟していなければなりません。
しかもその症状は、たいてい深夜に出るのですね。
そしてその時、病院ならば、ボタンを押せば宿直の医師や看護師が来るでしょうけど、在宅医療の場合は、家族しかいません。
うちのように、呼吸困難で苦しむ母のそばに私1人しかいなかったとき、母はどれだけ不安で恐ろしい思いをしたことでしょう。
電話をしても、深夜では医師は来てくれません。
緊急のときに使う薬を探して、オロオロする私1人しかいなかったときの母の気持ちを考えると、かわいそうでなりません。
やっと先生が到着したとき、安心して眠り始めた母の横顔を見て、母の不安と恐怖を確信しました。
家で死ぬ、家で看取るということは、そういうことなのです。
最期の3日前、先生が私に冊子をくれました。
それには、人間の最期はどのようなものなのかが書かれていました。
先生は、「これから、このようなことが起こります。いちばん最後に書かれていることが起こったら、すぐに医師に連絡してください」と言いました。
そのとき、最期を看取るのは医師ではなく、私なんだなと、はっきり感じました。
在宅医療は確かに家にいられるという点ではいいかもしれませんが、どうやって患者の不安や恐怖を取り除くのかが課題なのかもしれませんね。
うちの場合は病気ががんだったので、在宅医療ではなく、在宅緩和ケアで、がんの辛い症状だけを取り除いて、少しでも有意義な日々を過ごせるようにするというのが目的の医療でした。
確かに辛い症状であった咳や呼吸困難は、かなり抑えることができましたが、結局、あの大量の薬に負けたしまったような気もします。
といって何もしなければ、辛い咳の症状に悩まされたでしょうし。
「入院していたら見られないことが在宅医療だと見られるんだよ」と先生に言われました。
確かに最期の2日前には、ふだんとは違う母を見ました。
入院している患者さんは、あのような行動、言動を、だれにも見られずに死んでいくのだそうです。
どんなことだったかは書きませんが、それも1つの思い出として大切にしたいと思います。
そして、しばらくの間続いた介護日記もこれで終了です。
ホント、長かったけど、終わってみればあまりに短い日々でしたね。
母を看取ってくださったもう1人の先生もちょうど出勤してきたところだったので、挨拶することができました。
あとは訪問入浴の会社の支払いをすれば、本当にすべて終わりです。
先生にも話しましたが、介護しているときは長い日々でしたが、終わってみると、本当に短い日々でした。
もう先生方にも会うことはないでしょうし、いろいろありましたが、今までの日々は思い出にしたいと思います。
最近、テレビや新聞で、在宅医療について取り上げられることが多いですね。
その中で、「やはり死ぬときは家で死にたい」「私は夫を家で看取りたい」などの言葉が聞かれます。
しかし、在宅医療を選ぶときは、患者も家族も、かなりの覚悟が必要だということを知ってほしいです。
病気にもよりますが、母のようにがんなどの場合、家で命にかかわるような恐ろしい症状が出ることを覚悟していなければなりません。
しかもその症状は、たいてい深夜に出るのですね。
そしてその時、病院ならば、ボタンを押せば宿直の医師や看護師が来るでしょうけど、在宅医療の場合は、家族しかいません。
うちのように、呼吸困難で苦しむ母のそばに私1人しかいなかったとき、母はどれだけ不安で恐ろしい思いをしたことでしょう。
電話をしても、深夜では医師は来てくれません。
緊急のときに使う薬を探して、オロオロする私1人しかいなかったときの母の気持ちを考えると、かわいそうでなりません。
やっと先生が到着したとき、安心して眠り始めた母の横顔を見て、母の不安と恐怖を確信しました。
家で死ぬ、家で看取るということは、そういうことなのです。
最期の3日前、先生が私に冊子をくれました。
それには、人間の最期はどのようなものなのかが書かれていました。
先生は、「これから、このようなことが起こります。いちばん最後に書かれていることが起こったら、すぐに医師に連絡してください」と言いました。
そのとき、最期を看取るのは医師ではなく、私なんだなと、はっきり感じました。
在宅医療は確かに家にいられるという点ではいいかもしれませんが、どうやって患者の不安や恐怖を取り除くのかが課題なのかもしれませんね。
うちの場合は病気ががんだったので、在宅医療ではなく、在宅緩和ケアで、がんの辛い症状だけを取り除いて、少しでも有意義な日々を過ごせるようにするというのが目的の医療でした。
確かに辛い症状であった咳や呼吸困難は、かなり抑えることができましたが、結局、あの大量の薬に負けたしまったような気もします。
といって何もしなければ、辛い咳の症状に悩まされたでしょうし。
「入院していたら見られないことが在宅医療だと見られるんだよ」と先生に言われました。
確かに最期の2日前には、ふだんとは違う母を見ました。
入院している患者さんは、あのような行動、言動を、だれにも見られずに死んでいくのだそうです。
どんなことだったかは書きませんが、それも1つの思い出として大切にしたいと思います。
そして、しばらくの間続いた介護日記もこれで終了です。
ホント、長かったけど、終わってみればあまりに短い日々でしたね。
改めて、在宅医療の大変さを教えて頂きました。
病院や施設にお世話になっていれば、その場に行くだけで済みますが、在宅では、医師や看護士の役目も負わなければならないわけですね。
tomatoさん一人で、tomatoさん自身も不安で怖かったでしょうね。
大変な覚悟だったと思います。
私もこれから、3人の親の事を考えると眠れなくなる時があります。
今から準備できる事ではないですし、その時に考えよう~と思うようにしていますが・・。
tomatoさんの献身的な介護を、見習わなくて・・と思っています。
本当にお疲れ様でした。
在宅医療の大変さがとてもよくわかりました。
夜も眠れず長く感じたことも多かった事と思います。
お母様も辛い日々の中で、tomatoさんがいつもそばにいてくれることで、頑張れた事も多かったのでは…と思いますが~。
これからは月になって、tomatoさんの事を見守ってくれてる事と思います。
あの日々は、本当に不安で恐ろしかったです。
呼吸困難になったり、水を吐いたり(それもものすごい吐き方なんです)、痰がひっかかったりと、恐ろしい症状ばかりです。
でも、検査入院したときに言われた「血を吐く」とか「血痰が出る」「痛みに苦しむ」「脳障害が起きる」などの症状は1つも出ませんでした。
それだけでも本当によかったです。
そしてこれらの症状が出なかったので、お医者さんもあわてなかったのでしょうね。
本当にあのころは、夜が長くて、寝るのが嫌でした。
終わってしまえば、何でも懐かしくなるものですね。
今は、笑顔の写真が毎日私を見つめています。
母も今は怖いことも不安なこともなく、穏やかな日々を過ごしていると思います。