ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

ヤマトタケルを語りたい5

2005-05-12 00:23:38 | ヤマトタケル
【道哲士さんより頂いたメールから】

「ひるあんどんさん」でしたっけ!。僕も妙に納得なのです。
<贔屓の引き倒し>ではなく、正直な意見ですね。
僕も同じことを感じました。が、なかなか言えないことなんですね。
以下に、僕の感じたことの一部を書いてみます。

そうですね。今回の作品は科白が部分的にカットされているので
やや唐突な感じのところは、かなり有りましたね。(初演に比べ)
初演当時を知る人には、展開が分かっているのですが
初見の人には、どうなんでしょうか?・・・
僕が大きく感じたところを三箇所だけ書いてみます。

第一幕 大碓命を「殺した」と帝に告げるところ。
 初演は「厠の側で 待って、言い聞かせた」・・・そして「殺した」となりました。
 その前の場が充分に理解されていれば良いのですが、早替り
 に目を奪われた多くの人は余り科白には注意が届いていないので
 はないでしょうか。何故殺さなければならなかったのか、やはり
 もう一度ここで、説明が有った方が親切ではないかと思いました。
 3月初見のとき「えっ、いきなり殺さないでよ」って・・・なんだよ
 この科白運びは・・・時間の短縮で、しゃぁないか・・・って?!!
 納得したような、出来ない(僕の意思的に)ような、
 蛇の生殺しにあったような、表現し難い気持ちでした!。

第二幕 聖の宮 倭姫の「お前は(天翔る鳥)なのだよ~」も、
 その 前に「ああじゃら、ううじゃら・・・」が有り、
 西へ東へと闘いに明け 暮れ・・・(東奔西走)する状態があって、
 天翔るは決して空を翔ぶ ことを指すのではなく、大地を駆け巡るの意。
 だと僕は解釈して 居ります。が、それが伝わらないかなって。
 ここもなんやら 釈然としないでした。蛇足<鳥>と<心>は違うけど一つであり
 一つでも別の意味が有りと・・・(やはり梅原哲学ですね!)

第三幕 能煩野 「ヤマトタケルともあろう者が杖など使えるか」と
 杖を下手幕だまりへ投げるところ、やはり以前は、「歩ける!杖
 とはなんと便利なものだ。老いの身を・・・」が有りましたよね。
 いきなり「杖など使えるか・・・」では、やはり唐突感を覚えます。
 初演当時の方が<大和へ帰りたい>強い気持ちが伝わり
 共に泣くことが出来たのですが・・・今回はあっさりと杖を投げ出す
 もっともっと「生きて大和へ・・・」を強調して欲しかったです。

演出家としての猿之助さんには、物語すべてが身についていることだし、
部分的に科白をカットしても違和感はないのでしょうが?・・・
初めて観て、科白を一言一言噛み締めて聞いている人には・・・
いささか「?」な部分が多く有ったかも知れません。
僕自身は納得行かない。だから、初演通りの上演を強く希望しているのです。

最も疑問なのがエピローグ 宙乗り前の科白が長すぎる!
前半の科白はかつては、能煩野で死を前にしたタケルの言葉!
だからこそ「わたしはなにをめざして・・・」が心を打ったのでは
ないでしょうか。ここの科白はタケルの科白であると同時に
猿之助さんそのものの生き様と言うか、叫びと言うか・・・。
いい場面でした。僕は一番好きでした!。何度聞いても涙・涙で。

だから『天翔る心、それが、この私だ!』と叫んで宙乗りへの効果を
狙われたのだとは思いますが、観客の大部分が、宙乗りへの期待に
胸膨らませているときに、あれは長すぎると思いませんか?
「さようなら兄姫・・・・・」以下で良いのではと思いました。
ただし、ここで、この科白を猿之助さんが言われる場合は、
また違うかも知れません!僕は猿之助さんのは(←宙乗りで天翔る
の台詞を言うようになったバージョンという意味では)
TV放送とDVD(内容は同じですね)でしか見ていないので
なんとも言えませんが。

まとまりがなく、言葉を省略しましたので、誤解を招く恐れが有ります。
でも、ファンの皆さんには、きっと理解して頂けると思い、敢えて
書きたいことを書いてしまいました。お許しの程を・・・

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