紘一郎雑記帳

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日本人の美しさ 日本海海戦に見る 一坂太郎氏講演録

2011-09-15 04:52:57 | Weblog

日本人の美しさを
日本海海戦に見る
 「第1部」
一坂太郎氏講演録
紘一郎雑記張

一坂太郎氏「作家」1966年芦屋市生まれ
元・東行記念館学芸員、 萩博物館資料室長
山口福祉文化大学特任教授 著書多数

本日は日露戦争にまつわる話をさせて戴きますが、
史実を「司馬遼太郎さん」の
「坂の上の雲」風に述べるのではなく、
今なお語り継がれている話をご紹介しましょう

日露戦争のあった明治37年~38年は
100年ほど昔の話ですが
歴史のスケールから言えば
「ついこの前の」ことになります。

日露戦争をめぐる当時の国民の反応から、
現在の日本や日本人との
さまざまな違いが見えてくる
この100年余りで私たちがどう変化したのか、
考えるための一助になれば幸いです。

京都の南禅寺の近くに、
現在は市の所有になっている無鄰庵がある。
そこはかって山縣有朋の別荘地であり、
明治36年4月にその敷地内の洋館に
山縣の招集で、
伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎らが顔を揃えた。

当時、山縣と伊藤は政治家の1線を退き
元老という立場であったが、
桂太郎は現総理で
小村は現職の外務大臣であった

これだけの面々が集まった目的は
強硬な南下政策で
朝鮮半島まで勢力を伸ばそうとしている
ロシアへの対応を協議するためでした。

強国ロシアとの関係を決めることは、
日本の運命を決めることに他ならない。

面白いのは宮崎県出身の「小村」を除く
3人は山口県の萩で育った人間ということです。
萩という小さな町の者が集まり、
萩ではなく日本の将来を決めようとしている事です。

会議の結果ロシアが満州から
撤退しなければ徹底的に抗議し、
朝鮮半島においては日本の優越権を
ロシアに認めさせる事、
ただし満州における優越権はロシアに
認める事が決められました。

しかしロシアは日本の言い分を
認めず明治37年2月、
ついに日露戦争が開戦したのです。

日本に迫るこの時代の列強の圧力を考えれば
日露戦争は避けられなかったという見方もあり
「司馬遼太郎氏」も「坂の上の雲」で、
そう述べているが、
日本がロシアに喧嘩を売ったこと自体が
世界を驚かせたのでした

兵力は日本が100万人で、ロシアは200万人、
軍艦は日本が25万トンでロシアが80万トン
火砲は日本の636門に対してロシアは2260門、
面積は日本はロシアの60分の一で
、欧米では「子犬がホッキョクグマに
噛み付いた」と大騒ぎとなり
誰一人日本がかつなんて
予想もしませんでした・・・


しかし日本は勝ったのです 
続きは第2部にて


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