関西の企業・三輪ソーメン山本・・第1部
紘一郎雑記帳
今日はソーメンの故郷桜井市三輪にて
株式会社三輪山本様を取材した
所在地:奈良県桜井市箸中880
代表取締役社長:山本太治(たはる)8代目 1957年(昭和32年)生 59歳
代表取締役副社長:山本伯子(のりこ)(社長の妻)
社長就任:1994年
業態:手延べそうめん、その他めん類の製麺・製造・販売・飲食
創業:1717年(享保2年)300年歴史 年商:10億円
従業員数:47人(正社員)、約40人(パート、アルバイト)
創業300年を機に社名変更
新時代の食文化創造へ!
「夏と言えばお中元!」と、かつては言えたのだが、
昨今は贈答が盛んではなくなってきたこともあって、
中元需要はそれほど期待できなくなってきている。そんな中で、
旧態依然とした季節商品から脱皮し、身近な美味しい食品として
若者やお洒落な人にも選ばれるべく新戦略を打ち出した食品会社がある。
今回は、創業300年を誇る奈良県桜井市の手延べそうめんの老舗、
株式会社三輪山本をご紹介する。
「三輪山本」と聞いて、あれ?
「三輪そうめん山本」ではないのか?
と思われた読者も多いだろう。それもそのはず、
1717年(享保2年)に創業され、1974年に法人化された
同社は長年「三輪そうめん山本」の社名で親しまれていたのだ。
では、なぜ社名変更したのだろうか?8代目当主である
山本太治社長に伺うと、二つの理由を挙げた。
一つ目の理由は同社が生産するそうめんのうち奈良県内産は半分で、
残り半分が長崎県南島原市の事業所で生産され、
全てが「三輪そうめん」と言えない状態でそう名乗るのは
おかしいと言うことなのだ。
二つ目の理由は同社がそうめん以外の物、
例えばうどんやそばも生産していて、さらに今後も新しい食文化を創造し、
多様化するニーズに挑戦していこうとしているからなのだと言う。
そのため、そうめん発祥の地である「三輪」で創業した「山本」
と言う名前を強調する社名「三輪山本」にしたのだ。
そもそも、そうめんの起源は奈良時代に三輪で作り始められた、
小麦と水をこねて糸状にした保存食なのだと言う。
奈良の三輪地区では、冬の農閑期にそうめんづくりが行われ、
江戸時代にその製法が播州(兵庫)や島原(長崎)等にも広まった。
三輪山本が創業したのはその頃で、途中に戦争での中断はあったものの、
高級手延べそうめんの生産者としての地位を確立し、
多くの百貨店の贈答品として採用されるなど、
300年の歴史と伝統を誇る老舗企業となったのである。
そうめん需要の変化
夏にはさっぱりしたそうめんを食するのが、
かつての日本の当たり前の姿であったが、昨今は需要が頭打ちになっている。
その理由は、ゆでるのが面倒である、
食の多様化の中で選択されなくなってきた、若者にお洒落な
食べ物として認識されていない、コンビニに並んでいない、
エアコンが効いた住環境で冷そうめんから涼を求める必要が無くなった等々。
そうめん、ピンチである。
実際、同社もピーク時は20億あった年商が、現在は10億というから、
日本人のそうめん離れは深刻なのだ。
きっかけはブランド戦略改革
しかし、同社もこの状況を打破すべく動いていた。
数年前からブランド力を上げるための変革に取り組んでいたのである。
まずはおいしさの追求を進めた結果、看板商品である高級手延べそうめん
「白龍」と「白髪」が2010年から8年連続で
モンドセレクション最高金賞を受賞したのである。
実際、味も舌ざわりも歯ごたえも喉ごしも最高だ。
1928年(昭和3年)に
宮内庁御用となった同社の高い技術が証明されたのである。
そうなると、次は消費者を振り向かせる仕掛けを作ることであるが、
同社はデザイン戦略を一新するために、ユニクロやTSUTAYA、
セブンイレブン、楽天など数多くの会社でのブランディングや
デザインで実績のある佐藤可士和氏に商品リニューアルを依頼したのである。
もちろん、佐藤氏は納得のいく仕事でないと受けない方だ。
佐藤氏はこれまでの仕事に傷がつくこともあるので、
仕事は厳選する。続く
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