3月14日・刃傷松の廊下
紘一郎雑記張
今日は3月14日ですが”ホワイトデー”だけではありません
元禄14年3月14日「1701年(312年前)」の
この日300年後の今でも伝えられる大事件がありました。
”刃傷松の廊下”事件です刃傷後、即日切腹となった
浅野内匠頭辞世の句
風さそふ
花よりもなほ 我はまた
春の名残を
いかにとかせん
3月14日
勅使、院使が江戸城に登城して将軍綱吉が先の”勅宣と院宣”に対して
返事を奏上するという奉答の儀が、江戸城本丸御殿白書院にて行われる
予定になっていた。
同日巳の刻、江戸城本丸御殿の大広間から白書院へとつながる
松之大廊下 (現在の皇居東御苑 )
において吉良義央と留守居番 梶川頼照 が居合わせた所へ、
突然、浅野長矩が吉良義央に対して背後から小サ刀 にて叫び声を
あげながら斬りかかった
赤穂城址の堀
そして浅野内匠頭は即日切腹、
播州浅野家は改易(取り潰し)となった
家老大石内臓助がこの事件を知ったのは、色々と説は
あるが、二日後の3月16日夜半と云われている。
その1年9ケ月後の吉良邸討ち入りは赤穂義士の
武士道精神として、今も語り継がれ赤穂市の大石神社は大願成就の神社として名を馳せている。
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