菅直人の正体! 昔の友人より 本当の事、教えます
紘一郎雑記帳
菅さん、あなたと出会ったのは、
市川房枝元参院議員の選挙を手伝ったときでした。
あなたが選対本部事務局長で私が会計責任者。
4つ年上で頼もしく見えましたが、
当時から国家観や哲学なんてものはありませんでした。
昭和51年の衆院選に初めて臨んだ際は
私が選対本部事務局長を務め、
次に参院選に挑んで惨敗した後、
次はどうするのか語り合いましたね。
私が選対本部事務局長を務め、
次に参院選に挑んで惨敗した後、
次はどうするのか語り合いましたね。
あなたは「たとえ応援してくれる人がいなくなって、
おれ独りになってもやる」と強気でした。
いま、民主党内や野党からの「辞めろ」の
大合唱にもめげない厚顔無恥な
彼の姿に通じるものがあります。
一度手にしたものは絶対、手放さない人です。
あなたは落選中、社会市民連合の代表となりましたが、
口の利き方にはほとほとあきれていました。
日ごろ手足となり応援してくれる年上の市会議員が
事務所にきても、なぜか敬意を払おうとはしない。
だから話はちっとも和まないんです。
要は処世術がないのだと思います。
昔から、よく怒鳴っていました。
そのくせ都合が悪くなると「田上く~ん」とすり寄ってくる。
ひいき目に見ても、政治家としては修業が足りない。
私も昔は「菅さんが衆院議員になれば
秘書になるのはおれだ」と思っていました。
でも、結果が出ないと責任をすぐに
「あいつが悪い」と人のせいにする性格が嫌になり、
次第に距離を置くようになりました。
「菅が将来、もし首相になったら日本人を辞める」
という仲間が周りに少なくなかったことを、
ご存じないでしょう。
そんなあなたが首相になったのは
国民にとっても不幸なことです。
首相としての立ち居振る舞い、
帝王学を学んだわけでもなく、
たまたま自分のバイオリズムと世の中の
周波数がかみ合ったからなれただけです。
大型連休中、まだ多くの被災者が
不便な生活を強いられている中で
あなたが家族水入らずで中華料理店に行った
というニュースがありましたが、
出前を取ればいい話です。
何を言われようと気にしない人だからしようがないけど
、国民の生活が菅さんに「人質」に
取られているように思えてくる。
私だったら、自分の存在が果たして
国民のためになっているのかを沈思黙考し、
良心の呵責(かしゃく)に耐えかねて
すぐにでも首相の座は降りるんですけどね…。
菅直人総理の昔の同士からの叫びでした。