私も本にぱっと目を通してみた。
斉藤正美さんがご指摘されて、私自身も「男女平等教育=性別特性論」説について、すでに6/19のエントリで少々書いたのだが、実際の本に目を通した上で再度感じたことについて、記しておきたい。
まず、木村涼子氏担当のQ6。ここで、木村氏は「男女平等教育」について、「場合によっては、男女の特性論・性別役割分業を前提とした上での男女の平等を主張する立場を意味することもありました」(46)と書いている。しかし、これは具体的にどんな場合に、誰の立場だったのかという説明はないままだ。
同様に、船橋邦子氏も、同書中で「性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために「ジェンダー平等」という場合も出てきました(169)と延べているが、誰がどこで「性別特性論を前提とする『男女平等』を主張したり、実践していたのか、という具体例は挙っていない。
いったい、この「特性論に基づく男女平等」というのは、いつ、誰が主張したり、実践したりしていたのか。この学者たちがもつ信念のようにも見える主張は、いったいどこから来たのか。90年代半ば以前の、「ジェンダーフリー」導入以前の教育関連の女性運動は、何をしていたと理解されているのかなど、疑問が山積みだ。
また、木村氏は「『ジェンダーフリー教育』は、特性論や固定的性別役割分業を批判的にとらえることこそが、差別の撤廃につながるという発想を前面に押し出したものとして位置づけることができます」(46)と述べる。これは、私が6/19のエントリで紹介したような、教育をめぐる70年代からの女性運動の蓄積を無視、あるいは少なくとも軽視した見解だといえるのではないだろうか。70年代からの日本のフェミニズム運動の大きな柱は、固定的性別役割分業批判だったからだ。
そして、木村氏は第一波フェミニズムによって「法制度上の男女平等が達成された」と述べているのだが、日本で本当に「法制度上の男女平等」が達成されたのかも疑問だ。「第一波フェミニズム」といえば、参政権運動が思い起こされますが、参政権だけが「法制度上の男女平等」ではないだろう。その後、第二波フェミニズムをうけてできた均等法などは、「法制度上の男女平等」関連の法律なのではなかったのだろうか。現在に至るまで残る、「婚外子差別」や「夫婦別姓」などの民法上の問題、いまだに刑法堕胎罪が存在していること、非常勤労働や不定期雇用問題、まだまだ穴だらけのDV法などなど、法律上、女性に差別的な状況が残っている例は、枚挙にいとまがない。問題は山積みのはず。
にもかかわらず、「実質的平等が達成されないのは、男女の「らしさ」や性役割が原因だ、という木村氏の議論展開は、差別をすべて「個人のらしさ問題」に収斂してしまうという、「ジェンダーフリー」を最初に導入した、東京女性財団の主張と同じようなものに聞こえてくる。
「隠れたカリキュラム」が学校現場で意識されるようになるのと、「ジェンダーフリー」という言葉が用いられたのは、ほぼ同時期のことだと木村氏は主張している。そして、Q8において、その「隠れたカリキュラム」を問題視したので、男女混合名簿が広がった(55)と書く。またもや繰り返しになるが、この解釈は、「隠れたカリキュラム」、「ジェンダーフリー」などの概念が登場するはるか前、80年代初期から続く混合名簿運動の歴史を無視するものといえるだろう。
斉藤正美さんがご指摘されて、私自身も「男女平等教育=性別特性論」説について、すでに6/19のエントリで少々書いたのだが、実際の本に目を通した上で再度感じたことについて、記しておきたい。
まず、木村涼子氏担当のQ6。ここで、木村氏は「男女平等教育」について、「場合によっては、男女の特性論・性別役割分業を前提とした上での男女の平等を主張する立場を意味することもありました」(46)と書いている。しかし、これは具体的にどんな場合に、誰の立場だったのかという説明はないままだ。
同様に、船橋邦子氏も、同書中で「性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために「ジェンダー平等」という場合も出てきました(169)と延べているが、誰がどこで「性別特性論を前提とする『男女平等』を主張したり、実践していたのか、という具体例は挙っていない。
いったい、この「特性論に基づく男女平等」というのは、いつ、誰が主張したり、実践したりしていたのか。この学者たちがもつ信念のようにも見える主張は、いったいどこから来たのか。90年代半ば以前の、「ジェンダーフリー」導入以前の教育関連の女性運動は、何をしていたと理解されているのかなど、疑問が山積みだ。
また、木村氏は「『ジェンダーフリー教育』は、特性論や固定的性別役割分業を批判的にとらえることこそが、差別の撤廃につながるという発想を前面に押し出したものとして位置づけることができます」(46)と述べる。これは、私が6/19のエントリで紹介したような、教育をめぐる70年代からの女性運動の蓄積を無視、あるいは少なくとも軽視した見解だといえるのではないだろうか。70年代からの日本のフェミニズム運動の大きな柱は、固定的性別役割分業批判だったからだ。
そして、木村氏は第一波フェミニズムによって「法制度上の男女平等が達成された」と述べているのだが、日本で本当に「法制度上の男女平等」が達成されたのかも疑問だ。「第一波フェミニズム」といえば、参政権運動が思い起こされますが、参政権だけが「法制度上の男女平等」ではないだろう。その後、第二波フェミニズムをうけてできた均等法などは、「法制度上の男女平等」関連の法律なのではなかったのだろうか。現在に至るまで残る、「婚外子差別」や「夫婦別姓」などの民法上の問題、いまだに刑法堕胎罪が存在していること、非常勤労働や不定期雇用問題、まだまだ穴だらけのDV法などなど、法律上、女性に差別的な状況が残っている例は、枚挙にいとまがない。問題は山積みのはず。
にもかかわらず、「実質的平等が達成されないのは、男女の「らしさ」や性役割が原因だ、という木村氏の議論展開は、差別をすべて「個人のらしさ問題」に収斂してしまうという、「ジェンダーフリー」を最初に導入した、東京女性財団の主張と同じようなものに聞こえてくる。
「隠れたカリキュラム」が学校現場で意識されるようになるのと、「ジェンダーフリー」という言葉が用いられたのは、ほぼ同時期のことだと木村氏は主張している。そして、Q8において、その「隠れたカリキュラム」を問題視したので、男女混合名簿が広がった(55)と書く。またもや繰り返しになるが、この解釈は、「隠れたカリキュラム」、「ジェンダーフリー」などの概念が登場するはるか前、80年代初期から続く混合名簿運動の歴史を無視するものといえるだろう。