すでに一ヶ月くらい前の話しだが、私の大学で増えているという、イラクやアフガニスタンからの帰還兵の学生の状況などについて、教員に情報を与えるという主獅フ"Veterans on Campus"というワークショップがあったので出席した。
まず驚いたのが、ワークショップの出席者の多さ。その前にでたティーチングのワークショップが少人数だったのに反して、座る場所がなくなりそうなくらいの人がきている。ランチがでるというのも要素だったかもしれないが、まあそれよりやっぱりテーマが私の大学で教える人たちにとって、日々必要だと思われるものだったのだろう。
ワークショップで報告された事の、とくに重要だと私にとって思われたものをリストしてみる。
-トレンドとしては、2001年以来、障がいを負った帰還兵の率が25%ふえている。
-イラクやアフガニスタンからの帰還兵は、今までの戦争からの帰還兵たちより重い怪我を負っている傾向がある。以前の戦争だったら死んでしまったような怪我でも死なずに帰ってくるから、という説明。
-181,000人の帰還兵が障害年金を受けている。
-ほぼすべての帰還兵が、撃たれる、攻撃される、待ち伏せて襲われるなどの経験をもつ。
-PTSDや重大な鬱などは6人に1人の帰還兵が患っているとされる。
-PTSDの帰還兵学生たちは、混雑した教室にいるだけでパニックしてしまい、発症することもある。
-過大なストレスのあまり、依存症などの問題を抱えてしまう帰還兵も多い。
-アリゾナ州立大学(帰還兵の数が多いらしい)では、ストレスが高じて銃を帰還兵学生がキャンパス内で持ち歩いてしまうことが問題化されているそうだ。
-聴力障がいが帰還兵の間で増加している。
-帰還してから再度アメリカでの生活に慣れるまで、最低半年、もしくはそれ以上かかる。
-帰還兵用の大学への奨学金などを受けるには、非常に長く面唐ネプロセスを必要とする。
-帰還兵は、失った時間を取り戻そうと、多くの授業を履修しすぎる傾向がある。
-帰還兵はキャンパス内で助けを求めたり、カウンセリングを受けたりするのを避けてしまう傾向がある。
-教室において、同級生にとけこむのが難しい。
-反戦について語る教員や同級生にいらだちや怒りを感じることがある。
-ほとんどの帰還兵は、奨学金だけでは足りないため、仕事などを同時にせざるをえない状況におかれる。ベトナムや-第二次世界大戦時期の帰還兵はほぼ全額奨学金でカバーされたのにくらべ、大きな違いだ。
-国防軍、および予備兵などは今まででは予期できないような形で使われているため、そういった職務の学生たちの大きな経済的困難の原因ともなっている。
-ROTCの学生たちと、帰還兵の学生たちの間には微妙なテンションがあったりする場合もあるようだ。(あまりここはつっこんで語られなかったので想像にすぎないが、ROTC学生たちの「エリート」ステータスが影響しているのだろうか。。)
500人近く私の大学には帰還兵学生がいるとのことで、自分の教室に帰還兵がいることはひじょうに考えられる状況なのだが、教員側がその情報を知りたくても、「個人情報」という位置付けになるため、担当オフィスとしては教えられないらしい。結局、学生側が自らそのことを言わないと知ることはできないという。個人情報であり、帰還兵であるということが差別につながる可能性もありうることを考えるとやむをえないと思う反面、ただえさえカウンセリングや教員に相談に自らくることが少ないという状況があるので、そんな中知らないでいると、教員としてはその学生への十分なケアができないということになる。
しかし、たとえば私のクラスにネイティブアメリカンの学生がいる場合、ネイティブアメリカン学生担当オフィスから、学期途中に成績レメ[トを書いてくれという依頼がくることがある。(アスリートにもこういうケースが時々ある。)ネイティブアメリカン担当オフィスとしては、学生たちが落ちそうになっていたり、授業で苦しんでいたりするケースをオフィスとしても察知し、必要なヘルプをあげたいということでそういう制度になっているのだろうと思う。当然ながら、このレメ[トを書く際に、たとえ見かけではわからずとも、学生の出自がネイティブアメリカンであるといことは教員側もわかるわけだ。では、なぜ帰還兵はそれができないのだろう?単に「個人情報」という理由だけなのか?よくわからない。考え過ぎかもしれないが、帰還兵の存在というのは表立っては「隠すべき」とされてはいないのだろうか?などと邪推もしてしまう。
それでも、私の大学は全米でも「ミリタリーフレンドリーな大学」のうちのひとつらしい。軍にはいらなかったら大学進学なんて考えることもできなかった層の学生たちに機会を与えていること自体はいいことなのは確かだ。だが「ミリタリーフレンドリーな大学」がいいことなのかは、、かなりの違和感である。
そして、教員らの反戦系の発言が怒りやPTSD症状をひきおこす場合があるというのがまた難しい。私も戦争関連の話題はよく授業で扱うし、日本関連の授業を教えるときには、アメリカによる原爆や空襲の話しもどうしたってでてくる。その中で、原爆反対、反戦というスタンスがにじみでる(というかはっきり言う場合もあるし)ときもどうしたってあるだろう。だが、それが感情的な反発や、過度なストレスを生むようではかえってマイナスにもなりかねないわけで、、これも考えなくてはいけない問題だ。
質疑応答時間に私がきいてみた質問が以下の二つ。
-女性の帰還兵が抱える問題とかってありますか、と聞いたら、女性の帰還兵の15%は性暴力の被害にあっている。「軍隊が男性中心社会で、、」という言い方を担当者はしていたので、この性暴力被害は軍隊内でのことだろうと思う。15%はあくまでわかっている数字だということだと思うので、実態はもっと多いのだろうなと思う。
-「キャンパスにいる外国人学生(中東からの留学生も多い)とのトラブルとかって報告されたりしているのですか」と聞いてみたところ、帰還兵がイスラム教徒とは関わりたくないと寮で同じフロアになることを拒むとか、あるいはイスラム教徒の帰還兵もいるので、イスラム教徒帰還兵とそうではない帰還兵を同じときに帰還兵対応オフィスにいっしょにならないように担当者も相当気を使っているのだそうだ。イスラム教やそれを信じる人たち、中東の人たちへの「差別」であることは事実なのだが、それがPTSD状態を悪化させるとなると、そして、そもそもその帰還兵がどうしてそのような精神状態におかれることになったかを考えると、そう単純に私の立場から批判できることでもなく、、この点が一番重く残った。私自身が外国人でもあるから、なおさらである。
このワークショップの最中、担当者たちから「帰還兵が私たちのためにこんなにたくさんのことをしてくれたことを考えると....」というフレーズがでてきたことに、正直ずっとひっかりをおぼえた。ひとつには「私たち」っていったい誰?という問題。おそらくあのワークショップの部屋にいた人種的マイノリティは私だけ、おそらく外国人も私だけだったろう。でも、アクセント丸出しの英語で、アジア人顔してる私がいちおうはいたわけで、それでも「私たち」ってやっぱり言えちゃうんだなあと。そして、私の大学にはアラブ系の学生もけっこういるわけだが、そういう中でも「私たち」といえる、いっているのだろうか。そんな中で、アラブ系学生などはどういう思いをさせられているのか。
また、あの部屋にいた人たちは本気で「私たちのためにこんなにたくさんのことをしてくれた」と帰還兵に対して思っているんだろうか。それとも、とりあえず「そういっておくべき」という暗黙の了解みたいなものがあるから皆この台詞にうなずいていた、うなずかざるをえない状態だったのだろうか。
なにより、「こんなにたくさんのことを」といってしまうことで、それ以上帰還兵の学生たちが存在せねばならない状況そのものの矛盾だとか問題だとか、そういったことについてそれ以上考えることを停止させてしまうような状況になってしまってはいないか。この「帰還兵はわたしたちのために、こんなにたくさんのことをしてくれた」というあまりにありがちな台詞はいったい何を招くのか、ただ、「わたしたち」側がそれを言うことで罪悪感を解消させ、思考停止する役割を果たしてしまってはいないか。そして、「帰還兵」たちの苦しみはその時点でおきざりになってはいないか。あるいは、その台詞くらいしか帰還兵の心に響くものはないのだろうか、ほかに何かないのか。。
などなど、本当にいろいろ考えるが答えはでず、ワークショップから一ヶ月以上たつ今になっても、重いものが心の中にひっかかっている、そんな感じがしている。
まず驚いたのが、ワークショップの出席者の多さ。その前にでたティーチングのワークショップが少人数だったのに反して、座る場所がなくなりそうなくらいの人がきている。ランチがでるというのも要素だったかもしれないが、まあそれよりやっぱりテーマが私の大学で教える人たちにとって、日々必要だと思われるものだったのだろう。
ワークショップで報告された事の、とくに重要だと私にとって思われたものをリストしてみる。
-トレンドとしては、2001年以来、障がいを負った帰還兵の率が25%ふえている。
-イラクやアフガニスタンからの帰還兵は、今までの戦争からの帰還兵たちより重い怪我を負っている傾向がある。以前の戦争だったら死んでしまったような怪我でも死なずに帰ってくるから、という説明。
-181,000人の帰還兵が障害年金を受けている。
-ほぼすべての帰還兵が、撃たれる、攻撃される、待ち伏せて襲われるなどの経験をもつ。
-PTSDや重大な鬱などは6人に1人の帰還兵が患っているとされる。
-PTSDの帰還兵学生たちは、混雑した教室にいるだけでパニックしてしまい、発症することもある。
-過大なストレスのあまり、依存症などの問題を抱えてしまう帰還兵も多い。
-アリゾナ州立大学(帰還兵の数が多いらしい)では、ストレスが高じて銃を帰還兵学生がキャンパス内で持ち歩いてしまうことが問題化されているそうだ。
-聴力障がいが帰還兵の間で増加している。
-帰還してから再度アメリカでの生活に慣れるまで、最低半年、もしくはそれ以上かかる。
-帰還兵用の大学への奨学金などを受けるには、非常に長く面唐ネプロセスを必要とする。
-帰還兵は、失った時間を取り戻そうと、多くの授業を履修しすぎる傾向がある。
-帰還兵はキャンパス内で助けを求めたり、カウンセリングを受けたりするのを避けてしまう傾向がある。
-教室において、同級生にとけこむのが難しい。
-反戦について語る教員や同級生にいらだちや怒りを感じることがある。
-ほとんどの帰還兵は、奨学金だけでは足りないため、仕事などを同時にせざるをえない状況におかれる。ベトナムや-第二次世界大戦時期の帰還兵はほぼ全額奨学金でカバーされたのにくらべ、大きな違いだ。
-国防軍、および予備兵などは今まででは予期できないような形で使われているため、そういった職務の学生たちの大きな経済的困難の原因ともなっている。
-ROTCの学生たちと、帰還兵の学生たちの間には微妙なテンションがあったりする場合もあるようだ。(あまりここはつっこんで語られなかったので想像にすぎないが、ROTC学生たちの「エリート」ステータスが影響しているのだろうか。。)
500人近く私の大学には帰還兵学生がいるとのことで、自分の教室に帰還兵がいることはひじょうに考えられる状況なのだが、教員側がその情報を知りたくても、「個人情報」という位置付けになるため、担当オフィスとしては教えられないらしい。結局、学生側が自らそのことを言わないと知ることはできないという。個人情報であり、帰還兵であるということが差別につながる可能性もありうることを考えるとやむをえないと思う反面、ただえさえカウンセリングや教員に相談に自らくることが少ないという状況があるので、そんな中知らないでいると、教員としてはその学生への十分なケアができないということになる。
しかし、たとえば私のクラスにネイティブアメリカンの学生がいる場合、ネイティブアメリカン学生担当オフィスから、学期途中に成績レメ[トを書いてくれという依頼がくることがある。(アスリートにもこういうケースが時々ある。)ネイティブアメリカン担当オフィスとしては、学生たちが落ちそうになっていたり、授業で苦しんでいたりするケースをオフィスとしても察知し、必要なヘルプをあげたいということでそういう制度になっているのだろうと思う。当然ながら、このレメ[トを書く際に、たとえ見かけではわからずとも、学生の出自がネイティブアメリカンであるといことは教員側もわかるわけだ。では、なぜ帰還兵はそれができないのだろう?単に「個人情報」という理由だけなのか?よくわからない。考え過ぎかもしれないが、帰還兵の存在というのは表立っては「隠すべき」とされてはいないのだろうか?などと邪推もしてしまう。
それでも、私の大学は全米でも「ミリタリーフレンドリーな大学」のうちのひとつらしい。軍にはいらなかったら大学進学なんて考えることもできなかった層の学生たちに機会を与えていること自体はいいことなのは確かだ。だが「ミリタリーフレンドリーな大学」がいいことなのかは、、かなりの違和感である。
そして、教員らの反戦系の発言が怒りやPTSD症状をひきおこす場合があるというのがまた難しい。私も戦争関連の話題はよく授業で扱うし、日本関連の授業を教えるときには、アメリカによる原爆や空襲の話しもどうしたってでてくる。その中で、原爆反対、反戦というスタンスがにじみでる(というかはっきり言う場合もあるし)ときもどうしたってあるだろう。だが、それが感情的な反発や、過度なストレスを生むようではかえってマイナスにもなりかねないわけで、、これも考えなくてはいけない問題だ。
質疑応答時間に私がきいてみた質問が以下の二つ。
-女性の帰還兵が抱える問題とかってありますか、と聞いたら、女性の帰還兵の15%は性暴力の被害にあっている。「軍隊が男性中心社会で、、」という言い方を担当者はしていたので、この性暴力被害は軍隊内でのことだろうと思う。15%はあくまでわかっている数字だということだと思うので、実態はもっと多いのだろうなと思う。
-「キャンパスにいる外国人学生(中東からの留学生も多い)とのトラブルとかって報告されたりしているのですか」と聞いてみたところ、帰還兵がイスラム教徒とは関わりたくないと寮で同じフロアになることを拒むとか、あるいはイスラム教徒の帰還兵もいるので、イスラム教徒帰還兵とそうではない帰還兵を同じときに帰還兵対応オフィスにいっしょにならないように担当者も相当気を使っているのだそうだ。イスラム教やそれを信じる人たち、中東の人たちへの「差別」であることは事実なのだが、それがPTSD状態を悪化させるとなると、そして、そもそもその帰還兵がどうしてそのような精神状態におかれることになったかを考えると、そう単純に私の立場から批判できることでもなく、、この点が一番重く残った。私自身が外国人でもあるから、なおさらである。
このワークショップの最中、担当者たちから「帰還兵が私たちのためにこんなにたくさんのことをしてくれたことを考えると....」というフレーズがでてきたことに、正直ずっとひっかりをおぼえた。ひとつには「私たち」っていったい誰?という問題。おそらくあのワークショップの部屋にいた人種的マイノリティは私だけ、おそらく外国人も私だけだったろう。でも、アクセント丸出しの英語で、アジア人顔してる私がいちおうはいたわけで、それでも「私たち」ってやっぱり言えちゃうんだなあと。そして、私の大学にはアラブ系の学生もけっこういるわけだが、そういう中でも「私たち」といえる、いっているのだろうか。そんな中で、アラブ系学生などはどういう思いをさせられているのか。
また、あの部屋にいた人たちは本気で「私たちのためにこんなにたくさんのことをしてくれた」と帰還兵に対して思っているんだろうか。それとも、とりあえず「そういっておくべき」という暗黙の了解みたいなものがあるから皆この台詞にうなずいていた、うなずかざるをえない状態だったのだろうか。
なにより、「こんなにたくさんのことを」といってしまうことで、それ以上帰還兵の学生たちが存在せねばならない状況そのものの矛盾だとか問題だとか、そういったことについてそれ以上考えることを停止させてしまうような状況になってしまってはいないか。この「帰還兵はわたしたちのために、こんなにたくさんのことをしてくれた」というあまりにありがちな台詞はいったい何を招くのか、ただ、「わたしたち」側がそれを言うことで罪悪感を解消させ、思考停止する役割を果たしてしまってはいないか。そして、「帰還兵」たちの苦しみはその時点でおきざりになってはいないか。あるいは、その台詞くらいしか帰還兵の心に響くものはないのだろうか、ほかに何かないのか。。
などなど、本当にいろいろ考えるが答えはでず、ワークショップから一ヶ月以上たつ今になっても、重いものが心の中にひっかかっている、そんな感じがしている。